佐伯胖氏の『わかり方の根源』は、1984年に出版された教育学の古典的名著です。本書は「わかる」ということの本質を探究し、そこから教育のあり方を問い直そうとする意欲作です。佐伯氏は認知心理学者として知られていますが、本書では心理学の枠を超えて、哲学的な考察も交えながら「わかる」という人間の根源的な営みに迫っています。
40年近く前の著作ですが、今日でも色あせない洞察に満ちており、現代の教育にも重要な示唆を与えてくれます。以下、本書の主要な論点を紹介しながら、その意義を考察していきます。
「わかる」ということの本質
佐伯氏はまず、「わかる」ということの本質を探究することから始めます。氏によれば、「わかる」とは単なる知識の習得ではなく、文化への参加であり、新しい文化的価値の創造につながるものです。
例えば、子どもが何かを「わかった!」と叫ぶとき、それは単に情報を頭に入れただけではありません。その瞬間、子どもは文化的な営みに参加し、新しい価値を生み出しているのです。このように「わかる」ということを捉え直すことで、佐伯氏は教育の本質的な意味を問い直します。
「できる」と「わかる」の関係
次に佐伯氏は、「できる」ということと「わかる」ということの関係を考察します。従来の教育では、「できる」ことと「わかる」ことが切り離されて考えられがちでした。しかし佐伯氏は、本来この二つは密接に結びついているはずだと主張します。
例えば、数学の問題が解けるようになるということは、単に解法を暗記することではありません。問題の本質を理解し、その理解に基づいて柔軟に対応できるようになることです。このように「できる」と「わかる」を一体のものとして捉えることで、より深い学びが可能になると佐伯氏は説きます。
記憶と理解の関係
本書では記憶と理解の関係についても興味深い考察がなされています。佐伯氏によれば、真の理解を伴わない丸暗記は長続きしません。一方で、深く理解したことは自然と記憶に残ります。
ここから佐伯氏は、教育において「覚える」ことよりも「わかる」ことを重視すべきだと主張します。ただし、それは暗記を全否定するものではありません。理解を伴った記憶、意味のある文脈の中での記憶が大切だということです。
「見える」ということの意味
本書の興味深い論点の一つに、「見える」ということの分析があります。佐伯氏によれば、「見える」というのは単に目に映像が映ることではありません。それは世界を理解し、意味づけることなのです。
例えば、専門家の「目」は素人とは違うものを「見て」います。それは単に視力の問題ではなく、理解の深さの違いなのです。このように「見える」ということを捉え直すことで、佐伯氏は観察や実験を通じた学びの本質に迫ります。
言語と思考の関係
言語と思考の関係についても、本書では深い考察がなされています。佐伯氏は、言語が思考を形作るという側面を重視します。適切な言葉を獲得することで、それまで漠然としていた思考が明確になり、新しい理解が生まれるのです。
一方で、言葉だけが先行し、実質的な理解を伴わない「おしゃべり」にも警鐘を鳴らしています。言葉と思考のバランスの取れた発達を促すことの重要性を説いているのです。
感情と理解の関係
本書の後半では、「笑う」「泣く」といった感情と理解の関係について論じられています。佐伯氏によれば、真の理解には常に感情が伴います。「わかった!」という喜び、「なるほど」という感動、これらの感情こそが深い理解の証なのです。
しかし、単なる感傷や安易な共感は戒めるべきだとも説きます。理性的な考察と感情的な共感のバランスが取れたとき、本当の意味での「わかる」が実現するのです。
教育への示唆
以上のような考察を踏まえ、佐伯氏は従来の教育のあり方に疑問を投げかけます。知識の一方的な伝達や、文脈を無視した暗記学習、感情を排除した無機質な授業など、「わかる」ことの本質を見失った教育実践を批判的に検討します。
そして、子どもたち一人一人の「わかろうとする」意欲を大切にし、文化への主体的な参加を促す教育のあり方を提案しています。それは、教師が一方的に教え込むのではなく、子どもと共に探究し、共に「わかろう」とする姿勢を持つことです。
現代的意義
本書が出版されてから約40年が経ちましたが、その問題意識は今日でも新鮮さを失っていません。むしろ、知識偏重の受験教育や、AIの発達による暗記学習の相対的価値低下など、現代の教育を取り巻く状況を考えると、本書の主張はますます重要性を増しているといえるでしょう。
「わかる」ということの本質に立ち返り、教育のあり方を根本から問い直す。そんな姿勢が、今日の教育に求められているのではないでしょうか。本書は、そのための重要な示唆を与えてくれる一冊といえるでしょう。
おわりに
「わかり方の根源」は、「わかる」ということを多角的に分析し、そこから教育の本質を探った野心的な著作です。その射程は広く、認知心理学はもちろん、哲学、言語学、教育学など多岐にわたる領域に及んでいます。
時に難解な箇所もありますが、随所に挿入される具体例や比喩によって、読者の理解を助けてくれます。教育に携わる人はもちろん、「わかる」ということに関心のある全ての人にとって、示唆に富む一冊といえるでしょう。
本書の問いかけに真摯に向き合うことで、私たち一人一人が「わかる」ということの奥深さを再認識し、日々の教育実践や学びのあり方を見直すきっかけになるのではないでしょうか。40年前の著作ですが、むしろ今こそ読み返す価値のある、教育の古典といえる一冊です。