近年、人工知能(AI)技術の急速な発展により、教育分野、特に語学学習の分野で革新的な変化が起きています。従来の語学学習方法に加え、AIを活用した新しいアプローチが注目を集めています。その中でも特に注目されているのが、仮想環境(Virtual Environment、VE)を用いた語学学習です。

本記事では、ノーザンアリゾナ大学のJoseph Collentine教授による最新の研究成果を基に、AIと仮想環境を組み合わせた革新的な語学学習方法について詳しくご紹介します。

仮想環境での語学学習:これまでの課題

仮想環境を用いた語学学習は、学習者に没入型の体験を提供し、自律的な学習を促進する点で大きな可能性を秘めています。しかし、これまでの仮想環境には一つの大きな課題がありました。それは、学習者が仮想キャラクター(Non-Player Characters、NPCs)と本格的な会話のやり取りをする機会が限られていたことです。

従来の仮想環境では、主に入力処理(インプット)に焦点を当てた学習活動が中心でした。例えば、仮想世界内の標識を読んだり、音声を聞いたりするような活動です。しかし、第二言語習得研究の分野では、言語習得には「インプット」だけでなく、「アウトプット」も重要であることが長年認識されてきました。

特に、高度な言語能力を身につけるためには、学習者自身が言語を産出し、意味交渉を行う機会が不可欠です。言語産出は、知識の手続き化を促進し、流暢さを向上させる効果があります。また、意味交渉を通じて、学習者は自身の言語能力のギャップに気づき、フィードバックを受けることができます。

AIが切り開く新たな可能性:EQATsの登場

Collentine教授の研究では、この課題を解決するために、生成AIの一種である「Extractive Question Answering Transformers(EQATs)」を仮想環境に統合する方法が提案されています。EQATsは、学習者の質問に対して動的に情報を生成し、会話形式で応答する能力を持っています。

EQATsは、大規模言語モデル(LLM)を基盤としていますが、特定のタスクや知識領域に特化した形で実装されます。この技術には、主に2つの重要なモデルが含まれています:

  1. Universal Sentence Encoder(USE)モデル
  2. Adaptive Question and Answer(AQ&A)モデル

Universal Sentence Encoder(USE)モデル

USEモデルは、事前に定義された質問と回答のペアを基に動作します。このモデルの特筆すべき点は、学習者の質問に文法的な誤りや変形がある場合でも、適切な応答を生成できることです。

例えば、「Where you work?」という文法的に不完全な質問でも、モデルは「Where do you work?」という正しい形式の質問と関連付け、適切な回答を提供することができます。この機能により、様々な習熟度の学習者に対応することが可能になります。

Adaptive Question and Answer(AQ&A)モデル

AQ&Aモデルは、特定の知識領域に関する複数の文書(パッセージ)から情報を抽出し、質問に答える能力を持っています。このモデルは、文書内の意味的・構文的関係を分析し、適切な情報を取り出して回答を生成します。

例えば、仮想世界の町に関する情報が記述された文書から、「誰がメアリーですか?」という質問に対して「彼女は町長です」といった回答を生成することができます。

仮想環境へのAI統合:実際の例

Collentine教授は、これらのAIモデルを既存の仮想環境に統合する具体的な方法を示しています。以下は、その実装例の概要です:

  1. Unity3DのWebGL技術を使用して、オープンエアマーケットの3D環境をウェブブラウザ上で利用可能にしました。
  2. TensorFlow.jsライブラリを用いて、USEモデルとAQ&Aモデルを統合しました。
  3. 学習タスクのストーリーを、学習者が探偵となって町の重要な遺物の盗難事件を解決するというものに変更しました。
  4. 第二言語教育の専門家と協力して、仮想キャラクターに関連する質問-回答ペアと、ストーリーや個々のキャラクターに関連するコンテキスト情報(パッセージ)を作成しました。

この統合により、学習者は仮想環境内のキャラクターとより自然な会話を行うことが可能になりました。例えば、学習者が「Where you work?」と文法的に不完全な質問をしても、システムは「I’ve worked at ‘Seaside Delights,’ the nearby bakery in Harborview, for more than ten years. Baking is something I really love!」といった詳細な回答を提供することができます。

AIを活用した語学学習の利点

この新しいアプローチには、以下のような利点があります:

