デジタルで変わる子どもたち ――学習・言語能力の現在と未来 (ちくま新書)

本書『デジタルで変わる子どもたち—学習・言語能力の現在と課題』は、デジタル・テクノロジーが子どもたちの言語習得と言語教育に与える影響について、最新の研究成果をもとに包括的に論じた一冊です。著者のバトラー後藤裕子氏は、第二言語習得論の専門家として、日米の大学で長年研究・教育に携わってきました。その豊富な経験と知見を活かし、デジタル時代を生きる子どもたちの言語能力について、親や教育者が知っておくべき重要な論点を分かりやすく解説しています。

本書の特徴は、単にデジタル・テクノロジーの功罪を論じるのではなく、子どもの言語習得の本質に立ち返りながら、新しい時代に必要な言語コミュニケーション能力とは何かを提示している点です。また、最新の研究成果を紹介しつつ、それらを批判的に検討し、バランスの取れた見方を示していることも高く評価できます。

以下、本書の内容を章ごとに見ていきましょう。

デジタル世代の特徴

第1章では、2000年前後以降に生まれた「デジタル世代」の子どもたちを取り巻く環境と、彼らのテクノロジー使用の実態について論じています。

著者によれば、デジタル世代の子どもたちは、生まれた時からさまざまなデジタル機器に囲まれて育っています。特に日本の10代では、1日平均4時間以上もスマートフォンを使用しており、その多くがSNSや動画視聴に費やされています。

こうしたデジタル・テクノロジーの使用は、子どもたちの認知スタイルや学習態度にも影響を与えているとされます。例えば、情報処理のスピードが速く、多くの情報を同時並行的に処理する傾向があるといいます。

一方で、著者は、デジタル・テクノロジーへのアクセスや使用の質に関して、社会経済的地位による格差が広がっていることも指摘しています。この格差は、子どもたちの学力にも影響を与える可能性があるため、注意が必要です。

乳幼児とマルチメディア

第2章では、乳幼児のテレビや動画視聴が言語発達に与える影響について論じています。

著者は、2歳以下の子どもについては、テレビや動画視聴による言語発達上のメリットはあまり期待できないと指摘します。その理由として、2歳以下の子どもはまだ、テレビや動画の複雑な仕掛けを理解する認知能力が十分に発達していないことを挙げています。

一方、2歳以上の子どもについては、質の高い番組や動画を視聴することで、語彙習得などに一定の効果が期待できるとしています。ただし、その効果は視聴時間や視聴の仕方によって大きく異なります。

特に重要なのは、大人との相互交流(インタラクション)です。著者は、子どもと一緒にテレビや動画を見ながら、内容について話し合うなどの相互交流が、言語発達を促進する鍵になると強調しています。

デジタル絵本と読解力

第3章では、デジタル絵本・物語本が子どもの読解力に与える影響について論じています。

著者によれば、デジタル絵本・物語本は、音声やアニメーションなどのマルチメディア要素を活用することで、子どもの興味を引き、語彙習得や内容理解を促進する可能性があります。ただし、その効果は子どもの年齢や、デジタル絵本・物語本の内容、使い方によって大きく異なります。

例えば、ホットスポット(クリックするとアニメーションが出てくる機能)やゲームの機能は、子どもの興味を引く一方で、ストーリー理解にはマイナスに働く傾向があるといいます。

また、紙の絵本と比較した場合、デジタル絵本は必ずしも優れているわけではありません。著者は、紙の絵本を保護者と一緒に読んだほうが、デジタル絵本を一人で読むよりも読解が進むことを指摘しています。

SNSと言語能力

第4章では、SNSの使用が子どもたちの言語能力に与える影響について論じています。

著者によれば、SNS上で使われる「打ちことば」は、従来の書きことばとは異なる特徴を持っています。例えば、省略や絵文字の多用、独特の表現などが見られます。

こうした「打ちことば」の使用が、子どもたちの言語能力に悪影響を及ぼすのではないかという懸念がありますが、著者は必ずしもそうとは限らないと指摘します。むしろ、SNSの使用が語彙力や文法力の向上につながる可能性もあるといいます。

ただし、SNSの過度の使用は、学校教育で求められるような「学習言語」の習得に支障をきたす可能性もあります。著者は、SNSの使用と学習言語の習得のバランスを取ることの重要性を強調しています。

デジタル・ゲームと言語学習

第5章では、デジタル・ゲームが言語学習に与える影響について論じています。

著者によれば、デジタル・ゲームには言語習得に有効な要素がいくつも含まれています。例えば、意味のある大量の言語インプット、認知的にチャレンジングで楽しいタスク、繰り返しの効用などです。

特に注目すべきは、デジタル・ゲームが子どもたちの動機づけを高める効果です。著者が行った実験では、子どもたちは自発的に英語学習ゲームを100回以上も繰り返してプレイしたといいます。

ただし、ゲームの効果は、その使い方や導入の仕方によって大きく異なります。著者は、教師や保護者の適切なガイダンスが重要であると指摘しています。

AIと言語学習

第6章では、AI(人工知能)が言語学習に与える影響について論じています。

著者は、社会ロボットやAIベースの学習ツール、機械翻訳などの技術が、言語学習に新たな可能性をもたらしていると指摘します。例えば、個々の学習者のニーズやペースに合わせた学習が可能になるといいます。

一方で、AIの利用には課題もあります。例えば、AIによる評価は、現時点では低次の要素(文法や語彙など)に偏りがちで、高次の要素(内容の一貫性や説得力など)の評価は難しいといいます。

著者は、AIを有効に活用しつつ、人間の創造的な言語活動が制限されないよう注意を払う必要があると強調しています。

デジタル時代の言語能力

最終章では、デジタル時代に必要な言語コミュニケーション能力について論じています。

著者は、従来の言語能力の概念を拡張し、以下の4つの要素からなる包括的な能力を提案しています:

1. 基本的言語知識
2. 自律的言語使用能力
3. 社会的言語使用能力
4. 創造的言語使用能力

これらの能力を育成するためには、デジタル・テクノロジーを効果的に活用しつつ、人間の言語習得の本質である身体性、社会性、感情・情緒の伝達を大切にする必要があると著者は主張します。

また、教師や保護者の役割の重要性も強調されています。デジタル・リテラシーを身につけ、子どもたちの言語使用や認知スタイルを理解した上で、適切な指導や支援を行うことが求められるといいます。

おわりに

本書は、デジタル時代の言語教育について、バランスの取れた視点を提供しています。デジタル・テクノロジーの功罪を冷静に見極めつつ、子どもたちの言語能力を育むための具体的な方向性を示している点が高く評価できます。

特に重要なのは、デジタル・テクノロジーを単に導入すれば良いわけではなく、人間の言語習得の本質に基づいた慎重な活用が必要だという著者の主張です。また、デジタル時代にあっても、教師や保護者の役割が依然として重要であることを強調している点も注目に値します。

一方で、本書で提案されている新しい言語コミュニケーション能力の枠組みを、具体的にどのように評価し、育成していくかについては、さらなる議論が必要でしょう。また、デジタル・テクノロジーの急速な進化に伴い、本書の内容も定期的に更新していく必要があると思われます。

とはいえ、本書は現時点でのデジタル・テクノロジーと言語教育の関係について、最新の研究成果に基づいた包括的な見取り図を提供してくれています。教育関係者はもちろん、子どもを持つ親や、言語教育に関心のある一般読者にとっても、大変示唆に富む一冊だといえるでしょう。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。