原子力教育が直面する切実な課題

原子力発電をめぐる欧州各国の政策は大きく揺れています。新規建設を進める国がある一方で、早期閉鎖を決めた国もあります。しかし、どの国も共通して直面しているのが、原子力工学を専門とする人材の不足という深刻な問題です。本論文”Enhancing higher education through hybrid and flipped learning: Experiences from the GRE@T-PIONEeR project”の筆頭著者であるChalmers工科大学(スウェーデン)のC. Demaziereらは、この課題に正面から取り組んだ国際教育プロジェクトの成果を報告しています。

考えてみれば、これは日本でも他人事ではありません。原子力発電所の安全な運転には高度な専門知識が必要ですが、専門家の高齢化と若手の不足は世界共通の悩みです。特に大学院レベルの高度な専門教育では、一つの大学だけでは学生数が少なすぎて、専門性の高い授業を維持できなくなっているのです。まるで、地方の過疎地で小中学校の統廃合が進むように、原子力工学の専門課程も存続の危機に瀕しています。

プロジェクトの背景と参加機関

GRE@T-PIONEeR(Graduate Education Alliance for Teaching the Physics and safety Of Nuclear Reactors)という長い名前のこのプロジェクトは、2020年11月から4年間の予定で始まりました。参加したのは、スウェーデン、スイス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スペインの8つの大学と、ベルギーの欧州原子力教育ネットワーク、フランスのコンサルティング会社の計10機関です。

Chalmers工科大学が中心となって、Ecole Polytechnique Federale de Lausanne、Technical University of Munich、TU Dresden、Budapest University of Technology and Economics、Politecnico di Torino、Universidad Politecnica de Madrid、Universitat Politecnica de Valenciaといった名門校が名を連ねています。これらの大学は、それぞれが得意とする分野や研究用原子炉などの施設を持っており、その強みを持ち寄って協力する形になっています。

反転授業という教育手法の採用

このプロジェクトの最大の特徴は、「反転授業(flipped classroom)」という教育手法を全面的に採用したことです。反転授業というのは、従来の授業の順序を逆にする方法です。普通の授業では、教室で先生が講義をして、家で学生が宿題をします。しかし反転授業では、学生が家で動画を見たり教科書を読んだりして基礎知識を学び、教室では議論や演習など、より高度な活動に時間を使います。

たとえて言えば、料理教室を想像してみてください。従来の方法では、先生が教室で包丁の使い方や料理の手順を説明し、生徒は家に帰ってから実際に作ってみます。反転授業では、生徒が家で動画を見て基本的な手順を学んでおき、教室では実際に先生の前で料理を作り、わからないところをその場で質問したり、先生からアドバイスをもらったりします。どちらが効果的かは明らかでしょう。

この反転授業を、さらに「ハイブリッド形式」で実施したのがこのプロジェクトの工夫です。ハイブリッドというのは、教室に来る学生とオンラインで参加する学生が同時に授業を受けられる形式です。これによって、遠隔地の学生や、仕事をしながら学ぶ社会人学生も参加できるようになりました。

具体的な授業の構成

各コースは大きく二つの段階に分かれています。まず4週間の非同期学習期間があります。この間、学生は自分のペースで、専用に作成された教科書を読み、133本の短い動画講義を視聴し、611問の小テストに答えます。これらの教材は、すべてTecnatom社のSOUL(Smart Open Universe of Learning)という学習管理システム上に置かれています。

そして5日間(あるいは10日間)の集中的な対面セッションが続きます。ここでは、短い復習講義、クイズ、討論、そして何より実習が中心になります。実習では、コンピュータシミュレーションや実際の研究用原子炉を使った実験が行われます。まるで医学生が座学の後に病院実習に行くように、理論を学んだ学生が実際の設備に触れて学ぶのです。

対面セッションに参加するには、非同期学習の課題の少なくとも50%を完了していることが条件でした。これは、基礎知識がない状態で実習に参加しても意味がないという、至極当然の配慮です。最終成績は、非同期学習が25%、対面セッションが75%の重みで計算されました。

2022/2023年度の実施状況

論文が詳しく分析しているのは、2022年11月から2023年6月にかけて実施された8つのコースです。「Nuclear cross-sections for neutron transport」(中性子輸送のための核断面積)、「Neutron transport at the fuel cell and assembly levels」(燃料セルと集合体レベルでの中性子輸送)など、いずれも原子炉の物理と安全性に関する高度な内容です。各コースは3ECTSまたは4.5ECTS(欧州単位互換制度の単位)で、だいたい日本の大学の1〜2単位に相当します。

