授業中、先生が生徒の答えを「そうそう、つまり○○ということだね」と言い換える場面を思い浮かべてください。日本の英語教育の現場でも、先生が生徒の片言の発言をうまく拾い上げて、きれいな英語表現に整えてみせる瞬間があるはずです。あの一瞬に、実は非常に高度な教授技術が詰まっている―本論文はそのことを、香港の英語授業動画の緻密な分析によって明らかにしようとするものです。

本論文は、香港大学のKevin W. H. Taiによって執筆され、2024年にInternational Journal of Bilingual Education and Bilingualismの第27巻第4号に掲載されました。Taiはマルチモーダル会話分析(Multimodal Conversation Analysis、以下MCA)と解釈的現象学的分析(Interpretative Phenomenological Analysis、以下IPA)を専門とする研究者で、香港のEMI(English Medium Instruction、英語を教授言語とする教育)環境における教室談話に関する一連の研究を精力的に発表しています。本研究は、英国経済社会研究会議(ESRC)の資金援助を受けた大規模な言語民族誌プロジェクトの一部として位置づけられており、単発の観察研究ではなく、長期的・体系的なフィールドワークに裏打ちされた信頼性の高い成果物です。

研究の舞台となるのは、香港・ニュー・テリトリーズにある有名EMI中学校です。対象クラスは中学1年生(Year 7)30名。担当する歴史教師は21年以上の指導経験を持ち、母語は広東語ながら英語にも堪能なベテランです。このクラスの生徒たちは、英語力が学年平均を下回ると担当教師が評価しており、小学校6年間を広東語で学んできた生徒たちが英語で歴史を学ぶという、決して容易ではない状況に置かれています。2020年10月から11月にかけて、計11回(各30分)の授業が録画され、その映像データが分析の中心となっています。

トランスランゲージングとは何か―「混ぜ使い」ではない

「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念は、日本ではまだ聞き慣れない方も多いかもしれません。もともとはウェールズの研究者Cen Williamsが1994年に提唱した用語で、バイリンガル教育において複数の言語を戦略的に使い分ける実践を指していました。しかし近年、この概念は大きく発展しています。Wei Liらの研究が示すように、現在のトランスランゲージング論は単に「英語と日本語を混ぜて使う」といった表面的な話にとどまりません。話者が持つ言語的・記号論的リソースの全体―つまり音声言語だけでなく、ジェスチャー、表情、視線、画像、書き込みなどのマルチモーダルな資源も含めて―を統合的・創造的に活用するプロセス全体を指す包括的な枠組みへと発展しているのです。

本論文が面白いのは、この香港のEMI教室が「英語のみ使用」という厳格な言語方針を掲げているにもかかわらず、教師のトランスランゲージング実践が授業の中に確かに存在し、学習を促進していることを実証している点にあります。英語以外の言語を声に出して使わずとも、ジェスチャーや身体動作、PowerPointスライド、黒板への書き込みなどの資源を駆使することで、教師はトランスランゲージング空間を創り出しているというわけです。これは「ルールを守りながらも、豊かな教育を実現する」という教師の専門性の核心に触れる発見と言えます。

三つの授業場面が示すもの

論文の分析部分は、三つの代表的な授業場面(エクストラクト)の詳細な記述から構成されています。いずれも古代文明を扱う歴史の授業で、生徒たちが日常的な語彙で答えたものを、教師がいかに歴史学術語彙へと変換していくかが丁寧に追跡されています。

第一の場面では、「古代人がなぜ川沿いに住んだか」という問いに対し、生徒たちが「water(水)」「grow crops(作物を育てる)」「cooking(料理)」などと答える中、教師は最終的に「irrigation(灌漑)」という学術用語を導入します。注目すべきは、教師が単に言葉を教えるのではなく、植物が成長する様子を手で表現したり、視線で生徒に問いかけ続けたりしながら、文脈を作り上げていく過程です。それはまるで、一緒に謎解きをしながら答えにたどり着くような共同作業でした。

第二の場面では「transportation(輸送)」という語の導入プロセスが描かれます。教師は「people can:(人々は:)」という意図的に未完成にした発話―論文では「designedly-incomplete utterance(DIU、意図的未完結発話)」と呼ばれます―を多用し、生徒に続きを言わせることで発言を引き出します。同時に、船が行き来する動きを右手で表現するなど、言葉だけでは伝わらない情報をボディランゲージで補っています。そして生徒が動詞形の「transport」と発言したとき、教師はそれを名詞形「transportation」へと変換してみせます。この名詞化(nominalization)のプロセスは、より抽象的・客観的な表現様式へと生徒を誘う重要なステップです。

