英語の授業で「日本語を使ってはいけない」と言われた経験のある方は多いのではないでしょうか。あるいは、教師として「できるだけ英語だけで授業を進めるべきだ」という信念のもとで指導してきた方もいるかもしれません。日本の英語教育の現場では、長らく「英語は英語で教える」という方針が重視されてきました。しかし近年、応用言語学の世界では、そのような一言語主義的な前提に根本的な疑問が投げかけられています。Wang と Li が2022年に発表した本論文は、まさにその問いに正面から向き合うものです。
研究の背景と筆者たちの立場
本論文の著者は、武漢大学外国語学部に所属するYibei Wang(MPhil課程学生)と Danli Li(准教授)です。Danli Li は香港バプテスト大学で博士号を取得しており、第二言語習得・社会文化論・言語政策などを専門としています。Wang と Li は、応用言語学で近年急速に注目を集めている「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念と、第二言語習得研究における「口頭訂正フィードバック(Oral Corrective Feedback、以下OCF)」という教授法的実践を結びつけることで、中国人EFL学習者の英語ライティング指導に新たな視点をもたらそうとしています。
トランスランゲージングとは、もともとウェールズの教育者 Cen Williams が提唱し、その後 Ofelia García や Li Wei らによって理論化された概念です。一言で言えば、多言語使用者がその言語的レパートリー全体を動的かつ統合的に用いながら意味を構築するプロセスと、それを活かした教育的アプローチの両方を指します。単なる「コードスイッチング(言語の切り替え)」とは異なり、複数の言語を別々のシステムとして扱うのではなく、学習者の内なる一つのまとまったレパートリーとして捉える点が核心です。García と Li(2014)が述べるように、バイリンガルとは二つの独立した言語システムを持つ人ではなく、様々な言語的特徴からなる豊かなレパートリーを持つ言語使用者なのです。
一方、OCFとは、学習者のアウトプットにおける誤りに対して教師や対話相手が口頭でリアクションする実践であり、第二言語習得(SLA)研究において長く注目されてきました。Lyster と Ranta(1997)の先駆的研究以来、明示的訂正・リキャスト・明確化要求・メタ言語的手がかり・引き出し・繰り返しという六つの訂正ストラテジーが体系化されており、本論文もこの枠組みを採用しています。
研究の設計と方法
本研究は、中国中部の総合大学において六週間にわたる英語ライティングチュートリアルを通じて実施されました。参加者は18歳から20歳の英語専攻一年生12名と、英語を指導するチューター1名です。12名の学生はランダムに三つのグループに分けられ、全員が中国語を母語とする中級EFL学習者で、英語学習歴は約10年、大学入学共通試験の英語成績も近似しており、同質性が確保されています。
授業形式はテンセントミーティング(オンライン会議ツール)を用いたオンライン形式で、合計九回のセッション(各グループ三回)が記録されました。一回あたり一時間半、合計13.5時間の録音データが収集されています。学生たちは三種類の議論型エッセイ課題(定義文・分類文・例示文)に取り組み、それぞれについて初稿→ピアフィードバック→第二稿→チューターによる口頭フィードバック→第三稿→チューターによる書面フィードバック→最終稿という段階的なプロセスを経ました。
分析方法としては、録音の文字起こしからトランスランゲージングが生じている場面を特定し、Lyster と Ranta(1997)の枠組みに基づいて訂正ストラテジーを分類しました。コーディングの信頼性を確保するため、研究者と追加評価者によるインターレーター一致率は90%に達しており、相違点は定義の再確認と議論によって解消されています。エッセイの評価にはCelce-Murcia、Brinton、Snow(2014)から改変したルーブリックが使用されました。
発見された二つの主要機能
本論文の核心は、トランスランゲージングがOCFにおいて果たす役割を「意味交渉における翻訳語用」と「形式交渉における翻訳語用」という二つのカテゴリーに分けて分析している点です。
意味交渉のカテゴリーでは、三つの具体的な場面が示されています。第一の場面(Excerpt 1)では、学生S1が「生活品質降低(quality of life を減らすこと)」という中国語表現を使ってチューターに意図を伝え、チューターがその表現を繰り返しながら “will reduce the quality of life” という正確な英語表現を提示するという相互作用が描かれています。英語で表現しきれなかった意味が、母語を介することで的確に特定され、英語表現の精度が向上しました。これは、いわゆる語彙的複雑性の向上にもつながっています。
第二の場面(Excerpt 2)では、”on the one hand… on the other hand…” という接続表現の不適切な使用が問題になります。チューターとS2が中国語を交えながら分類のロジックを再確認し、時間的対比には “In the past… Currently…” のほうが適切だという結論に至ります。論理的接続の問題は、テキストの結束性(cohesion)に直結しており、母語の言語感覚を借りることでより明快な論理整理が実現されました。
第三の場面(Excerpt 3)は段落レベルの整合性に関するもので、チューターとS3が完全に中国語でやりとりしながら、トピックセンテンスの改善と段落間の並列関係の構築について議論しています。S3が中国語で自分の分類の意図を説明し、チューターが中国語でフィードバックを返すことで、テキストの一貫性(coherence)が格段に高まりました。ここで印象的なのは、こうしたやりとりのほぼ全体が中国語で行われているにもかかわらず、その結果として英語ライティングの質が向上しているという事実です。