驚くべきは、このプロジェクトのために開発された教材の膨大さです。12冊の教科書、133本の動画講義、611問の非同期クイズ、298問の対面セッション用クイズ、そして115の実習課題が用意されました。これだけの教材を、10機関の18人の教員が協力して作り上げたのです。一人の教員が孤独に教材を作るのではなく、それぞれの専門家が得意分野を担当することで、質の高い教材が効率的に作られたわけです。

応募者は全コース合わせて389人でした。そのうち65人は条件を満たさず、324人が受け入れられました。内訳は、対面参加を希望した学生が100人、オンライン参加が224人です。実際に学習管理システムへのアクセスを与えられたのは330人で、若干の変動がありました。

学生のエンゲージメント分析

論文の中心部分は、学生の取り組み状況と成績の詳細な分析です。著者らは学生を4つのグループに分類しました。「Rejected」(不合格)は非同期学習の完了率が50%に達せず対面セッションに参加できなかった学生、「Onsite – active」(対面・活動的)は対面セッションに参加し少なくとも1つの活動を完了した学生、「Online – active」(オンライン・活動的)はオンラインで参加し少なくとも1つの活動を完了した学生、そして「Online – inactive」(オンライン・不活動)はオンライン参加を選んだが対面セッション中に何も活動しなかった学生です。

興味深いことに、対面参加の学生で「inactive」の人は一人もいませんでした。わざわざ現地に足を運んだ学生は、全員が何らかの活動に取り組んだのです。これは、物理的に教室にいることの効果を示しているのかもしれません。カフェで勉強するときと、家で勉強するときの集中力の違いを考えれば、納得できる結果です。

非同期学習の段階では、「Onsite – active」、「Online – active」、「Online – inactive」の3グループは、いずれも高い完了率を示しました。動画視聴率も小テスト完了率も、平均して90%以上に達しています。ただし、「Online – inactive」グループの一部のコースでは、標準偏差が大きく、個人差が大きいことがわかります。後に脱落する学生の兆候が、この段階ですでに見えていたのかもしれません。

「Rejected」グループは、当然ながら非同期学習の完了率が非常に低く、平均で10〜20%程度にとどまりました。標準偏差も大きく、全く手をつけなかった学生から、惜しくも50%に届かなかった学生まで、様々でした。

対面セッションでの明確な差

対面セッションになると、様相が一変します。「Onsite – active」グループと「Online – active」グループの間に、明確な差が現れるのです。クイズの完了率を見ると、対面学生は平均80〜100%であるのに対し、オンライン学生は60〜95%と幅があります。実習課題になると差はさらに広がり、対面学生が80〜100%なのに対し、オンライン学生は40〜80%です。

この差は成績にも表れています。対面セッションのクイズの平均点は、対面学生が70〜90点(100点満点)であるのに対し、オンライン学生は40〜70点です。実習課題では対面学生が60〜100点、オンライン学生が30〜70点です。最終的な総合成績も、対面学生は平均60〜90点で、ほぼ全員が合格基準の50点を超えましたが、オンライン学生は平均50〜80点で、かなりの人数が50点を下回りました。

著者らは、この差の原因をいくつか考察しています。第一に、オンラインで参加することの難しさです。質問があってもチャット機能を使わざるを得ず、音声での自然なコミュニケーションができません。第二に、対面セッション中のクイズは限られた時間しか開いていなかったため、常時オンラインにいなかったオンライン学生は答える機会を逃しました。第三に、そして最も重要なのは、学習管理システムが成績をリアルタイムで表示したことです。

この最後の点は、考えさせられます。オンライン学生の多くは、仕事や家庭と両立しながら学んでいると考えられます。そうした学生にとって、合格点の50点を取れば十分で、それ以上の時間を割く余裕がないのかもしれません。成績がリアルタイムで見えるため、「あと少しでギリギリ合格できる」と計算しながら、時間を配分していた可能性があります。一方、対面学生は5日間を授業のために確保しており、他のことを考えずに学習に集中できたのでしょう。

学生満足度の測定

各コース最終日に、任意回答のアンケートが実施されました。WP2からWP7のコースでは6項目、AKR-2とCROCUSのコースでは4項目について、5段階評価で答えてもらいました。「このコースから利益を得た」「新しいことを経験し学んだ」「他の人にもこのコースを勧めたい」といった項目です。

結果は極めて良好でした。すべてのコースで、肯定的な項目については4点以上(5点満点)、否定的な項目については2点未満という高評価でした。回答率もまずまずで、活動的な学生(対面とオンライン合計)の60〜90%がアンケートに答えています。

