スウェーデンのストックホルム大学教育学部に籍を置くCarles Fusterが2022年に完成させた博士論文をもとにして、2024年に国際誌International Journal of Multilingualism(第21巻第1号)に発表した論文”Lexical transfer as a resource in pedagogical translanguaging”は、一見すると欧州の多言語教育に関わる専門家向けの技術的な議論に見えます。しかし、読み進めるうちに気づかされるのは、これが実は「生徒の母語をどう扱うか」という、どの言語教育現場でも突き当たる根本的な問いを正面から論じた論文だということです。日本の英語の授業で「日本語は使わないで」と先生が言うとき、その背後にある考え方はいったい正しいのか―そういう問いが、この論文には静かに埋め込まれています。

「トランスランゲージング」という言葉の混乱から始める

まず論文が取り組む課題を整理しましょう。近年、「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念が多言語教育の世界でブームになっています。もともとはウェールズの研究者Ceri Williamsが1994年の博士論文で提唱した実践、つまり授業の中でウェールズ語と英語を計画的に交互に使い、少数言語の習得を促すという手法に由来します。ところが今日では、この言葉はきわめて多様な意味で使われるようになってしまいました。Fusterはこの概念的混乱を問題の出発点に据えています。

二つの主要な理論的立場があります。一つはColumbia大学のOfelia Garcíaらが提唱する「スポンテイニアス・トランスランゲージング(自発的トランスランゲージング)」であり、もう一つはBasque大学のJasone CenozとGroningen大学のDurk Gorterが提唱する「ペダゴジカル・トランスランゲージング(教育的トランスランゲージング)」です。Fusterはこの二つを対比させながら、後者を支持する立場から独自の実証研究の知見を加えていきます。

Garcíaの「言語は一つ」という主張とその問題点

Garcíaらの立場は、端的に言えば「人の頭の中で、言語は別々のシステムとして存在しているわけではない」というものです。英語もスペイン語も、話者にとっては渾然一体となった一つの言語レパートリーの一部に過ぎない。だから「英語からスペイン語への転移(transfer)」という概念自体がナンセンスだと言うのです。この主張の背景には、アメリカのラテン系コミュニティで話されるいわゆる「スパングリッシュ」を正当化したいという社会正義的な動機があります。「混ぜて話すのは言語的欠如ではなく、正当な言語実践だ」というメッセージは力強く、多くの支持者を集めました。

しかしFusterは、この立場の実用上の問題を鋭く指摘します。もし言語が頭の中で区別されていないなら、教師が「英語の”encounter”とスペイン語の”encontrar”は似ていますね」と指摘する行為、つまり言語間の類似性への気づきを促す教授行為は、いったい何をしていることになるのでしょうか。Cumminsが「teaching for transfer(転移のための教授)」と呼ぶこの実践は、言語が別々のシステムとして存在することを前提としているはずです。Garcíaの枠組みでは、この実践を理論的に位置づけることができない。これは致命的な欠点です。コード・スイッチング研究の蓄積も、言語が「完全に分離された系」でも「完全に統合された系」でもなく、「部分的に分離し、部分的に統合された系」として表象されることを示しており、Garcíaの「一つのレパートリー」論は実証的な裏付けを欠いています。

CenozとGorterの「教育的トランスランゲージング」が切り開くもの

これに対してCenozとGorterの立場は、転移(transfer)という概念を中核に据えます。転移とは、学習者が持っている既知言語の知識が、習得中の言語に影響を与える現象のことです。日本人英語学習者が “I have a dream.” を訳すときに「私は夢を持っている」と言ってしまうのも、広い意味では転移の一例です。伝統的な言語教育では、この転移は「干渉(interference)」として否定的に捉えられてきました。学習者が犯してしまう誤りの原因として、できる限り排除すべきものとされてきたのです。

ところがCenozとGorterは、転移を「学習者が意図的に、戦略的に活用できるリソース」として再定義します。たとえば英語を知っているスペイン語学習者が、「地図」を意味するスペイン語の単語を思い出せないとき、英語の “map” を頭に思い浮かべ、スペイン語の発音規則を当てはめて “mapa” と書くとしたら、これは母語知識を意識的・創造的に活用した学習戦略だと言えます。母語は邪魔者ではなく、使いこなせる道具になりえる。この転換がペダゴジカル・トランスランゲージングの核心です。

Fuster自身の実証研究―78人のスウェーデンの高校生を観察する

論文の後半部分では、Fusterが博士論文で行った独自の実証研究の知見が紹介されます。ここが本論文の最も独創的な部分です。スウェーデンの高校生78人(16〜18歳)を対象に、スペイン語の書き取り課題を行いました。参加者はスウェーデン語と英語を共通して使用し、その他にアラム語、チェチェン語、ペルシャ語、ポーランド語、イタリア語、ポルトガル語など合計12の言語も話者が含まれており、平均して約4.3の言語に親しんでいました。スペイン語の習熟度は低〜中低程度です。

