本書『人工知能と経済の未来- 2030年雇用大崩壊』は、経済学者の井上智洋氏が、人工知能(AI)の発達が今後の経済や雇用にどのような影響を与えるかについて論じた書籍です。
著者は、2030年頃にAIが人間並みの知的作業をこなせる「汎用AI」が出現し、それを境に経済構造が大きく変わると予測しています。汎用AIの登場によって多くの仕事が機械に奪われ、人間の労働力への需要が激減する「純粋機械化経済」が到来するというのです。
そうなると、労働による所得を得られない人が増え、格差が拡大する恐れがあります。著者はその対策として、全国民に一定額を無条件で給付する「ベーシックインカム」の導入を提案しています。
本書は、AIの技術動向や経済理論を踏まえながら、今後数十年の間に起こり得る劇的な経済変化の姿を描き出しています。そして、その変化に対応するために必要な制度設計について考察を展開しています。
AIの発展段階と経済への影響
著者は、AIの発展を大きく2つの段階に分けて論じています。
1つ目は、2030年頃までの「特化型AI」の時代です。これは特定の作業に特化したAIのことで、既に実用化が進んでいます。例えば、将棋AIや画像認識AI、自動運転技術などが該当します。特化型AIは、これまでの技術革新と同様に、一部の職種の雇用を奪う可能性はありますが、新たな雇用も生み出すと著者は指摘します。
2つ目は、2030年以降に登場すると予測される「汎用AI」の時代です。汎用AIは人間のように様々な知的作業をこなせるAIのことを指します。著者は、汎用AIの登場によって経済構造が根本から変わると主張します。
「純粋機械化経済」の到来
著者によれば、汎用AIの登場によって、ほとんどの生産活動を機械が担う「純粋機械化経済」が生まれるといいます。
これまでの資本主義経済では、生産には「資本(機械など)」と「労働」の両方が必要でした。しかし純粋機械化経済では、ほとんどの労働が不要になり、資本のみで生産が行われるようになります。
著者は、2045年頃には全人口の1割程度しか働いていない社会になる可能性があると指摘します。残りの9割は、機械との競争に敗れて仕事を失う可能性があるのです。
爆発的な経済成長の可能性
一方で著者は、純粋機械化経済では爆発的な経済成長が起こる可能性も指摘しています。
これまでの経済成長には、労働力という制約がありました。しかし、機械のみで生産が行われるようになれば、その制約がなくなります。機械は際限なく増やすことができるため、生産量を指数関数的に増やすことができるのです。
その結果、経済成長率が年々上昇していくような状況が生まれる可能性があります。これは人類がこれまで経験したことのない事態だと著者は述べています。
「第二の大分岐」の可能性
著者は、汎用AIをいち早く導入した国とそうでない国の間で、経済成長に大きな格差が生まれる可能性を指摘しています。これを著者は「第二の大分岐」と呼んでいます。
「第一の大分岐」は、産業革命期に起こりました。機械による生産を導入した欧米諸国と、そうでなかったアジア・アフリカ諸国の間に大きな経済格差が生まれました。
同様に、汎用AIをいち早く導入した国は爆発的な経済成長を遂げる一方、導入が遅れた国は取り残される可能性があります。著者は、日本がこの「第二の大分岐」で上昇路線に乗るためには、AIの研究開発を積極的に進める必要があると主張しています。
格差拡大の危険性
純粋機械化経済では、爆発的な経済成長が起こる可能性がある一方で、深刻な格差問題も生じる恐れがあります。
著者によれば、純粋機械化経済では資本の所有者(企業の株主など)の取り分が際限なく大きくなっていきます。一方で、労働者の取り分は限りなくゼロに近づいていきます。
極端な場合、収入を得られるのは資本所有者だけになり、労働者は飢えて死ぬしかない状況になる可能性すらあると著者は警告しています。
ベーシックインカムの必要性
このような格差拡大を防ぐため、著者は「ベーシックインカム」(BI)の導入を提案しています。
BIとは、全ての国民に対して、無条件で一定額のお金を定期的に給付する制度です。著者は、純粋機械化経済においては、BIこそが最もふさわしい所得再分配の仕組みだと主張しています。
BIには以下のようなメリットがあると著者は指摘します:
1. 資力調査が不要なため、行政コストを大幅に削減できる
2. 労働意欲を損なわない
3. 貧困に陥る理由を問わずに救済できる
4. 既存の社会保障制度を簡素化できる
著者は、一人あたり月7万円程度のBIなら、現在の経済状態でも十分に実現可能だと試算しています。そして、純粋機械化経済に移行した後は、爆発的な経済成長によって得られる税収を原資に、BIの給付額を大幅に増やせる可能性があると述べています。
AIと人間の価値
著者は最後に、AIの発達によって人間の価値観も変わっていく可能性を指摘しています。
これまでの資本主義社会では、人間の価値は主にその「有用性」、つまり労働によってどれだけ社会に貢献できるかで測られてきました。しかし、AIによって人間の労働の多くが不要になると、そうした価値観は成り立たなくなります。
その結果、人間の生それ自体に価値を見出すような価値観へと転換していく可能性があると著者は述べています。労働時間が大幅に短縮され、人々は余暇を楽しむことに価値を見出すようになるかもしれません。
本書の意義と課題
本書は、AIの技術動向を踏まえつつ、それが経済に与える影響を体系的に分析した意欲作といえます。特に、汎用AI登場後の「純粋機械化経済」の姿を具体的に描き出した点は、今後の経済政策を考える上で重要な視点を提供しています。
また、AIがもたらす課題に対する解決策として、ベーシックインカムを提案している点も注目に値します。著者の試算は、BIが現実的な選択肢になり得ることを示唆しています。
一方で、本書の予測には不確実な要素も多く含まれています。例えば、汎用AIが2030年頃に実現するという予測は、楽観的過ぎる可能性もあります。また、純粋機械化経済への移行が著者の想定通りスムーズに進むかどうかも不透明です。
さらに、ベーシックインカムの導入には、財源の問題だけでなく、政治的な障壁も大きいと考えられます。これらの課題にどう対処するかについては、さらなる議論が必要でしょう。
それでも本書は、AIがもたらし得る劇的な経済変化の可能性を示し、それに対する準備の必要性を訴えた点で大きな意義があります。AI時代の経済のあり方を考える上で、重要な一冊といえるでしょう。