オックスフォード大学教育学部のXuechun HuangとHamish Chalmersが2023年に発表した論文 “Implementation and Effects of Pedagogical Translanguaging in EFL Classrooms: A Systematic Review”(Languages, 8, 194)は、EFL(英語を外国語として学ぶ)教室における「ペダゴジカル・トランスランゲージング」の実践と効果を系統的に整理・分析した研究です。著者のうちHuangは中国出身の英語教育研究者であり、Chalmersは多言語学習者の語彙習得を専門とし、EAL(追加言語としての英語)学習者の母語活用に関する研究を長年続けてきた英国の研究者です。二人の組み合わせは、この問いに対してきわめて適切な視点をもたらしています。
「母語を使わせること」が教育になるのか、という古くて新しい問い
英語の授業で母語を使うことは「ずる」なのか、それとも有効な学習法なのか。この問いは、日本の英語教育現場では長く議論されてきたテーマです。文部科学省が「英語の授業は英語で行うことを基本とする」との方針を示してから久しいですが、現場では「本当にそれだけでいいのか」という戸惑いの声も消えません。特に文法の説明や難しい概念を扱う際に、日本語をいっさい使わずに教えることの限界を感じている教師は少なくないはずです。
こうした現場感覚に、理論的な後ろ盾を与えようとしてきたのが「トランスランゲージング」という概念です。もともとウェールズのCen Williamsが提唱し、その後Ofelia Garcíaらが精力的に理論化を進めたこのアプローチは、多言語話者が持つ言語能力を一つの統合されたシステムとして捉え、複数の言語を流動的に行き来することを肯定的に評価します。授業において学習者の母語を「リソース」として積極的に活用するという発想は、日本の英語教育者にとっても決して無縁ではありません。
10本の研究を精査して見えてきた「空白」
この論文のアプローチは、システマティック・レビュー、つまり系統的文献レビューです。感覚や印象ではなく、事前に定めた明確な基準に従って文献を収集・選別し、その質を評価した上で結論を導くという、エビデンスに基づく教育研究の標準的な手法を採用しています。著者らはPRISMAという国際的な報告基準に準拠し、9つのデータベースを横断的に検索しました。当初は5579件もの記録が見つかりましたが、厳密な基準で絞り込んでいった結果、最終的に分析対象となったのはわずか10本の研究でした。
その基準はかなり明確です。EFLの文脈であること、英語が多数派言語ではない国・地域での実践であること、介入研究(実験または準実験)であること、英語能力に関する実質的なデータが報告されていること、そして介入が明示的に「トランスランゲージング」として記述されていること。これらの条件を満たす研究が、世界中の文献の中からたった10本しか存在しなかったという事実は、それだけで一つのメッセージを発しています。トランスランゲージングをめぐる理論的・哲学的議論の豊富さと、実証的な検証の乏しさとの落差がそこにあります。
10本の研究は、エジプト、ドイツ、スペイン、インドネシア、アラブ首長国連邦、日本、中国、トルコというなかなか多彩な地域から集まりました。参加者は小学生から大学生まで幅広く、介入期間も1時間の単発セッションから23週間にわたるものまで様々です。研究の質評価にはGorardのSieve(ふるい)という手法が使われており、4つ星から0まで評価されます。結果は厳しいものでした。3つ星(高品質)を獲得したのはわずか2研究、残りの大多数は1つ星か0という低評価でした。
「強い形」と「弱い形」―何をもってトランスランゲージングと呼ぶのか
論文が整理したもう一つの重要な軸は、トランスランゲージングの「形」です。García and Lin(2017)の分類に沿って、著者らは対象研究を「強い形(strong form)」と「弱い形(weak form)」に分類しました。強い形とは、授業全体を通じて学習者が自分の持つすべての言語を流動的に使うことを教師が促すアプローチです。弱い形とは、特定のタスクに対して「この部分はL1で、次はL2で」というように、言語の使い方を教師が指示するアプローチです。
たとえばTurnbull(2019)の日本での研究では、英語のライティング課題に取り組む前に、日本語だけで準備議論を行うのが弱い形、日英両方を使って議論するのが強い形として実験されています。Llanes and Cots(2020)のスペインでの研究では、カタルーニャ語・スペイン語・英語を自由に行き来しながら授業全体を進める強い形が採用されています。これらの実践はどれも、日本の英語授業の文脈と照らし合わせると「なるほど、そういう使い方もあるか」と思わせる具体性を持っています。
