デジタル技術が急速に発展する現代社会において、教育のあり方も大きな変革を迫られています。本稿では、インドネシアのマカッサル国立大学のAnsari S. AhmarとAbdul Rahmanによる研究論文「Development of teaching material using an Android」を紹介します。この研究は、Androidアプリを活用した教材開発とその効果検証を行ったものであり、教育におけるテクノロジー活用の可能性と課題を浮き彫りにしています。

研究の背景と意義

デジタルネイティブ世代の学習ニーズ

現代の若者たちは、生まれた時からデジタル機器に囲まれて育っています。UNICEFの調査によると、インドネシアの10歳から19歳の若者の98%がインターネットを知っており、79.5%が実際に利用しているとのことです。こうした「デジタルネイティブ」世代の学習ニーズに応えるため、教育現場でもデジタル技術の活用が求められています。

AhmarとRahmanの研究は、こうした社会的背景を踏まえ、学生たちが日常的に使用しているスマートフォンを学習ツールとして活用することで、より効果的な学習環境を提供しようとする試みです。この点で、本研究は時宜を得たものであり、その意義は大きいと言えるでしょう。

ICT活用教育の世界的潮流

UNESCO(国連教育科学文化機関)は、情報通信技術(ICT)が教育へのアクセス拡大、教育の質向上、教師の専門性開発などに貢献できると述べています。本研究は、こうした世界的な教育の潮流に沿ったものであり、特に発展途上国における教育の質向上に寄与する可能性を秘めています。

研究方法の評価

Plompモデルの採用

研究チームは、教材開発のプロセスにPlompのモデルを採用しています。このモデルは、予備調査、設計、実現/構築、テスト・評価・修正、実装という5つの段階で構成されており、教育分野での開発研究によく用いられる方法です。

この方法論の採用は、研究の信頼性と妥当性を高める上で適切な選択だったと評価できます。各段階で慎重に作業を進め、最終的な教材の品質を確保しようとする姿勢が見て取れます。

評価方法の妥当性

研究チームは、開発した教材の評価を専門家による評価と学生の反応という2つの観点から行っています。これは、教材の質を多角的に検証する上で適切なアプローチだと言えるでしょう。

特に、学生の反応を詳細に調査している点は高く評価できます。教育の最終的な受益者である学生たちの声を直接聞くことで、教材の実際の効果や使いやすさを把握することができます。

研究結果の解釈

専門家による高評価

専門家による評価では、教材の構成、内容、言語の3つの側面すべてにおいて「非常に有効」という高い評価を得ています。平均スコアが3.72(4点満点)というのは、確かに印象的な結果です。

しかし、この結果の解釈には慎重さも必要です。評価者が3名(教材専門家2名、メディア専門家1名)と比較的少数であることや、評価基準の詳細が明らかでないことなどは、結果の一般化可能性を制限する要因となり得ます。

学生からの肯定的反応

学生へのアンケート調査結果も非常に肯定的なものでした。100%の学生が授業内容をより良く理解できるようになったと回答し、90%以上が教材使用によって学習速度が向上したと感じています。

これらの結果は、開発された教材が学生たちのニーズに合致していることを示唆しています。特に、予習がしやすくなった点や、ディスカッションへの積極的な参加が促進された点は注目に値します。

しかし、ここでも結果の解釈には注意が必要です。例えば、調査対象となった学生の数や属性、調査時期などの詳細が不明確です。また、新しい教材に対する初期の興奮や好奇心が結果に影響を与えている可能性も考慮する必要があるでしょう。

研究の強みと限界

強み

1. 時代のニーズへの対応
本研究の最大の強みは、デジタルネイティブ世代の学習スタイルに合わせた教材開発を試みている点です。スマートフォンアプリを活用することで、学生たちにとってより自然な形で学習を進められる可能性を示しています。

2. 包括的な開発プロセス
Plompモデルを採用し、予備調査から実装まで包括的なプロセスを踏んでいる点も評価できます。これにより、教材開発の各段階で適切な検討と改善が行われたと考えられます。

