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はじめに:コミュニケーションを促す教師の力

外国語学習において、文法や語彙の知識だけでは十分ではありません。実際にその言語を使って積極的にコミュニケーションを取ろうとする意欲こそが、真の言語習得への扉を開く鍵となります。この論文”The predicting role of EFL teachers’ immediacy behaviors in students’ willingness to communicate and academic engagement”は、中国の大学で英語を外国語として学ぶ学習者364名を対象に、教師の「即時性行動」が学習者の「コミュニケーション意欲」と「学習参加度」にどのような影響を与えるかを実証的に調査した研究です。

著者らは、教師が学習者との心理的・物理的距離を縮める行動を取ることで、学習者がより積極的に英語でのコミュニケーションを試み、授業により深く参加するようになるという仮説を立てました。この研究は、言語教育における人間関係の重要性に光を当てる興味深い試みといえるでしょう。

研究の背景:なぜ教師の親しみやすさが重要なのか

言語教育の変化とコミュニケーション重視の流れ

長らく外国語教育は、文法規則や語彙の暗記を中心とした方法が主流でした。しかし、実際のコミュニケーション能力の育成を重視するアプローチが台頭してきたことで、単に知識を持っているだけでなく、その知識を実際に使おうとする意欲の重要性が注目されるようになりました。

特に英語を外国語として学ぶ環境では、学習者が英語でのコミュニケーションに対して示す意欲のレベルは大きく異なります。積極的に話す機会を求める学習者もいれば、知識はあっても教室で沈黙を保つ学習者も存在します。この違いを生み出す要因の一つとして、教師と学習者の関係性や教室の心理的環境が挙げられています。

理論的基盤:愛着理論とポジティブ心理学

本研究は二つの主要な理論的枠組みに基づいています。まず、愛着理論では、人間が他者との情緒的絆や所属感を感じることで、より良いパフォーマンスを発揮できるとされています。教室という文脈では、教師との良好な関係が学習者の心理的安全性を高め、学習に対する動機を向上させると考えられます。

また、ポジティブ心理学の観点から、教師の積極的な対人コミュニケーション行動が学習者の肯定的な感情状態を促進し、学習効果を高めるとされています。これらの理論は、単なる知識の伝達を超えた、人間的な関係性の構築が教育において重要であることを示しています。

研究方法の検討:設計と実施の妥当性

調査対象と手法

研究者らは中国の安徽省と河南省の複数の大学から400名の英語専攻学生を対象とし、最終的に364名の有効回答を分析に用いました。データ収集には三つの質問紙が使用されました:教師即時性行動質問紙、コミュニケーション意欲質問紙、そして学習参加度質問紙です。

統計分析には構造方程式モデリング(SEM)が採用され、変数間の関係性と予測力が検討されました。この手法の選択は、複数の概念間の複雑な関係を同時に分析する上で適切であり、研究目的に合致していると評価できます。

方法論上の長所と限界

この研究の長所として、確立された測定尺度の使用、適切なサンプルサイズ、そして高度な統計分析手法の採用が挙げられます。また、研究倫理への配慮も適切になされており、参加者からの同意取得プロセスも明記されています。

しかし、いくつかの方法論上の限界も指摘できます。まず、横断的研究デザインのため、変数間の因果関係を確定的に論じることには慎重である必要があります。研究者らは「予測」という用語を用いていますが、これは統計的な予測力を意味するものであり、時間的な前後関係に基づく因果関係とは区別して理解すべきです。

また、データはすべて自己報告に基づいており、社会的望ましさのバイアスや回答者の主観的認識の影響を受ける可能性があります。特に、教師の行動に対する評価は学習者の個人的な好みや文化的背景に影響される可能性があります。

結果と分析:驚くべき強い関係性

統計的結果の解釈

研究結果は統計的に非常に強い関係性を示しています。教師の即時性行動がコミュニケーション意欲の89%、学習参加度の71%の分散を説明するという結果は、教育研究においては異例の高い値です。これは、教師の親しみやすい行動が学習者の積極性に与える影響の大きさを示唆している一方で、これほど高い説明率については慎重な解釈が必要です。

構造方程式モデリングの適合度指標は許容範囲内に収まっており、提案されたモデルがデータに適合していることを示しています。しかし、モデルの適合度が良好であることと、モデルが現実を正確に反映していることは必ずしも同じではありません。

結果の実質的意味

統計的有意性を超えて、この結果の実質的な意味を考える必要があります。教師の言語的・非言語的な親しみやすい行動が、学習者のコミュニケーションへの意欲を高めるという発見は、直感的に理解しやすく、教育現場の実感とも合致するものです。

特に中国の英語学習環境では、学習者が外国語でのコミュニケーションに対して感じる心理的プレッシャーが大きいため、教師の親しみやすい態度が安心感を与え、積極的な参加を促す効果があると考えられます。

研究の意義:理論と実践への貢献

理論的貢献

この研究は、MacIntyreらによるコミュニケーション意欲の理論モデルに新たな実証的証拠を提供しています。特に、教師の即時性行動という具体的な要因がコミュニケーション意欲に与える影響を定量化したことは、理論の発展に寄与する重要な成果です。

また、愛着理論やポジティブ心理学の原則が外国語教育の文脈でも有効であることを示した点も評価できます。これらの理論が西欧の文脈で発展したものであることを考えると、中国の教育環境での妥当性を確認したことは理論の普遍性を支持する証拠となります。

