自己学習能力を育てる: 学校の新しい役割

本書『自己学習能力を育てる』は、1980年に出版された教育に関する論考集です。当時の日本は高度経済成長期を経て安定成長期に入り、教育の量的拡大から質的充実へと転換を図る時期でした。そうした中で、本書は「自己学習能力」という新しい概念を提唱し、生涯にわたって自ら学び続ける力を育てることの重要性を説いています。

出版から40年以上が経過した現在、本書の主張の多くは広く受け入れられ、教育政策や実践に取り入れられています。しかし、その実現には依然として課題が残されています。本書を現代の視点から読み解くことで、これからの教育のあり方について示唆を得ることができるでしょう。

自己学習能力とは何か

本書の中核をなす概念が「自己学習能力」です。これは、自ら課題を見つけ、学び、主体的に判断して問題を解決する資質や能力を指します。著者たちは、この能力が生涯にわたる学習の基盤となり、変化の激しい社会を生き抜く上で不可欠だと主張しています。

特に注目すべきは、自己学習能力を「独立達成傾向」としてとらえている点です。これは、教師や親などの外部からの指示や評価に頼らず、自分で目標を設定し、それに向かって努力する傾向を意味します。著者たちは、この傾向を育てることが、従来の教師主導の一斉授業への依存から脱却する契機になると考えています。

この考え方は、現在の教育改革の方向性と重なる部分が多くあります。例えば、2020年度から実施された新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」が重視されていますが、これは本書が提唱した自己学習能力の育成と通じるものがあります。

自己学習能力を育てる心理的条件

本書では、自己学習能力を育てるための心理的条件として、以下のような要素を挙げています:

1. 知的好奇心:新しいことを知りたい、理解したいという欲求
2. 効力感:自分の行動が結果をもたらすことができるという信念
3. メタ認知:自分の思考や学習過程を客観的に把握し、調整する能力

これらの要素は、現在の認知心理学や教育心理学の知見とも合致するものです。特に、メタ認知の重要性は近年ますます注目されており、「学び方を学ぶ」ことの重要性が広く認識されるようになっています。

本書の意義は、これらの要素を40年以上前に指摘し、その育成の必要性を説いた点にあります。当時としては先見性のある主張だったと言えるでしょう。

自己学習能力を育てる教育実践

本書では、自己学習能力を育てるための具体的な教育実践についても論じられています。特に注目されるのは以下の3つのアプローチです。

1. オープン・エデュケーション
2. ケラー・プラン(個別化教授システム)
3. 子ども同士の教え合い

これらのアプローチに共通するのは、学習者の自主性や主体性を重視し、個々の学習者のペースや関心に応じた学習を可能にする点です。

オープン・エデュケーションは、教室の物理的な壁を取り払うだけでなく、カリキュラムや学習方法の選択においても学習者に自由を与えるものです。ケラー・プランは、学習者が自分のペースで学習単元をマスターしていく方式で、現在のeラーニングやアダプティブラーニングの先駆けとも言えるものです。子ども同士の教え合いは、協同学習の一形態として、現在も広く実践されています。

これらの実践は、当時としては革新的なものでしたが、現在では多くの学校で取り入れられています。ただし、その実施には依然として課題があり、本書の指摘は今なお示唆に富むものとなっています。

自己学習能力と学校制度の関係

本書の最後の部分では、自己学習能力の育成と学校制度の関係について批判的な考察がなされています。著者たちは、学校教育が知識の伝達に偏重し、自己学習能力の育成を阻害している側面があることを指摘しています。

特に注目すべきは、イヴァン・イリイチの「脱学校論」を引用しながら、学校制度が持つ「隠れたカリキュラム」の問題を論じている点です。学校が単に知識を教える場ではなく、社会の価値観や権力構造を再生産する装置となっている可能性を指摘しています。

この議論は、現代の教育問題を考える上でも重要な視点を提供しています。例えば、現在問題となっている学歴主義や受験競争の過熱化、あるいは「学校化社会」の問題などは、本書の指摘する学校制度の問題と深く関わっています。

評価と課題

本書の先見性と重要性は、以下の点に要約できるでしょう:

1. 生涯学習の基盤として自己学習能力の重要性を早くから指摘した点
2. 自己学習能力の心理的メカニズムを詳細に分析し、その育成方法を提示した点
3. 革新的な教育実践を紹介し、その効果を実証的に示した点
4. 学校制度と自己学習能力の関係について批判的な考察を行った点

これらの点において、本書は40年以上を経た今日でも、教育について考える上で重要な示唆を与えてくれます。

一方で、本書にも課題がないわけではありません。例えば、自己学習能力の育成と基礎学力の保障をどう両立させるかという問題や、ICTの発展が自己学習能力の育成にどのような影響を与えるかといった点については、十分な議論がなされていません。これらは、本書の出版後に顕在化してきた問題であり、現代の文脈で改めて考察する必要があるでしょう。

おわりに

『自己学習能力を育てる』は、40年以上前に書かれた本でありながら、現代の教育問題を考える上で多くの示唆を与えてくれる良書です。自己学習能力の重要性は広く認識されるようになりましたが、その育成は依然として教育の大きな課題となっています。

本書を読み返すことで、私たちは教育の本質的な目的を再確認し、これからの時代に求められる学びのあり方について深く考えることができるでしょう。自己学習能力を育てることは、単に個人の能力開発にとどまらず、社会全体の創造性と柔軟性を高めることにつながります。その意味で、本書の主張は今なお色あせることなく、むしろその重要性を増しているとも言えるのです。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。