本書『私たちはどんな世界を生きているか』は、西谷修氏による現代世界と日本の位置づけについての考察です。約150年にわたる日本の近代化の歩みを世界史的な文脈で捉え直し、現在の日本が直面する課題を浮き彫りにしています。
グローバル化と新自由主義の台頭
西谷氏は、現代世界の最大の特徴として、グローバル化と新自由主義の台頭を挙げています。1970年代以降、世界経済は国境を越えた統合が進み、市場原理主義が台頭しました。その結果、世界各国で格差が拡大し、社会の分断が深刻化しています。
著者は特に、一部の超富裕層と大多数の貧困層への二極化を指摘します。グローバル企業は安価な労働力を求めて生産拠点を移転し、先進国でも雇用の不安定化が進んでいます。こうした状況下で、人々の間に不満や不安が高まり、ポピュリズムの台頭につながっているのです。
「戦後」価値観の揺らぎ
第二次世界大戦後、国際社会は普遍的人権や民主主義といった価値観を共有してきました。しかし著者は、こうした「戦後」の価値観が揺らいでいると指摘します。
冷戦終結後、アメリカ一極体制下で市場原理主義が世界に広まる中、「自由」の概念が変質しました。かつての「自由」は他者との共存を前提としていましたが、現代の「新自由主義」は他者の存在を否定し、無制限の自由を追求するものになっています。
著者はこの変化を、人類社会の危機と捉えています。他者の存在を認めない「自由」は、結局のところ狂気に他ならないからです。
日本の近代化を問い直す
本書の大きな特徴は、日本の近代化の歩みを世界史的な文脈で捉え直している点です。
明治維新以降、日本は西洋に倣って近代国家建設を進めてきました。しかし著者は、その過程で日本が独自の「逆のドライブ」を組み込んだと指摘します。たとえば、一世一元制の導入です。これにより、日本人の時間意識は天皇の存在と結びつけられ、世界の潮流とは異なる方向性を持つことになりました。
また著者は、日本が近代化の過程で「翻訳」を重視したことの意義を強調しています。西洋の概念を日本語に翻訳することで、日本は独自の近代化を進めることができました。しかしその一方で、翻訳された概念が本来の意味とずれてしまうという問題も生じました。
戦後日本の課題
著者は、戦後日本が抱える課題として以下の点を挙げています:
- 対米従属:日本の支配層が、アメリカへの従属を通じて自らの地位を維持しようとしている。
- 歴史修正主義の台頭:戦前の日本を美化し、戦争責任を否定しようとする動きが強まっている。
- 民主主義の形骸化:多くの国民が政治に無関心になり、「お上に任せておけばいい」という意識が広がっている。
- 社会の分断:経済格差の拡大により、社会の分断が進んでいる。
著者は特に、日本社会に広がる政治的無関心を危惧しています。民主主義が機能するためには、市民の主体的な参加が不可欠だからです。
テクノロジーがもたらす変化
本書の最後で著者は、新型コロナウイルス感染症の流行がもたらした変化について考察しています。
感染症対策として人々の移動が制限される中、デジタル技術を活用したリモートワークやオンライン教育が急速に普及しました。著者はこの変化を、社会のバーチャル化・AI化の加速と捉えています。
一方で著者は、こうした変化が新たな問題を生み出す可能性も指摘します。たとえば、フィジカルな人間の活動に依存しない経済システムの構築は、人間の尊厳や自由を脅かす可能性があります。
おわりに
本書は、現代世界と日本の位置づけについて、独自の視点から考察を加えた意欲作です。著者の西谷修氏は、フランス思想研究を出発点としながら、戦争論や医療思想など幅広い分野で著作を発表してきました。そうした多角的な視点が、本書の分析の深さにつながっています。
本書の特徴は、現代の諸問題を歴史的な文脈の中で捉えようとする姿勢です。グローバル化や新自由主義の台頭といった現象を、近代以降の世界史の流れの中に位置づけることで、問題の本質に迫ろうとしています。
また、日本の近代化の過程を世界史的な文脈で捉え直す試みも興味深いものです。明治維新以降の日本の歩みを、単なる西洋化としてではなく、独自の論理を持った過程として描き出しています。
本書は必ずしも楽観的な展望を示してはいません。むしろ著者は、現代世界が危機的な状況にあることを強調しています。しかし同時に、この危機を乗り越えるためには、私たち一人一人が主体的に考え、行動することが重要だと説いています。
グローバル化や技術革新によって急速に変化する現代社会において、私たちはどのように生きるべきか。本書は、そうした問いに対する一つの示唆を与えてくれる良書だと言えるでしょう。専門的な内容を含みつつも、平易な言葉で書かれており、一般の読者にも十分に読みやすい内容となっています。現代世界と日本の位置づけについて考えたい方には、ぜひ一読をおすすめします。