3. 実践的な効果検証
専門家による評価だけでなく、実際の利用者である学生からのフィードバックも得ている点は、研究の実践的価値を高めています。

限界

1. サンプルサイズと代表性
専門家評価の評価者数が少ないこと、学生調査の詳細(サンプルサイズ、属性など)が不明確なことは、結果の一般化可能性を制限する要因となっています。

2. 長期的効果の未検証
研究が短期的な効果のみを見ている点は限界と言えるでしょう。教育的介入の真の価値は、長期的な学習成果の向上にあります。継続的な使用による効果の持続性や、学業成績への影響などを検証する必要があります。

3. 比較研究の欠如
従来の教材や他の教育方法との比較が行われていない点も課題です。新しい教材の相対的な優位性を示すためには、対照群を設けた比較研究が有効でしょう。

4. 技術的課題への言及不足
Androidアプリの開発や運用に関する技術的な課題(例:異なる端末での互換性、アップデートの方法など)についての言及が少ない点も改善の余地があります。

今後の研究への示唆

1. 多様な科目への適用
本研究では主に数学の教材が開発されていますが、他の科目でも同様のアプローチが有効か検証する必要があります。言語学習、科学、社会科学など、異なる性質の科目での応用可能性を探ることで、この手法の汎用性を確認できるでしょう。

2. 学習分析(Learning Analytics)の活用
アプリを通じて得られる学習データを詳細に分析することで、学生の学習パターンや困難を感じる箇所などを特定し、よりパーソナライズされた学習支援を提供できる可能性があります。

3. 協調学習の促進
本研究では個別学習に焦点を当てていますが、スマートフォンアプリを活用した協調学習の可能性も探る価値があるでしょう。例えば、学生同士が問題を出し合ったり、解答を共有したりする機能を追加することで、より豊かな学習体験を提供できるかもしれません。

4. 教師の役割の再定義
テクノロジーの導入により、教師の役割がどのように変化するのか、また、教師はこの新しいツールをどのように活用すべきかについての研究も重要です。教師向けのトレーニングプログラムの開発なども検討に値するでしょう。

5. 倫理的・社会的影響の検討
デジタル機器の過度の使用がもたらす健康上の懸念や、デジタルデバイスへのアクセスの格差(デジタルディバイド)の問題なども、今後は真剣に検討する必要があります。

おわりに:デジタル時代の教育のあり方を問う

AhmarとRahmanの研究は、デジタル時代における教育のあり方を考える上で重要な示唆を与えています。スマートフォンアプリを活用した教材開発は、学生たちの学習意欲を高め、より効果的な学習環境を提供する可能性を秘めています。

しかし、テクノロジーの導入自体が教育の質を保証するわけではありません。重要なのは、テクノロジーを適切に活用し、学生たちの深い理解と批判的思考力の育成を支援することです。また、対面でのコミュニケーションや実践的な体験の重要性も忘れてはなりません。

今後の研究では、テクノロジーを活用した教育の長期的な効果や、従来の教育方法との相補的な関係性などを詳細に検証していく必要があるでしょう。同時に、教育の本質的な目的を見失わず、テクノロジーをあくまでも手段として位置づけることが重要です。

AhmarとRahmanの研究は、こうした複雑な課題に取り組む第一歩として評価できます。彼らの研究を足がかりに、今後さらに多くの研究者や教育者が、デジタル時代にふさわしい教育のあり方を探求していくことが期待されます。

最後に、教育におけるテクノロジー活用の是非を問う際には、常に「学習者にとって何が最善か」という視点を忘れてはなりません。テクノロジーの導入によって得られる利点と、失われる可能性のあるものとのバランスを慎重に検討し、真に効果的で意義のある教育実践を追求していく必要があります。

本研究は、そうした議論を喚起する貴重な契機となるものであり、今後の教育研究および実践に大きな影響を与えるものと考えられます。


Ahmar, A. S., & Rahman, A. (2017). Development of teaching material using an Android. Global Journal of Engineering Education, 19(1), 72-76.

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。