研究の背景―教室での素朴な疑問から生まれた研究

外国語を学ぶとき、誰もが最初にぶつかる壁が語彙の習得です。単語帳を開いて、ひたすら英単語とその意味を暗記する。多くの人がこの作業に苦労し、「もっと楽に覚えられる方法はないだろうか」と考えたことがあるでしょう。実際、私たちの多くは学生時代に、教科書の単調な単語リストを前に途方に暮れた経験があるではないでしょうか。 本論文”The effect of multimedia on vocabulary learning and retention”の著者であるKhaled Alhazmiは、サウジアラビアのKing Abdulaziz Military Academyで英語教育に携わる准教授です。彼自身も外国語学習者として、また教育者として、この語彙習得の困難さを身をもって知っている人物です。実際、彼の以前の研究では、アラブ圏のEFL(外国語としての英語)学習者が限られた語彙力に苦しんでいる現状を明らかにしており、この問題への関心は長年にわたるものです。 今回の研究は、そうした教育現場での切実な問題意識から生まれました。近年、教室にはプロジェクターやタブレット、パソコンなどが普及し、従来の紙の教科書だけでなく、動画や音声、画像を組み合わせた教材を使うことが容易になりました。しかし、こうしたマルチメディア教材は本当に効果があるのでしょうか。それとも、単に目新しいだけで、実際の学習効果は従来の方法と変わらないのでしょうか。Alhazmiはこの疑問に科学的に答えようとしたのです。

研究の核心―テキストだけと、画像・音声・動画を組み合わせた学習の比較

この研究の基本的な問いは非常にシンプルです。「テキストだけで英単語を学ぶのと、テキストに加えて画像、音声、動画を使って学ぶのでは、どちらが効果的か」という点を明らかにしようとしました。そして、さらに重要なのは、「学習直後の記憶だけでなく、2週間後の長期記憶にも差があるか」という点です。 実験には50名のサウジアラビア人大学生が参加しました。彼らは英語を外国語として学んでいる学生で、ランダムに2つのグループに分けられました。一方のグループ(対照群)は従来通りのテキストベースの教材で30個の英単語を学びました。つまり、単語とその定義、例文が文字で書かれた教材です。もう一方のグループ(実験群)は、同じ単語をマルチメディア教材で学びました。この教材には、テキストに加えて、単語の意味を表す画像、ネイティブスピーカーによる発音の音声、そして単語の使用場面を示す短い動画クリップが含まれていました。 たとえば、「abundant(豊富な)」という単語を学ぶ場合を想像してみてください。従来の方法では、「abundant = 豊富な」という定義と「The forest has abundant wildlife.(その森には野生動物が豊富にいる)」といった例文を読むだけです。一方、マルチメディア教材では、これらに加えて、たわわに実った果樹園の写真や、豊かな自然の動画を見て、さらにネイティブスピーカーが「abundant」と発音する音声を聞くことができます。この違いが学習効果にどう影響するかを調べたわけです。

理論的な裏付け―なぜマルチメディアが効果的だと考えられるのか

Alhazmiの研究はの背後には確固たる理論的基盤があります。その中心にあるのが、心理学者Paivioが1986年に提唱した「二重符号化理論」です。 この理論を簡単に説明すると、私たちの脳は情報を処理する際に、言葉で処理する系統(言語チャンネル)と、イメージで処理する系統(視覚チャンネル)という2つの独立したシステムを持っているというものです。たとえば、「リンゴ」という言葉を聞いたとき、私たちは文字としての「リンゴ」を処理すると同時に、赤くて丸い果物のイメージも頭に浮かべます。この2つのチャンネルが同時に働くことで、記憶がより強固になるというのです。 これを日常生活に置き換えて考えてみましょう。
初めて会った人の名前を覚えるとき、その人の名前だけを聞くよりも、顔の特徴や服装、話し方などの視覚的・聴覚的情報と一緒に記憶したほうが思い出しやすいですよね。これがまさに二重符号化の効果です。 さらに、Mayerという研究者が提唱した「マルチメディア学習の認知理論」も重要な役割を果たしています。この理論によれば、学習者が新しい情報を学ぶとき、関連する情報を選択し、それを整理して、既存の知識と統合するという3つのステップを踏みます。マルチメディア教材は、テキスト、音声、映像を通じて複数の手がかりを提供することで、この3つのステップすべてを促進すると考えられています。

