論文の背景と執筆者たち

この論文” ChatGPT for good? On opportunities and challenges of large language models for educatio”は、ドイツの主要な研究機関から集まった22名の研究者による共同作業です。執筆を主導したのは、ミュンヘン工科大学のEnkelejda Kasneci教授で、教育工学や人工知能の専門家です。共著者には、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンやテュービンゲン大学といった名門校から、教育学、心理学、情報科学、物理教育など、実に多様な分野の研究者が名を連ねています。

これだけ幅広い専門家が集まったのには理由があります。2022年11月にChatGPTが公開されると、教育現場は大きな衝撃を受けました。学生がレポートをAIに書かせているのではないか、試験の公平性は保たれるのか、教師の仕事はどうなるのか―そんな不安と期待が入り混じる中、冷静な議論の土台が必要だったのです。この論文は、まさにそうした時代の要請に応える形で、2023年初頭に発表されました。

大規模言語モデルとは何か―技術の本質を読み解く

論文はまず、大規模言語モデル(Large Language Models、LLM)の技術的な説明から始まります。専門用語が並びますが、本質は意外とシンプルです。

想像してみてください。あなたが子どもの頃、たくさんの本を読んで言葉を覚えたように、これらのAIも膨大な量のテキストを「読んで」学習します。ただし、その規模は人間の比ではありません。GPT-3の場合、1750億個ものパラメータ(学習可能な要素)を持ち、インターネット上の書籍、記事、ウェブサイトなど、想像を絶する量の文章から学んでいます。

技術的な核心は「トランスフォーマー」と呼ばれる仕組みにあります。これは2017年に登場した比較的新しい技術で、文章の中で言葉同士がどう関係しているかを理解する能力に優れています。たとえば「彼女は銀行に行った」という文で、「銀行」が金融機関なのか川岸なのかを、前後の文脈から判断できるのです。

教育現場での可能性―理想的な活用法とは

論文の中心部分では、LLMが教育にもたらす可能性が詳しく論じられています。著者たちは、小学生から大学生、そして社会人教育まで、幅広い学習段階での応用を想定しています。

小学生にとっては、読み書きの練習相手になります。文法の間違いを指摘してくれるだけでなく、「なぜこの表現がおかしいのか」を説明してくれる家庭教師のような存在です。私の知人の教師は、生徒が書いた作文をAIに分析させて、一人ひとりに合わせた指導のヒントを得ているそうです。

中高生には、数学や理科の問題について、解答だけでなく解き方のプロセスを示してくれます。従来の参考書は一つの解法しか示さないことが多いですが、AIは複数のアプローチを提案できます。まるで、何人もの先生に同時に質問できるようなものです。

大学生や研究者にとっては、文献の要約や研究テーマの整理を手伝ってくれます。ただし、ここで著者たちは重要な注意を促しています。AIが生成した内容をそのまま使うのではなく、批判的に検証する姿勢が不可欠だと。これは論文全体を通じて繰り返される主張です。

興味深いのは、障害を持つ学習者への支援についての言及です。視覚障害者のために音声読み上げと組み合わせたり、学習障害のある生徒に個別化された説明を提供したりする可能性が示されています。ただし、著者たちは専門家(言語療法士や特別支援教育の専門家)との協力が不可欠だと強調しています。

教師の立場から見た利点

論文は学習者だけでなく、教師の視点も丁寧に扱っています。ここが本論文の優れた点の一つです。

教師にとって最も時間がかかる作業の一つが、授業計画の作成と教材の準備です。LLMは、教科書の内容を分析して、各トピックの説明文、練習問題、小テストなどを自動生成できます。ある中学校の教師は、これによって教材作成の時間が半分になり、その分、生徒との対話や個別指導に時間を使えるようになったと話していました。

評価の場面でも活用できます。エッセイや研究レポートの採点で、文法や論理構成の基本的なチェックをAIに任せ、教師は内容の深さや独創性といった、より高度な部分の評価に集中できるようになります。著者たちはこれを「半自動化」と表現していますが、完全な自動化ではないことが重要です。

