はじめに:グローバル化する英語と硬直化するテストの矛盾

現代の英語は、もはや英米などの「内輪圏」(inner circle)の国々だけのものではありません。世界中で使われる国際語として、インド英語、シンガポール英語、中国英語など、多様な変種が生まれています。しかし、TOEFL やIELTS といった主要な英語テストは、依然として標準的な英米英語を基準としているのが実情です。

この矛盾に対し、メルボルン大学のキャサリン・エルダー(Catherine Elder)とルーク・ハーディング(Luke Harding)が2008年に発表した論文”Language Testing and English as an International Language: Constraints and Contributions”は、言語テスト業界の内部から率直な弁明を試みています。両著者は、言語テスト分野で長年研究を重ねてきた専門家であり、特にエルダーは応用言語学における言語評価研究の第一人者として知られています。

批判の的となった言語テスト業界:「門番」としての役割への疑問

論文の出発点となったのは、クライン・シャリフィアン(Clyne & Sharifian)による痛烈な批判でした。彼らは、英語教師や言語テスト作成者を英語の「門番」(gatekeepers)と呼び、英語の多様性を認めずに標準英語に固執していると指摘しました。具体的には、次の2点で言語テスト業界を糾弾したのです。

第一に、英語の変種が拡大し、コミュニケーション規範が多様化しているにもかかわらず、言語テストの設計にその現実が十分反映されていないという点です。第二に、テスト開発者は特定の標準的変種における熟達度測定から、異文化コミュニケーション能力の評価へと焦点を移すべきだという主張でした。

これらの批判は一見もっともに聞こえます。実際、多くの受験者は英語を母語とする人々とのコミュニケーションよりも、同じく非母語話者同士での意思疎通のためにTOEFLやIELTSを受験しているのです。それなのに、なぜテストは依然として英米の標準英語に固執するのでしょうか。

言語テスト作成の複雑な現実:三つの制約要因

エルダーとハーディングは、この疑問に対して言語テスト業界の内部事情を詳しく説明します。彼らによれば、テスト作成者が保守的に見える背景には、三つの重要な制約要因があるというのです。

構成概念妥当性:何を測るのかを明確にする責任

第一の制約は、構成概念妥当性(construct validity)の要求です。これは、テストが測定しようとする言語知識や技能を明確に定義し、実際にそれが測定できていることを証明する必要があるということです。

国際語としての英語(EIL: English as an International Language)の特徴は、規範が流動的であることです。しかし、この流動性こそがテスト設計上の大きな問題となります。受験者は、どのような言語使用が受け入れられるのか、どのような基準で判定されるのかがわからなければ、公平な評価を受けることができません。

例えば、インド英語の特徴的な語順や発音を、テストでどの程度まで「正しい」ものとして認めるべきでしょうか。シンガポール英語のコードスイッチング(言語の切り替え)は、国際コミュニケーション能力の証拠として評価されるべきでしょうか。こうした判断基準が曖昧なまま測定を行えば、テスト結果の意味や、それに基づく判定の妥当性に疑問が生じてしまいます。

この問題を回避するため、多くのテストが標準英語を参照点として採用するのは、確実性を求める合理的な選択だと著者らは説明します。標準英語は文法書や辞書に体系化されており、何が測定されているのかを明確に定義できるからです。

公平性への配慮:全ての受験者に等しい機会を

第二の制約は公平性(fairness)です。著者らは、TOEFL やIELTSのリスニング問題が、アメリカ、イギリス、ニュージーランドなどの標準的なアクセントに限定されている理由を、この観点から説明します。

一見すると、大学のキャンパスで実際に聞くであろう多様なアクセント(インド系教授の英語、中国系学生の発表など)を含めた方が、現実的で意味のあるテストになりそうです。しかし、ここに落とし穴があります。特定のアクセントに慣れ親しんだ受験者は、そのアクセントの話者をより理解しやすく、他の受験者よりも有利になってしまう可能性があるのです。

この問題を完全に解決するには、世界中の多様なアクセントから非常に幅広くサンプリングする必要があります。しかし、限られた範囲のサンプリングでは、特定の言語グループに対する偏りという新たな批判を招きかねません。結果として、全ての受験者にとって比較的中立的な標準変種を選択することが、最も安全で実用的な解決策となるのです。

