人工知能の「最適解」と人間の選択 (NHK出版新書 534)

本書『人工知能の『最適解』と人間の選択』は、2017年時点での人工知能(AI)の現状と、それが社会に与える影響を多角的に捉えた取材記録です。AIが研究室を出て実社会に浸透し始めた時期に、その最前線を訪ね歩いた著者たちの視点を通じて、私たちはAIと人間の新しい関係性の萌芽を垣間見ることができます。

将棋界の頂点に立つ名人とAIの対決から始まり、タクシー業界、金融、司法、政治など様々な分野でのAI活用の実態が描かれています。そこには、AIがもたらす恩恵と課題が生々しく浮かび上がっており、読者は否応なしに「AIと共存する社会」の到来を実感することでしょう。

本書の特徴は、AIの技術的な側面よりも、それを使う人間の姿に焦点を当てている点です。AIと向き合う人々の戸惑い、期待、不安などが丁寧に描かれており、私たち一人一人がAIとどう向き合うべきかを考えさせられます。

以下、章立てに沿って本書の内容を紹介していきます。

第1章 – AIと人間の頂上決戦

本章では、将棋界の頂点に立つ佐藤天彦名人と最強将棋AI「ポナンザ」の対局が描かれています。この対局は、単なる勝負を超えて、人間とAIの知性の差を明確に示す象徴的な出来事となりました。

名人は「神に近い存在」と評したAIの前に完敗を喫します。しかし、その過程で名人は「将棋には自分の知らない宇宙が広がっている」と気づき、AIとの対局を通じて新たな可能性を見出していきます。

この章では、AIの進化の過程も詳しく解説されています。機械学習やディープラーニングといった技術により、AIは人間の教えなしに自ら学習し、進化していく能力を獲得しました。その結果、AIは人間の想像を超える手を次々と繰り出し、名人を圧倒したのです。

ここで描かれる名人の姿勢は印象的です。圧倒的な力の差を見せつけられながらも、名人はAIを「敵」としてではなく、新たな知見をもたらす存在として受け入れようとしています。この態度は、今後私たちがAIと共存していく上で重要なヒントを与えてくれるでしょう。

第2章 – ビジネスの現場に浸透するAI

本章では、タクシー業界や金融業界など、実際のビジネスの現場でAIがどのように活用されているかが描かれています。

例えば、タクシー業界では「AIタクシー」という乗車需要予測システムが導入され始めています。このシステムは、人間の位置情報データとタクシーの乗降記録データを組み合わせることで、高い精度で需要を予測します。これにより、ドライバーの売り上げ向上や顧客の利便性向上が期待されています。

金融業界では、株価予測や投資判断にAIが活用されています。人間のトレーダーでは処理しきれない膨大なデータを瞬時に分析し、最適な投資判断を行うAIが登場しています。

これらの事例を通じて、AIが人間の能力を補完し、ビジネスの効率化や高度化に貢献している様子が描かれています。同時に、AIの判断が人間の雇用や評価に直結する可能性も示唆されており、その利用には慎重な検討が必要であることも指摘されています。

特に印象的なのは、AIを導入する側の人々の声です。彼らは、AIの能力に驚きつつも、それを単なる道具として扱うのではなく、人間の能力を引き出すパートナーとして捉えようとしています。この姿勢は、AIと人間が協調してより良い成果を生み出す可能性を示唆しています。

第3章 – 人間を評価・管理するAI

本章では、AIが人間を評価・管理する場面が描かれており、その可能性と危険性が浮き彫りにされています。

例えば、アメリカの司法の現場では、被告人の再犯リスクを予測するAIが導入されています。このAIは過去のデータを基に、被告人が再び罪を犯す可能性を予測し、裁判官の判断をサポートします。

一方で、このシステムには人種差別的なバイアスが含まれている可能性が指摘されており、AIの判断が公平性を欠く恐れがあることも示されています。

また、企業の人事管理にもAIが活用され始めています。例えば、従業員の退職可能性を予測するAIなどが登場しています。これらのAIは、人間には気づきにくい兆候を見つけ出すことができる反面、プライバシーの侵害や従業員の監視強化につながる可能性も指摘されています。