研究方法の詳細―科学的な実験デザインの工夫

研究の信頼性は、その方法論の厳密さに大きく依存します。Alhazmiの研究は、比較的小規模ながら、いくつかの優れた工夫が見られます。 まず、参加者を2つのグループにランダムに割り当てたという点です。これは偶然性を利用して、両グループの能力がほぼ同等になるようにする標準的な方法です。実際、事前テストの結果を見ると、両グループの平均点はほぼ同じ(対照群15.08点、実験群15.32点)で、統計的にも有意な差はありませんでした。つまり、スタート地点は公平だったということです。 学習する単語は30個で、具体的な単語(abundant、assembleなど)と抽象的な単語をバランスよく含んでいました。具体的な単語は視覚化しやすいため、マルチメディアの効果が出やすいと予想されます。一方、抽象的な単語では効果が薄いかもしれません。この違いも検証できるような設計になっています。 テストは3回実施されました。事前テスト、学習直後の即時テスト、そして2週間後の遅延テストです。この3段階の測定により、初期の知識レベル、学習による即時的な向上、そして時間が経過した後の記憶の定着度を把握できます。テストの内容も工夫されており、選択式の受容的テスト(意味を理解しているかを測る)と、穴埋め式の産出的テスト(実際に単語を使えるかを測る)の両方が含まれていました。 さらに、テストの妥当性と信頼性も検証されています。各問題と全体得点との相関を計算したところ、すべての問題で0.4以上の相関があり、問題の質が保証されています。また、Cronbachのアルファ係数は0.741で、これはテストの一貫性が十分にあることを示しています。

研究結果―数字が語る明確な差

結果は非常に明確でした。即時テストでは、対照群の平均点が18.24点だったのに対し、実験群は27.56点でした。約9点もの差があり、これは統計的にも極めて有意な差でした(p<0.001)。マルチメディアを使った学習が、少なくとも学習直後の記憶には大きな効果があることが示されたわけです。 さらに興味深いのは、2週間後の遅延テストの結果です。一般的に、学習効果は時間とともに減衰していきます。新しい教材の効果も、時間が経つと薄れてしまうことがよくあります。しかし、この研究では、2週間後でも明確な差が残っていました。対照群の平均点が16.12点まで下がったのに対し、実験群は26.8点を維持していました。つまり、マルチメディア学習は一時的な記憶だけでなく、長期的な記憶の定着にも効果があることが示されたのです。 この結果を日常的な例で考えてみましょう。たとえば、新しい料理のレシピを覚えるとき、文字だけのレシピ本を読むよりも、料理動画を見ながら学んだほうが、後日その料理を作るときに手順を思い出しやすい、という経験は多くの人にあるはずです。これと同じメカニズムが、語彙学習でも働いていると考えられます。

研究の強みと弱み―公平な評価のために

どんな研究にも長所と短所があります。公平な評価をするために、両方を見ていく必要があります。 まず、この研究の強みを挙げましょう。第一に、実験デザインがシンプルで明快です。2つのグループを比較し、他の条件をできるだけ揃えて、マルチメディアの効果だけを取り出そうとしています。第二に、即時効果だけでなく長期的な効果も測定している点は評価できます。多くの研究は学習直後の効果しか見ていませんが、教育において本当に重要なのは長期的な記憶です。第三に、理論的な裏付けがしっかりしている点も強みです。Paivioの二重符号化理論やMayerの認知理論といった確立された理論に基づいて、仮説を立てて検証しています。 一方で、いくつかの限界も指摘せざるを得ません。 最も大きな問題は、サンプルサイズが小さいことです。各グループわずか25名ずつ、合計50名という規模は、統計的な検出力の観点からは十分とは言えません。特に、個人差の影響を詳しく調べるには、もっと大きなサンプルが必要です。著者自身も文献レビューの中で、過去の研究が20〜30名程度の小規模なものが多かったことを批判しているのですが、自身の研究もその域を大きく出ていません。 第二に、学習時間が短すぎる可能性があります。2日間で合計60分という学習時間で30個の単語を学習させています。1単語あたり2分程度という計算になります。これは語彙学習としてはかなり短い時間で、実際の教室での学習状況を反映しているとは言い難いでしょう。もっと長期的な介入研究であれば、より現実的な知見が得られたかもしれません。 第三に、マルチメディア教材の具体的な内容が不明確です。論文では「画像、音声、動画を含む」と書かれていますが、それぞれの質、長さ、提示方法などの詳細が示されていません。たとえば、動画は何秒のものだったのか、画像は写真だったのかイラストだったのか、音声は単なる発音だけだったのか例文も含まれていたのか、といった情報がありません。これでは、他の研究者が同じ研究を再現しようとしても困難です。 第四に、学習者の特性による違いがほとんど検討されていません。著者は文献レビューの中で、学習者の作業記憶容量や認知スタイルの違いがマルチメディアの効果に影響する可能性を指摘していますが、自身の研究ではこれらの要因を測定していません。すべての学習者にマルチメディアが同じように効果的なのか、それとも特定のタイプの学習者により効果的なのかは、重要な問いです。 第五に、テスト内容の詳細も問題です。論文の最後に添付されているテストを見ると、すべて英語で書かれており、アラビア語は使われていません。しかし、サウジアラビアの学習者にとって、英語での理解度テストは単なる語彙知識だけでなく、全般的な英語力も影響してしまう可能性があります。