ただし、ここで著者らが鋭く指摘するのは定義の曖昧さです。「弱い形」の境界線はどこか。Cenoz and Gorter(2022)の最近の理論的解釈によれば、弱い形とはカリキュラム全体では複数言語を活用しつつ、個々の授業は一つの言語で行うものだとされています。ところがTurnbull(2019)はそれを「強い形」として分類しています。理論家によって定義が食い違っているわけです。これは単なる術語の問題ではなく、研究間の比較を困難にする本質的な問題です。
効果はあったのか―誠実に「わからない」と言う勇気
結果を見ていきましょう。10本の研究のうち、トランスランゲージングが英語のみのアプローチより優れていると結論づけたのは5本でした。残りの4本は有意差なし、1本は測定項目によって結果が異なるというものでした。数字だけ見れば「半分は効果あり」に聞こえます。しかし、著者らはここで安易な楽観論に流れません。
問題は品質です。「効果あり」と結論づけた5本のうち、4本は偏りのリスクが高い(バイアスリスクが高い)と評価された研究でした。逆に、最も信頼性の高い3つ星を得た2本の研究はいずれもドイツの小学校を舞台にしたHopp and Thoma(2021)とHopp et al.(2021)で、そのうち一方は「有意差なし」、もう一方は「4つの測定項目のうち1つのみ有意差あり」という結果でした。信頼できる研究ほど、効果は小さいか検出されない。これが現状のエビデンスが示している姿です。
ただし、興味深い発見もあります。Hopp and Thoma(2021)が「有意差あり」と判断した一つの項目は、英語の目的語関係節、具体的には「Which animal does the horse bite?」のような構文の理解でした。これはドイツ語と英語で構造が大きく異なる部分です。著者らの解釈によれば、言語比較のアクティビティが、この違いを学習者の意識に鮮明に浮かび上がらせた可能性があります。逆に言えば、二言語が似ている文法項目では効果が出なかった。「何でもかんでも母語を活用すれば良い」ではなく、「どのような言語的特徴を扱うときに母語活用が有効か」という問いが大切だということです。
ライティングとリーディングに偏る研究の視野
もう一つ、この論文が浮かび上がらせる問題は、研究の偏りです。10本の研究のうち、ライティングを扱ったものが4本、リーディングが3本で、合わせて7本がこの二技能に集中しています。スピーキングを扱ったのはわずか1本、そしてリスニングを独立した測定項目として扱った研究はゼロでした。
日本の英語教育の現場で日々格闘しているのはスピーキング指導の難しさではないでしょうか。コミュニカティブな活動を増やしつつ、文法的な正確さも求める。その中で母語の使用をどう位置づけるかは切実な問いです。しかし、その問いに答えてくれる研究がほとんど存在しないというのが現実です。書くことと読むことに研究が集中するのには理由があります。測定が比較的容易で、介入のコントロールもしやすいからです。しかし教育実践の多様性を考えれば、この偏りは大きな空白を生んでいます。
関連研究との対比から見える位置づけ
この論文は、先行する二つの重要なレビューと対話しながら位置づけを確立しています。一つはMarina Prilutskaya(2021)による包括的なシステマティックレビューで、233本もの文献を対象としています。ただしそのレビューは質評価を含まず、また対象の大多数(83%)が質的研究でした。教師や学習者の「トランスランゲージングに対する態度」や「授業での観察」を報告した研究が中心で、英語力の向上を客観的に測定した研究は全体の3%にすぎませんでした。Huang and Chalmersの論文はその3%の中からEFL文脈のものを抽出し、質を評価した点で、Prilutskayaの研究を補完・精緻化するものと言えます。
もう一つの対比対象はChalmers(2019)とShin et al.(2020)による研究です。前者は小学生のEAL学習者を対象に母語の語彙学習への効果を検討したもの、後者は外国語教室での母語使用に関するレビューです。これらは「母語を使ったL2語彙学習への効果」についてある程度肯定的な知見を示していましたが、今回のレビューで唯一語彙を測定した研究(Hopp et al. 2021)は有意差なしという結果でした。「語彙学習への母語活用の有効性」という先行知見が、トランスランゲージングの文脈では再現されていない可能性があります。この点はさらなる検証を要する重要な問いです。
日本の英語教育への示唆―「英語だけ」という信仰を問い直す
日本の英語教育において、この論文は何を示唆するでしょうか。まず、「英語の授業は英語で行う」という方針の絶対視に対して、慎重な問い直しを促しています。ただし、それは「だから日本語を使ってよい」という単純な話ではありません。著者らが強調するのは、エビデンスが不十分だということです。今ある研究の質が低いために、英語のみのアプローチとトランスランゲージングのどちらが優れているかについて、自信を持って言えることは何もないのです。