  1. 個別化された学習体験: AIは学習者の質問や応答に基づいて、適切なレベルと内容のフィードバックを提供できます。これにより、各学習者のペースと能力に合わせた学習が可能になります。
  2. 実践的な会話練習: 仮想キャラクターとのインタラクションを通じて、学習者はより実践的な会話スキルを身につけることができます。これは、特に教室外で目標言語を使用する機会が限られている学習者にとって大きな利点となります。
  3. 即時フィードバック: AIシステムは学習者の発話や質問に対して即座に反応し、適切なフィードバックを提供することができます。これにより、学習者は自身の誤りや改善点をリアルタイムで認識することができます。
  4. 没入型学習環境: 3D仮想環境とAIの組み合わせにより、学習者はより没入感のある、コンテキストが豊富な環境で言語を学ぶことができます。これは、言語の実用的な使用を促進し、学習のモチベーションを高める効果があります。
  5. 自律学習の促進: AIを活用した仮想環境は、学習者が自分のペースで探索し、練習することを可能にします。これは、自律的な学習スキルの発達を促進します。
  6. 多様な学習スタイルへの対応: 視覚的、聴覚的、対話的など、様々な要素を組み合わせることで、異なる学習スタイルを持つ学習者のニーズに対応することができます。

今後の展望と課題

AIを活用した仮想環境での語学学習は、大きな可能性を秘めていますが、同時にいくつかの課題も存在します:

  1. 技術的な課題: 現状のEQATsは、学習者の発話の意味的な側面を重視しており、文法的な正確さにはあまり注意を払っていません。今後は、タスクの目的に応じて、構文的な閾値や語彙の精度を制御できるアルゴリズムの開発が必要となるでしょう。
  2. 学際的な協力の必要性: 効果的なAIツールの開発と導入には、開発者、教材設計者、言語教師など、異なる分野の専門家による協力が不可欠です。それぞれの専門知識を組み合わせることで、より効果的な学習体験を提供することができます。
  3. プライバシーとデータセキュリティ: AIシステムの使用には、学習者のデータ収集と分析が伴います。このため、プライバシー保護とデータセキュリティに関する慎重な配慮が必要となります。
  4. 教師の役割の変化: AIの導入により、教師の役割が変化する可能性があります。教師は、AIシステムを効果的に活用し、学習者を適切にサポートするための新しいスキルを習得する必要があるかもしれません。
  5. 評価方法の開発: AIを活用した学習環境での言語能力の評価方法について、さらなる研究と開発が必要です。従来の評価方法がこの新しい学習環境にそのまま適用できるとは限りません。
  6. コスト面での課題: 高品質の3D仮想環境とAIシステムの開発と維持には、相当なコストがかかる可能性があります。教育機関や学習者にとって、このコストをどのように管理し、正当化するかが課題となるでしょう。

まとめ:AIが拓く語学学習の新時代

AIと仮想環境を組み合わせた新しい語学学習アプローチは、従来の方法では実現が難しかった、高度にインタラクティブで個別化された学習体験を提供する可能性を秘めています。特に、EQATsの導入により、学習者は仮想環境内で自然な会話のやり取りを行い、実践的な言語スキルを磨くことができるようになりました。

この技術は、教室での学習を補完し、学習者に24時間365日、自分のペースで学習できる環境を提供します。特に、目標言語を日常的に使用する機会が限られている学習者にとって、この技術は貴重な練習の場となるでしょう。

しかし、この新しいアプローチを成功させるためには、技術開発者、言語教育の専門家、教師、そして学習者自身が協力し、継続的に改善を重ねていく必要があります。AIは教師に取って代わるものではなく、むしろ教師の役割を拡張し、より効果的な指導を可能にするツールとして捉えるべきでしょう。

今後、AIと仮想環境を活用した語学学習がさらに発展し、多くの学習者にとってアクセスしやすく、効果的な学習方法となることが期待されます。この革新的なアプローチが、グローバル社会における言語コミュニケーション能力の向上に大きく貢献することは間違いありません。


Collentine, J. (2024). Promoting learner-computer interaction with extractive question-answer technologies. In C. A. Chapelle, G. H. Beckett, & J. Ranalli (Eds.), Exploring artificial intelligence in applied linguistics (pp. 202-216). Iowa State University Digital Press. https://doi.org/10.31274/isudp.2024.154.12

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。