利害関係者への説明責任:現地のニーズとの複雑な関係

第三の制約として、著者らは利害関係者への説明責任を挙げています。驚くべきことに、現地の英語変種に敏感なテストを開発しても、当の現地の人々がそれを歓迎しないケースが少なくないというのです。

インドネシアでの事例が象徴的です。ブラウンとラムリー(Brown & Lumley)が開発した、インドネシアの現地事情に配慮したテストは、現地の教材を使用し、インドネシア人評価者を採用していました。しかし、このテストは実際には使用されることなく、代わりに「内輪圏」で作られた大規模テストの方が重宝され続けています。

香港でも同様の現象が見られます。現地の雇用状況に対応したGSLPAという文脈敏感型テストがあるにもかかわらず、多くの現地関係者は「内輪圏」のテストを「金字塔」として崇拝し続けているのです。

これらの事例は、言語テスト開発者が直面するジレンマを浮き彫りにしています。学術的には現地化されたテストの方が理論的に正しく見えても、実際の利用者はより権威のある標準的なテストを求める傾向があります。テスト開発者は、利用者のニーズを無視してテストを押し付けることはできず、この現実と向き合わざるを得ないのです。

言語テスト研究の積極的貢献:変化への取り組み

しかし、著者らは単に現状を弁護するだけではありません。論文の後半では、言語テスト分野が国際語としての英語の課題にどのように取り組んできたかを、三つの研究領域を通じて説明します。

非母語話者アクセントの導入研究

第一の貢献は、リスニングテストにおける非母語話者アクセントの使用に関する研究です。TOEFL を作成するETS(Educational Testing Service)の資金提供により、メジャーらが行った一連の研究(2002年、2005年)は、アクセントがテスト得点に与える影響を実証的に調査しました。

さらに、ハーディング(2008年)の研究では、高度に理解可能でありながら特徴的なアクセントを持つ非母語話者を使用した場合、共通の母語を持つことによる有利さ(shared-L1 effect)は広範囲には見られないことが示されました。ただし、リスニング項目が要求するスキルの種類、話者の発音の特徴、テキストの言語的要求などの条件が揃えば、そうした効果が現れる可能性があることも明らかになりました。

これらの研究成果は、構成概念妥当性と公平性への懸念を損なうことなく、非母語話者アクセントをリスニング評価に取り入れるための具体的なアプローチの基盤を提供しています。つまり、闇雲に多様なアクセントを排除するのではなく、科学的根拠に基づいてその使用可能性を模索しているのです。

母語話者優位主義への挑戦:評価者研究の展開

第二の貢献は、評価者研究の分野です。従来、英語の習熟度評価は主に英語母語話者が担ってきました。しかし、世界的には非母語話者の方が圧倒的多数を占める現状において、母語話者だけが「規範の決定者」であり続けることの妥当性が問題視されています。

キム(2009年)の研究では、カナダの英語母語話者教師と韓国の非母語話者教師が口頭テストを評価した結果、得点レベルでは高い一致を示したものの、評価に用いる基準には顕著な違いがあることが明らかになりました。同様の傾向は、中国のCET-SET(大学英語口語試験)を対象とした張・エルダーの研究でも確認されています。

興味深いことに、後者の研究では非母語話者評価者の方が、標準英語の形式的正確性により注意を払う傾向が見られました。これは、非母語話者評価者が必ずしも「代替的規範」を採用するわけではないことを示しており、現実は理論よりもはるかに複雑であることを物語っています。

異文化コミュニケーション能力の評価:ペアワーク形式の活用

第三の貢献として、著者らはペアワーク形式(異なる母語背景を持つ学習者同士の相互交流)による口語評価の発展を挙げています。この形式は、英語熟達度証明試験(Certificate of Proficiency in English)をはじめとする高杭性テストで採用されており、従来の一対一面接形式が抱える問題の解決を図っています。

従来の面接形式では、非母語話者の受験者と母語話者の試験官との間に権力の不均衡があり、多くの国際語使用場面で求められる複雑な相互交流が促進されにくいという問題がありました。ペアワーク形式では、性別、性格、習熟度などの要因による相互交流者間の変動性が公平性への脅威と見なされる傾向もありましたが、最近の研究は異なる視点を提示しています。

