論文の背景と筆者について

Mary Mastersonは、アイルランド・リムリック大学教育学部に所属する講師兼コースディレクターです。彼女はアイルランドの国家プログラムである eTwinning のアンバサダーも務めており、デジタル技術、多様性、教師のウェルビーイングを主な研究テーマとしています。本論文 “An Exploration of the Potential Role of Digital Technologies for Promoting Learning in Foreign Language Classrooms: Lessons for a Pandemic” は、2020年に International Journal of Emerging Technologies in Learning (iJET) 第15巻第14号に掲載されました。COVID-19パンデミックが世界の教育現場を直撃したまさにその年に公刊されたという事実は、この研究に単なる学術的記述以上の意味を与えています。

Mastersonは2017年に Perception of the Self and Other and the Role of Language という著書を刊行しており、異文化間学習と言語教育の交点に長年取り組んできた研究者です。本論文はその延長線上に位置づけられるものであり、実践者としての視点と研究者としての眼が融合しています。eTwinningのアンバサダーという立場上、本研究には一定の「身内びいき」のバイアスが生じうることも念頭に置いておく必要があります。しかし、それを差し引いても、本論文が提示するデータと教師の声には読み応えがあります。

研究の概要―何を、どのように調べたか

研究の中心にあるのは、アイルランドと ドイツの中等学校に通う14〜16歳の生徒たち(各クラス約30名)が、eTwinningプラットフォームのTwinSpaceを通じて約8ヶ月間にわたって行ったオンライン文化交流です。アイルランドの生徒はドイツ語を、ドイツの生徒は英語を学んでいました。両者はメールや掲示板などの非同期コミュニケーションツールを使い、自己紹介、インタビュー、伝記執筆、そして文化比較分析という一連の活動に週3回・1回あたり1.5時間ずつ取り組みました。

理論的枠組みとして採用されたのが、Ruggiano Schmidtが提唱した「ABCs of Cultural Understanding and Communication」モデルです。(A)自伝を書く、(B)パートナーの伝記を書く、(C)文化的な異同をVennダイアグラムで整理・自己分析する、という段階的なプロセスを通じて、異文化理解を深めることを目指すアプローチです。問いを立て、自らの経験や知識を出発点にして学びを進めていくという意味で、探究型学習(inquiry-based learning)の考え方とも親和性が高い枠組みといえます。

研究デザインは質的・探索的ケーススタディです。データ源は生徒の自伝・伝記・文化比較資料・振り返り文章と、教師2名への半構造化インタビューです。インタビューのコーディングにはBraun & Clarkeのテーマ分析が用いられ、独立した3名の研究者によるコーディングで評定者間一致率80%が確保されました。

結果の読み方―教師の声から見えてくるもの

本論文の結果セクションは、大きく「個別化された文化的学習」と「デジタル技術の教室への組み込み」という二つのテーマで構成されています。

まず印象的なのは、デジタル技術が単なる「便利な道具」ではなく、学びそのものをパーソナライズする媒介として機能したという点です。教師T1は「テクノロジーを学校に取り入れ、個々の学習者が自分のペースと興味に応じて前進できる機会を作るべきだ」と述べ、T2は「テクノロジーが可能にした個別化された学習は、特に学校から離れかかっていた生徒たちの助けになった」と言っています。これは、一斉授業形式が主流の外国語教室にとって非常に示唆的な観察です。全員が同じページを開き、同じ練習問題を解くという光景は今もよく見られますが、本研究の生徒たちは自分の関心に応じて会話の方向を自由に決め、その過程で自然と外国語を使っていったのです。

また、教師が一種の「文化的ファシリテーター」として機能する様子も注目に値します。T1は「もし他の人々の行動や態度が文化的な違いから生まれていると理解できれば、共通点が見つかる。それはすべて、違いを尊重することを学ぶことだ」と述べており、言語教師としての役割が単なる文法指導者を超えていることを示しています。この言葉は、経験豊富な実践者だからこそ言えるものです。