ただし、著者らも認めているように、このアンケートには自己選択バイアスがかかっている可能性があります。最後まで授業に参加し、アンケートに答える時間を割いた学生は、そもそも授業に満足している人たちだからです。途中で諦めた学生や、「Online – inactive」の学生の声は、ここには反映されていません。

この研究の意義と貢献

この論文の最大の意義は、反転授業とハイブリッド学習という教育手法を、原子力工学という高度に専門的な分野で大規模に実践し、その効果を定量的に示したことです。教育研究の世界では、新しい教育手法を試みた報告は多くありますが、ここまで大規模で、8つものコースを系統的に分析した例は珍しいでしょう。

また、国際協力という側面も重要です。各大学が単独では維持できない専門課程を、複数大学で分担することで、質の高い教育を持続可能にするモデルを示しました。これは原子力工学に限らず、他の専門性の高い分野にも応用できる考え方です。たとえば、日本の地方国立大学が連携して、特定の専門分野の大学院教育を共同で行うといった展開も考えられます。

データの透明性も評価すべき点です。単に「成功しました」と言うだけでなく、330人の学生を4つのグループに分け、それぞれの完了率、成績、その分布まで詳細に報告しています。成功した面だけでなく、オンライン学生の苦戦や、一定数の脱落者が出たことも正直に記述しています。こうした透明性は、他の教育者がこの手法を導入する際の判断材料になります。

批判的検討と改善の余地

もちろん、この研究には限界もあります。まず、著者ら自身も触れていますが、学習管理システムに不具合があったコースがありました。WP2では学生が自分で活動完了をマークできてしまう設定ミスがあり、WP6では一部の活動の完了が記録されませんでした。こうした技術的な問題は、データの信頼性に影響します。

より本質的な問題は、「Online – inactive」グループの存在です。全体で21人(オンライン学生の約9%)が、せっかく非同期学習を頑張って対面セッションに参加する資格を得たのに、実際には何も活動しませんでした。なぜこのようなことが起きたのか、論文はほとんど触れていません。仕事の都合で急に参加できなくなったのか、非同期学習だけで満足してしまったのか、それとも対面セッションの内容が期待と違ったのか。この点の分析があれば、より有益でした。

また、オンライン学生の成績が低かった理由について、著者らは「オンラインでの参加が難しい」「時間的制約がある」といった説明をしていますが、もう少し掘り下げた分析が欲しかったところです。たとえば、どのような種類の課題でオンライン学生が特に苦戦したのか、コースによって差があったのか、といった分析があれば、オンライン教育の改善につながったでしょう。

成績の計算方法にも疑問が残ります。論文によれば、学習管理システムが最終成績を間違って計算していたにもかかわらず、そのまま使用したとあります。正しい計算でも「比較的公平な表現」になると述べていますが、詳細は不明です。研究の透明性という点で、この処理は不十分だったと言わざるを得ません。

さらに、文化的・言語的な側面がほとんど考慮されていません。参加した学生は6カ国から来ており、英語が母語でない人も多かったはずです。言語の壁がオンライン学生に特に大きな影響を与えた可能性はないでしょうか。対面であれば身振り手振りや図を描いて説明してもらえますが、オンラインではそれが難しくなります。

持続可能性への疑問

論文の結論部では、このプロジェクトの持続可能性と長期的影響について楽観的に語られています。2023/2024年度もすべてのコースが再び開講され、オンライン形式によって経済的・地理的障壁を超えた教育が可能になったと強調されています。

しかし、ここには現実的な疑問があります。このプロジェクトは、EU Horizon 2020からの資金援助を受けていました。プロジェクト期間が終わった後、どのように運営されるのでしょうか。18人の教員が8つの大学から参加し、膨大な教材を開発し、対面セッションを運営するには、相当のコストと労力がかかります。これを学生からの授業料収入だけで賄えるのか、各大学が負担し続けられるのか、という点は不明です。

また、教材の更新という課題もあります。原子力工学の分野は進歩が速く、シミュレーションソフトウェアも頻繁にアップデートされます。開発した133本の動画講義や12冊の教科書を、誰がどのように更新していくのでしょうか。プロジェクトの熱気が冷めた後も、継続的なメンテナンスができるのか、懸念されます。

教育の質と量のバランス

この研究から見えてくるのは、教育における質と量のバランスの難しさです。対面教育は明らかに高い効果がありましたが、地理的・経済的な制約から、限られた学生しか参加できません。オンライン教育は多くの学生にアクセスを提供しましたが、学習効果は対面より劣りました。

