世界の中心でAIをさけぶ (新潮新書)

「シンギュラリティ」という新しい宗教の到来

テクノロジーは人類にとって新しい宗教となりつつあります。そう著者の片山恭一は指摘します。2045年頃にAIが人間の知性を超えるとされる「シンギュラリティ」。それは単なる技術的な転換点ではなく、70億人を超える人類全体を帰依させる、かつてない規模の宗教となるだろうと著者は予測します。

本書『世界の中心でAIを叫ぶ』は、著者が写真家の友人とアメリカ・ワシントン州を旅した記録をもとに、AIやテクノロジーが私たちの社会や生活をどのように変えていくのかを考察したものです。シアトルのアマゾン本社、マイクロソフト本社、原子力施設跡地など、テクノロジーにまつわる場所を訪れながら、人間とAIの関係、経済や社会の変容、そして人間の本質について深い洞察を展開していきます。

レジなき店舗が示す世界の変容

シアトルのアマゾン本社で著者は「Amazon Go」という無人店舗を訪れます。レジも店員もいない店内で、客は商品を手に取ってそのまま外に出るだけ。代金は後からスマートフォンに請求されます。

この光景は著者に強い違和感を与えます。あまりにもスムーズで便利な買い物体験の裏側に、人間不在の不気味さを感じ取るのです。同時に、これが私たちの社会の方向性を象徴しているとも指摘します。人間の仕事はAIに置き換えられ、人々はデータを提供するだけの存在になっていく。その見返りとして基本的なサービスが提供される―そんな世界が近づいているというのです。

分断される社会

アメリカ横断の旅で著者が目にしたのは、深刻な社会の分断でした。シアトルやサンフランシスコなどIT企業が集中する沿岸部と、保守的な価値観が根強い内陸部。健康的な生活を送るIT企業の従業員と、ウォルマートで大量の加工食品を買い込む肥満の人々。

これは単なる経済格差の問題ではありません。価値観や世界観の分断であり、もはや同じ国民としての一体感すら失われつつあると著者は指摘します。そしてこの分断は、テクノロジーの進展によってさらに深まっていく可能性があると警告します。

ベーシックインカムという解決策?

では、こうした社会の分断にどう対処すべきでしょうか。著者は、アマゾンやグーグルといった巨大IT企業が主導する形でのベーシックインカム導入を予測します。

国家による再分配ではなく、企業が提供するサービスという形での生活保障。それは一見、理想的な解決策に思えます。しかし著者は、それが人間の「家畜化」につながる危険性も指摘します。企業が提供する快適なサービスの見返りとして、人々は自らの個人情報を差し出し、管理された生活を受け入れていく―そんなディストピア的な展開も視野に入れる必要があると警告します。

人間の本質を問う

しかし本書は決して悲観的な展望に終始しているわけではありません。著者は、人間の本質的な善性に希望を見出します。

人類が他の種と異なり生き残ることができたのは、協力し合い、支え合う術を知っていたからだと著者は指摘します。そして、その善なる性質は今も私たち一人一人の中に脈々と受け継がれているというのです。

特に著者が注目するのが、人間の「贈与」という性質です。自然界には存在しない「贈与」という行為を行うのは人間だけです。そしてその贈与の精神こそが、テクノロジーが支配する世界においても、人間らしさを保つ鍵になるのではないかと著者は示唆します。

「ともに味わう」という希望

本書の結論部分で著者が強調するのが、「ともに味わう」という考え方です。人間は一人では「美味しい」という感覚すら生み出せない。誰かと共に味わうことではじめて、物事の価値や意味が生まれてくる―そう著者は指摘します。

この「ともに味わう」という人間固有の性質は、どんなにAIが発達しても失われることはないだろうと著者は考えます。むしろ、テクノロジーが進展する中でこそ、この人間らしい性質を大切にしていく必要があると訴えかけるのです。

旅の記録を超えて

本書は一見、アメリカ旅行記のような体裁を取っていますが、その内容は現代社会の本質的な問題に切り込む思想書となっています。特に印象的なのは、テクノロジーの問題を単なる技術的な課題としてではなく、人間の存在や社会の在り方に関わる本質的な問題として捉えている点です。

AIやテクノロジーが私たちの生活を大きく変えていくことは確実です。しかし、だからこそ私たちは人間の本質的な価値を見失わないようにしなければならない―それが本書の重要なメッセージと言えるでしょう。

気さくな旅行記の中に深い思索が織り込まれた本書は、テクノロジーと人間の関係について考えるための優れた導きとなるはずです。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。