ヒトもAIも好奇心で進化する DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文

人工知能(AI)の研究において、「好奇心」が最先端分野の一つであることをご存じでしょうか。人間が持つ好奇心と同様に、AIにも好奇心を持たせることで、その学習効率を大幅に向上させる研究成果が生まれています。本書『ヒトもAIも好奇心で進化する』は、AI系スタートアップの経営者であり、情報理論と神経科学の観点からAIに意識を持たせる研究を行っている金井 良太氏が、好奇心の本質を明らかにしていく内容となっています。

好奇心を持ったマリオの衝撃

本書は、2017年にカリフォルニア大学バークレー校の研究チームが発表した、「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに「好奇心」を与えた研究成果から話を始めます。この研究では、好奇心を持ったマリオが、敵を踏み付けるだけでなく、障害物を越え、落とし穴を避けてゴールにたどり着くという驚くべき結果を示しました。

著者はこの研究を引き合いに出しながら、AI研究における強化学習の重要性と、その課題について説明します。強化学習とは、ある目標を与えて試行錯誤を繰り返し、成功した行動に報酬を与えて訓練していく手法です。しかし、現実世界では報酬が得られる機会が少なく、学習に膨大な時間がかかるという問題があります。

人間とAIの違い:三つの重要な力

著者は、人間とAIの違いを明確にするため、人間にあってAIにない三つの重要な力を挙げています。

1. 頭の中でシミュレーションする力

人間は過去の経験や知識をもとに、頭の中で行動のシミュレーションを行い、効率的に学習することができます。一方、AIは膨大な試行錯誤を必要とします。

2. 知らずを知る力

人間は自分の知らないことを認識し、それを知ろうとする好奇心が働きます。AIは入力されたデータの範囲内でしか「知る」ことができません。

3. 知らない世界にはみ出す力

人間は好奇心に駆られて、既知の世界から飛び出し、新しい知識や経験を得ようとします。AIは与えられたデータの枠内でしか動作しません。

これらの違いを理解することで、人間の好奇心がいかに重要で、AI開発においても注目すべき要素であるかが明らかになります。

退屈さから紐解く好奇心の正体

著者は好奇心の本質を理解するために、一見対極にある「退屈さ」に注目します。退屈さを研究することで、好奇心の働きがより明確になるというのです。

著者は、内発的動機をホメオスタシス(恒常性)とヘテロスタシス(非恒常性)に分類し、好奇心が後者に属することを説明します。つまり、好奇心は快適な状況から引き離そうとする力であり、現状に安住せずに新しいことを求める原動力となるのです。

退屈さのモデル化には、「子どもが骨を投げ、犬がそれをキャッチしようとする」という比喩が用いられます。このモデルでは、子どもの投げる行為と犬の予測が一致した時に退屈さが生まれると説明されています。つまり、予測と現実のギャップがなくなった時に退屈を感じるのです。

このモデルを通じて、著者は好奇心の本質を「自分の予測の及ばないことを試してみること」と定義します。予測ができてしまっている状態では退屈になり、そこから抜け出そうとする力が好奇心なのです。

AIに好奇心を持たせるとは

では、実際にAIに好奇心を持たせるとはどういうことでしょうか。著者によれば、それは「新しい情報を得た時に報酬を与える」ということに他なりません。つまり、「驚き」や「目新しさ」にプラスの評価を与えて学習させるのです。

好奇心を得たAIは、新しい情報を求めて積極的に探索を行います。例えば、マリオゲームのAIは後ろに進むことなく、常に前に進み、新しい場所を探索します。これは、同じ場所にいても新しい情報が得られないからです。

著者の研究チームでも、AIに好奇心を持たせる取り組みを行っています。例えば、3Dモデルの家の中で人を探すAIロボットに好奇心を与えると、人影を見つけた際に「まだ人かどうかの自信がない」と認識した場合、新しい情報を得るために別の角度から観察しようと動き回るようになります。

