言語学習において、文法は生得的なものか、それとも経験から学べるものなのか。この問いは長年、言語学者や認知科学者を悩ませてきました。Pablo Contreras Kallens氏、Ross Deans Kristensen-McLachlan氏、Morten H. Christiansen氏による本論文”Large Language Models Demonstrate the Potential of Statistical Learning in Language”は、最新の大規模言語モデル(LLM)がこの古くて新しい問題に新たな光を当てる可能性を論じています。

著者たちの背景

筆頭著者のContreras Kallens氏はコーネル大学心理学部に所属し、言語習得と処理に関する計算モデルを研究しています。Kristensen-McLachlan氏はオーフス大学で人文科学コンピューティングを専門とし、Christiansen氏はコーネル大学心理学部教授で、言語進化と習得の研究で知られています。3名とも言語科学の最前線で活躍する研究者です。

言語習得をめぐる長年の論争

論文の背景には、言語習得に関する二つの主要な立場があります。一方は、文法知識の一部が生得的であると主張するノーム・チョムスキーらの立場です。他方は、一般的な学習能力を通じて言語経験から文法を習得できるとする用法基盤アプローチです。

この論争の核心にあるのが「刺激の貧困」論です。これは、子どもが接する言語入力が不完全で断片的であるにもかかわらず、正しい文法を習得できる事実を説明するには、生得的な言語知識が必要だとする主張です。

大規模言語モデルの登場

著者らは、GPT-3やGopherなどの最新のLLMが、この論争に新たな視点をもたらすと主張します。これらのモデルは、膨大なテキストデータから学習し、人間のような文法的な言語を生成できます。しかも、特定の文法規則を明示的にプログラムすることなく、です。

LLMの文法能力

著者らは、LLMの出力がほぼ例外なく文法的であることを強調します。たとえ意味的に一貫性がない場合でも、文法的には正しい文を生成するのです。これは、文法知識が必ずしも生得的である必要がないことを示唆しています。

統計的学習の可能性

LLMは本質的に、入力データの統計的パターンを検出し一般化する能力に基づいています。著者らは、これこそが人間の言語習得プロセスの核心であると主張します。つまり、LLMは「刺激の貧困」論への反証となる可能性があるのです。

LLMの限界と人間との違い

著者らは、LLMの能力を過大評価しないよう注意を促しています。LLMは言語を「理解」しているわけではなく、世界との相互作用もありません。また、社会的相互作用に関連する認知能力も欠如しています。しかし、これらの限界にもかかわらず、LLMは文法的な言語生成において人間レベルの能力を示しているのです。

LLMと人間の言語処理の類似性

興味深いことに、最近の研究ではLLMと人間の言語処理に類似性が見られることが報告されています。例えば、GPT-2の予測と人間の予測には顕著な重なりがあり、GPT-2の活性化パターンは人間の脳活動と対応関係があることが示されています。

LLMがもたらす新たな研究の可能性

著者らは、LLMが言語科学に新たな研究機会をもたらすと主張します。これらのモデルを通じて、言語環境の統計的規則性からどの程度まで学習が可能かを体系的に探究できるのです。同時に、LLMの限界を調べることで、人間の言語習得と使用に特有の要素(環境的文脈、発達の歴史、認知機構、機能的圧力など)の重要性も浮き彫りになります。

批評:新たな視点と残された課題

本論文の強み

1. 時宜を得たテーマ
LLMの急速な発展を言語習得理論の文脈で捉え直した点は、非常に時宜を得ています。技術の進歩が長年の理論的論争に新たな視点をもたらす可能性を示唆しており、言語科学の研究者にとって刺激的な内容となっています。

2. 明確な主張
著者らの主張は明確です。LLMが示す文法能力は、言語習得における統計的学習の可能性を強く示唆しているというものです。この主張は、言語習得理論の再考を促す重要な問題提起となっています。

3. バランスの取れた議論
著者らは、LLMの能力を過大評価することなく、その限界も明確に述べています。これにより、議論に説得力が増しています。

課題と今後の展望

1. 詳細な分析の必要性
LLMの文法能力についてより詳細な分析が必要です。どのような種類の文法構造を正確に生成できるのか、どのような誤りがあるのかなど、具体的なデータに基づいた議論が求められます。

2. 人間の言語習得プロセスとの比較
LLMの学習過程と人間の言語習得プロセスの類似点と相違点をより詳細に検討する必要があります。特に、子どもの言語発達の各段階とLLMの学習過程を比較することで、新たな知見が得られる可能性があります。

3. 言語の多様性への対応
世界の言語の多様性をどのように説明するのか、LLMの枠組みでどこまで対応できるのかという問題も残されています。特に、稀少言語や複雑な文法構造を持つ言語についての検討が必要でしょう。

4. 言語の創造性と生産性の問題
人間の言語使用に見られる創造性や生産性を、LLMの枠組みでどのように説明するのかという課題も残されています。新しい表現や比喩の創造など、単なる統計的学習を超えた側面をどう扱うかが問われています。

5. 言語習得の社会的側面
人間の言語習得における社会的相互作用の重要性をLLMの枠組みでどのように位置づけるのか、さらなる検討が必要です。

まとめ:言語科学の新たな展開へ

本論文は、LLMという新たな技術が言語習得理論に与える影響を論じた意欲的な試みです。言語の文法能力が純粋に統計的学習から獲得できる可能性を示唆することで、長年の論争に新たな視点をもたらしています。

しかし、人間の言語習得と使用の全体像を説明するには、まだ多くの課題が残されています。LLMの能力と限界を詳細に分析し、人間の言語能力との比較を深めることで、言語の本質についての理解がさらに深まることが期待されます。

本論文は、計算言語学と認知科学の融合が言語科学にもたらす可能性を示す重要な一歩と言えるでしょう。今後、この分野での研究がさらに進展し、言語の習得と使用に関する新たな理解が得られることを期待させる内容となっています。


Contreras Kallens, P., Kristensen-McLachlan, R. D., & Christiansen, M. H. (2023). Large language models demonstrate the potential of statistical learning in language. Cognitive Science, 47(3), Article e13256. https://doi.org/10.1111/cogs.13256

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。