研究の背景と問題意識
授業中にタブレット端末を使う光景は、今や日本の学校でも珍しくなくなりました。GIGAスクール構想の推進により、一人一台の端末環境が整備され、多くの教師がiPadやChromebookを授業に取り入れるようになっています。しかし、「端末を使えばよい授業になる」わけではありません。どのように使うか、なぜ使うか、その意図と効果を丁寧に検証することこそが重要です。本論文は、まさにその問いに正面から向き合った研究です。
Tai and Liによるこの論文は、香港の英語媒介授業(English Medium Instruction、以下EMI)における数学の授業を舞台に、iPadという技術的ツールが教師の「記号的・空間的レパートリー」をどのように拡張し、学習者の学びを支援する「技術媒介型空間」の構築にどのように寄与するかを、トランスランゲージング理論を軸に分析しています。著者のKevin W. H. TaiはUCLの応用言語学センターに所属する研究者で、香港EMIの教室における多言語実践と多様な記号資源の活用を専門的に研究しています。共著者のLi Weiは同センターの著名な研究者であり、トランスランゲージング研究の第一人者として世界的に知られています。
トランスランゲージングとは何か
本論文のキーワードである「トランスランゲージング」という概念について、まず整理しておく必要があります。もともとはウェールズのバイリンガル教育の文脈でWilliams(1994)が提唱した概念で、異なる言語を入力と出力で意図的に使い分ける教授法を指していました。それをLi(2018)がさらに発展させ、単なる「コードスイッチング」を超えた、複数の言語、方言、スタイル、ジェスチャー、視覚的イメージ、デジタルツールなどあらゆる記号資源を縦横無尽に動員する知識構築のプロセスとして再概念化しました。
日本の英語教育の文脈に置き換えて考えてみると、「英語の授業は英語だけで」という原則論と、現実の教室での日本語使用との葛藤に悩む教師は多いはずです。トランスランゲージングの発想は、この二項対立を超え、学習者が持つすべての言語・非言語資源を有機的に活用することこそが学びを深めると主張します。本論文が面白いのは、教師が英語という一つの言語コードのみを使いながらも、iPadを通じた多様な記号実践によってトランスランゲージングを実現していると論じている点です。
研究の設計と方法論の特徴
研究の舞台となったのは、香港の「指定校」に分類される中学校です。この学校は南アジア系(以下SA)生徒が在籍者の8割を占める多民族・多言語環境にあります。パキスタン、ネパール、インド、フィリピン、イエメン、ロシアなど多様な文化的背景を持つ16歳の生徒40名が在籍するYear 10(日本でいう高校1年生相当)のEMIクラスが対象です。担当教師は7年以上の経験を持つパキスタン系の数学・理科教師で、ウルドゥー語とパンジャービー語を母語とし、英語、広東語、マンダリン語、アラビア語も話せます。
データ収集は2020年6月の4週間にわたる言語民族誌的調査で行われました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による長期休校(2020年1月〜5月)後に対面授業が再開された時期です。40分の授業11コマが録画され、加えてビデオ刺激再生インタビュー(video-stimulated-recall-interview)が教師との間で1時間実施されました。
分析方法として、マルチモーダル会話分析(Multimodal Conversation Analysis、以下MCA)と解釈的現象学的分析(Interpretative Phenomenological Analysis、以下IPA)が組み合わせられています。MCAは会話の「今この瞬間」に何が起きているかを微視的に追う手法であり、IPAは教師自身が自分の実践をどのように意味づけているかという内的経験に迫る手法です。この二つを組み合わせることで、教師の行動とその意図の両面から分析するという二重の視点が確保されています。この方法論的な選択は特筆に値します。観察データだけでは読み取れない教師の「なぜ」が、インタビューデータによって豊かに補完されているからです。
四つの分析場面が示すもの
論文の中核をなすのは、四つの教室場面の詳細な分析です。
