本論文”When Brain-inspired AI Meets AGI”は、人工知能(AI)の発展において、人間の脳を参考にしたアプローチと汎用人工知能(AGI)の関係性について包括的に論じた研究です。筆頭著者のLin Zhao氏をはじめ、米国ジョージア大学、テキサス大学アーリントン校、中国電子科技大学など、国際的な研究機関から13名の研究者が執筆に参加しています。

2023年3月に発表されたこの論文は、特にChatGPTやGPT-4といった大規模言語モデルの登場により注目を集めているAGIの開発において、人間の脳の仕組みをどのように活用できるかを詳細に分析しています。

研究の背景 – なぜ人間の脳からAIを学ぶのか

人間の脳は、約860億個のニューロン(神経細胞)から成り、各ニューロンが最大1万個のシナプス結合を形成する複雑なネットワークです。視覚、聴覚、触覚などの複数の感覚情報を統合し、並列処理を行い、環境の変化に適応する能力を持っています。

このような脳の優れた特徴を人工知能に取り入れようとする試みは、1940年代から始まっています。例えば、現代の深層学習の基礎となるニューラルネットワークは、脳の神経細胞のネットワークを模倣したものです。

主要な研究成果

1. スケールの重要性

論文では、脳の規模(ニューロンの数)と知的能力には相関関係があることを指摘しています。例えば、ショウジョウバエの脳は10万個、マウスは7,000万個、マカクザルは13億個、チンパンジーは62億個のニューロンを持ちます。人間の860億個という数は、他の動物と比較して突出して多いのです。

同様に、AI言語モデルでも、パラメータ数(モデルの規模)が大きくなるほど性能が向上する傾向が見られます。例えば、GPT-2の15億個から、GPT-3の1,750億個へのパラメータ増加により、言語処理能力は大幅に向上しました。

2. マルチモーダル(複数の感覚)処理

人間の脳は、視覚、聴覚、触覚などの異なる感覚情報を統合して世界を理解します。最新のAIシステムも、テキストと画像を組み合わせて処理する能力を持つようになってきています。例えば、DALL-EやStable Diffusionは、テキストの説明から画像を生成することができます。

3. 人間との調和

ChatGPTやGPT-4などの最新のAIモデルでは、人間からのフィードバックを基に学習を行う「人間からのフィードバックによる強化学習(RLHF)」という技術が採用されています。これにより、AIの出力を人間の価値観や意図に沿ったものにすることができます。

現状の課題

論文では、以下のような課題が指摘されています:

  1. 人間の脳の理解が不十分
  • 脳の仕組みについて、まだ解明されていない部分が多く存在します
  • そのため、完全な人工知能の実現には至っていません
  1. データ効率の問題
  • 現在のAIは、人間と比べて膨大な学習データを必要とします
  • 少ない例からの学習・般化能力は、まだ人間に及びません
  1. 倫理的な考慮
  • AIがより高度になるにつれ、その判断が社会に与える影響も大きくなります
  • 人間の価値観に沿った判断ができるよう、慎重な設計が必要です
  1. 計算コストの問題
  • 大規模なAIモデルの学習には、莫大な計算資源が必要です
  • 環境負荷の観点からも課題となっています

論文の意義と評価

本論文の主な意義は、以下の点にあります:

  1. 包括的なレビュー
  • 脳を参考にしたAI開発の歴史から最新の研究動向まで、広範な内容をカバーしています
  • 特に、ChatGPTやGPT-4といった最新のAIモデルについても詳しく解説しています
  1. 学際的なアプローチ
  • 神経科学、コンピュータサイエンス、心理学など、複数の分野の知見を統合しています
  • これにより、AIの開発に新たな視点を提供しています
  1. 実践的な示唆
  • 現在のAI開発における課題を明確に指摘しています
  • 解決に向けた具体的なアプローチを提案しています

批評と提案

本論文は、人工知能研究の重要なテーマを包括的に扱った優れた論文です。特に、人間の脳とAIの類似点や相違点を詳細に分析している点は高く評価できます。

ただし、以下のような改善の余地も見られます:

  1. 技術的な詳細
  • 一部の技術的な説明が専門家向けに偏っています
  • 一般読者向けの解説をより充実させることで、論文の価値が高まるでしょう
  1. 具体例の提示
  • 理論的な説明が中心で、実際の応用例が少ない印象です
  • より多くの具体例があれば、理解が深まると思われます
  1. 環境への影響
  • AI開発の環境負荷については、より詳しい議論が必要かもしれません

おわりに

本論文は、人工知能の発展において人間の脳から学ぶことの重要性を、説得力のある形で示しています。今後のAI研究において重要な参考文献となることは間違いありません。

特に、単にAIの技術的な側面だけでなく、倫理的な考慮や環境への影響にも目を向けている点は、バランスの取れたアプローチとして評価できます。AIと人間の関係性について考える上で、示唆に富む内容となっています。


Zhao, L., Zhang, L., Wu, Z., Chen, Y., Dai, H., Yu, X., Liu, Z., Zhang, T., Hu, X., Jiang, X., Li, X., Zhu, D., Shen, D., & Liu, T. (2023). When Brain-inspired AI Meets AGI. arXiv:2303.15935v1 [cs.AI]. https://doi.org/10.48550/arXiv.2303.15935

By 吉成 雄一郎

東海大学教授。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。東京電機大学教授を経て現職。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語e ラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているe ラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAI による新しい教育システムの開発にも着手している。