この章で特に考えさせられるのは、AIの判断の不透明性です。AIがどのようなプロセスで結論に至ったのかを人間が理解することは難しく、その判断を盲目的に信じることの危険性が指摘されています。

同時に、AIの判断に対して人間がどのように向き合うべきかという問題も提起されています。AIの判断を鵜呑みにするのではなく、それを参考にしつつ最終的な判断は人間が行うという姿勢の重要性が強調されています。

第4章 – AIが政治を変える?

本章では、AIを政治に活用しようという試みが紹介されています。特に印象的なのは、韓国で構想されている「AI政治家」のプロジェクトです。

このプロジェクトは、人間の政治家に代わってAIが政策を立案し、国家運営をサポートするというものです。AIが膨大なデータを分析し、最適な政策を提案することで、より効率的で公平な政治が実現できるという期待が込められています。

しかし、同時にこの構想には多くの課題があることも指摘されています。例えば、AIの判断の透明性や、AIが導き出す「最適解」が本当に国民の幸福につながるのかといった問題です。

また、AIが政治に関与することで、民主主義のあり方そのものが変わる可能性も示唆されています。AIを通じて国民の意見をリアルタイムで集約し、それを政策に反映させるという新しい民主主義の形が描かれています。

この章は、AIと政治の関係について深く考えさせられる内容となっています。AIの活用によって政治がより効率的になる可能性がある一方で、人間の判断や価値観が軽視される危険性も指摘されています。

第5章 – AIと共存する将棋界の姿

最終章では、再び将棋界に焦点が当てられ、AIとの共存を模索する棋士たちの姿が描かれています。

AIに敗れた佐藤名人は、その経験を「得がたい体験だった」と振り返ります。AIとの対局を通じて、名人は将棋の新たな可能性を見出し、自身の棋風にも変化が現れ始めています。

ここで描かれる棋士たちの姿勢は、私たちがAIと共存していく上で重要なヒントを与えてくれます。彼らはAIを「敵」としてではなく、新たな知見をもたらす存在として受け入れ、それを自身の成長に活かそうとしています。

同時に、人間同士の対局がもつ価値も再確認されています。AIがどれほど強くなっても、人間同士の対局には感情のやりとりや勝負の機微といった、AIにはない魅力があることが強調されています。

この章は、AIと人間が互いの長所を活かしながら共存していく可能性を示唆しており、AIと人間の新しい関係性のモデルケースとして捉えることができるでしょう。

結び – AIと共に生きる社会に向けて

本書を通じて、AIが社会のあらゆる場面に浸透し始めている現状が浮き彫りになります。AIは私たちの生活をより便利で効率的なものにする可能性を秘めている一方で、人間の判断や価値観が軽視される危険性も指摘されています。

著者たちは、AIを単なる道具として扱うのではなく、人間と対等に向き合うべき存在として捉えることの重要性を強調しています。AIの能力を活かしつつ、最終的な判断は人間が行うという姿勢が、AIと共存する社会を築く上で重要だと指摘しています。

同時に、AIの進化によって逆説的に「人間らしさ」の価値が再認識される可能性も示唆されています。AIにはできない感情的なつながりや創造性、直感的な判断といった人間特有の能力の重要性が、今後ますます高まっていくかもしれません。

本書は、AIと人間の関係性について深く考えさせる内容となっています。AIが急速に進化し、社会に浸透していく中で、私たち一人一人がAIとどう向き合うべきかを考える上で、貴重な視点を提供してくれるでしょう。

AIの「最適解」と人間の選択。この二つをいかにバランスよく共存させていくか。それが、これからの社会の大きな課題となることを、本書は示唆しています。AIと共に生きる社会をより良いものにするために、私たち一人一人が考え、行動することの重要性を、本書は強く訴えかけているのです。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。