本書『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』は、脳科学研究の最前線で活躍する紺野大地氏と池谷裕二氏
が、脳と人工知能(AI)の融合研究の現状と展望について解説した一冊です。人間の能力拡張の可能性を探る野心的な取り組みが、わかりやすく丁寧に紹介されています。
第1章から第3章にかけて、過去・現在・これからの研究について順を追って説明されており、読者は脳とAIの融合研究の全体像を把握することができます。また、各章の冒頭には導入的な説明が置かれているため、専門知識がなくても内容を理解しやすくなっています。
脳の潜在能力を引き出す
本書の根底にある問いは「人間の脳にはどれほどの潜在能力が眠っているのか」というものです。著者たちは、AIとの融合によって脳の隠れた可能性を引き出せるのではないかと考えています。
具体例として、ネズミの脳に地磁気センサーを埋め込む実験が紹介されています。本来ネズミは地磁気を感知できませんが、センサーを埋め込むことで方角がわかるようになりました。これは、脳が新しい情報を素早く活用できることを示しています。
人間の脳も同様に、AIとの融合によって新たな能力を獲得できる可能性があります。著者たちは、赤外線や紫外線、放射線などを知覚できるようになるかもしれないと予想しています。
脳情報の読み取りと書き込み
脳とAIの融合研究における重要な課題として、「脳情報の読み取り」と「脳への情報の書き込み」が挙げられています。
脳情報の読み取りについては、すでにいくつかの成果が得られています。例えば、人の考えていることを文章に翻訳したり、見ている夢の内容を推測したりすることが可能になっています。
一方、脳への情報の書き込みはまだ課題が多いものの、着実に研究が進んでいます。視覚を司る脳領域を電気で刺激することで、文字を認識させることに成功した例などが紹介されています。
これらの技術が発展すれば、「耳を介さず脳で聞く」「鼻を介さず脳で嗅ぐ」「口を介さず脳で味わう」といったことが可能になるかもしれません。著者たちは、家にいながらハワイのリゾートホテルにいるような感覚を味わえる日が来るかもしれないと予想しています。
AIの進化と人間の関係
本書では、AIの急速な進化についても詳しく解説されています。特に注目されているのが、自然言語処理の分野です。
GPT-3という大規模言語モデルの登場により、人間が書いたものと区別がつかないレベルの文章を生成することが可能になりました。さらに、DAL-L・Eのような画像生成AIの登場により、言葉で指示するだけで絵を描くことができるようになっています。
これらのAIの進化は、人間の仕事や創造性にも大きな影響を与える可能性があります。著者たちは、AIによって人間の仕事が奪われるのではないかという懸念に対し、人間とAIが協力することで新たな可能性が開けると主張しています。
例えば、囲碁の世界では、AIとの対局を通じて人間のプレイヤーのレベルが向上しています。このように、人間とAIが共に進化していくことで、これまで以上の成果が生み出されるかもしれません。
科学の新しいかたち
AIの発展は、科学のあり方にも変化をもたらす可能性があります。著者たちは、「ダイレクト・フィット」という新しい科学のアプローチを紹介しています。
これまでの科学は、なるべく少ない原理で自然界を説明しようとする「オッカムのカミソリ」の考え方が主流でした。しかし、ビッグデータとAIの登場により、膨大なデータを直接モデル化する手法が可能になっています。
ダイレクト・フィットは、人間には理解できないほど複雑な方程式を用いて現象を説明することができます。これにより、これまで人間の理解の範囲内でしか進まなかった科学が、新たな段階に進む可能性があります。
一方で、「人間には理解できない方程式」を科学と呼べるのかという問題も提起されています。著者たちは、現時点で理解できないことを切り捨てるのではなく、将来的な理解の可能性を信じることの重要性を説いています。
人間の能力拡張への期待
本書の結論として、著者たちは人間の脳とAIの共進化に期待を寄せています。AIによって人間の「脳の限界」がアップデートされ、それに伴ってAIもさらに進歩していく。このサイクルによって、人間の能力は大きく拡張される可能性があると主張しています。
例えば、現在の人間には想像もできないような高次元の空間を容易に理解できるようになるかもしれません。そして、そのような能力を獲得した人類が新たな科学的発見をし、それがさらなる脳の進化につながっていく。著者たちは、このような好循環に大きな期待を寄せています。
新しい倫理的課題
脳とAIの融合研究は、同時に新たな倫理的課題も提起しています。例えば、脳情報の読み取りが可能になれば、プライバシーの問題が生じます。また、AIが人間の意思決定を支援するようになれば、人間の自律性や責任の所在が問われることになるでしょう。
著者たちは、これらの課題に対して慎重に取り組む必要性を強調しています。技術の発展と同時に、それをどのように使うべきかという議論を深めていくことが重要だと指摘しています。
若い世代への期待
本書の最後で著者たちは、若い世代に向けてメッセージを送っています。脳科学やAI研究の分野には、まだまだ未知の領域が広がっており、若い研究者たちの参入を待っているのだと。
著者たちは、この本をきっかけに脳科学やAI研究に興味を持つ若者が増えることを期待しています。そして、次の世代の研究者たちが、人類にとって画期的な発見をすることを願っているのです。
まとめ
本書は、脳科学とAIという最先端の研究分野について、わかりやすく解説した良書です。専門的な内容を含みながらも、一般読者にも理解しやすい説明がなされています。
特に印象的なのは、著者たちの研究に対する熱意です。未知の領域に挑戦する喜びや、新たな発見への期待が随所に感じられます。これは、読者に対しても研究の魅力を伝える効果があるでしょう。
一方で、本書で描かれている人間の能力拡張の可能性については、やや楽観的過ぎる印象も受けます。技術的な課題や倫理的な問題について、もう少し掘り下げた議論があっても良かったかもしれません。
しかし、これは本書の価値を損なうものではありません。むしろ、読者に対して「人間の可能性」について考えるきっかけを与えてくれる点で、大きな意義があると言えるでしょう。
脳科学やAI研究に興味がある人はもちろん、人間の能力や科学の発展について考えてみたい人にもおすすめの一冊です。本書を読むことで、人類の可能性に対する新たな視点を得ることができるはずです。