英語の授業中に日本語を使うことは、果たして「悪いこと」なのだろうか。日本の英語教師なら誰しも、一度はこの問いに向き合ったことがあるはずです。文部科学省は「英語の授業は英語で行う」ことを推奨しており、現場の教師たちは母語である日本語の使用をどこまで許容すべきか、日々悩んでいます。そんな実践的な問いに、ひとつの重要な実証的データを提供してくれる論文が、2022年に刊行された Muhammad Asif QureshiとAhmad Aljanadbahによる “Translanguaging and Reading Comprehension in a Second Language”(『International Multilingual Research Journal』第16巻第4号、247–257頁)です。
トランスランゲージングとは何か
まず、この論文の中心概念である「トランスランゲージング(translanguaging)」について整理しておきましょう。この言葉は、1990年代にウェールズの教育学者Cen Williamsが提唱したものです。もともとは、マイノリティ言語であるウェールズ語を守り育てるために、ウェールズ語と英語を教育の中で交互に活用する実践を指していました。その後、オフェリア・ガルシアらによって理論的に発展し、今日では「学習者がもっている言語資源の全体を活用して、意味を構築し、知識を深めるプロセス」として広く定義されるようになっています。
平たく言えば、「第二言語を学ぶときに、母語や他の言語も積極的に使ってよい」という考え方です。かつては外国語授業における母語の使用は「干渉(interference)」として否定的に捉えられていましたが、トランスランゲージングの立場では、それを「豊かな言語資源の活用」として肯定的に再解釈します。近年、この概念は応用言語学・言語教育学の分野で非常に注目されており、学術誌でも頻繁に取り上げられるようになっています。
研究の背景と筆者について
著者のQureshi は、アラブ首長国連邦のザイード大学(Zayed University)の言語学科に所属する研究者で、第二言語習得、特に語形論・統語論の習得や英語教育に関する実証研究を数多く手がけています。共著者のAljanadbahはアラビア語文学・言語学を専門とし、非母語話者へのアラビア語教育にも携わっています。この研究が行われたのは、UAEという多言語・多文化環境の中にある大学であり、学生の多くはアラビア語を母語としながら英語を第二言語として学ぶという、まさにトランスランゲージングの議論が直接関わる文脈です。
論文はまた、トランスランゲージングをめぐる理論的立場の違いにも丁寧に言及しています。García と Otheguyが提唱する「ユニタリー・ビュー(unitary view)」――つまり、バイリンガルの言語システムは単一であり、「第一言語」「第二言語」という区別自体が人工的なものだという考え方――を紹介しつつも、筆者たちはその立場に批判的な距離を置いています。MacSwanやCenoz & Gorterらの「多言語的視点(multilingual perspective)」に沿って、L1とL2という概念を維持した上で研究を設計しています。この理論的な立ち位置は、研究の誠実さを示すとともに、実際の教育現場に引きつけて考えやすい枠組みを提供しています。
研究の設計―何を、どのように調べたか
研究は実験群と統制群を設けた準実験的デザインで行われました。対象は、UAE の大学に通う男子学部生65名で、全員がアラビア語を母語とし、英語を第二言語として使用しています。英語の習熟度はIELTSまたはEmSATのスコアで測定されており、両群ともに平均スコアは6.0と同等でした。
実験群(36名)には、英語のテキストを読む際に4つのトランスランゲージング機会が与えられました。具体的には、テキスト中の重要語彙14か所にアラビア語の注釈が付与されること、4つの段落をアラビア語で要約すること、その要約をアラビア語でペアと比較・議論すること、そして語彙問題を解く際にアラビア語訳を参照できることです。一方、統制群(29名)は同じ手順を英語のみで行いました。
使用されたテキストは、Jonathan KozolのSavage Inequalities: Children in America’s Schools(1991年)から抜粋した608語のパッセージで、8年生レベル(読みやすさ指標:1100L–1200L)に相当します。ビジネスやITとは無関係なテーマを選んだことで、どちらかの群が内容的に有利になることを防いでいます。読解問題は22問で、主旨問題(5問)、穴埋め問題(6問)、語彙・同義語問題(11問)の3種類で構成されています。クロンバックα係数は.98と、非常に高い内的整合性が確認されています。
結果―差はなかった