ただし、ここでも警告があります。教師がAIに過度に依存すると、自分の創造性や判断力が衰える危険性があるというのです。これは後で詳しく論じられる主要な懸念の一つです。

現実の応用事例―理論から実践へ

論文の第2章では、2018年以降に発表された実際の研究事例が紹介されています。この部分は、抽象的な議論に具体性を与える重要な役割を果たしています。

Dijkstraらの研究(2022年)では、GPT-3を使って読解問題の多肢選択式クイズを自動生成しました。興味深いのは、人間の専門家が評価したところ、AIが作った問題の質が十分に高かったという点です。教科書から試験問題を作る作業は、多くの教師にとって大きな負担ですから、これは実用的な成果と言えます。

プログラミング教育の分野では、MacNeilら(2019年)がGPT-3にコードの説明を書かせる実験をしました。プログラミングを学ぶ学生の多くは、「このコードが何をしているのか」を理解するのに苦労します。AIが平易な言葉で説明してくれれば、理解が深まるというわけです。

医学教育の応用も報告されています。Kungら(2022年)は、ChatGPTに米国医師国家試験を受けさせたところ、合格ラインに近い成績を収めたそうです。これは驚くべき結果ですが、著者たちは慎重です。医療の現場での意思決定には、まだ人間の専門家が不可欠だと強調しています。

浮かび上がる深刻な課題

論文の第4章は、おそらく最も重要な部分です。ここでは、LLMを教育に導入する際の様々なリスクが、率直かつ詳細に論じられています。

まず著作権の問題があります。AIは訓練データから学習しますが、生成した文章が既存の文章とほぼ同じになってしまうことがあります。学生がAIで書いたレポートを提出したら、それは盗作になるのでしょうか。誰の責任になるのでしょうか。著者たちは、透明性のある利用規約の整備と、ユーザーへの教育が必要だと主張しています。

偏見(バイアス)の問題も深刻です。AIは訓練データに含まれる社会的偏見をそのまま学習してしまいます。たとえば、歴史上の科学者について尋ねると、女性科学者の業績が過小評価される可能性があります。少数民族の文化や言語についての知識が不足していることもあります。

ここで著者たちが提案するのは、この問題を教育の機会に変えることです。学生にAIの出力を批判的に検証させ、社会に存在する偏見について考えさせる。むしろAIの不完全さを、メディアリテラシーや批判的思考を育てる材料にするという発想です。これは建設的なアプローチだと思います。

依存症のリスク―便利さの罠

論文が繰り返し警告するのが、過度の依存の危険性です。学生がすぐにAIに答えを求めるようになれば、自分で考える力が育ちません。これは電卓が普及したときにも起きた議論ですが、LLMの場合は規模が違います。

著者たちは興味深い提案をしています。AIを「答えを出す道具」としてではなく、「考えを広げる道具」として使うべきだと。たとえば、ある問題について複数の視点からの説明をAIに生成させ、それらを比較検討する。そうすれば、AIは思考を代替するのではなく、促進することになります。

教師の側にも同じ危険があります。授業計画をすべてAIに任せてしまえば、教師の創造性は失われます。著者たちが推奨するのは、AIを「アシスタント」として使うこと。最終的な判断と調整は人間が行うという原則です。

真実と偽情報の区別―最も厄介な問題

おそらく最も深刻な課題は、AIが生成する情報の正確性です。大規模言語モデルは、もっともらしい文章を生成するのは得意ですが、その内容が事実かどうかは別問題です。専門家の間では「幻覚(hallucination)」と呼ばれる現象があります。AIが、存在しない研究論文を引用したり、起こっていない歴史的事件について語ったりするのです。

2023年初頭、ある学生がChatGPTに法律の判例を調べさせたところ、実在しない判例を複数引用されたという事件がありました。文章は完璧でしたが、内容はでたらめだったのです。