デイビス(2009年)の研究では、習熟度の違いが必ずしも協調的交流を阻害しないことが示され、メイ(2009年)の研究では評価者がこうした交渉的交流の重要な特徴を個人の成果ではなく共同構築されたものとして認識することが明らかになりました。つまり、従来は測定への脅威と見なされていた変動性が、今やテスト構成概念の不可欠な部分として認識されるようになったのです。

理想と現実の狭間:論文が提起する根本的問題

この論文を通じて浮かび上がるのは、言語テスト分野における理想と現実の複雑な関係性です。著者らの議論には説得力がある一方で、いくつかの重要な問題点も指摘できます。

保守主義の正当化という危険性

第一の問題は、この論文が現状の保守主義を正当化する方向に働く可能性です。確かに、テスト開発には様々な制約があり、急激な変化は困難でしょう。しかし、制約があることと、変化への努力を怠ることは別問題です。

著者らは「evidence-based」(証拠に基づく)アプローチの重要性を強調しますが、どのような証拠があれば変化が正当化されるのかという基準は明確ではありません。現在の研究成果でも十分に変化を支持する証拠が蓄積されているようにも見えますが、業界の変化は依然として緩慢です。

利害関係者のニーズへの過度な依存

第二の問題は、現地の利害関係者が標準英語テストを好むという理由で、現地化されたテストの開発努力を正当化することの是非です。利害関係者の意見は重要ですが、それが必ずしも言語学的に適切な判断を反映しているとは限りません。

植民地主義の遺産や言語的帝国主義の影響により、多くの人々が「内輪圏」の英語を過度に権威視している可能性があります。テスト開発者には、こうした偏見を助長するのではなく、教育的役割を果たすことも期待されるのではないでしょうか。

技術的課題への過度な集中

第三の問題は、技術的・方法論的な課題に過度に集中することで、より本質的な問題が見過ごされる危険性です。アクセントの影響を最小化する方法や、評価者の一貫性を確保する技術は重要ですが、そもそも何を測定すべきかという根本的な問いに対する答えは不十分です。

言語テストの社会的責任:より大きな文脈での考察

この論文の議論を評価する際には、言語テストの社会的影響をより広い文脈で考える必要があります。TOEFL やIELTS のような国際的なテストは、単なる測定道具ではなく、言語政策や教育方針に大きな影響を与える社会的制度です。

言語の多様性に対する態度への影響

これらのテストが標準英語に固執することで、世界中の英語学習者や教師に「正しい英語は一つだけ」というメッセージを発信し続けています。この影響は、個人の学習動機から国家の言語政策まで、多層的に及んでいます。

例えば、日本の英語教育現場では、生徒たちがアメリカ英語の発音を模倣することに躍起になり、国際コミュニケーションで実際に必要な適応性や柔軟性の育成が軽視される傾向があります。これは、主要な英語テストが発する暗黙のメッセージの結果とも言えるでしょう。

経済格差の拡大という副作用

また、標準化された国際テストは、経済格差を拡大する要因にもなり得ます。「内輪圏」の英語に精通するためには、高額な語学学校への通学や、英語圏への留学経験が有利になります。一方、現地の英語変種に慣れ親しんだ人々は、国際的なテストでは不利な立場に置かれる可能性があります。

言語の創造性と革新性の抑制

さらに深刻なのは、標準化への圧力が言語の創造性や革新性を抑制する可能性です。言語は本来、使用者のニーズに応じて柔軟に変化し、新しい表現方法を生み出していくものです。しかし、テストの影響力が強すぎると、このような自然な言語変化が阻害される危険性があります。

技術発展が開く新たな可能性

一方で、この論文が発表された2008年以降、技術の発展により新たな可能性も生まれています。人工知能を活用した自動採点システムの発達により、従来は不可能だった大規模で多様な評価アプローチが実現可能になりつつあります。

個別化された評価システム

コンピュータ適応型テスト(CAT: Computer Adaptive Test)の技術をさらに発展させ、受験者の出身地域や使用目的に応じて異なる評価基準を適用することも技術的には可能になってきました。これにより、構成概念妥当性と公平性の両方を保ちながら、多様性に配慮したテスト設計が実現できるかもしれません。

