1997年に出版された佐伯胖氏の『新・コンピュータと教育』は、コンピュータと教育の関係を根本から問い直した先見性のある一冊です。出版から四半世紀以上が経過した現在、本書の洞察の多くが現実のものとなり、その重要性がより鮮明になっています。

本書の特徴は、単なるコンピュータ教育の解説書ではなく、教育的視点からコンピュータという機械とその活用方法について根源的に考察している点にあります。著者は「道具」という概念を軸に据え、人間とコンピュータの関係、そしてコンピュータを介した人と人との関係を多角的に論じています。

コンピュータを「道具」として捉え直す

佐伯氏は本書で一貫して、コンピュータを「道具」として捉え直すことを提案しています。著者によれば、道具には以下の3つの条件があります:

1. 非・規範性:道具は人間に「こうせよ」と指示するものではない
2. 手段性:道具は人間の目的達成を助けるもの
3. 透明性:使っているうちに道具を意識しなくなること

これらの条件を満たす道具としてコンピュータを設計・活用することで、真に人間の知的活動を支援できると著者は主張します。

「使いやすさ」と「わかりやすさ」の重要性

本書では、コンピュータの「使いやすさ」と「わかりやすさ」の重要性が強調されています。著者は、多くのコンピュータソフトウェアが複雑すぎて使いにくく、わかりにくいことを批判し、ユーザー中心のインターフェース設計の必要性を訴えています。

特に興味深いのは、「アフォーダンス」という概念の導入です。これは、物の形状が特定の行為を自然に誘発する特性を指します。著者は、コンピュータのインターフェースにもこの概念を適用すべきだと提案しています。

「学びを支援する道具」としてのコンピュータ

本書の核心は、コンピュータを「学びを支援する道具」として捉える視点にあります。著者は、単に知識を効率的に伝達する道具としてではなく、学習者の思考を促し、創造性を育む道具としてコンピュータを活用すべきだと主張します。

特に注目すべきは、「内化」と「外化」という概念です。「内化」は外的な道具やプロセスを頭の中に取り込むこと、「外化」は頭の中の思考を外部に表現することを指します。著者は、これらのプロセスを支援するコンピュータの可能性に言及しています。

ネットワーク時代の学びのあり方

本書の後半では、インターネットの教育への影響が論じられています。1997年当時、インターネットの教育利用はまだ始まったばかりでしたが、著者はその可能性と課題を鋭く指摘しています。

特に重要なのは、「学びの共同体」という概念です。著者は、ネットワークを通じて学習者同士が協力して知識を構築していく新しい学びの形を提案しています。これは現在の「協調学習」や「オンライン学習コミュニティ」の概念を先取りしたものと言えるでしょう。

一方で、著者はネットワーク利用の課題にも言及しています。例えば、情報の氾濫による浅薄な「調べ学習」の横行や、創造性の阻害などの問題点を指摘しています。これらの指摘は、現在のインターネット時代の教育においても重要な示唆を与えています。

二分法的思考への警鐘

本書を通じて著者が一貫して批判しているのが、教育やテクノロジーに関する様々な二分法的思考です。例えば:

– デザイナー(設計者)とユーザー(使用者)の分離
– 「教え」と「学び」の分離
– 「勉強」と「遊び」の分離
– 「学校」と「社会」の分離

著者は、これらの分離を乗り越え、相互に構成し合う関係として捉え直すことの重要性を訴えています。この視点は、現代の教育テクノロジーを考える上でも極めて重要です。

現代的視点からの評価

本書が出版されてから四半世紀以上が経過し、その間にコンピュータとインターネットは社会に深く浸透しました。スマートフォンの普及やSNSの台頭、AIの発展など、著者が予見できなかった変化も多々あります。

しかし、本書の本質的な主張—コンピュータを人間の学びを支援する道具として捉え、その設計と活用を教育的視点から考えるべきだという主張—は、現代においてむしろ重要性を増しています。

例えば、現在話題のAIチャットボットの教育利用を考える際も、本書の視点は示唆に富んでいます。AIを単なる知識の供給源や作業の代行者としてではなく、学習者の思考を促し、創造性を育む「道具」として捉え直すことの重要性が浮かび上がります。

また、オンライン教育が一般化した現在、本書が提案する「学びの共同体」の概念はより現実味を帯びています。しかし同時に、著者が警告した情報の氾濫や浅薄な学びの問題も顕在化しています。これらの課題に対処するためにも、本書の洞察は valuable な指針となるでしょう。

まとめ

「新・コンピュータと教育」は、四半世紀以上前に書かれた本ですが、その洞察の多くが現代においても色褪せていません。むしろ、テクノロジーが教育に及ぼす影響がより顕著になった現在、本書の問題提起はより重要性を増しているとさえ言えるでしょう。

コンピュータを単なる効率化のツールとしてではなく、人間の学びと創造性を支援する「道具」として捉え直し、その設計と活用を教育的視点から考え抜くことの重要性—本書のこの中心的メッセージは、AI時代を迎えた現在でこそ、真剣に受け止める必要があります。

教育関係者はもちろん、テクノロジーの設計者や政策立案者にとっても、本書は重要な示唆を与えてくれる一冊と言えるでしょう。テクノロジーと教育の関係を根本から問い直すための、今なお有効な思考の糧となる良書です。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。