言語の壁を「壊す」ことが、科学の学びを深める。この命題は直感に反するように聞こえるかもしれません。日本の英語教育現場では、「英語で科学を教える」「理科の授業でも英語を使わせる」といった取り組みが広がっていますが、多くの場合、英語を「正しく」使わせることに重点が置かれがちです。しかし、今回紹介するEnrique Suárezの論文は、そのような発想とはまったく異なる視点から、バイリンガル学習者が科学を学ぶ営みに迫っています。
研究の背景と筆者について
Suárezはマサチューセッツ大学アマーストの教員養成・カリキュラム学科に所属する研究者で、南米のスペイン語圏で育ち、英語を第二言語として習得した経歴を持ちます。元来は西洋流の訓練を受けた天体物理学者であり、複数言語を操る能力が観測的宇宙論の研究においても実際に役立ったと本人が述べています。その後、科学教育と言語教育の交差点に研究の軸を移し、特に移民家庭の子どもたちが集まる公共図書館という場で、電気現象を題材にした課外科学プログラムを設計・実施しました。研究者・実践者・当事者という三つの立場が重なり合う彼のポジションは、この研究に独特の厚みをもたらしています。
論文のタイトルにある “Estoy Explorando Science”(私は科学を探究しています)というフレーズは、スペイン語の動詞表現に英語の名詞を組み合わせた、いわば「スパングリッシュ」的な表現です。これ自体が研究の核心をそのまま体現しています。学習者はスペイン語と英語を分離して使うのではなく、手持ちの言語資源をすべて動員して科学を探究していた、というわけです。
「トランスランゲージング」とは何か
まず、この研究の理論的中心にある「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念を理解しておく必要があります。簡単に言えば、バイリンガル・マルチリンガルの話者が、「英語」「スペイン語」などと名付けられた言語の社会的・政治的な境界線を意識せず、自分の全言語資源を自由に組み合わせて意味を作ることです。Otheguyら(2015)の定義を引けば、「社会的・政治的に定義された名称言語の境界に対する厳格な遵守を度外視して、話者の完全な言語レパートリーを展開すること」となります。
日本語に引きつけて考えれば、日英バイリンガルの学習者が、理科の授業で「この実験、電流が flow する感じがする」と言ったとき、それを「英語の乱れ」と見るのではなく、その学習者が持つ知的資源の最大活用として評価しよう、という立場です。現場の先生方には「それでは英語力がつかないのでは」という不安があるかもしれませんが、Suárezの研究はその発想を根本から問い直します。
さらにこの研究が重要なのは、言語的資源だけでなく、身振り(ジェスチャー)などの非言語的資源も「記号論的レパートリー(semiotic repertoire)」の一部として捉えている点です。Blackledge & Creese(2017)の言う「トランスランゲージングの身体的次元」を科学教育の文脈に本格的に持ち込んだ研究として、この論文は際立っています。
研究の設計と参加者
この研究は、Suárez自身が設計・実施した課外科学プログラムを舞台にしています。マサチューセッツ州の公共図書館システムと連携し、移民家庭の子どもたちに無償提供された8セッション(各約60分)のプログラムです。内容は電気回路における電気抵抗の探究で、乾電池・ワイヤー・電球といった伝統的な道具に加え、導電性インクを使ったユニークな活動も含まれていました。
参加した4名の研究協力者は、Yesenia(ラテン系4年生)とその弟Elio(2年生)のきょうだいペアで、英語とスペイン語を話します。そしてToben(ナイジェリア系・日系4年生)とその妹Grace(2年生)のきょうだいペアで、英語・多少の日本語・イボ語を話します。10名が参加したプログラムの中でデータ収集に同意した4名がこの構成になったわけですが、この偶然の組み合わせが、後述する重要な比較対象を生み出すことになりました。
データは16時間以上のビデオ映像、音声記録、学習者が作成したホワイトボードの記述や図など多岐にわたります。分析はインタラクション分析の手法に基づき、言語的資源(英語・スペイン語の共起)と非言語的資源(ジェスチャーの種類と機能)の両方を精緻にコード化しています。ジェスチャーの分類にはMcNeill(1992, 2005)の分類体系を用い、指示的(deictic)、図像的(iconic)、比喩的(metaphoric)の三種を分析対象としています。
発見1 ― 複数言語を行き来することで、説明が豊かになる
