本書『脳はなぜ「心」を作ったのか-「私」の謎を解く受動意識仮説』は、慶應義塾大学教授の前野隆司氏が、人間の意識や心の謎に挑んだ意欲的な著作です。理工学者である著者が、脳科学の知見を活用しながら、「私」という意識はどのように生まれるのか、という根源的な問いに答えようとしています。
従来の常識を覆す「受動意識仮説」
著者は、私たちが「意識」や「自分」について抱いている常識的な理解を根本から問い直します。私たちは普段、意識とは能動的に考え、判断し、行動を決定する主体だと考えています。しかし著者によれば、それは錯覚に過ぎません。
意識は実は、脳の中の「小びと」たち(ニューラルネットワーク)が無意識のうちに行う情報処理の結果を、受動的に観察しているだけなのです。私たちは「自分で考えて決めた」と思っていますが、実際には脳内の無意識の処理が先に行われており、意識はその結果を事後的に受け取っているに過ぎないのです。
この仮説を著者は「心の地動説」と名付けています。かつて人類が地球中心説から太陽中心説へと認識を改めたように、意識を中心に据える従来の考え方から、意識を周辺的な存在として捉え直す視点の転換を提案しているのです。
科学的根拠と哲学的考察
この大胆な仮説は、単なる思弁ではありません。著者は、神経科学の実験結果を丁寧に紹介しながら、自説の妥当性を論証していきます。
特に重要なのが、ベンジャミン・リベット博士の実験です。被験者が「指を動かそう」と意識的に決意する時点と、実際に運動を準備する脳の活動が始まる時点を比較したところ、脳の活動の方が意識による決定よりも350ミリ秒も早く始まっていたのです。この結果は、意識的な決定が行動の原因ではなく、むしろ結果であることを示唆しています。
クオリアの謎を解く
著者は、意識研究における最大の謎の一つとされる「クオリア」(主観的な質感)の問題にも独自の解答を示します。なぜ私たちは、赤を赤として、痛みを痛みとして生き生きと感じることができるのでしょうか。
著者によれば、クオリアもまた一種の「錯覚」として説明できます。たとえば、私たちは指先で触った物の感触をあたかも指先で感じているように思いますが、実際の処理は脳で行われています。にもかかわらず脳は、その感覚が指先で生じているかのような錯覚を生み出すのです。
同様に、すべてのクオリアは脳が作り出す巧妙な錯覚なのだと著者は主張します。これは一見、私たちの主観的体験を貶めるような説明に思えるかもしれません。しかし著者は、この「錯覚」こそが生物にとって合理的で有用なものだったと指摘します。
進化論的な説明
では、なぜ脳はこのような「錯覚」を生み出すようになったのでしょうか。著者は、エピソード記憶との関連から説明します。
生物が複雑な環境で生き残っていくためには、過去の経験を記憶し、活用する必要があります。そのためには、膨大な情報の中から重要なものを選別し、整理して記憶する仕組みが必要です。意識やクオリアは、そのための機能として進化したというのです。
ロボットと人工知能への示唆
著者の仮説は、人工知能やロボット工学に対しても重要な示唆を与えます。もし意識が特別な「魂」のようなものではなく、脳の情報処理の産物であるならば、原理的にはロボットにも意識を持たせることが可能なはずです。
著者は実際に、どのようにすれば心を持ったロボットを作れるかについても具体的に論じています。これは単なる技術的な問題提起ではなく、人間とは何か、意識とは何かという根本的な問いに関わる重要な議論です。
「私」という存在の再定義
本書の議論は、究極的に「私」という存在をどう理解するかという問題に行き着きます。著者によれば、私たちが「かけがえのない私」だと信じている自己意識も、実は脳が作り出した「無個性な」錯覚に過ぎません。
一見すると、この結論は虚無的に聞こえるかもしれません。しかし著者は、むしろこの認識が私たちを死の恐怖から解放すると主張します。なぜなら、「私」という錯覚は、すべての人間に共通する普遍的なものだからです。
著者の視点は、ある意味で仏教の「無我」の思想とも通じるものがあります。しかし本書の独自性は、そのような洞察を最新の脳科学の知見に基づいて論証している点にあります。
まとめ
本書の最大の特徴は、難解な問題を平易な言葉で説明しようとする著者の姿勢です。専門的な内容を「小びと」などの比喩を効果的に用いて説明し、読者の理解を助けています。
また、個人的な体験や問題意識から出発しながら、それを科学的な考察へと発展させていく論の運びも見事です。著者自身の幼少期の疑問が、最終的に壮大な理論へと結実していく過程は、読者を自然に引き込んでいきます。
本書は、脳科学や心の哲学に関心のある一般読者はもちろん、人工知能やロボット工学の専門家にとっても示唆に富む一冊といえるでしょう。人間とは何か、意識とは何かという根源的な問いに、科学的な視点から新たな光を当てた意欲的な著作と言えます。