著者たちは、これに対する包括的な対策を提案しています。まず、AIの出力は必ず信頼できる情報源で確認すること。次に、学生にファクトチェックの方法を教えること。そして、AIの限界について正直に教育すること。この最後の点が特に重要です。AIを神秘的な存在として扱うのではなく、不完全な道具として理解させるのです。

見分けがつかない問題―学習評価の危機

ニューヨーク市の教育委員会が2023年初めにChatGPTを学校のネットワークから禁止したことは、論文でも言及されています。理由は明白です。学生がAIで宿題を書いたのか、自分で書いたのか、判別できなくなったからです。

この問題は、教育評価の根本を揺るがします。レポートや小論文は、学生の理解度や思考力を測る重要な手段でした。しかしAIが普及すれば、従来の評価方法が機能しなくなります。

著者たちは、いくつかの対応策を紹介しています。一つは、GPTZeroのような検出ツールの開発です。これはAIが書いた文章を識別しようとするものですが、完璧ではありません。より根本的な解決策は、評価方法自体を変えることです。単に知識を再生産するのではなく、創造性や批判的思考を評価する課題を出す。AIを使うこと自体を課題の一部にして、「AIの出力をどう批判的に評価したか」を問う、といった具合です。

経済的・環境的コスト―見過ごされがちな問題

論文が触れている重要だが見過ごされがちな点に、コストの問題があります。大規模言語モデルの訓練と運用には、膨大な計算資源が必要です。つまり、莫大な電力を消費します。

予算の限られた学校や発展途上国の教育機関が、この技術を使えるでしょうか。著者たちは、教育格差が広がる危険性を指摘しています。英語圏の裕福な学校だけがAIの恩恵を受け、他の地域の学生は取り残される―そんなシナリオは避けなければなりません。

提案されている解決策は、オープンソースモデルの活用、クラウドサービスの共同利用、そして政府や非営利組織による支援です。BLOOMのような多言語対応のオープンソースモデルの開発は、この方向での重要な一歩だと評価されています。

環境面では、再生可能エネルギーの利用と、より効率的なアルゴリズムの開発が提案されています。教育でAIを使うなら、持続可能性も考えなければならないという主張です。

データプライバシーとセキュリティ

学生の個人情報をどう扱うかも、重大な問題です。AIシステムが効果的に機能するには、学生の学習履歴、成績、興味関心などのデータが必要です。しかし、これらの情報が漏洩したり、不適切に使用されたりする危険があります。

著者たちは、GDPR(欧州一般データ保護規則)やFERPA(米国家族教育権とプライバシー法)といった既存の規制の遵守を強調しています。さらに、データの匿名化、暗号化、そして何より、学生と保護者への透明性のある説明が必要だと主張しています。

実際、ある学校では、AIシステムを導入する前に保護者説明会を開き、データがどう使われるか、どう保護されるかを詳しく説明したそうです。そうした丁寧なプロセスが信頼を築くのです。

多言語対応と公平性―グローバルな視点

論文の終盤で論じられるのが、言語の問題です。大規模言語モデルの研究は主に英語で行われており、英語での性能が圧倒的に高いのが現状です。スワヒリ語やベンガル語、あるいは少数民族の言語で同じように機能するでしょうか。

著者たちは、これが新たな形の不平等を生む危険性を警告しています。英語圏の学生だけが高度なAI支援を受けられ、他の言語の学生は取り残される。教育の機会均等という理念が脅かされるというわけです。

ここで引用されているのが、UNESCOの「教育2030アジェンダ」です。「AIは技術格差を縮小すべきであって、拡大してはならない」という原則が示されています。著者たちはこの精神に強く共感し、多言語対応の研究開発に投資すべきだと訴えています。