形式交渉のカテゴリーでは、主にS4との会話(Excerpt 4・5)が取り上げられています。S4は中国語文法の感覚を英語に直接転移させた結果、”some in charge of…” のように be 動詞を脱落させるという誤りを犯しました。チューターはまず明示的訂正でこれを指摘し、その後リキャストによって正しい形式を提示しました。さらにExcerpt 5では、コンマの全角・半角の違いという細かい書式上の問題にも中国語を交えながら言及し、「英語の書き方でそれは使えますか?(Do you think we can use that in English writing?)」というメタ言語的手がかりを用いています。小さな気づきのようですが、こうした積み重ねがライティングの正確性と書式的な洗練度を高めていくのです。
日本の英語教育現場への示唆
この研究を読んで、日本の英語教育者が感じることは少なくないはずです。特に「英語の授業は英語で」という方針が文部科学省の指導要領にも反映されている日本では、この論文が提示する視点は一つの問い直しの機会になりえます。もちろん、日本語を使いすぎることで英語インプットの量が減るという懸念は正当です。しかし本研究が示すのは、母語をゼロにすることが必ずしも最善ではなく、戦略的・機能的に母語を活用することが学習効果を高めうるという実証的な根拠です。
たとえば、高校や大学の英語ライティング指導において、学習者が「言いたいことはあるのに英語で表現できない」という状況に陥ることはよくあります。その際に「英語で言ってみて」と促すだけでは、思考が止まってしまうことがあります。しかし「それを日本語で言うとどうなりますか?」と問い直すことで、概念が整理され、それに対応する英語表現を探す手がかりが生まれます。これはまさに、本研究のExcerpt 1や3で描かれている場面に重なります。
また、ライティングの論理構成に悩む学習者に対して、日本語で段落のロジックを確認させてから英語に移行するというアプローチは、Excerpt 2や3が示す実践と一致しています。接続表現の誤用など、日本語と英語のレトリカルパターンの違いから生じる問題は、日本人学習者にも共通するものです。Uysal(2008)が指摘しているように、母語の論理構造が第二言語の文章にも影響を与えることは広く認められており、その差異に気づかせるためにも母語は有効なツールになりえます。
さらに、文法指導の面でも示唆は豊富です。日本語には英語の be 動詞に相当する動詞が不要な場合も多く、日本人学習者が英語の be 動詞を脱落させるという誤りはよく見られます。こうした誤りを訂正する際、単に “add ‘is'” と言うだけよりも、「日本語では動詞なしで言えるけれど、英語ではどうですか?」という問いかけのほうが、学習者の気づきを促す効果が高いかもしれません。それはまさにメタ言語的手がかりの活用であり、トランスランゲージング的な実践です。
関連研究との対比から見えること
OCFの効果に関する先行研究は膨大にあります。Lyster と Mori(2006)やSaito と Lyster(2012)らは、訂正タイプと誤りの種類の対応関係を丁寧に検討してきました。一方でトランスランゲージングをライティング指導に応用した研究も近年増えており、Sano(2018)やTurnbull(2019)はライティング前の準備段階でのトランスランゲージングの効果を検討しています。しかし本論文が独自に焦点を当てるのは「ライティング後の口頭フィードバック段階」という、これまでほとんど研究されていなかった領域です。Sun と Zhang(2022)がオンラインピアフィードバックにおけるトランスランゲージングを扱った研究を発表していますが、教師によるOCFとトランスランゲージングを組み合わせた研究はいまだ希少であり、その意味で本論文の貢献は明確です。
また、Hornberger(2005)の言う「バイ/マルチリンガルの学習は、既存の言語スキル全体から引き出すことが許されたときに最大化される」という命題を、本研究は実証的な場面記述を通じて具体的に支持しています。この視点は、単一言語主義的な教育観を相対化するうえで重要な根拠となっています。
研究の限界と今後の課題
論文自体も率直に認めているように、本研究には限界があります。参加者が12名と少数であること、中級EFL学習者のみを対象としていること、そして三週間という短期間の実施であることは、結果の一般化に慎重さを要します。また、三つのグループがそれぞれ独立しており、比較条件の統制が十分ではないという設計上の問題も否定できません。さらに、教師とのインタラクションパターンの違いがトランスランゲージングの効果に与える影響についても、本研究では十分に分析されていない部分があります。
今後の研究としては、より多くの学習者・より長い期間にわたる縦断的研究が求められます。また、日本のような文脈で同様の介入研究を実施することで、文化的・教育的背景の違いがトランスランゲージングの効果に与える影響を明らかにすることができるでしょう。さらに、初級・上級学習者を含む研究も興味深い知見をもたらすはずです。
一つの視点の転換として
この論文から得られる最も根本的なメッセージは、言語の「純粋さ」を守ることよりも、学習者が持つ言語的リソースのすべてを活かすことのほうが、実際の学習につながるという点です。母語は「障害」ではなく「足場(scaffold)」である。そしてその足場を巧みに活用しながら第二言語の力を伸ばすことが、真に学習者中心の教育のあり方なのかもしれません。
英語教育の現場では、日々の授業の中で「どこまで日本語を使っていいのか」という問いが繰り返されています。その問いに対して本論文は、「何語で話すか」よりも「どのように言語リソースを機能させるか」を考えることを促しています。これは方法論の話であると同時に、学習者観・言語観の話でもあります。言語を「習得すべき別のシステム」として見るのではなく、学習者がすでに持っている豊かなレパートリーを拡充していくプロセスとして見る。そのような視点の転換が、Wang と Li の研究は静かに、しかし確かに促しているのです。
Wang, Y., & Li, D. (2022). Translanguaging pedagogy in tutor’s oral corrective feedback on Chinese EFL learners’ argumentative writing. Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education, 7(1), Article 33. https://doi.org/10.1186/s40862-022-00170-5