最初の二つは「内容学習の促進」という観点から分析されます。Extract 1では、教師がある生徒(S1)の数学的解答過程をiPadで撮影してスクリーンに投影し、蛍光ペン機能を使って数学的変数に色付けしながら、手のジェスチャーと組み合わせて解説を進めます。黄色でuの値を、青でvの値をそれぞれハイライトし、それを手掛かりに生徒たちに答えを補完させる「意図的未完結発話(Designedly Incomplete Utterance)」を活用する場面は、技術と言語と身体が一体となった教授実践の典型として際立っています。
Extract 2では、教師がiPadを携帯したまま教室内を歩き回りながら、赤色ペン機能で誤りを囲んだり取り消し線を引いたりします。生徒の座席列ごとに向き直り、声が届くよう工夫する姿は、iPadが空間的制約を解放するツールとして機能していることをよく示しています。教師自身もインタビューで「iPadがなければ教室の前に90%の時間立ち続けていた」と語っており、この端末が空間移動を可能にし、全員参加型の「討論」的雰囲気を作り出す原動力になっていると述べています。
後半の二つは「ユーモラスな教室環境の構築」という観点から分析されます。Extract 3では、生徒の手書き解答を撮影しようとして、意図的に(あるいは遊び心から)その生徒の顔を映してスクリーンに投影するという場面が展開されます。クラス全体がどっと笑い、複数の生徒が「send it to us(送って!)」と叫んだり、「ugly(不細工)」といった冗談を飛ばしたりします。インタビューで教師は「fun for fun」と述べており、数学の緊張から束の間解放し、安全で親しみやすい雰囲気を作るための意図的な演出だったと説明しています。
Extract 4では、電卓の使い方を説明する場面でiPadのカメラ機能を使い、生徒の古い型の電卓をズームインしてスクリーンに映し出します。「古い銀色の電卓」と教師が形容するたびに笑いが起き、その後「そのモデルを使っている人、何人いる?」と問いかけると何人かが手を挙げ、S1が「legends(伝説)」と繰り返してクラスを沸かせます。単に道具を紹介するのではなく、笑いを通じて場を温め、数学的内容への注意を引き戻すという巧みな構成になっています。
「技術媒介型トランスランゲージング空間」という概念
本論文が提示する最も重要な理論的貢献は、「技術媒介型トランスランゲージング空間(technology-mediated translanguaging space)」という概念です。Li(2011)が提唱した「トランスランゲージング空間」は、異なる言語・文化・社会的規範が交差するなかで新たな意味が生まれる場として定義されていました。本論文はそれを技術的ツールと結びつけ、iPadが教師の記号的レパートリー(色付け・ズームイン・写真撮影など)と空間的レパートリー(教室内の移動自由度)を拡張することで、学びの質が変容すると主張します。
これは単に「デジタル技術を活用すると教育が良くなる」という紋切り型の主張とは一線を画します。重要なのは、技術そのものではなく、それを教師がどのような教育的意図のもとで戦略的に使うかだと論文は繰り返し強調しています。「技術ではなく教育学が主役」というこの立場は、日本の教育ICT議論においても常に問われるべき問いです。
日本の英語教育現場への示唆
この研究から日本の英語教育実践者が学べることは少なくありません。第一に、マルチモーダルな記号実践を意識化することの重要性です。現在の日本の英語授業でも教師はジェスチャー、板書、スライド投影などを自然に組み合わせています。しかし、それを意識的に設計し、学習者の理解を促す「記号的足場掛け」として体系化している教師はまだ少ないかもしれません。iPadのハイライト機能一つをとっても、何色でどこを強調するかを意図を持って選択することで、視覚的学習者への配慮が生まれます。
第二に、「英語のみ」方針の再考という問いです。日本の高校・大学でも「英語の授業は英語で」という指針が強調されてきましたが、本論文の教師は英語のみを使用しながらも、iPad上の数学記号、色彩、身体の動き、ユーモアなど多彩な資源を同時に動員してトランスランゲージングを実践しています。「英語だけ使えばよい」ではなく「英語と他のあらゆる資源をどう組み合わせるか」という問いへの転換が、より本質的な議論を生む可能性を示唆しています。
