教育の世界は常に変化し続けています。新しいテクノロジーや教育理論が登場するたびに、私たちは学び方や教え方を見直し、改善してきました。そんな中、人工知能(AI)の進歩は教育に大きな影響を与えつつあります。特に、ChatGPTやBing Chat (現在ではCopilot)といった対話型AIは、教育のあり方を根本から変える可能性を秘めています。
本論文”Enhancing STEM learning with ChatGPT and Bing Chat as objects to think with: A case study”は、こうした対話型AIを教育に活用する可能性について探った研究です。著者のMarco Antonio Rodrigues Vasconcelosとrenato P. dos Santosは、ブラジルのLutheran University of Brazilに所属する研究者です。彼らは特に、理科・技術・工学・数学(STEM)の教育におけるAIの活用に注目しました。
この研究の背景には、STEMの分野で学生の批判的思考力や問題解決能力を育てることの重要性があります。従来の教育方法では十分に対応できない部分を、AIを活用することで補完できるのではないか。そんな問題意識から、この研究は始まりました。
研究の概要と方法
この研究では、ChatGPTとBing Chatという2つの対話型AIを、「考えるための道具」として活用する可能性を探っています。「考えるための道具」とは、学習者が概念を理解したり、批判的に考えたりするのを助ける道具のことです。
研究では、学生役の参加者がこれらのAIと対話しながら学習する様子を観察しました。特に、物理学の概念である「質量」や「体積」、「重力」などについて、AIとのやり取りを通じて理解を深めていく過程に注目しています。
研究者たちは、AIとの対話の記録や、参加者の振り返りノートを詳しく分析しました。そして、AIがどのように学習を助け、どんな課題があるかを明らかにしようとしました。
主な発見
1. 個別化された学習体験
AIは、学習者の質問や理解度に応じて、柔軟に説明を変えることができました。例えば、学習者が「重さ」と「質量」を混同している場合、AIはその違いを丁寧に説明し、理解を促しました。
2. 批判的思考の促進
AIは単に答えを与えるだけでなく、学習者に質問を投げかけ、考えさせる役割も果たしました。これは、ソクラテス式問答法と呼ばれる教育方法に似ています。学習者は自分の考えを言語化し、AIからのフィードバックを得ることで、より深い理解に到達できました。
3. 誤概念の修正
学習者が間違った考えを持っている場合、AIはそれを指摘し、正しい概念への橋渡しをしました。例えば、「宇宙では重力がない」という誤解を、「宇宙でも重力はあるが、無重力状態に見えるのは自由落下の状態だから」と説明しています。
4. 実生活との関連付け
AIは抽象的な概念を、日常生活の具体例と結びつけて説明することができました。これにより、学習者はより直感的に概念を理解できました。例えば、「遠心力」の概念を、車がカーブを曲がるときの体験と関連付けて説明しています。
5. 学習者の好奇心を刺激
AIとの対話は、学習者にさらなる疑問を生み出させました。例えば、「重さ」の話から「宇宙飛行士はなぜ無重力なのか」という質問へと発展していきました。これは、学習者の探求心を育てる上で重要な要素です。
課題と限界
研究は、AIを教育に活用することの利点を多く見出しましたが、同時にいくつかの課題も明らかにしました。
1. 情報の正確性
AIは時として間違った情報を提供することがあります。特に、数学的な計算や最新の科学的知見については注意が必要です。教育者は、AIが提供する情報を批判的に評価する能力が求められます。
2. 人間同士の交流の減少
AIとの対話に頼りすぎると、学生同士や教師との直接的なやり取りが減る可能性があります。人間同士の交流から得られる学びも大切にする必要があります。
3. プロンプト(指示)の重要性
AIから適切な回答を得るには、適切な質問や指示を与える必要があります。これは新しいスキルであり、教育者や学習者がマスターする必要があります。
4. 倫理的な配慮
AIを教育に活用する際には、プライバシーや公平性などの倫理的な問題にも注意を払う必要があります。
この研究の意義
この研究は、AIを教育に活用する可能性を具体的に示した点で重要です。特に以下の点で意義があると言えるでしょう。
1. 新しい学習ツールの可能性
ChatGPTやBing Chatのような対話型AIを「考えるための道具」として活用する新しい方法を提案しています。これは、教育のデジタル化が進む中で、重要な視点となるでしょう。
2. STEM教育の改善
理科や数学など、抽象的な概念を扱うSTEM分野の教育において、AIが有効な補助ツールになる可能性を示しました。これは、STEM教育の課題解決に貢献する可能性があります。
3. 個別化学習の実現
AIを活用することで、一人一人の学習者のペースや理解度に合わせた学習が可能になることを示唆しています。これは、教育の個別化という大きな課題への一つの解答となるかもしれません。
4. 教育者の役割の再考
AIの登場により、教育者の役割が変化する可能性を示唆しています。教育者は、知識の伝達者というよりも、学習のファシリテーターとしての役割が重要になるかもしれません。
今後の展望
この研究は、AIを教育に活用する可能性を示した一方で、さらなる研究の必要性も指摘しています。例えば、より多くの学生や教科を対象とした研究や、長期的な効果を測定する研究が必要でしょう。また、AIを既存の教育手法とどのように組み合わせるのが最適か、といった点も今後の研究課題です。
さらに、AIを教育に活用する際の倫理的ガイドラインの策定も重要な課題です。プライバシーの保護や、AIへの過度の依存を避けるための方策なども、今後検討が必要です。
まとめ
AIチャットボットを「考えるための道具」として活用することで、STEM教育に新たな可能性が開けることが、この研究から示唆されました。個別化された学習体験、批判的思考の促進、誤概念の修正など、AIは様々な面で学習を支援する可能性があります。
一方で、AIの限界や課題にも注意を払う必要があります。AIは万能ではなく、人間の教育者の役割はむしろ重要になるかもしれません。AIを効果的に活用しつつ、人間同士の交流や、実際の体験から学ぶことの価値も忘れてはいけません。
この研究は、教育とテクノロジーの融合という大きな潮流の中で、重要な一歩を示したと言えるでしょう。今後、さらなる研究や実践を通じて、AIを活用した教育の可能性と課題がより明確になっていくことが期待されます。
Vasconcelos, M. A. R., & dos Santos, R. P. (2023). Enhancing STEM learning with ChatGPT and Bing Chat as objects to think with: A case study. EURASIA Journal of Mathematics, Science and Technology Education, 19(7), em2296. https://doi.org/10.29333/ejmste/13313