人工知能(AI)の急速な進歩は、私たちの社会に大きな影響を与えつつあります。AIは人間の知性に匹敵し、あるいは凌駕するのか。この問いをめぐって、様々な議論が交わされています。

本稿で紹介する論文は、言語学者として世界的に著名なノーム・チョムスキー氏らによるAI批判論文への反論として書かれました。著者のゲナディ・シュクリャレフスキー氏は、ロシア出身の歴史学者・哲学者で、現在はアメリカのベラカレッジで教鞭を執っています。彼は長年、認識論や科学哲学の研究に取り組んできました。

本論文は、チョムスキー氏らの主張を批判的に検討しながら、AI研究の可能性と人間の知性の本質について独自の見解を展開しています。以下、論文の主要な論点を整理し、その意義を考察していきます。

チョムスキーのAI批判

チョムスキー氏らは、2023年3月にニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した論文で、ChatGPTに代表される現在のAIシステムを厳しく批判しました。その主な論点は以下の通りです:

1. AIの思考プロセスは人間とは根本的に異なる
2. AIには創造性や批判的思考能力が欠如している
3. AIには道徳的推論能力がない
4. AIは「可能なこと」と「不可能なこと」を区別できない

チョムスキー氏らは、これらの理由から、AIが人間の知性に匹敵することはないと結論づけています。

シュクリャレフスキー氏の反論

著者は、チョムスキー氏らの主張に対して、以下のような反論を展開しています:

1. 人間の思考プロセスとAIの類似性

チョムスキー氏らは、AIが大量のデータから統計的パターンを見出すだけだと批判しています。しかし著者は、人間の思考も同様のプロセスを含んでいると指摘します。著名な認知科学者ジェリー・フォーダーの研究を引用し、人間の心も計算的に機能していると主張します。

2. 創造性と批判的思考の可能性

著者は、AIの創造性や批判的思考能力の欠如を断定するのは時期尚早だと指摘します。AIの発展はまだ初期段階にあり、将来的にこれらの能力を獲得する可能性を否定できないと主張します。

3. 道徳的推論と意識の問題

チョムスキー氏らは、AIには道徳的推論能力がないと批判しています。しかし著者は、道徳と科学的理性の関係についてより深い考察が必要だと指摘します。また、AIが意識を持つ可能性についても、現時点で断定的な結論を下すべきではないと主張します。

4. 可能性と不可能性の区別

チョムスキー氏らは、AIが「可能なこと」と「不可能なこと」を区別できないと批判しています。しかし著者は、人間の想像力も時として現実離れした結果を生み出すことがあると指摘し、この批判が必ずしも妥当ではないと主張します。

パラドックスの解決と新たな理解

著者は、チョムスキー氏らが約束した「人間vs機械」のパラドックスの解決と、それによる「新たな理解」が実現されていないと指摘します。チョムスキー氏らは、単に人間の優位性を主張しただけで、真の意味でパラドックスを超越していないというのです。

著者は、パラドックスの解決には、より高次の組織レベルを創造する必要があると主張します。これは、数学者クルト・ゲーデルの不完全性定理を参考にした考え方です。新たな組織レベルの創造によって、従来は矛盾していたものを包括的に理解できるようになるというのです。

創造のプロセスの重要性

著者は、人間とAIの関係を理解する鍵として、「創造のプロセス」の重要性を強調します。このプロセスは、宇宙の進化や人類の発展の根底にあるものだと主張します。

著者によれば、人間とAIを対立的に捉えるのではなく、両者を結びつける創造のプロセスに注目すべきです。AIは人間の創造物であり、人間の知識や能力の具現化です。したがって、AIを恐れるのではなく、人間とAIが協力して新たな可能性を切り開いていく未来を構想すべきだと主張します。

おわりに:AIと人間の共生に向けて

著者は、AIが人間の知性に匹敵する可能性を否定しません。むしろ、創造のプロセスを体現したAIの開発を目指すべきだと提案します。そうすることで、AIと人間が対立するのではなく、協力して新たな組織レベルを創造し、より良い未来を築いていけると主張します。

著者の見解は、AIに対する過度な期待や恐れを戒め、人間とAIの関係をより建設的に捉え直す視点を提供しています。AIの進歩が加速する中、私たちはAIをどのように開発し、どのように付き合っていくべきか。本論文は、その問いに対する重要な示唆を与えてくれます。

考察:論文の意義と課題

本論文の意義は、以下の点にあると考えられます:

1. チョムスキー氏ら著名な知識人のAI批判に対して、詳細な反論を展開している点
2. AIと人間の関係を、より広い哲学的・科学的文脈の中で捉え直している点
3. 「創造のプロセス」という概念を通じて、AIと人間の共生の可能性を示唆している点

一方で、以下のような課題も指摘できます:

1. AIの現状と将来の可能性を区別する視点がやや不明確
2. 「創造のプロセス」の具体的な実装方法についての説明が不足
3. AIの倫理的・社会的影響についての考察が限定的

これらの課題はありますが、本論文はAI時代における人間の知性の意味を問い直す重要な貢献と言えるでしょう。AIの進化が加速する中、私たちは人間の知性の本質と可能性について、より深い理解を求められています。本論文は、その探求の一助となる貴重な視点を提供しているのです。


Shkliarevsky, G. (2023). The Emperor with No Clothes: Chomsky Against ChatGPT. SSRN Electronic Journal. https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4439662

 

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。