結果は明快でした。独立標本t検定の結果、実験群(平均14.21点)と統制群(平均13.83点)の間に統計的に有意な差は認められませんでした(t(63) = −1.84, p = .85, d = .04)。効果量dが.04というのは、ほぼゼロに等しい差です。3種類の問題タイプ別に分析した結果でも、主旨問題(p = .34)、穴埋め問題(p = .97)、語彙問題(p = .98)のいずれにおいても有意差はありませんでした。
つまり、「母語であるアラビア語をふんだんに使って読んだグループ」と「英語のみで読んだグループ」は、読解テストの成績において差がなかった、ということです。トランスランゲージング条件が読解力の向上に寄与したという証拠は得られなかったのです。
「差がない」という発見の意味
「差がなかった」という結果は、一見すると地味に見えるかもしれません。しかし、これは重要な知見です。なぜなら、トランスランゲージングが有益であるという主張が実践の現場で広まる中、その効果を厳密に検証した実証研究は意外なほど少なく、しかも既存の研究は方法論的な問題を抱えていることが多かったからです。この論文は、その空白を埋める試みとして位置づけられます。
筆者たちが文献レビューで指摘するように、トランスランゲージングを支持する先行研究の中には、評定者間信頼性を報告していないもの(例:Hungwe, 2019;Vaish, 2019)や、結果を部分的にしか報告していないもの(Hungwe, 2019)が含まれています。これに対し、本研究は事前の検出力分析(GPower)による適切なサンプルサイズの設定、正規性・等分散性の確認、効果量の報告など、統計的に透明で再現可能な手続きを踏んでいます。方法論的な厳密さという点では、この分野の研究水準を一段引き上げた論文と言えるでしょう。
日本の英語教育現場への示唆
この研究から日本の英語教育に何が言えるか、少し立ち止まって考えてみたいと思います。日本の中高生や大学生の多くは、英語のテキストを読む際に無意識のうちに日本語で「頭の中で翻訳」しながら読んでいます。これはKern(1994)が「メンタル・トランスレーション(mental translation)」と呼んだ現象であり、L2学習者が自然に使う認知的方略の一つです。ではそれを明示的に許容・促進したとき、読解力が上がるか。本研究の答えは「上がらない」、より正確には「英語だけで行う場合と変わらない」というものです。
これは、英語の授業で母語使用を全面禁止する必要もなければ、逆に積極的に促す特別な根拠もない、という示唆に読めます。少なくとも、読解力という指標においては。重要なのは「何のために授業を行うか」という目標設定です。日本語(母語)を使うことで学習者の情意面――不安の軽減、参加意欲の向上――が改善されることは別の研究で示唆されていますが、それが読解スコアの向上に直結するわけではない、ということを本研究は示しています。
また、筆者たちが引用するLyster(2019)の指摘は示唆的です。学習者がトランスランゲージングを許容されると、多くの場合、母語に依存しがちになり、目標言語である英語を使う機会が相対的に減少する可能性があります。これは、Swain(1993)の「アウトプット仮説」や、DeKeyser(1998)の「スキル習得理論」とも整合的な見方で、英語を使うことそのものが英語力の向上につながるという立場から見れば、母語への依存は英語習得の妨げになりかねません。日本の英語教師が「英語で授業を行う」ことを心がける理由の一つは、まさにここにあります。
関連研究との対比―何が同じで、何が違うか
本研究の知見は、Cohen(1974)がカリバー・シティのスペイン語イマージョン・プログラムで得た知見――バイリンガル・イマージョン群と英語のみ群の読解力に有意差なし――と一致しています。また、Hopewell(2013)やLegarreta(1977)が「英語のみ条件では英語使用量が多い」と報告していることとも符合します。英語を多く使う環境が英語力を伸ばすという論理は、特に外国語環境(EFL)の日本には当てはまりやすいでしょう。
一方で、Kern(1994)やHawras(1996)、Seng & Hashim(2006)といった先行研究は、L2読解活動中にL1を使うことが概念の生成や議論を助けると報告しています。これらの研究は「認知的な補助」という観点からL1使用を評価していますが、本研究が指摘するように、それらの研究は方法論的な問題を抱えていたり、成人学習者を対象とした研究が少なかったりします。本研究は大学生という成人学習者を対象にしており、この点でも先行研究の空白を埋めています。
ただし、比較の際に注意すべき点もあります。本研究はアラビア語話者を対象にしており、日本語話者にそのまま結果を適用できるかどうかは慎重に判断する必要があります。アラビア語と英語の言語的距離は、日本語と英語のそれとは異なります。日本語は文字体系から語順、形態論に至るまで英語とは根本的に異なる言語であり、日本語話者がL2英語テキストを読む際の認知的負荷は、アラビア語話者のそれとは質的に異なる可能性があります。したがって、本研究の結果を日本の文脈に援用する際には、そのような言語間距離の要因を念頭に置く必要があります。
