本書Critical Discourse Analysis: Analyzing Language and Communication Across Contextsは、批判的談話分析(Critical Discourse Analysis: CDA)という言語学の手法について、その理論的基礎から実践的な応用までを幅広く網羅した学術書です。著者のウウェム・エシアは、CDAの基本的な概念や方法論を丁寧に解説しつつ、政治演説、教室での対話、外交交渉など様々な場面における言語使用の分析事例を豊富に提示しています。
本書の特徴は、CDAの理論を単に解説するだけでなく、実際の談話データを用いた詳細な分析例を多数取り上げている点にあります。これにより読者は、CDAの手法を具体的にどのように適用するのかを学ぶことができます。また、言語がいかに社会的権力関係や思想を反映し、同時に構築しているかという CDAの中心的な問題意識が、一貫して全体を貫いています。
以下、本書の主要な内容を章ごとに見ていきましょう。
理論的基礎とモデル
第1章では、談話分析の基本的な概念や理論的枠組みが紹介されています。ここでは特に、Coulhard のフレームワークやBrown & Yule のモデルといった代表的なアプローチが詳しく解説されています。これらのモデルは、言語使用を単なる情報伝達の手段としてではなく、社会的文脈の中で機能する実践として捉える視点を提供しています。
著者は、これらの理論的基礎を踏まえた上で、Norman Fairclough による批判的談話分析の3次元モデルを中心的な分析枠組みとして提示しています。このモデルは、テキスト分析、談話実践の分析、社会文化的実践の分析という3つのレベルを統合するものであり、言語使用と社会構造の関係を多角的に捉えることを可能にします。
政治演説の分析
第4章から第6章にかけては、政治演説の分析に多くのページが割かれています。ここでは、ドナルド・トランプ、バラク・オバマ、ベンヤミン・ネタニヤフなど、影響力のある政治家たちの演説が詳細に分析されています。
例えば、トランプの演説分析では、「含意」「前提」「誇張」といった修辞的戦略が頻繁に用いられていることが指摘されています。これらの戦略は、移民やイスラム教徒に対する否定的なイメージを暗に喚起し、自身の政策を正当化する効果を持つと著者は論じています。
一方、オバマのイラン核合意に関する演説分析では、歴史的文脈への言及や外交努力の強調といった特徴が浮き彫りにされています。ここでは、オバマが複雑な国際問題をいかに説得的に提示し、自身の政策を擁護しているかが明らかにされています。
これらの分析を通じて、政治家たちがいかに言語を戦略的に用いて自身の立場を強化し、聴衆の認識に影響を与えようとしているかが明確に示されています。
教室での対話分析
第7章では、教室における教師と生徒の対話分析に焦点が当てられています。ここでは、Sinclair と Coulthard による IRF (Initiation-Response-Feedback) モデルが中心的な分析ツールとして用いられています。
著者は、このモデルを用いてエチオピアの教室での対話を分析し、教師主導の相互作用パターンが支配的であることを明らかにしています。また、マレーシアのESL (English as a Second Language) 教室での教師のフィードバックについての研究も紹介されており、フィードバックの種類や頻度が学習者の言語習得に与える影響が考察されています。
これらの分析を通じて、教室という場がいかに非対称的な権力関係によって特徴づけられているか、そしてそれが言語使用のパターンにどのように反映されているかが明らかにされています。
外交交渉における言語戦略
第8章と第9章では、国際外交の場における言語使用に注目しています。具体的には、イランの核開発問題をめぐるオバマ大統領とロウハニ大統領の国連総会での演説が分析対象となっています。
オバマの演説分析では、歴史的な軍縮条約への言及や、イランとの対話を通じた解決の重要性の強調といった特徴が指摘されています。一方、ロウハニの演説では、イランの民主的正統性の主張や、経済制裁の非生産性の指摘といった点が中心的なテーマとして浮かび上がっています。
著者は、両者の演説を比較分析することで、同じ問題に対する異なる立場がいかに言語的に構築され、提示されているかを明らかにしています。これは、国際関係における言語の戦略的使用の重要性を如実に示す事例となっています。
本書の意義と課題
本書の最大の意義は、批判的談話分析の理論と実践を包括的に提示している点にあります。特に、政治、教育、外交といった多様な領域における具体的な分析事例は、CDAの応用可能性の広さを示すと同時に、その分析手法の有効性を実証するものとなっています。
また、本書は単に言語学的な分析にとどまらず、言語使用と社会的権力関係の密接な結びつきを常に意識している点も重要です。これは、言語研究が単なる形式分析を超えて、社会的・政治的な問題に深く関わりうることを示唆しています。
一方で、本書にはいくつかの課題も見られます。例えば、分析対象となっているデータの多くが英語圏のものに偏っており、より多様な言語や文化圏からのデータを扱うことで、さらに豊かな洞察が得られる可能性があります。また、デジタル時代におけるソーシャルメディアなど、新たなコミュニケーション形態に対するCDAの適用可能性についてもさらなる議論が望まれるところです。
おわりに
『批判的談話分析:様々な文脈における言語とコミュニケーションの分析』は、CDAの理論的基礎から実践的応用までを幅広くカバーした、非常に価値ある学術書です。政治学、社会学、教育学、国際関係論など、言語に関心を持つ幅広い分野の研究者や学生にとって有益な知見を提供するでしょう。
本書を通じて読者は、日常的に接する様々な言説をより批判的に読み解く視点を獲得することができます。それは単に学問的な技能にとどまらず、メディアリテラシーや民主的市民性の涵養にもつながる重要なスキルとなるでしょう。
言語がいかに社会を形作り、同時に社会によって形作られるのか。その複雑な相互作用を理解することは、現代社会を生きる私たちにとって不可欠な課題です。本書は、その課題に取り組むための優れた出発点となる一冊だと言えるでしょう。