第三の場面は少し趣が異なります。生徒が黒板に描いたエジプトのスフィンクスの絵について、教師が「how we call it?(これを何と言う?)」と問いかけます。ある生徒は英語で「lion(ライオン)」と部分的な答えを出し、別の生徒(S1)は広東語で「獅身人面像(スフィンクスの広東語名)」と答えました。この場面では、生徒が自ら広東語によるトランスランゲージングを行っていることが重要です。英語で正確に言えなくても、概念は理解しているという証拠として、この広東語の発言は肯定的に受け止められ、教師はそれを踏み台として「the great sphinx」という英語学術語を導入します。

CICとトランスランゲージングの架け橋

本論文の理論的貢献として特筆すべきは、「Classroom Interactional Competence(CIC、教室相互行為能力)」の概念をトランスランゲージングと結びつけた点です。CICはSteve Walshが提唱した概念で、教師と学習者が相互行為を通じて学習を促進する能力を指します。Walshは、優れた教師は生徒の発言を単に受け取るだけでなく、それを「何かに変えていく」ことができると主張しました。本論文のTaiはここからさらに一歩踏み込み、その「変換」の過程においてトランスランゲージングが不可欠な役割を担うと論じます。言い換えれば、優れたEMI教師のCICには、複数の言語・記号リソースを統合的に運用する能力が含まれるべきだという主張です。これは日本の英語教育にも直接的な示唆を持つ議論です。

日本の英語教師養成では、授業技術(Teaching Skills)として発問技術やフィードバックの与え方が扱われることはありますが、ジェスチャーや視線の使い方、意図的に発話を途中で止める技術、複数モードを組み合わせて意味を構築する力を、「言語教育の専門的能力」として体系的に位置づけた議論はまだ多くありません。この論文はその欠けていたピースを埋める視点を提供していると言えるでしょう。

研究手法の精巧さと誠実さ

本論文のもう一つの見どころは、MCAとIPAを組み合わせた方法論的なアプローチです。MCAは、会話の流れを逐語的に書き起こし、ジェスチャーや視線など非言語的要素も記録しながら、社会的相互行為がどのように構築されているかを分析する手法です。論文中には多数の授業場面の写真が掲載されており、教師が手をどの方向に動かしたか、どのタイミングで学生の方を向いたかまでが細かく記述されています。日本の研究者がここまで詳細に教師の身体動作を分析した例はそれほど多くなく、非常に刺激的なモデルとなっています。

さらにIPAによるビデオ刺激想起インタビューの分析では、授業映像を見ながら教師自身に語らせることで、教師の主観的な経験や判断の背景が明らかにされます。特に印象的なのは、内部試験後に行われたインタビューでの教師の率直な言葉です。教師は「生徒はirrigationやtransportationという語を覚えていなかった。授業では教えたのに、試験ではfishingやfarmingとしか書けなかった」と、授業の限界を認めています。この誠実な自己評価は、研究者が「成功例」だけを切り取らず、教育実践の複雑さや困難さも正面から取り上げていることを示しており、論文全体の信頼性を高めています。

批判的考察―残された問いと課題

論文は自らの限界も認めています。この研究は教師がどのように生徒の発言を変換するかを詳細に記述していますが、その変換が実際に生徒の学習や言語発達につながっているかどうかは検証されていません。教師がいくら巧みに「irrigation」という語を導入しても、生徒がそれを試験で使えなかったという事実は、授業内の相互行為と長期的な言語習得の間にある複雑な隔たりを示しています。今後の研究課題として、教師のトランスランゲージング実践と生徒の学習成果との関係を縦断的に追う研究が求められることは、著者自身も認識しています。

また、本論文での「トランスランゲージング」の用い方についても一言触れておきたい点があります。論文は基本的に「英語のみ」の授業環境を分析対象としており、教師が意識的に広東語を使う場面はほとんどありません。著者は「マルチモーダルなトランスランゲージング」という表現でこれを正当化していますが、トランスランゲージングが本来持っていた「複数の言語を流動的に用いる」という側面が希薄化されているという批判も成立します。Jiang, Gu, and Fangの研究を引用しながら著者自身もこの点を自覚的に論じているとはいえ、概念の輪郭が拡張されすぎることで説明力が弱まるリスクは常に念頭に置かれるべきでしょう。