このような好奇心を持つAIの開発が進めば、災害時の探索活動や迷子の捜索など、様々な場面で活躍が期待できます。地図情報が役に立たない状況でも、自ら新しい場所を探索し、重要な地点を見つけ出すことができるようになるでしょう。

組織マネジメントへの応用:好奇心の育て方

著者は、AIにおける好奇心の研究成果を組織マネジメントに応用する可能性についても言及しています。

好奇心を持つ人材は、特に新規事業のような新しいことに取り組む際に重要です。外の世界に出て新しい情報や経験を持ち帰ってくれるからです。ただし、組織内に好奇心あふれる人材が増えすぎると、まとまりがなくなる可能性もあります。

そのため、組織に好奇心を与えるには、好奇心を許容できる上司の存在が重要になります。好奇心のある部下は制御が難しいものの、新しい発見や知識をもたらす可能性があります。上司には、そうした「予想外の行動」を許容する覚悟が必要になるでしょう。

また、好奇心のある人材を引き留めるためには、退屈さを感じさせない目標設定が不可欠です。ワクワクするような次なる目標を与え続けることで、優秀な人材の流出を防ぐことができます。

採用の際に好奇心のある人材を見極めるのは難しいかもしれませんが、著者は「これまでにどれほど新しいことをしてきたか」を尋ねることを提案しています。極端な例として「崖の上から飛び降りたことがあるか」といった質問も、好奇心の強さを測る一つの指標になるかもしれません。

AIの意識への道

著者は最後に、AIに好奇心を持たせることが「人工意識」の実現に近づく可能性を示唆しています。好奇心を持つAIとは、興味・関心から自らを進化させる内部モデルを持つということであり、これはAIが意識を持つことにかなり近い状態だと著者は考えています。

著者の目指す先は、単なる人工知能ではなく、与えられた情報の枠を超えて考えることのできるAI、つまり「メタ認知」を兼ね備えたAIです。これを著者は「人工意識」と呼んでいます。

実用化にはまだ時間がかかるものの、好奇心という要素は、機械であっても意識を生み出す可能性を秘めているのです。

まとめ:AIと人間の進化を見つめ直す一冊

本書は、AI研究の最前線にいる著者が、「好奇心」というキーワードを軸に、AIと人間の本質に迫る内容となっています。専門的な内容を含みながらも、わかりやすい例え話や図解を用いて説明されており、AIに詳しくない読者でも理解しやすい構成になっています。

特に興味深いのは、人間の持つ好奇心とAIに与える好奇心を比較しながら、両者の共通点と相違点を浮き彫りにしている点です。この比較を通じて、読者は人間の持つ能力の素晴らしさを再認識すると同時に、AIの可能性と限界についても深く考えさせられるでしょう。

また、好奇心を「退屈さ」という観点から分析している部分は非常に斬新で、読者に新たな視点を提供しています。この分析は、自己啓発や組織マネジメントにも応用できる示唆に富んでおり、ビジネスパーソンにとっても有益な内容となっています。

一方で、本書の後半で触れられている「人工意識」の実現可能性については、やや飛躍があるように感じられる部分もあります。好奇心を持つAIと「意識」を持つAIの間には、まだ大きな隔たりがあるように思われます。この点については、さらなる研究と議論が必要でしょう。

しかし、そうした課題を含みつつも、本書はAI研究の最前線と、それが私たちの社会や生活にもたらす影響を考える上で、非常に示唆に富む一冊となっています。AI研究者やエンジニアはもちろん、経営者、教育者、そして技術の進歩に関心を持つ一般読者にとっても、新たな視座を与えてくれる良書だと言えるでしょう。

本書を読むことで、読者は自身の中にある好奇心の価値を再発見し、同時にAIがもたらす可能性について、より深い洞察を得ることができるはずです。人間とAIが共に進化していく時代において、私たちはどのように自身の能力を磨き、AIと共存していくべきか。本書は、そうした問いに対する一つの答えを提示してくれています。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。