これは教育現場の教師にとって歯がゆい結論かもしれません。「結局どうすればいいのか」と思うのは当然です。しかし、「わからない」という正直な結論には意味があります。現場での実践に「これさえやれば大丈夫」という安易な答えを与えることの危うさを、この論文は静かに示しています。
具体的に日本の文脈で考えると、Hopp and Thoma(2021)の知見は一つの手がかりを与えてくれます。英語と日本語は語順・文法構造において大きく異なります。英語の受動態、関係節、疑問文の構造など、日本語との対照が際立つ文法項目こそ、比較活動、つまり「弱い形のトランスランゲージング」が効果を発揮しやすい場面かもしれません。国語教育と英語教育の連携、言語横断的な気づきを促す活動は、日本の教育課程においても試みる価値のある方向性と言えるでしょう。
またライティング指導において、Turnbull(2019)の日本での研究は示唆的です。日本人大学生を対象に、ライティング前の準備活動を日本語で行うことが、英語ライティングの質を高める可能性が示されました。ただしこの研究も1つ星評価であり、方法論的な限界があります。とはいえ、日本語でブレインストーミングを行ってから英語で書くという実践は、多くの英語教師が直感的に有効だと感じていることと重なります。直感を実証的に問い直すための足がかりとして、こうした研究は価値を持ちます。
論文の限界と今後への問い
著者らは自らの限界も誠実に認めています。検索が英語文献のみに限定されており、日本語・中国語・アラビア語等で書かれた関連研究が抜け落ちている可能性があります。日本語で書かれた日本のEFL研究にも、関連するデータが存在するかもしれません。また、年齢・習熟度・L1の性質によって効果が異なる可能性があるにもかかわらず、今回は全年齢・全レベルを一括して扱わざるを得ませんでした。
さらに、論文が踏み込めていない重要な問いがあります。「トランスランゲージングが有効かどうか」は、「誰にとって」「どのような学習目標において」「どのような教師が実施するか」によって大きく異なるはずです。教師の多言語能力や態度、教室の言語的多様性、制度的な文脈といった要因が、実践の結果に影響を与えることは想像に難くありません。これらを統制した研究は、まだほとんど存在しないのです。
また、本論文が対象とした「英語能力の向上」という指標の外側にある問いも重要です。母語を教室に持ち込むことが学習者のアイデンティティに与える影響、多言語を持つことへの肯定感、学習意欲の変化といった情意的側面は、「英語のテストスコアが上がったかどうか」には還元されません。Huang and Chalmers自身もこの点を認識しており、本レビューはあくまで英語能力という一側面に焦点を当てたものだと断っています。
「エビデンスがない」は「効果がない」ではない―しかし
最後に、この論文全体を貫く学術的誠実さに触れたいと思います。トランスランゲージングには強い支持者がいます。García、Li Wei、Cumminsといった大きな名前が並び、理論的な魅力も充分にあります。実践者の報告も数多く蓄積されています。しかし著者らは、そうした支持の潮流に押し流されることなく、「強い主張には強い証拠が必要だ」という原則を守り続けています。
「エビデンスがない」は「効果がない」ではない。これは正しい認識です。ただし同時に、「エビデンスがない」を「効果があると信じていい」という意味に読み替えることも許されません。Cummins(2021)の言葉を借りれば、理論的主張の正当性は、それが実証的証拠と整合しているかどうかによって試されるべきです。
日本の英語教育は今、大きな変化の時期にあります。大学入試改革、コミュニケーション重視の授業への転換、英語を使って何かを学ぶ統合的な授業実践の模索。こうした流れの中で、母語の扱いをどう考えるかは避けられない問いです。Huang and Chalmersのこのレビューは、その問いに簡単な答えを与えるものではありません。しかし、問い方を整理し、何がわかっていて何がわかっていないかを明確にするという、地道で重要な仕事を誠実に果たしています。
「英語だけ」でも「母語を自由に」でもなく、「どのような目的でどのような場面でどのように使うか」を問い続けること。それが、現場の教師にも研究者にも求められている姿勢なのだと、この論文は語りかけているのかもしれません。
Huang, X., & Chalmers, H. (2023). Implementation and effects of pedagogical translanguaging in EFL classrooms: A systematic review. Languages, 8(3), 194. https://doi.org/10.3390/languages8030194