最も印象的な発見の一つは、Yeseniaが電気の流れを説明した場面の分析です。彼女は、細い導電性インクの線では電気が「詰まって(se atora)」動けなくなり、太い線では「より速く(más rápido)」流れる、というメカニズムを説明しました。スペイン語での説明と英語での説明を比較すると、内容的には類似していたものの、スペイン語では動詞「estar」(一時的な状態を示す「ある・いる」)を使うことで、抵抗が状況に応じて変化する条件的な状態であることが文法的に表現できていました。
英語の “to be” で同じニュアンスを出すには「currently」や「temporarily」といった修飾語が必要になります。スペイン語話者にとっては、母語の文法構造がそのまま科学概念の精度を高める道具になっていた、ということです。これは抽象的な議論ではありません。電気抵抗の本質が「材料の幾何学的条件に依存する可変的な状態」であることを、Yeseniaは自分の言語資源を最大限に使って的確に表現していたのです。
もしこの教室が「英語だけ」のルールを採用していたら、Yeseniaのこの洗練された概念理解は表面化しなかったかもしれません。言語政策が学習者の知的表現を制限する、という危険性を、この場面は鮮やかに示しています。
発見2 ― ジェスチャーが「見えない」電気を見えるようにする
二つ目の重要な発見は、Graceのジェスチャーを中心とした事例分析です。Graceは電気が回路をどのように流れるかを説明する際、言葉だけでなく、ワイヤーを指でなぞり、電池を触り、電球を指さすという一連の身振りを組み合わせました。この「追跡する」動きは比喩的ジェスチャーに分類され、目に見えない電流の経路という抽象的な概念を、手の動きによって具体的に表現するものです。
Suárezは、Graceの発言から身振りを取り除いて言語のみを分析した場合、何が失われるかを表形式で示しています。例えば「it keeps on going … like that … and it meets here」という発言は、指でなぞる動作と指さしがなければ、何について言っているのかほとんど理解不能です。「ここで」が電球を指しているのか電池を指しているのか、「そのように」がどういう経路を意味するのか、ジェスチャーなしでは判断できません。
これは日本の英語教育にも直接的な示唆を持ちます。例えばスピーキングテストの採点基準において、ジェスチャーや身振りは通常「加点要素」とさえ扱われないことが多いです。しかし、この研究は、ジェスチャーが「言語能力の不足を補う一時的な手段」ではなく、意味生成に不可欠な記号論的資源であることを示しています。
発見3 ― 教師が言語的期待値を設定する
三つ目の発見は、教育実践への示唆という観点から特に重要です。分析によると、YeseniaとElioが英語とスペイン語を行き来する頻度は、誰が同席しているかによって大きく変化しました。全員が揃ったSession 4とSession 7では言語混交が少なく、YeseniaとElioだけのSession 5、6、8では約2倍の頻度で言語混交が起きていました。
さらに精緻な分析により、Suárez自身(インストラクター)がどの言語を使い始めるかが、学習者の言語選択を決定していることが明らかになりました。彼がスペイン語で話し始めると、Yeseniaがスペイン語に切り替えるだけでなく、反対側に座って独り言を言っていたElioまでもが、直接話しかけられていないにもかかわらず英語に切り替えるという場面が記録されています。
この「距離的な効果」は非常に興味深いです。教師の一言が、教室全体の言語的雰囲気を変える。日本の英語授業で教師が「英語で言いなさい」と繰り返せば、その圧力がいかに強く学習者の表現行動を制約するか、逆に考えるとよくわかります。Suárez自身も、モノグロシックな(言語を分けて使う)バイリンガルとして育った自分が、無意識のうちに「どちらかの言語」で話そうとする傾向があり、言語を流動的に混ぜることに「作為的な感覚」を覚えると正直に述べています。自己開示が研究の誠実さを高めています。
関連研究との対比
この研究が科学教育における既存のトランスランゲージング研究と一線を画すのは、読み書きではなく「探究実践」に焦点を当てた点です。Poza(2016)は元素周期表の学習におけるラテン系学習者の読み書き活動を、Espinosa & Herrera(2016)は物質の状態に関する授業を分析しましたが、いずれも読み書きが中心でした。対してSuárezは、モデル構築・観察・実験計画・議論という、より広い科学的実践のスペクトルにトランスランゲージングの場を求めています。
また、Ünsal, Jakobson, Wickman, & Molander(2018)の先行研究は、スウェーデン語とトルコ語話者の学習者が「言葉が足りないとき」ジェスチャーで補う様子を記述していましたが、その枠組みは「言語的限界を補完する手段としてのジェスチャー」というものでした。Suárezはこの解釈を超えて、ジェスチャーを言語と対等な記号論的資源として位置づけている点で、理論的深化があります。