第三に、教師の空間的移動という視点です。日本の多くの授業では、教師はホワイトボードや電子黒板の前に立ち続けることが多い印象があります。しかしこの研究が示すように、iPadを持ちながら教室を歩き回ることで、後方の生徒への声の届き方が改善され、個々の学習者の進度確認もしやすくなります。COVID-19禍でマスクを着用した状態での授業であったという背景も興味深く、声が通りにくいという制約を移動によって補う実践は、現実的な教育現場の工夫として参考になります。
関連研究との対比と論文の独自性
類似した研究として、Engin and Donanci(2015)によるアラブ首長国連邦のEMI大学でのiPad使用研究や、Liu and Chao(2017)による技術的余裕空間(affordance)と学習者エージェンシーの研究が挙げられています。前者はiPadがダイアローグ的教授を促進も制限もしうると論じましたが、教室相互作用の詳細な分析は提示されていませんでした。本論文はその空白を、MCAとIPAの組み合わせによる精緻な分析で埋めています。これは先行研究が「概括」にとどまっていた部分に、微視的かつ実証的な根拠を与えた点で意義深いです。
また、Sah and Li(2020)はネパールのEMIクラスでトランスランゲージングが結果的に言語ヒエラルキーを再生産する危険性を指摘しており、本論文もこれを引用しながら、ユーモアを含む技術使用が必ずしも「安全な空間」を保証しないという留保を忘れていません。写真を撮られた生徒が不快に感じる可能性や、冗談が自尊心を傷つけるリスクについての言及は、研究の倫理的感度を示しています。単純な「技術礼賛」に陥らない批判的バランスは、論文としての誠実さを感じさせます。
研究の限界と今後の課題
もちろん、この研究にも課題はあります。まず、一名の教師・一クラスという非常に限定されたデータから得られた知見の一般化には慎重さが必要です。著者たちもこの点については言及を避けておらず、言語民族誌的アプローチの特性として深い記述を重視していることを示しています。
また、研究が実施された2020年6月という時期は、半日授業・マスク着用という特殊な条件下にありました。COVID-19という非常事態が教師のiPad活用を一定程度促した可能性もあり、通常の教育環境での再現性については別途検証が必要です。
さらに、生徒側の学習経験に関するデータが相対的に少ない点も気になります。教師の視点と実践は豊かに描かれていますが、生徒たちが技術媒介型のトランスランゲージング空間をどのように経験し、理解を深めたかについては、生徒へのインタビューや学習成果データが加わるとより説得力が増したでしょう。
研究の意義を改めて考える
それでもこの論文は、技術と言語と教育の関係を考えるうえで非常に示唆に富む研究です。「iPadを使ったら授業が良くなった」という表面的な報告ではなく、「何を、なぜ、どのように使うことで、教師と学習者の間にどのような相互作用が生まれるか」を徹底的に問い詰める姿勢が一貫しています。
Taiが論文の随所で繰り返す主張、すなわち「空間を作るのは技術ではなく教育学だ」というメッセージは、端末さえあれば授業が変わると思いがちな風潮への静かな異議申し立てでもあります。道具を使う人間の意図と知識と経験こそが、教室に本当の学びの空間を生み出す。そのことをこの研究は、豊富な実証データとともに示しています。
日本の英語教育が「使える英語」の習得という目標を追い求めるなかで、授業という空間そのものをどのようにデザインするかという問いは、これまで十分に議論されてきたとはいえません。本論文が描き出す香港の一教室の光景は、その問いを考えるための貴重な手掛かりを提供してくれます。技術を戦略的に、かつ人間的温かみをもって使いこなす教師の姿は、国や言語を超えて私たちに多くのことを教えてくれます。
Tai, K. W. H., & Li, W. (2024). The affordances of iPad for constructing a technology-mediated space in Hong Kong English medium instruction secondary classrooms: A translanguaging view. Language Teaching Research, 28(4), 1501–1551. https://doi.org/10.1177/13621688211027851