実践的含意

教育実践の観点から、この研究は教師に対して具体的な指針を提供しています。言語的即時性行動(称賛、ユーモア、親切さ、共感の表現など)や非言語的即時性行動(アイコンタクト、身体の動き、空間的距離の調整など)を意識的に用いることで、学習者の積極的な参加を促進できる可能性があります。

ただし、これらの行動を単純に「テクニック」として適用するのではなく、真の関心と理解に基づいた自然な関係構築の一部として捉える必要があります。表面的な親しみやすさは逆効果となる場合もあるからです。

研究の限界と今後の課題

文化的特異性の問題

この研究は中国の大学生を対象としており、結果の一般化可能性については慎重な検討が必要です。中国の教育文化では、教師に対する敬意や権威的関係が重視される傾向があり、これが教師の親しみやすい行動に対する学習者の反応に影響を与えている可能性があります。

他の文化的背景を持つ学習者においても同様の結果が得られるかは不明であり、異なる文化圏での追試研究が望まれます。また、教師の文化的背景(中国人教師か外国人教師か)による違いも検討する価値があるでしょう。

因果関係の推論における課題

先述のように、この研究は横断的デザインのため、厳密な意味での因果関係を立証することはできません。教師の即時性行動がコミュニケーション意欲や学習参加度を向上させるのか、それともコミュニケーション意欲の高い学習者が教師の親しみやすい行動をより多く知覚するのか、あるいは第三の要因が両方に影響を与えているのかは不明です。

縦断的研究デザインや実験的介入研究により、より確実な因果関係の検証が必要でしょう。また、教師の行動に対する客観的な観察データと学習者の主観的評価を組み合わせることで、より包括的な理解が可能になると考えられます。

測定上の課題

すべての変数が自己報告尺度により測定されているため、共通方法バイアスの影響を受けている可能性があります。また、コミュニケーション意欲や学習参加度といった概念の測定は、文化的な解釈の違いや個人差の影響を受けやすいものです。

より客観的な測定方法(実際のコミュニケーション行動の観察、学習成果の測定など)を組み合わせることで、研究の信頼性を高めることができるでしょう。

教育政策と実践への示唆

教師研修への含意

この研究結果は、教師研修プログラムの設計に重要な示唆を提供します。従来の教授法や教科内容の知識に加えて、対人関係スキルやコミュニケーション能力の向上も重要な研修要素として位置づける必要があります。

特に、非言語的コミュニケーションの重要性は見過ごされがちですが、この研究はその影響力の大きさを示しています。教師が自身の表情、姿勢、声のトーン、空間の使い方などを意識することで、学習環境の質を大幅に向上させる可能性があります。

カリキュラム設計への影響

言語教育のカリキュラムにおいて、コミュニケーション活動の設計時に教師と学習者の関係性を考慮することの重要性が示されました。単に言語的なタスクを提供するだけでなく、学習者が安心して参加できる心理的環境を創造することが、教育効果を高める鍵となります。

また、評価方法についても、単純な言語能力の測定に加えて、学習者のコミュニケーション意欲や参加度を継続的に評価し、教師の指導改善に活用することが推奨されます。

研究の発展可能性

技術の活用

現代の教育環境では、オンライン学習やハイブリッド型授業が増加しており、デジタル環境における教師の即時性行動の効果についても検討が必要です。画面越しのコミュニケーションにおいて、どのような行動が効果的なのか、対面授業とは異なる配慮が必要なのかといった疑問に答える研究が求められます。

多様な学習者への対応

この研究では性別による比較が行われていませんが、男女差や年齢差、学習歴の違いなどが教師の即時性行動への反応に影響を与える可能性があります。また、学習障害や社会不安を抱える学習者にとって、どのような配慮が効果的なのかという観点からの研究も重要です。

批判的考察:研究の価値と限界のバランス

この研究は、教育における人間関係の重要性を定量的に示した価値ある貢献として評価できます。特に、統計的に強い効果サイズを示したことは、教師の行動変容への動機づけとなり得る重要な知見です。

一方で、あまりにも高い説明率は慎重に解釈する必要があります。教育現象は通常、多くの要因が複雑に絡み合った結果として生じるものであり、単一の要因がこれほど高い説明力を持つことは稀です。測定上の問題や、中国の特定の教育文脈における特殊性が影響している可能性も考慮すべきです。

また、研究者らは「予測」という用語を用いていますが、これを実際の教育実践における因果的な介入効果と等価に解釈することは適切ではありません。相関関係と因果関係の区別を明確にした上で、結果の解釈と応用を行う必要があります。

おわりに:人間関係を核とした教育の可能性

この研究は、外国語教育における教師と学習者の関係性の重要性を改めて浮き彫りにしました。言語学習は単なる知識の習得ではなく、他者とのコミュニケーションを通じた人間的な営みであり、そこには温かい人間関係が不可欠であることを示しています。

ただし、この知見を教育実践に活用する際には、表面的な技法の模倣ではなく、学習者一人ひとりへの真の関心と理解に基づいた関係構築が重要であることを忘れてはなりません。また、文化的な多様性や個人差を考慮した、より包括的な研究の蓄積が今後求められるでしょう。

教育の質を向上させるためには、教授内容の充実と並んで、教師の人間性や対人関係能力の向上が重要であることを、この研究は説得力をもって示しています。これからの教師教育や教育実践において、この知見が適切に活用されることを期待します。


Hu, L., & Wang, Y. (2023). The predicting role of EFL teachers’ immediacy behaviors in students’ willingness to communicate and academic engagement. BMC Psychology, 11, Article 318. https://doi.org/10.1186/s40359-023-01378-x

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。

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