本書『錯覚する脳-「おいしい」も「痛い」も幻想だった』は、慶應義塾大学理工学部教授の前野隆司氏による、人間の意識や感覚について論じた哲学的考察です。著者は触覚の研究者として知られていますが、本書では専門分野を超えて、人間の意識や感覚がすべて「イリュージョン(錯覚・幻想)」であるという大胆な主張を展開しています。
三つの重要な論点
本書の主張は大きく分けて三つあります。一つ目は、人間の五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)は実在する物理現象を捉えているのではなく、脳が作り出したイリュージョンだということ。二つ目は、自己意識や思考といった内的な心の働きもイリュージョンだということ。そして三つ目は、これらの事実を受け入れた上で、人生をいかに生きるべきかという実践的な提言です。
五感はイリュージョンである
著者はまず、人間の五感について詳しく分析します。例えば「痛み」は、実際には死んだ皮膚の表面で感じています。しかし死んだ細胞に感覚があるはずがありません。また「色」も、物理的には特定の波長の電磁波が存在するだけで、「赤い」という感覚は脳が作り出したものです。「音」についても同様で、空気の振動が存在するだけで、「美しい音色」という感覚は脳が作り出したイリュージョンです。
著者は、このように五感で感じる様々な感覚が、実は物理現象とは異なる「脳が作り出したイリュージョン」であることを、科学的な知見を基に丁寧に説明していきます。
意識もイリュージョンである
さらに著者は、人間の意識そのものもイリュージョンであると主張します。著者が提唱する「受動意識仮説」によれば、意識は能動的に何かを決定しているわけではなく、無意識的な脳の活動の結果を受動的に感じ取っているだけだというのです。
例えば、私たちが「意志を持って行動している」と感じる場合でも、実際には無意識的な脳の活動が先行しており、意識はその結果を後追いで感じ取っているに過ぎないと著者は指摘します。この主張の根拠として、脳科学者リベットの実験などが紹介されています。
感覚遮断タンクの実験
本書の興味深い点は、著者自身が「感覚遮断タンク」という装置を使って実験を行い、その体験を詳しく記述していることです。このタンクは、外界からの感覚刺激をできるだけ遮断する装置で、その中に入ることで、通常の感覚や意識がどのように変化するかを体験できます。
著者と研究室の学生たちによる実験では、人によって体験内容に大きな個人差があることが明らかになりました。ある人は深い瞑想状態に達し、別の人は特に変化を感じないなど、感覚や意識の働きには個人差が大きいことが示唆されています。
釈迦の思想との共通点
著者は、自身の主張が仏教の開祖である釈迦の思想と共通点を持つことを指摘します。釈迦の説いた「空」の思想、すなわちすべての存在は実体を持たないという考えは、著者の「すべてはイリュージョンである」という主張と重なります。
ただし著者は、釈迦が瞑想や修行によって到達した境地に、現代では脳科学や認知科学の知見によって到達できると主張します。これは本書の重要な特徴で、東洋思想と現代科学の接点を示唆する興味深い指摘となっています。
実践的な人生論へ
本書の結論部分では、「すべてはイリュージョンである」という認識を踏まえた上で、どのように生きるべきかという実践的な提言がなされています。
著者によれば、すべてがイリュージョンだからこそ、執着から解放されて自由に生きることができるのだといいます。お金や名誉を追い求めることにこだわる必要はなく、「もともと何もないところに何かが存在しているように感じられる」という奇跡を楽しむような生き方を提案しています。
まとめ
本書の主張は一見すると虚無的に聞こえるかもしれません。しかし著者は、イリュージョンであることを認識した上で人生を楽しむという、むしろポジティブな生き方を提案しています。
専門的な内容を含みながらも、著者の経験や具体例を交えた平易な説明により、一般読者にも理解しやすい内容となっています。特に感覚遮断タンクの実験報告は、著者の主張を具体的に理解させてくれるものです。
また、現代科学の知見と東洋思想を結びつける視点は独創的で、新しい世界観を提示するものとなっています。「すべてはイリュージョンである」という主張は、現代人の価値観や生き方を見直すきっかけを与えてくれる、示唆に富んだものといえるでしょう。
本書は、脳科学や認知科学の知見を踏まえつつ、人間の意識や感覚の本質に迫り、さらには具体的な生き方の指針まで示した意欲的な著作といえます。現代社会を生きる私たちに、重要な示唆を与えてくれる一冊です。