理論的枠組みへの評価―ABCsモデルの適用は適切か

ABCsモデルそのものは1990年代にアメリカの初等教育文脈で生まれたものです。これを欧州の中等学校における外国語教室に適用した点は評価できますが、文化的文脈の移植には慎重な議論が必要でした。アメリカの多文化・移民社会を背景に開発されたモデルが、欧州の「外国語を学ぶ」文脈でどこまで有効かという問いに対し、Mastersonは十分な批判的検討を加えているとは言い難いところがあります。

たとえば、ABCsモデルが前提とする「自伝→他者の伝記→比較」というプロセスは、自己開示に比較的慣れた文化的バックグラウンドを持つ学習者には機能しやすいですが、日本のように自己表現に対して控えめな姿勢が一般的な文化圏では、そのまま機能するか疑問が残ります。このあたりの文化横断的な有効性についての考察があれば、論文の深みが増したはずです。とはいえ、探究型学習の理論的支柱としてABCsモデルを位置づけた点は整合的で、実践の構造に一定の理論的根拠を与えることに成功しています。

方法論上の課題―小さいが見逃せない問題

本論文の方法論で最も気になるのは、サンプルサイズと代表性の問題です。2つの学校、2名の教師という規模は、探索的研究としては妥当ですが、そこから引き出せる知見には当然限界があります。Masterson自身も「小サンプルと特定の文化的文脈のため、結果は一般化できない」と述べていますが、この限界についての言及がやや表面的にとどまっています。

さらに、主たるデータ源が「教師のインタビュー」であることには注意が必要です。生徒の声は自伝や振り返りという形で補助的に参照されますが、実際の言語使用や文化的気づきの深さを直接測定するアセスメントは存在しません。教師が「生徒は成長した」と言うことと、生徒が実際に成長したことの間には、当然ながらギャップが生じうるのです。言語能力向上のエビデンスも乏しく、アイルランドの生徒はCEFRのA2レベル、ドイツの生徒はB1レベルという言語習熟度の非対称性も、交流の質にどう影響したかという点で掘り下げが必要でした。研究者自身がeTwinningのアンバサダーであるという立場も、解釈の客観性という点で何らかの影響を及ぼしている可能性を排除できません。

関連研究との対比―本研究の立ち位置

telecollaboration(遠隔共同学習)の研究は2000年代以降急速に蓄積されています。Dooly(2017)はtele-collaborationの実践を体系的に整理しており、非同期ツールと同期ツールの効果の違いや、言語習熟度の非対称ペアリングの問題点について詳述しています。本研究は非同期ツール(メール、掲示板)に限定されており、同期ツール(ビデオ通話など)を使った場合と比べた際の差異については言及がありません。

また、Bozdağ(2018)はeTwinningをトルコとドイツの間で実施したケーススタディで、異文化学習の成果と同時に、プラットフォームの構造的な限界や教師の負担についても批判的に論じています。Mastersonの論文はeTwinningを全体的にポジティブに描いており、Bozdağが指摘するような批判的視点がやや欠けています。成功事例の記述としては説得力がありますが、失敗や困難の深い分析がもう少し欲しいところです。

一方、Kukulska-Hulme & Viberg(2018)がモバイル機器を活用した言語学習の最前線を整理した研究と比較すると、本研究はiPadの使用に触れつつも、モバイル技術の特性を活かした設計になっているとはいえません。使用されたツールはいわば汎用的なオンラインプラットフォームであり、「デジタル技術を活用した」という主張をより精緻に裏付けるには、使用ツールの特性と学習効果の関係を丁寧に分析する必要があったと思います。

日本の英語教育現場への示唆

本論文が日本の英語教育関係者に訴えかけてくる部分は、いくつかありそうです。

まず、eTwinningのような国際的なプラットフォームとの接続可能性という点があります。eTwinningは現在ヨーロッパを中心としていますが、日本でも文部科学省のGIGAスクール構想によって1人1台端末の環境が整いつつあります。これは海外の学習者とリアルタイムに、あるいは非同期で交流できる環境が技術的には整いつつあることを意味します。あとは「何をするか」という教育的な設計の問題です。本研究はその「何をするか」に対して、ABCsモデルという構造化された回答を示しています。ネイティブスピーカーと会話させれば自動的に文化理解が進むわけではなく、自伝・伝記・比較分析というように段階的に組み立てることが重要だというメッセージは、実践家にとって極めて有用です。