さらに、Grapin(2019)が英語学習者のマルチモーダル学習に関して提示した「弱いバージョンのマルチモーダリティ」への批判、すなわち非言語的モードを「より高度な言語能力への踏み台」としか見なさない視点への反論を、実証データをもって示したという点でも、本研究は貢献しています。
日本の英語教育現場への示唆
この研究から日本の英語教育が学べることは、思った以上に多くあります。第一に、Content and Language Integrated Learning(CLIL)や英語イマージョン教育において、学習者が日本語と英語を混ぜて使うことを「不正解」として扱う発想は、本研究の観点からすると明らかに問題含みです。むしろ、「ここの抵抗が大きくなるから電流が少なくなるんだ」というような日英混交の発言の中に、深い概念理解が潜んでいる可能性があります。
第二に、指導者自身の言語行動が、学習者の表現行動に与える影響は非常に大きいという知見は、日本の理科・英語担当教員に直接刺さるはずです。「英語で話しなさい」という一言が、どれほど学習者の思考表現を狭めているか、Suárezの発見は間接的ながら強く示唆しています。
第三に、評価の問題があります。英語スピーキングテストやプレゼンテーション評価において、ジェスチャーや非言語的表現を体系的に評価する仕組みはほとんど存在しません。しかし本研究は、意味生成においてジェスチャーが果たす役割を無視することは、学習者の実際の能力を過小評価することにつながると示唆しています。「英語で正しく言えたか」だけでなく、「どのように意味を構築し伝えようとしたか」を評価する視点が求められます。
研究の限界と今後の課題
もちろん批判的に見れば、この研究にはいくつかの限界があります。参加者が4名と非常に少なく、デザインベースリサーチ(DBR)の性質上、研究者自身がインストラクターを兼任しているため、観察者効果を完全に排除できません。また、TobenとGraceがジェスチャーによるトランスランゲージングのみに留まった要因として、彼らの「他の言語」(日本語・イボ語)が活用されなかった理由の探究が十分とは言えず、英語が共通言語として機能する状況の中での非英語資源の扱いについて、さらなる考察の余地があります。
Suárez自身も率直に認めているように、自分がSpanishリソースを十分に活用できなかったこと、自分のモノグロシックなバイリンガル的言語行動がYeseniaとElioのスペイン語使用を無意識に抑制した可能性があることは、反省として記されています。これは学術的誠実さとして高く評価できますが、同時にインストラクター・研究者・当事者の三役を担うことの困難さも示しています。
科学教育における公正性の再定義
本研究の最も深い貢献は、「公正な科学教育」の意味を問い直した点にあります。Suárezは、Bang, Warren, Rosebery, & Medin(2012)の言葉を借りながら、科学教育における「落ち着いた(settled)」言語規範を「脱安定化(desettle)」することの必要性を強調しています。
日本の学校教育文脈に置き換えるならば、「科学的な言葉遣いで話しなさい」「日本語でまず考えてから英語にしなさい」といった指示は、まさにこの「落ち着いた規範」の産物です。そこから外れた表現を「不完全」や「過渡的」として扱うことは、学習者が持つ豊かな意味生成のレパートリーを切り捨てることにほかなりません。
学習者が自分のすべての言語的・非言語的資源を使って自然現象と格闘する場。それが「公正な科学学習環境」だとSuárezは主張します。その主張を4名の子どもたちとの実践を通じて丁寧に積み上げた本論文は、規模は小さくとも、示唆の射程は非常に広いと言えます。
電気抵抗を探究しながら「でも、aquí se atora(でも、ここで詰まる)」とつぶやくYeseniaの言葉は、言語がいかに思考と切り離せないかを教えてくれます。そしてその言葉を丁寧に受け止め、記録し、分析したSuárezの仕事は、科学教育と言語教育の両分野にまたがる、誠実な実践研究の一例として読み継がれていくべきでしょう。
Suárez, E. (2020). “Estoy Explorando Science”: Emergent bilingual students problematizing electrical phenomena through translanguaging. Science Education, 104(5), 791–826. https://doi.org/10.1002/sce.21588
