The Silent Language (Anchor Books)

エドワード・T・ホールのThe Silent Languageは、1959年の初版から半世紀以上を経た今もなお、異文化コミュニケーション研究の古典として読み継がれています。本書は、文化を「コミュニケーション」として捉え直すという斬新な視点を提示し、私たちが無意識のうちに行っている文化的行動を明るみにしました。

ホールは、言葉以外のコミュニケーション、特に時間や空間の使い方に注目し、それらが文化によって大きく異なることを豊富な事例とともに示しています。例えば、アメリカ人にとって「5分遅刻」は許容範囲ですが、中東の人々にとっては50分遅刻と同じ感覚だといいます。このような「当たり前」の感覚の違いが、異文化間のコミュニケーションを難しくしているのです。

文化の「文法」を探る

ホールは、言語学の方法論を応用して文化分析を行いました。言語が音素、形態素、文法から成り立つように、文化も「セット」「アイソレート」「パターン」という3つの要素から構成されると考えたのです。

「セット」は、観察可能な行動や事物のまとまりです。例えば、握手や食事の作法などがこれにあたります。「アイソレート」は、セットを構成する最小単位で、直接観察することは難しいものです。握手の強さや速さなどが例として挙げられます。「パターン」は、セットやアイソレートを組み合わせる規則のことで、文化の深層に潜む価値観や世界観を反映しています。

この3つの要素を分析することで、文化の「文法」を明らかにできると、ホールは主張しました。この視点は、それまで漠然と捉えられがちだった「文化」を、より体系的に理解する道を開きました。

形式・非形式・技術的レベル

ホールは、文化的行動を「形式的」「非形式的」「技術的」の3つのレベルに分類しています。

「形式的」レベルは、社会で明確に規定された規則や慣習です。例えば、結婚式の形式やビジネスマナーなどがこれにあたります。「非形式的」レベルは、明文化されていないが、社会のメンバーが暗黙のうちに共有している行動様式です。友人との適切な距離感や、場の空気を読む能力などが含まれます。「技術的」レベルは、専門的知識や技能に基づく行動で、科学的・合理的な根拠を持つものです。

これら3つのレベルは常に流動的であり、時代とともに変化します。例えば、かつては形式的だった行動が、次第に非形式的になり、最終的には技術的な分析の対象になることもあります。この視点は、文化変容のプロセスを理解する上で非常に有効です。

時間と空間の文化

本書の中で特に興味深いのは、時間と空間の文化的側面に関する分析です。

時間については、モノクロニック(単線的)な時間観とポリクロニック(多線的)な時間観の違いを指摘しています。アメリカ人に代表されるモノクロニックな文化では、時間を直線的に捉え、スケジュールを厳格に管理します。一方、ラテンアメリカやアラブ諸国に見られるポリクロニックな文化では、複数の事柄を同時進行で行い、柔軟な時間管理をします。

空間については、パーソナル・スペース(個人的空間)の概念を導入し、文化によってその距離感が異なることを示しました。北米人は比較的広いパーソナル・スペースを好むのに対し、ラテンアメリカ人はより近い距離でコミュニケーションを取ります。この違いが、異文化間で「押しつけがましい」「冷たい」といった誤解を生む原因になっているのです。

現代社会への示唆

ホールの洞察は、グローバル化が進む現代社会においてますます重要性を増しています。多様な文化背景を持つ人々が日常的に交流する現代において、文化の「文法」を理解することは、相互理解と円滑なコミュニケーションの鍵となるでしょう。

例えば、リモートワークが普及した今日、時差のある相手とのコミュニケーションにおいて、時間観の違いを意識することが重要になっています。また、SNSを通じた国際交流が盛んな中、文化によって異なる「適切な距離感」をオンライン上でどのように表現するかという新たな課題も生まれています。

課題と批判

ホールの理論は、文化を固定的に捉えすぎているという批判もあります。現代のグローバル化社会では、個人が複数の文化の影響を受け、ハイブリッドな文化的アイデンティティを形成することも珍しくありません。また、文化内の多様性や個人差にもっと注目すべきだという指摘もあります。

さらに、ホールの分析が主に西洋と非西洋の二項対立的な枠組みに基づいている点も、現代の視点からは再考の余地があるでしょう。より多様な文化の相互作用を捉える枠組みが求められています。

まとめ:文化的自覚の重要性

The Silent Languageの最大の功績は、私たちが無意識のうちに行っている文化的行動に光を当て、それを意識化する重要性を説いた点にあります。自文化の「当たり前」を相対化し、他者の文化的背景を理解しようとする姿勢は、多文化共生社会を築く上で不可欠です。

本書は、異文化コミュニケーションの基本を学ぶ入門書として今なお有効ですが、現代の読者は、より複雑化・流動化する文化の現実を踏まえつつ、批判的に読み解くことが求められます。そうすることで、ホールの洞察を現代に活かし、より豊かな異文化理解へとつなげることができるでしょう。

The Silent Languageは、私たちに文化の「目に見えない次元」を意識させ、自己と他者への理解を深める契機を与えてくれます。グローバル化が進む現代だからこそ、もう一度読み返す価値のある一冊と言えるでしょう。

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。