大規模言語モデルは新たな知能か――ChatGPTが変えた世界 (岩波科学ライブラリー)

本書『大規模言語モデルは新たな知能か――ChatGPTが変えた世界』は、人工知能研究の第一人者である岡野原大輔氏が、近年急速に発展し社会に大きな影響を与えつつある大規模言語モデルについて、その仕組みや可能性、課題を包括的に解説した一冊です。ChatGPTに代表される対話システムの登場により、多くの人々がAIの驚異的な能力を目の当たりにし、その影響力の大きさに戸惑いを覚えています。本書は、そうした状況下で冷静に技術を理解し、適切に活用していくための道標となることを目指しています。

言語処理の歴史と大規模言語モデルの登場

著者は冒頭で、人間にとって言語がいかに重要であるかを指摘しつつ、同時にその仕組みが未だ解明されていないことを述べています。言語獲得や言語処理の多くが無意識下で行われているため、その過程を明示的に説明することが難しいのです。

このような背景のもと、コンピュータによる自然言語処理の研究が進められてきました。初期には専門家が辞書やルールを作成する方法が主流でしたが、1990年代後半から機械学習のアプローチが台頭。さらに2010年代にはディープラーニングの登場により飛躍的な進歩を遂げました。

そして2020年、GPT-3の登場により大規模言語モデルの時代が幕を開けます。著者は、この技術の画期的な点として以下を挙げています:

1. 膨大な量のテキストデータから自己教師あり学習により言語理解能力を獲得
2. 特定のタスク向けの学習データを用意せずとも、様々な課題に対応可能
3. プロンプトと呼ばれる指示文により、その場で適応し多様なタスクをこなせる

大規模言語モデルの仕組みと特徴

本書の特長は、大規模言語モデルの内部構造や学習プロセスを、専門知識のない読者にも理解できるよう丁寧に解説していることです。

例えば、言語モデルの基本的な仕組みである「次の単語を予測する」というタスクについて、著者は確率論的な観点から説明を行っています。さらに、この単純な予測タスクを繰り返し学習することで、モデルが言語の文法や意味を理解していく過程を明快に描き出しています。

また、大規模言語モデルの中核技術である「トランスフォーマー」や「自己注意機構」についても、図解を交えながら分かりやすく解説しています。これらの技術により、モデルが文脈を理解し、遠く離れた情報も適切に参照できるようになったことを示しています。

さらに著者は、大規模言語モデルの驚異的な能力の源泉として「べき乗則」の発見を挙げています。訓練データ量、モデルサイズ、計算量を増やすほど性能が向上し、その関係がべき乗則に従うという発見は、大規模化への道を開きました。

人間らしい対話を実現する技術

大規模言語モデルを対話システムとして機能させるには、単に次の単語を予測するだけでなく、人間の意図を理解し適切に応答する能力が必要となります。本書では、この課題に対処するための「目標駆動学習」について詳しく解説されています。

目標駆動学習では、人間のフィードバックを活用して言語モデルを調整します。具体的には、望ましい対話例を作成し、それを模倣するようモデルを学習させます。さらに、複数の回答候補をランク付けし、その結果を基に自動評価システムを構築。最終的に、この評価システムの高評価を得られるよう強化学習を行います。

著者は、この手法がアルファ碁などのゲームAIの学習アプローチと類似していることを指摘し、AIの発展における共通原理の存在を示唆しています。

可能性と課題:新しい知能との共存

本書の後半では、大規模言語モデルがもたらす可能性と課題について幅広く論じられています。

可能性としては、以下のような点が挙げられています。

– 文書作成、プログラミング、情報検索などの知的労働の生産性向上
– カウンセリングや教育支援など、人間的なコミュニケーションを要する分野への応用
– 科学研究の加速、新しい発見の支援

一方で、以下のような課題も指摘されています。

– 「幻覚」と呼ばれる、存在しない情報の生成問題
– プライバシーやセキュリティに関するリスク
– 著作権や責任の所在など、法的・倫理的問題
– 雇用への影響や社会構造の変化

著者は、これらの課題に対して慎重に対処しつつ、大規模言語モデルを新たな「道具」として活用していくべきだと主張しています。人間とは異なる知能を持つシステムとの付き合い方を学び、互いの強みを生かしながら共存していく必要があるというのです。

さらに著者は、大規模言語モデルの研究が人間自身の理解にもつながる可能性を指摘しています。言語獲得や思考のメカニズムを解明する手がかりとなり、人間の自己理解を深めることにつながるかもしれないのです。

評価と展望

本書は、技術的な詳細から社会的影響まで、大規模言語モデルに関する幅広いトピックを網羅しています。特に、複雑な技術的概念を平易な言葉で説明しており、AIやプログラミングの専門知識がない読者でも理解しやすい内容となっています。

一方で、技術の急速な進歩により、本書の内容が速やかに陳腐化してしまう可能性もあります。実際、著者も「あとがき」で本書執筆後の様々な動きについて触れています。しかし、基本的な概念や考え方は今後も参考になるものと思われます。

また、本書は技術的な説明に重きを置いているため、大規模言語モデルの社会的・倫理的影響についての議論はやや物足りない印象を受けます。ただし、これは本書の目的が技術の理解促進にあることを考えれば致し方ない部分かもしれません。

総じて本書は、大規模言語モデルという新しい技術を理解し、その可能性と課題を考えるための優れた入門書といえます。AI技術が社会に与える影響がますます大きくなる中、技術者だけでなく、政策立案者や一般市民にとっても有益な一冊となるでしょう。

大規模言語モデルは、人類がこれまで経験したことのない新たな知能との共存をもたらす可能性を秘めています。本書は、その可能性を最大限に引き出し、課題に適切に対処していくための重要な指針となるはずです。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。