人間を見つめる希望のAI論

人工知能(AI)の進展により、多くの職業や人間の営みが変容を迫られています。本書『人間を見つめる希望のAI論』は、AIと将棋、そして棋士の関係性を深く考察した評論です。著者、野咲 蓮氏は将棋ファンの立場から、AIの台頭による棋士の存在意義の揺らぎを憂い、それを克服する道筋を模索しています。

人工知能がもたらした衝撃

2017年、将棋界は大きな転換点を迎えました。第2期電王戦で、将棋ソフトPONANZAが名人に勝利したのです。この出来事は、棋士や将棋ファンに大きな衝撃を与えました。勝負の世界で、人工知能が人間の能力を凌駕する瞬間を目の当たりにしたからです。

著者はここで重要な指摘をします。人工知能との対局は、そもそも本当の意味での「勝負」と呼べるのだろうかと。人工知能は、プログラマーが作り上げた道具に過ぎません。道具との勝負に意味はあるのか。むしろ、人工知能との対局は「棋士対プログラマー」という人間同士の戦いとして捉えるべきではないか、と著者は問いかけます。

判断する人間、計算する機械

本書の白眉は、人間の「判断」と機械の「計算」を対比的に論じた部分です。人工知能は膨大なデータを基に最適解を導き出します。一方、人間の判断には、経験や直感、感情、そして何より「意志」が伴います。著者は、この「意志」こそが人間らしさの本質だと説きます。

棋士は一手一手に自らの意志を込めて指します。その手には必然的に迷いや葛藤が伴います。しかし、その葛藤こそが将棋を豊かな「物語」として成立させるのです。対して人工知能は、ただ冷徹に最適解を算出するだけです。そこには物語は生まれません。

文化としての将棋

著者は、将棋を単なる勝負事としてではなく、日本の伝統文化として捉え直すことを提案します。絵画が写真の発明後も芸術として生き残ったように、将棋も人工知能との共存を図るべきだと説きます。

その鍵となるのが「棋士道」という概念です。著者は新渡戸稲造の『武士道』を引き合いに出しながら、棋士固有の精神性や美意識、そして技芸の継承の重要性を説きます。棋士は単に強さを競うだけでなく、将棋という文化の担い手として存在意義を持つのです。

人間性の再発見

本書は、人工知能時代における人間の在り方を問う哲学書としても読むことができます。著者は、効率や正確さを追求する現代において、むしろ人間の「不完全さ」にこそ価値があると主張します。迷い、葛藤し、時に間違いを犯す。そんな人間らしさを、改めて肯定的に捉え直すべきだと説くのです。

特に印象的なのは、「人間は時代に遅れる特権を持っている」という指摘です。最新のテクノロジーに背を向け、あえて非効率な道を選ぶことができる。それは人間にしかできない選択です。

新たな共存の形へ

著者は、人工知能と棋士の関係を「棲み分け」という観点から整理します。人工知能は正確な計算に長け、棋士は物語を紡ぐ存在として、それぞれの役割を果たせばよいというのです。

そのためには、将棋の評価基準を「強さ」だけでなく、「表現力」や「物語性」にも広げる必要があります。著者は「THE MOST HUMAN KISHI(最も人間らしい棋士)賞」の創設を提案するなど、具体的なアイデアも示しています。

結びに代えて

本書の主張は、将棋界に限らず、広く現代社会に通じるものがあります。人工知能の発達により、多くの職業が自動化の波にさらされています。そんな時代だからこそ、「人間にしかできないこと」の価値を見直す必要があるのです。

著者の論調は時に観念的に過ぎる面もありますが、それは現代の効率至上主義への対抗軸として、むしろ積極的な意味を持つとも言えます。また、将棋界の具体的な事例を通じて人間と人工知能の関係を論じることで、抽象的になりがちなテーマを分かりやすく提示することにも成功しています。

本書は、人工知能時代における人間の存在意義を探求する貴重な試みとして、広く読まれるべき一冊です。将棋ファンはもちろん、技術の進歩と人間性の関係に関心を持つ全ての人にお勧めできる良書と言えるでしょう。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。