1984年に出版された本書『いま教育に問われているもの』は、著者の伊藤隆二氏が当時の日本の教育に対する鋭い批判と、あるべき教育の姿を示した意欲作です。出版から約40年が経った今日、本書の問題提起と主張の多くが、現代の教育にも通じる普遍性を持っていることに驚かされます。

著者は、当時の教育が「個人のキャリアの手段」と化し、本来の目的を見失っていると指摘します。そして、子どもの自発性や個性を尊重し、「自己教育力」を育む教育へと転換すべきだと主張しています。この視点は、現代の教育にも大きな示唆を与えてくれるものです。

本書の構成と主な主張

本書は4部構成になっています。第I部では「何のために生きるのか」という根源的な問いから教育の意味を問い直しています。第II部では「ふれあい」の教育の重要性を説きます。第III部では子どもの自発性と家庭教育について論じ、第IV部で教育の蘇生に向けた提言を行っています。

以下、本書の主な主張を、現代的な視点を交えながら見ていきましょう。

教育の目的を問い直す

著者は、当時の教育が「有名校」への進学や「いい会社」への就職といった外形的な成功を目指すものになっていると批判します。そして、本来の教育の目的は「しあわせに生きること」であると主張します。

この指摘は、現代の日本の教育にも当てはまるのではないでしょうか。依然として偏差値偏重の受験競争は続いており、子どもたちの「幸せ」よりも、社会的評価の高い学校や企業への進路実績が重視される傾向があります。

著者は、教育の目的を「自己実現」や「天与の才能を開花させること」と捉え直すべきだと主張します。この視点は、現代の「個別最適化された学び」や「探究学習」といった新しい教育の潮流にも通じるものがあります。

子どもの自発性を重視する

本書の中で著者が最も強調しているのが、子どもの自発性を尊重することの重要性です。著者は、大人が一方的に教え込もうとする教育を「暴挙」とまで呼び、子どもの内なる「学ぶ力」を信じることの大切さを説いています。

具体的には、子どもの「遊び」を重視し、そこから自然に学びが生まれてくることを指摘しています。また、子どもの「間(ま)」を大切にすることも強調しています。すぐに答えを求めるのではなく、じっくり考える時間を与えることの重要性を説いているのです。

この主張は、現代の教育にも重要な示唆を与えてくれます。AI時代を迎え、単なる知識の習得ではなく、思考力や創造性の育成が求められる中、子どもの自発的な学びをいかに引き出すかが課題となっています。本書の視点は、そのヒントになるでしょう。

「ふれあい」の教育を

著者は、教師と生徒の心の「ふれあい」を重視します。教師が子どもの表現や行動の意味を正しく読み取り、共感的に理解することの大切さを説いています。

これは、現代の教育でも重要なテーマとなっています。不登校やいじめの問題が深刻化する中、教師と生徒の信頼関係づくりが課題となっているからです。本書の「ふれあい」の視点は、こうした問題への対応にもヒントを与えてくれるでしょう。

家庭教育の重要性

本書では、家庭教育の重要性も強調されています。著者は、親が子どもに過度の期待をかけたり、自分の願望を押し付けたりすることの危険性を指摘します。そして、子どもの個性を尊重し、「待つ」ことの大切さを説いています。

この視点は、現代の教育にも通じるものがあります。教育の早期化や習い事の増加など、親の教育熱が過熱する中、子どもの自主性や個性をいかに尊重するかが課題となっているからです。

教育の蘇生に向けて

本書の最終章で著者は、教育の蘇生に向けた提言を行っています。その核心は、「否定の教育」という考え方です。これは、大人が一方的に教え込むのではなく、子どもの自発性を信じ、見守る教育のことを指します。

著者は、この「否定の教育」によって、子どもたちの「自己教育力」が育つと主張します。そして、それこそが真の「しあわせ」につながると説くのです。

この主張は、現代の教育にも大きな示唆を与えてくれます。AIの発達により、単なる知識の習得ではなく、自ら学び続ける力が求められる時代。本書の「自己教育力」の視点は、これからの教育のあり方を考える上で重要なものとなるでしょう。

現代的視点からの評価

本書の主張の多くは、現代の教育にも通じる普遍性を持っています。しかし、1984年の出版であるため、いくつかの点で現代の文脈とは異なる部分もあります。

例えば、本書では「教育」そのものを否定的に捉える傾向がありますが、現代では教育の重要性はむしろ増しています。また、本書では触れられていませんが、現代ではICTの活用や SDGsの視点など、新たな教育課題も生まれています。

しかし、そうした時代の変化を差し引いても、本書の「子どもの自発性を尊重する」「心のふれあいを大切にする」といった主張は、現代の教育にも大きな示唆を与えてくれるものです。

おわりに

本書は、1984年という時代に、鋭い問題意識と先見性を持って書かれた教育論です。その主張の多くが、約40年を経た今日でも色あせていないことに驚かされます。

現代の教育は、AIの発達やグローバル化の進展など、新たな課題に直面しています。しかし、その中でも「子どもの幸せ」を第一に考え、一人ひとりの個性や自発性を尊重する教育を目指すべきだという本書の主張は、今なお重要な意味を持っています。

教育に携わる人々はもちろん、親や子どもに関わるすべての人々にとって、本書は貴重な示唆を与えてくれる一冊といえるでしょう。時代を超えて読み継がれるべき教育論として、ぜひ多くの方に手に取っていただきたい一冊です。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。