Y.M. Harsonoによる論文「Developing Learning Materials for Specific Purposes」(特定目的のための学習教材開発)は、英語教育、特に特定目的のための英語(ESP)教育における教材開発の重要性と方法論を包括的に論じています。本稿では、この論文の主要な論点を整理し、その意義と課題について考察します。
著者紹介と研究背景
Y.M. Harsonoは、インドネシアのJakartaにあるUniversitas Katolik Atma Jayaに所属する研究者です。インドネシアでは英語が外国語として教えられており、国際的なコミュニケーションのために英語教育の重要性が高まっています。しかし、学習者のニーズに合った適切な教材が常に入手可能というわけではありません。この状況を背景に、Harsonoは教師が自ら教材を開発する必要性と方法について論じています。
教材開発の定義と原則
Harsonoは、まず教材開発の定義を明確にしています。教材とは、言語学習者の学習を助けるために使用されるあらゆるものを指し、教科書、ワークブック、CD-ROM、ビデオ、新聞記事など、多岐にわたります。教材開発は、理論的な研究分野であると同時に、実践的な取り組みでもあります。
著者は、Brian Tomlinsonの16の原則を引用しながら、効果的な教材開発の指針を示しています。これらの原則には以下のようなものが含まれます。
1. インパクトを与える教材であること
2. 学習者がリラックスできる教材であること
3. 学習者の自信を高める教材であること
4. 関連性と有用性が認識できる教材であること
5. 学習者の自主的な学習を促進する教材であること
これらの原則は、単に言語学習の効率を高めるだけでなく、学習者の心理的側面にも配慮した教材開発の重要性を強調しています。
教材開発の手順
Harsonoは、Dick and Careyのシステムアプローチモデルを参考に、教材開発の手順を説明しています。この手順には以下のステップが含まれます:
1. 教育目標の設定
2. 教育分析の実施
3. 学習者の特性と前提条件の特定
4. パフォーマンス目標の設定
5. 評価項目の開発
6. 教育戦略の開発
7. 教材の開発・選択
8. 形成的評価の設計と実施
9. 教育内容の改訂
10. 総括的評価の実施
この手順は、教材開発が単なる内容の作成ではなく、目標設定から評価まで包括的なプロセスであることを示しています。
実践的な教材開発
論文では、実践的な教材開発の方法として、既存の教材の評価、適応、補完、そして新規作成という4つのアプローチが提示されています。これらのアプローチは、教師が置かれた状況や利用可能なリソースに応じて選択できる柔軟な方法を提供しています。
特に注目すべきは、Harsonoが教材の適応(adaptation)の重要性を強調している点です。例えば、言語的に難しいテキストを学習者のレベルに合わせて調整したり、文化的な要素を考慮して内容を変更したりすることが提案されています。
特定目的のための教材開発
論文の後半では、ESP(特定目的のための英語)教材開発に焦点が当てられています。Harsonoは、ESP教材開発の出発点として学習者のニーズ分析の重要性を強調しています。これは、Hutchinson and Watersの提唱する「学習者のニーズに基づいてコースを設計する」というESPの基本原則に沿ったものです。
著者は、シラバスの種類(トピック別、構造/状況別、機能/概念別など)や、コース設計のアプローチ(言語中心、スキル中心、学習中心など)について詳細に説明しています。これらの多様なアプローチは、ESPの多様な文脈に対応するための柔軟性を提供しています。
Harsonoは、ESP教材開発の具体的な手順として、以下の2つの主要ステップを提案しています:
1. 学習者のニーズとシラバスの分析、シラバスの各項目に基づく教材開発
2. 教材の性質と開発原則に従った教材の具体的な開発
この手順は、理論的な枠組みと実践的なアプローチを統合したものとなっています。
論文の意義と課題
Harsonoの論文は、以下の点で重要な意義を持っています:
1. 教材開発の理論と実践の橋渡し
論文は、教材開発に関する理論的な原則と実践的な手順を包括的に提示しています。これにより、教師や教材開発者が理論に基づいた実践的な教材開発を行うための指針を提供しています。
2. ESP教材開発への焦点
特定目的のための英語教育は、一般的な英語教育とは異なるアプローチを必要とします。この論文は、ESP教材開発の特殊性と重要性を強調し、具体的な方法論を提示しています。
3. 教師の役割の再定義
論文は、教師を単なる教材の使用者ではなく、教材の評価者、適応者、そして開発者として位置づけています。これは、教師の専門性と自律性を高める視点として評価できます。
4. 学習者中心のアプローチ
教材開発の出発点として学習者のニーズを重視する姿勢は、現代の言語教育の潮流に合致しています。
一方で、以下のような課題や限界も指摘できます:
1. 具体例の不足
論文は理論的な枠組みを詳細に説明していますが、具体的な教材開発の例が少ないです。より多くの実践例があれば、理論の適用方法がより明確になったでしょう。
2. デジタル技術への言及の不足
論文が書かれた時期(2007年)を考慮する必要がありますが、オンライン学習やデジタル教材などの最新の教育技術についての言及が少ないです。
3. 評価方法の詳細な説明の不足
教材の効果を測定する具体的な評価方法についての説明が限られています。教材開発プロセスの重要な部分として、より詳細な評価方法の説明があれば有用だったでしょう。
4. 文化的側面の考慮
グローバルな文脈での英語教育を考えると、教材開発における文化的側面の考慮についてもっと詳しい議論があれば良かったでしょう。
おわりに
Y.M. Harsonoの論文「Developing Learning Materials for Specific Purposes」は、英語教育、特にESP分野における教材開発の重要性と方法論を包括的に論じた重要な研究です。理論的な枠組みと実践的なアプローチを統合し、教師や教材開発者に貴重な指針を提供しています。
しかし、教育技術の急速な進歩や、グローバル化に伴う英語教育の文脈の変化を考えると、この研究をさらに発展させる余地があります。特に、デジタル技術の活用、オンライン学習環境での教材開発、そして多様な文化的背景を持つ学習者のためのインクルーシブな教材開発などが、今後の研究課題として挙げられるでしょう。
Harsonoの研究は、教材開発を単なる技術的な作業ではなく、教育理論と実践を結びつける創造的なプロセスとして捉え直す重要性を示しています。この視点は、急速に進化する英語教育の現場において、今後も重要な指針となるでしょう。
Harsono, Y. M. (2007). Developing learning materials for specific purposes. TEFLIN Journal, 18(2), 169-179.