論文の評価―強みと限界

この論文の最大の強みは、バランスの取れた視点です。AI万能論にも、AI悲観論にも陥らず、冷静に機会とリスクの両面を検討しています。22名もの多様な専門家が協力したことで、技術的側面、教育学的側面、倫理的側面が総合的に議論されています。

具体的な事例や研究の引用も豊富で、抽象論に終わっていません。実際の教室でどう使えるか、どんな問題が起きているかが、具体的に理解できます。

一方で、いくつかの限界も指摘できます。まず、この論文が書かれたのは2023年初頭、ChatGPTが公開されて間もない時期です。技術の進歩は極めて速く、論文で論じられている一部の問題はすでに解決されているかもしれませんし、新たな問題も出現しているでしょう。

また、提案されている対策の多くは、実証研究による検証がまだ十分ではありません。たとえば「AIを批判的に評価させることで批判的思考が育つ」という主張は理論的には妥当ですが、実際の教室で効果があるかは、さらなる研究が必要です。

さらに、文化的な文脈への配慮が比較的少ないように感じます。著者たちは主にヨーロッパの研究者であり、議論もヨーロッパや北米の教育システムを念頭に置いている印象があります。アジアやアフリカの教育現場では、異なる課題や機会があるかもしれません。

今後への示唆―この論文が問いかけるもの

この論文を読んで感じるのは、技術と教育の関係についての根本的な問いかけです。教育とは何か、学習とは何か―そうした本質的な問題を、AIという新しい道具が私たちに突きつけています。

著者たちが一貫して主張するのは、AIは道具であって、目的ではないということです。教育の目的は、知識を詰め込むことではなく、考える力、創造する力、他者と協力する力を育てることです。AIはその手段になりうるが、使い方を誤れば、かえって教育の目的を損なう危険があります。

また、この論文は技術の民主化について考えさせます。強力な技術を誰が使えるのか、誰が取り残されるのか。教育における公平性という古くて新しい問題が、AIの時代にも形を変えて現れています。

結びに代えて―教育者への問いかけ

最後に、この論文が教育に携わる人々に投げかけているメッセージを考えてみたいと思います。

著者たちは、AIを恐れたり拒絶したりするのではなく、理解し、批判的に評価し、適切に活用することを呼びかけています。そのためには、教師自身がAIについて学ぶ必要があります。技術の専門家になる必要はありませんが、基本的な仕組みや限界を理解し、教育的な文脈で何ができて何ができないかを判断できる力が求められます。

同時に、学生にもAIとの付き合い方を教える必要があります。単に使い方を教えるのではなく、その背後にある仕組み、限界、倫理的問題について考えさせる。そうすることで、学生は将来、AIがさらに進化した社会でも、主体的に判断し行動できる力を身につけられるでしょう。

この論文は、完璧な答えを提供するものではありません。むしろ、正しい問いを立てるための枠組みを提供しています。教育にAIをどう取り入れるかは、技術的な問題であると同時に、社会的、倫理的、教育学的な問題です。その複雑さを認識し、多様な視点から考え続けることの重要性を、この論文は教えてくれます。

2023年から現在まで、教育現場でのAI活用はさらに進んでいます。しかし、この論文が提起した問題の多くは、今なお解決されていません。むしろ、技術が進化するほど、これらの問いは重要性を増しています。教育とAIの関係について考えるとき、この論文は今でも貴重な出発点となるでしょう。


Kasneci, E., Sessler, K., Küchemann, S., Bannert, M., Dementieva, D., Fischer, F., Gasser, U., Groh, G., Günnemann, S., Hüllermeier, E., Krusche, S., Kutyniok, G., Michaeli, T., Nerdel, C., Pfeffer, J., Poquet, O., Sailer, M., Schmidt, A., Seidel, T., Stadler, M., Weller, J., Kuhn, J., & Kasneci, G. (2023). ChatGPT for good? On opportunities and challenges of large language models for education. Learning and Individual Differences, 103, Article 102274. https://doi.org/10.1016/j.lindif.2023.102274

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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