研究の限界と今後の課題
筆者たち自身も率直に認めているように、この研究にはいくつかの限界があります。最も大きな問題は、トランスランゲージングの経験が「1回の授業セッション」に限定されていた点です。Canagarajah(2011)が強調するように、トランスランゲージングの恩恵を受けるには、ある程度の習熟と継続的な実践が必要です。言わば、1回のトレーニングで筋力がつくかどうかを評価しているようなもので、効果が現れるには時間がかかるのかもしれません。
また、参加者が全員男性であること、UAEという特定の文脈に限定されていること、測定指標が読解テストの点数のみであることなど、研究の一般化可能性には一定の制約があります。さらに、実験群では「アラビア語の使用を推奨」しましたが、あくまで任意であり、実際に36名中25名しかアラビア語で要約を書かなかった点は、トランスランゲージングの「量」を統制できなかったことを意味します。
筆者たちが提案する今後の研究方向は、縦断的・横断的デザインによる長期効果の検証、読解問題をL1で提示する条件の追加、L1とL2でのサマリーを比較する分析などです。これらは実践的かつ実現可能な提案であり、この研究を出発点とした後続研究の芽を丁寧に育てるような結びになっています。
独自の学術的考察―「差がない」は何を意味するか
「差がない」という結果を、単純に「トランスランゲージングは役に立たない」と解釈するのは早計です。この研究が示しているのは、あくまでも「読解テストの点数」という一指標において、短期的なトランスランゲージング介入が英語のみ条件と変わらない結果をもたらした、ということにすぎません。言語習得における「効果」とは何かを多元的に考える必要があります。
たとえば、学習者の自己効力感、読解に対する動機付け、言語的アイデンティティの保持といった側面については、本研究では測定されていません。トランスランゲージングが「読めた」という体験的な充実感をもたらし、それが長期的な英語学習への意欲を支えるということも十分あり得ます。García & Otheguy(2020)が強調する「アイデンティティの肯定」という観点から見れば、点数だけでは評価しきれないものが存在します。
また、Allard(2017)が報告した「教師がトランスランゲージングを行うことを学習者が『力を奪われる経験』として感じた」という知見は、非常に興味深いです。日本でも、教師が日本語で説明を多用することで、学生が「英語で理解する努力をしなくていい」という認識を持ってしまうことがあります。この「認知的な手抜き(cognitive offloading)」とも言うべき現象は、長期的な英語力の低下につながる可能性があり、単純に「母語を使ってもいい」とする実践には注意が必要です。
まとめ―この論文が問いかけるもの
QurenshiとAljanadbahのこの研究は、トランスランゲージングという流行の教育理念に対して、冷静な実証的視点からブレーキをかけた論文です。「母語を使えば理解が深まる」という直感的な主張を、精緻な実験デザインで検証し、少なくとも短期的な読解成績という点では有意な効果が認められなかったことを示しました。これは、教育政策や実践への示唆として重要です。
日本の英語教育において、「英語だけで授業をするべきか」「日本語を使うべきか」という議論は常に続いています。その答えは文脈によって異なるでしょう。しかし少なくとも、「母語を使えば読解が上がる」という単純な楽観論は、この研究によって問い直されることになります。大切なのは、目的に応じて方法を選ぶことです。アイデンティティを守るためなのか、動機を高めるためなのか、あるいは読解力を測るためなのか。その問いを教師が明確に持つことが、どんな理論を採用するかよりも先に必要なのかもしれません。
教室という場は、言葉が交差する生きた空間です。その空間でどの言語をどのように使うかは、教師の哲学と学習者のニーズ、そして学習目標の三者が交わるところで決まるものです。本論文はその判断を下すための、信頼に足る実証的な材料を提供してくれています。それだけでも、十分に読む価値のある一本です。
Qureshi, M. A., & Aljanadbah, A. (2022). Translanguaging and reading comprehension in a second language. International Multilingual Research Journal, 16(4), 247–257. https://doi.org/10.1080/19313152.2021.2009158