一方、第三の場面で生徒S1が広東語を使って答えた際、教師がそれをポジティブに受け止めて英語の学術語導入につなげた描写は、トランスランゲージングの元来の意味に最も近い実践として光っています。こうした生徒発信のトランスランゲージングにもっと焦点を当てた分析が加わっていれば、論文の説得力はさらに増したかもしれません。

日本の英語教育現場への示唆

日本では近年、小中高の英語授業において「英語で授業を行うこと」が強調されています。文部科学省の指導要領でも、英語の授業は英語で行うことが基本とされており、現場の教師は「どこまで日本語を使っていいのか」と悩んでいる方も少なくないはずです。そのような文脈において、本論文が提示する視点は非常に重要です。

「英語のみ」という方針は守りながらも、ジェスチャーや視線、教材の見せ方、問いの組み立て方などを工夫することで、日本語に頼らなくても豊かな理解を促せる可能性があります。本論文が示す「意図的未完結発話(DIU)」の技法は特に参考になります。文を途中で止めて生徒に続きを言わせることは、一種のコミュニケーションゲームのようなもので、生徒を受け身ではなく能動的な参加者として位置づける効果があります。日本の教師が意外に得意とするジェスチャーや実演(enactment)なども、こうした枠組みの中でより意識的に活用できるでしょう。

さらに、生徒が日本語で答えた場合にどう対応するかという問題は、日本のEMI・CLIL(Content and Language Integrated Learning)実践においても頻繁に直面する場面です。本論文が示すように、母語による発言を「排除」するのではなく、それを「踏み台」として英語の学術表現へと橋渡しする教師の動きは、包摂的(インクルーシブな)教育実践の一形態として評価できます。英語力の低い生徒でも、自分の理解を示せる場を与えることが、長期的な学習意欲の維持に欠かせないのではないかという問いは、日本の英語教育でも真剣に議論されるべきテーマです。

関連研究との対比と本研究の位置づけ

本論文はJacknick and Duran(2021)の研究を直接の先行研究として位置づけています。JacknickとDuranはEMIカウンセリング授業において、教師が韻律的特徴やジェスチャーを使って生徒の発言を学術表現へと変換するプロセスを分析しました。本論文はその知見を引き継ぎながら、トランスランゲージングという分析視角を加えることで、より包括的な説明枠組みを提供しています。また、Morton(2010)がシステム機能言語学の立場からCLIL歴史授業における教師の「改変的フィードバック(reformulation)」を分析したことや、Nikula(2012)が中学生の仲間相互行為における学術レジスターへの移行を追った研究も参照されており、本論文は教室談話研究の系譜の中に明確に位置づけられています。

日本における関連研究との比較で言えば、Sert(2015)のSocial Interaction and L2 Classroom Discourseは、L2教室での「知識の表示(display of understanding)」や「能力表示(ability display)」という概念を提示しており、本論文の生徒分析とも呼応します。日本でもSertの枠組みを用いたL2教室研究が増えつつある中、本論文のようにMCAとIPAを組み合わせた複合的手法は、今後の日本の研究にも有力なモデルとなりえます。

研究者・教師双方に開かれた論文

総じて本論文は、理論・方法・実践の三層を丁寧に結びつけた意欲的な研究と言えます。トランスランゲージング研究の文脈でも、EMI教室談話研究の文脈でも、また教師の専門的能力を問うCIC研究の文脈でも、それぞれに貢献する幅の広さを持っています。教室の映像データを一コマ一コマ丹念に読み解き、教師のジェスチャーの角度や視線の方向まで記述しようとする姿勢には、教育という営みへの深い敬意が感じられます。

ビデオ刺激想起インタビューで教師が広東語で本音を語る部分は、論文に独特の温度感を与えています。「生徒に学術用語を使ってほしかったが、試験では使えなかった。本当に困ってしまう」という言葉は、どんな優れた教師でも抱える「教えたつもりなのに伝わっていない」という苦悩の普遍性を示しています。その意味でこの論文は、研究者だけに向けられたものではなく、日々の授業で格闘するすべての教師に向けた誠実なメッセージでもあるのです。

日本の英語教育に関わるすべての方に、ぜひ手に取っていただきたい一本です。教室の中で教師が何気なく行っている「言い換え」や「促し」がいかに精緻な専門技術に支えられているかを、この論文はあらためて気づかせてくれます。そしてそのことへの自覚が、教師としての成長の第一歩となるはずです。


Tai, K. W. H. (2024). Shaping student responses into academic expressions: Analysing an English medium instruction history classroom from a translanguaging perspective. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism, 27(4), 550–580. https://doi.org/10.1080/13670050.2023.2232089

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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