教育現場への示唆―理論と実践の間

この研究結果は、教育現場にいくつかの重要な示唆を与えます。 第一に、語彙学習において、従来の単語リストや辞書的な学習だけでなく、画像、音声、動画などのマルチメディア要素を積極的に取り入れることの有効性が支持されました。これは、教科書や教材を開発する際の指針となります。 第二に、マルチメディア教材は「目新しさ」だけの効果ではなく、2週間後でも効果が持続することが示されました。これは、一時的な流行に終わらず、長期的に採用する価値があることを意味します。 第三に、デジタル技術の発展により、マルチメディア教材の作成や配信がこれまでになく容易になっています。YouTubeには無数の教育動画があり、画像検索も瞬時にできます。音声合成技術も高度化しています。こうした既存のリソースを活用すれば、教員が自分で教材を作成することも、それほど困難ではありません。 しかし、実践面での課題もあります。 まず、すべての教室にマルチメディア機器があるわけではありません。特に発展途上国や地方の学校では、プロジェクターやタブレットが不足している場合があります。また、教員のICTスキルにも差があります。マルチメディア教材を効果的に使いこなせる教員もいれば、基本的な操作すらおぼつかない教員もいます。 さらに、マルチメディアの「過剰使用」の危険性も考慮すべきです。映像や音声が多すぎると、学習者の注意が散漫になり、かえって学習を妨げる可能性があります。Mayerらの研究では、「認知的負荷」の問題が指摘されています。つまり、情報が多すぎると脳の処理能力を超えてしまい、学習効率が下がるということです。適切なバランスが重要なのです。

研究の文脈―先行研究との関係

Alhazmiの研究は、孤立して存在するわけではなく、長年にわたる研究の蓄積の中に位置づけられます。 1990年代初頭、Lyman-Hagerらがコンピュータ支援学習におけるマルチメディアの効果を初めて実証して以来、多くの研究者がこのテーマに取り組んできました。2001年のAl-Seghayerの研究は、動画を含むマルチメディアが最も効果的であることを示しました。2002年のJonesとPlassの研究は、画像付きの注釈が有効であることを明らかにしました。2003年のYehとWangの研究では、画像と音声の組み合わせが特に効果的だという結果が得られました。 これらの研究と比較すると、Alhazmiの研究は特に目新しい知見を提供しているわけではありません。むしろ、既存の知見をサウジアラビアという異なる文化的・言語的文脈で再確認したという意味合いが強いと言えます。これ自体は価値のあることです。なぜなら、欧米で得られた知見が他の地域でも当てはまるかどうかは検証が必要だからです。 興味深いのは、2017年のRamezanaliの研究との比較です。Ramezanaliは、L2(第二言語)での定義、音声、動画・アニメーションという異なるタイプの注釈を比較し、短期記憶には効果があるが長期記憶にはあまり効果がないという結果を得ています。これはAlhazmiの結果と矛盾しているように見えます。この違いがどこから来るのか―研究方法の違いなのか、参加者の特性の違いなのか、教材の質の違いなのか―は今後の検討課題です。