動的な基準設定システム

また、機械学習技術を活用することで、使用文脈に応じて動的に基準を調整するシステムの開発も検討できるでしょう。医学英語、航空英語、学術英語といった特定分野では、その分野の専門家コミュニティが認める規範を基準とし、一般的な国際コミュニケーションでは、より多様性を認める基準を適用するといった使い分けです。

教育現場への示唆:テストが教育を変える

この論文の議論は、言語教育の現場にも重要な示唆を提供します。テストは教育内容や方法に強い影響を与える「逆流効果」(backwash effect)を持つため、テスト設計の変化は教室での学習活動を大きく変える可能性があります。

コミュニケーション重視の教育への転換

著者らが指摘するように、現在の主要テストでも形式的正確性よりもコミュニケーション効果が重視される傾向にあります。この変化をさらに促進し、異文化コミュニケーション能力の育成を中心とした英語教育への転換を図ることが重要でしょう。

具体的には、異なる英語変種に触れる機会を増やし、コミュニケーションの過程で生じる誤解を解決する技術や、文化的差異を乗り越える方略を学ぶことに重点を置いた教育内容の開発が求められます。

教師教育の重要性

また、このような教育転換を実現するためには、教師自身の意識改革と能力向上が不可欠です。多くの英語教師は、自分たちが学んできた標準英語中心の教育観から脱却し、言語の多様性を積極的に受け入れる姿勢を身につける必要があります。

今後の展望:証拠に基づく漸進的改革の可能性

エルダーとハーディングの論文は、言語テスト分野における改革の困難さを率直に認める一方で、証拠に基づく漸進的な変化の可能性も示唆しています。この現実的なアプローチには一定の妥当性があると考えられます。

段階的変化の戦略

完全な変革を一度に実現することは困難でも、研究成果の蓄積に基づいて段階的に変化を進めることは可能でしょう。例えば、特定の使用文脈に限定したパイロット版テストの開発から始め、その効果と問題点を検証しながら適用範囲を拡大していく方法が考えられます。

多様な関係者の対話促進

また、テスト開発者、研究者、教育者、政策立案者、そして学習者自身を含む多様な関係者間の継続的な対話を促進することも重要です。異なる立場からの意見を統合し、よりバランスの取れた解決策を模索する必要があります。

結論:現実的理想主義の必要性

この論文は、言語テスト分野が直面する複雑な課題を率直に提示し、簡単な解決策が存在しないことを正直に認めています。この姿勢は、一見すると消極的に見えるかもしれませんが、実は建設的な議論の出発点として重要な価値を持っています。

言語テストの改革には、理想主義的な目標設定と現実主義的な手法の両方が必要です。国際語としての英語の多様性を認め、異文化コミュニケーション能力の重要性を強調することは重要ですが、それを実現するための具体的で実行可能な方法論の開発も同様に重要です。

この論文が提起する問題意識を引き継ぎながら、テスト開発者、研究者、教育者が協力して、より包摂的で公平な言語評価システムの構築に向けて努力を続けることが求められています。そのためには、理論的な議論だけでなく、実証的研究に基づく証拠の蓄積と、関係者間の建設的な対話が不可欠でしょう。

エルダーとハーディングの論文は、この重要な課題に対する真摯な取り組みの一例として、今後の議論の基盤を提供していると評価できます。完璧な解決策を提示していないからといって、その価値が損なわれるわけではありません。むしろ、問題の複雑さを認識し、多角的なアプローチの必要性を示した点で、この分野の発展に重要な貢献をしていると言えるでしょう。


Elder, C., & Harding, L. (2008). Language testing and English as an international language: Constraints and contributions. Australian Review of Applied Linguistics, 31(3), 34.1–34.11. https://doi.org/10.2104/aral0834

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

📖新刊情報|英語教育学海外論文解説: 海外の研究をサクッと解説』が刊行されました!
海外の上位ランクの学術雑誌に掲載された論文の中から、毎月のテーマに合わせて論文を厳選、そのポイントや限界などをわかりやすく解説。最新の研究をサクッと学べる英語教育学の論文解説書です。
 第3号:「英語教育における語彙指導」 ▶第2号:「英語教育と評価を考える」 創刊号:「AIは英語学習を加速するのか」

X
Amazon プライム対象