次に、探究型学習との接続です。学習指導要領の改訂において「主体的・対話的で深い学び」が強調されてきましたが、それを外国語教育でどう実現するかという問いへの一つの具体的な答えが本研究にあります。生徒が「自分の関心に応じて話題を選び、相手から自律的に学ぶ」という構造は、外国語教育における自律的学習者の育成という目標と整合的です。定期テストの点数を上げることが目的化しがちな日本の英語教育文化の中で、「言語は思いを伝えるための道具である」という当たり前のことを実感させる仕掛けとして、このような実践は再評価されるべきでしょう。

また、言語的非対称性への対処法も参考になります。アイルランドの生徒はA2、ドイツの生徒はB1という非対称な組み合わせで交流を行いましたが、これは実は日本の英語学習者が英語話者と交流する際の状況に近いものがあります。本研究では、この非対称性を「学習の障害」としてではなく、むしろそれぞれがネイティブスピーカーとしての専門知識を持ち寄る「相互教授」の構造として捉え直しています。この視点は、完璧な英語が使えないと恥ずかしいという強い意識を持つ日本の学習者の自己効力感を高めるうえで、非常に有効な再フレーミングです。

さらに、テクノロジーへの「恐れ」を超えることの重要性という点も見逃せません。本論文が指摘する通り、デジタル機器の不足やカリキュラムの過密、教師のデジタルリテラシーの欠如は日本でも共通した課題です。「まず小さく始める」「技術的トラブルに動じない」という姿勢は、日本の現場教師にとっても勇気づけられるメッセージです。生徒がスマートフォンを持っているという現実を活かして、まずできるところから踏み出すことの価値を、本研究は実践を通じて示しています。

論文の全体評価と残された問い

全体として、本論文は外国語教育におけるデジタル技術の活用に関するケーススタディです。質的・探索的というアプローチを明示した上で、教師の生の声を通じて学習環境の変化を描くことに成功しています。8ヶ月という長期にわたる実践を追跡した点も、短期的な介入研究が多い中で特筆すべき強みです。

しかし、いくつかの点でさらなる掘り下げが求められます。言語習得への効果を測定するプレ・ポストテストのような量的エビデンスがないこと、生徒自身の声が十分に分析されていないこと、ABCsモデルの文化横断的適用についての批判的検討が薄いこと、そしてeTwinningに対して全体的にポジティブな記述に偏りがちなことは、今後の研究で補われるべき課題です。

とはいえ、パンデミック下でのオンライン教育への関心が急速に高まった2020年に公刊されたという意味では、この研究の「タイミング」自体が一つのメッセージを持っていました。緊急避難的にZoomやGoogleクラスルームに飛びついた世界中の教師たちに、デジタル技術による教育の「設計」の重要性を問いかけているからです。ただ繋ぐのではなく、目的を持って、段階的に、文化的な気づきを促す仕掛けを作ること。それこそが、本研究が訴えているメッセージなのでしょう。

本論文の最後にある問い―「COVID-19は、私たちが教育のデジタル化を完全に受け入れるための触媒となりえるか」―は、2026年の今も有効です。ツールは整いました。問われているのは、私たち教師が何を教えたいのか、そして生徒に何を経験させたいのかという、古くて新しい問いです。Mastersonの研究は、その問いを技術論や効率論ではなく、人と人との物語の交換という原点に立ち返らせてくれます。それが、この論文が持つ最も大きな価値かもしれません。


Masterson, M. (2020). An exploration of the potential role of digital technologies for promoting learning in foreign language classrooms: Lessons for a pandemic. International Journal of Emerging Technologies in Learning, 15(14), 83–96. https://doi.org/10.3991/ijet.v15i14.13297

 

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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