認知科学的な意味―脳はどのように情報を処理するのか

この研究の背後にある認知科学的なメカニズムは、単なる教育方法の問題を超えて、人間の学習と記憶の本質に関わっています。 二重符号化理論が示唆するのは、私たちの脳が本質的にマルチモーダル(多感覚的)な情報処理装置だということです。進化の過程で、人間は視覚、聴覚、触覚など複数の感覚を統合して世界を理解する能力を発達させてきました。文字だけの学習は、この進化的に獲得された能力の一部しか使っていないことになります。 さらに、文脈の重要性も見逃せません。単語を孤立して覚えるよりも、実際の使用場面の中で出会った単語のほうが記憶に残りやすいというのは、多くの人が経験的に知っていることです。マルチメディア教材、特に動画は、この「文脈」を提供する力があります。たとえば、「abundant」という単語を豊かな果樹園の映像とともに学ぶことで、その単語が使われる実際の場面が脳内に記憶されるのです。 また、感情の役割も考慮すべきです。マルチメディア教材は、静的なテキストよりも感情的な反応を引き起こしやすいと考えられます。美しい映像や興味深い動画は、学習者の感情を動かし、それが記憶の定着を促進する可能性があります。感情と記憶が密接に関連していることは、神経科学の研究で明らかになっています。

今後の研究への提案―まだ答えが出ていない問い

この研究は興味深い結果を示していますが、同時に多くの新しい問いを生み出しています。 まず、マルチメディアの「最適な配合」はどのようなものでしょうか。テキスト、画像、音声、動画のそれぞれがどの程度の割合で含まれるべきなのか。すべての要素が常に必要なのか、それとも場合によっては一部の要素だけで十分なのか。こうした問いに答えるには、より詳細な比較研究が必要です。 第二に、個人差の問題があります。視覚的な学習スタイルを持つ人と聴覚的な学習スタイルを持つ人では、マルチメディアの効果が異なる可能性があります。また、既存の語彙知識のレベル、学習動機、年齢なども影響するかもしれません。一人ひとりに最適化された学習方法を見つけるには、こうした個人差を考慮した研究が求められます。 第三に、より長期的な効果の検証が必要です。この研究では2週間後の記憶を調べていますが、1ヶ月後、3ヶ月後、半年後ではどうなるのでしょうか。学習した語彙が実際のコミュニケーションで使えるようになるには、さらに長期的な定着が必要です。 第四に、異なるタイプの語彙に対する効果も検討すべきです。具体的な名詞、抽象的な概念、動詞、形容詞、慣用表現など、語彙にはさまざまなタイプがあります。マルチメディアはすべてのタイプに等しく効果的なのでしょうか。 第五に、費用対効果の問題も重要です。マルチメディア教材の作成には時間とコストがかかります。その効果が従来の方法の2倍だとしても、コストが3倍かかるなら、実用的ではありません。教育現場での実装を考えるには、こうした実際的な側面も考慮する必要があります。

結論として―研究が持つ意味と限界

Khaled Alhazmiのこの研究は、マルチメディア学習の効果を示す証拠を、サウジアラビアという特定の文脈で提供しました。結果は明確で、統計的にも有意であり、理論的な予測とも一致しています。教育現場への実践的な示唆もあります。 しかし同時に、この研究は完璧な答えを提供するものではありません。サンプルサイズの小ささ、学習期間の短さ、マルチメディア教材の詳細不足など、いくつかの限界があります。また、なぜマルチメディアが効果的なのかという認知的メカニズムについても、まだ完全には解明されていません。 それでも、この研究は価値があります。なぜなら、理論と実践の橋渡しをしようとする試みだからです。教育現場の教員にとって、「マルチメディアは効果がある」という経験的な実感を、科学的なデータで裏付けることには意味があります。また、今後の研究の出発点としても重要です。 最後に、この研究が私たちに思い起こさせるのは、学習という営みの複雑さです。人間の脳は驚くほど適応的で、さまざまな方法で情報を取り込み、処理し、記憶することができます。マルチメディア学習は、その能力を最大限に活用しようとする試みの一つに過ぎません。完璧な学習方法というものは存在せず、学習者、文脈、目的に応じて最適な方法は異なるのです。 教育技術が進歩し続ける中で、私たちに求められているのは、新しい技術を盲目的に受け入れることでも、頑なに拒絶することでもありません。むしろ、科学的な証拠に基づいて、何が効果的で何が効果的でないかを冷静に判断し、学習者にとって最善の方法を選択していく姿勢です。Alhazmiの研究は、そうした判断のための一つの材料を提供してくれています。そして、それこそが研究の本来の役割なのでしょう。
Alhazmi, K. (2024). The effect of multimedia on vocabulary learning and retention. World Journal of English Language, 14(6), 390–399. https://doi.org/10.5430/wjel.v14n6p390

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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