理想を言えば、すべての学生を対面で教えたいでしょう。しかし現実には、スウェーデンの学生がイタリアに5日間滞在するのは、費用的にも時間的にも大きな負担です。ましてや、すでに仕事をしている社会人には、ほぼ不可能です。だからこそオンラインオプションが必要なのですが、そうすると教育の質に妥協が生じます。

この問題には簡単な答えがありません。著者らは、オンライン学生の体験を改善する努力を続けると述べていますが、具体的にどうするかは明確ではありません。おそらく、技術的な改善(より良いビデオ会議システム、リアルタイムの質疑応答ツールなど)と、教育設計の工夫(オンライン学生でも参加しやすい活動形式)の両方が必要でしょう。

反転授業モデルの有効性

一方で、反転授業というアプローチ自体の有効性は、この研究によって強く支持されたと言えます。非同期学習の段階で基礎知識をしっかり身につけた学生は、対面セッションで高度な実習に取り組むことができました。もし従来型の授業だったら、5日間のうち大半を講義に費やし、実習の時間は限られたでしょう。

特に、原子力工学のような高度に専門的な分野では、この方式の利点が大きいと思われます。研究用原子炉のような貴重な施設を使える時間は限られています。その貴重な時間を、基礎的な説明ではなく、実際の測定や実験に使えるのは大きな意味があります。

ただし、反転授業が有効に機能するには、前提条件があります。学生が非同期学習にしっかり取り組むことです。この研究では、対面セッションの参加条件として50%以上の完了率を求めることで、この前提を確保しました。しかし、もしこの条件がなければ、準備不足の学生が対面セッションに来て、授業が成り立たなくなる恐れがあります。

今後への示唆

この研究は、高等教育におけるいくつかの重要な課題を浮き彫りにしています。

まず、専門性の高い分野では、大学間の協力が不可欠だということです。一つの大学だけで、すべての専門分野をカバーすることは、もはや不可能になりつつあります。特に、学生数が少ない分野では、複数の大学が資源を共有し、得意分野を分担する必要があります。このGRE@T-PIONEeRプロジェクトは、そのための一つのモデルを提示しています。

次に、教育のデジタル化は避けられない流れだということです。COVID-19のパンデミックが多くの大学にオンライン教育を強いましたが、パンデミックが終わった後も、オンライン要素は教育の中に残り続けるでしょう。この研究が示したように、オンライン教育には課題も多いですが、同時に、地理的・経済的な障壁を超えて、より多くの人に教育機会を提供できる可能性もあります。

そして、教育効果の測定と公開の重要性です。この論文のように、詳細なデータを収集し、成功だけでなく課題も含めて正直に報告することで、教育実践の改善につながります。多くの教育プロジェクトは「成功しました」という報告で終わりますが、実際にはどの程度成功したのか、どこに問題があったのかを定量的に示すことが、教育の質を高めるために不可欠です。

最終的な評価

全体として、この論文は価値ある貢献だと評価できます。反転授業とハイブリッド学習という教育手法を、原子力工学という専門性の高い分野で大規模に実践し、その効果と課題を定量的に示したことは、教育研究コミュニティに重要な知見を提供しました。

特に評価すべきは、8つのコース、330人の学生、膨大な量の教材という規模の大きさと、データの透明性です。成功した面だけでなく、オンライン学生の苦戦や脱落者の存在も正直に報告し、詳細な数値データを提示しています。これによって、他の教育者が同様の取り組みを検討する際の判断材料が得られます。

一方で、いくつかの限界も指摘しました。オンライン学生の苦戦の原因についてより深い分析が欲しかったこと、持続可能性についての楽観的な見通しに疑問があること、成績計算の問題への対処が不十分だったことなどです。また、文化的・言語的な側面がほとんど考慮されていないことも、改善の余地があります。

それでも、この研究が示したモデルは、原子力工学に限らず、他の専門性の高い分野にも応用できる可能性を持っています。学生数の減少、教育資源の制約、グローバル化の進展という現代の高等教育が直面する課題に対して、一つの解決策を提示しているからです。完璧ではないにせよ、前進の方向を示す研究として、意義深いものだと言えるでしょう。


Demazière, C., Stöhr, C., Zhang, Y., Cabellos, O., Dulla, S., Garcia-Herranz, N., Miró, R., Macian, R., Szieberth, M., Lange, C., Hursin, M., & Strola, S. (2024). Enhancing higher education through hybrid and flipped learning: Experiences from the GRE@T-PIONEeR project. Nuclear Engineering and Design, 421, Article 113028. https://doi.org/10.1016/j.nucengdes.2024.113028

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

Amazon プライム対象