課題の方法が巧みです。まず「カエルはどこ?(Frog, Where Are You?)」という絵本を使った絵描写作文を20分で書かせました。その後、「書いているときに自分で不安だと感じた単語に下線を引いてください」と10分間の自己省察を求めました。下線を引いた転移語は「意図的転移」、下線を引かなかった転移語は「非意図的転移」と分類したのです。この方法論は単純に見えて、じつは「意図性」という捉えにくい心理的変数を行動的指標に落とし込む上でよく考えられた設計です。

結果は興味深いものでした。全299の転移語のうち、32%が非意図的転移、68%が意図的転移でした。つまり学習者は転移の約三分の二を意識的な戦略として使っていたことになります。しかも、非意図的転移は主に形態的類似性の高い言語(イタリア語、ポルトガル語)から起きやすく、意図的転移は英語など第二言語(L2)からが多い傾向がありました。

「知っている言語が多いほど、うっかり転移が減る」という面白い知見

さらに注目すべきは、知っている言語の数が多い学習者ほど、非意図的転移の量が少なくなる傾向が見られた点です(統計的有意水準には達しなかったものの、p値は0.06と境界的でした)。これはHerdina & Jessnerの「ダイナミック多言語モデル」における「強化された多言語モニター」という概念と整合的です。多くの言語を知っていると、言語使用に対するメタ認知的な監視能力が高まり、うっかり別言語の単語が「滑り込む」のを抑制できるようになるというのです。

この知見は直感的にも納得できます。二言語話者より三言語話者のほうが、「あれ、これはどの言語の単語だっけ」と立ち止まって考える習慣がついているのかもしれません。複数の言語を日常的に行き来することで、言語の境界そのものへの感度が上がるのでしょう。

論文の学術的貢献とその限界

この論文の最大の貢献は、転移を「意図的/非意図的」という次元で実証的に捉えようとした点にあります。従来の研究では、転移はほぼ一様に「無意識に起きるもの」として扱われてきました。しかしFusterの研究は、学習者が実際には転移の相当部分を意識的に行っているという事実を示しています。これはペダゴジカル・トランスランゲージングの理論的枠組みを経験的データで裏打ちする重要な試みです。

一方で、限界も正直に見えます。最も気になるのは自己申告に基づく意図性の測定方法です。「書いていたときに不安だった語」という基準は、必ずしも「意図して転移させた語」と一致しないかもしれません。意図的に転移させたが自信があったため下線を引かなかった、あるいは逆に意図せず書いた語が後から見て不安に思えた、といったケースが混入する余地があります。Fuster自身もthink-aloud(発話思考)プロトコルとの比較検討を行っており、両者に統計的差異がなかったと報告していますが、サンプルサイズは各グループ14人と小さく、この検証の力は限定的です。

また参加者が多様な言語背景を持つスウェーデンの高校生に限定されており、結果の一般化可能性については慎重に考える必要があります。言語間の類型的距離が転移の意図性に与える影響は、たとえばすべての生徒が日本語を母語とするような、類型的に孤立した言語環境では異なる様相を呈するかもしれません。

日本の英語教育現場への問い

さてここで視点を日本に移すと、この論文は思いのほか直接的な示唆を持ちます。日本では長年、英語の授業における日本語使用をなるべく少なくすることが推奨されてきました。「英語で英語を教える」という指導は文部科学省の方針にも表れており、多くの教師が教室内での日本語使用に後ろめたさを感じています。しかしFusterらの枠組みに照らせば、この発想は「転移は排除すべき干渉だ」という旧来のパラダイムに縛られているとも言えます。

実際、日本人英語学習者は英語の語彙を習得するとき、意識的かどうかにかかわらず、日本語(あるいはカタカナ語経由の英語借用語)との比較を行っています。”manager” は「マネージャー」、”system” は「システム」と対応づける。これは広義の転移であり、それ自体は学習の効率化に資するはずです。問題は、この転移が誤った方向に向かうとき、つまり “mansion” を「大豪邸」と解釈してしまうような意味的誤転移です。

ペダゴジカル・トランスランゲージングの視点からすれば、教師がすべきことは「日本語を使うな」ではなく、「日本語知識をどう英語学習に意識的に活かすか、そしてどこで誤った転移が起きやすいかを教える」ことになります。カタカナ語と英語の対応・非対応を明示的に扱うこと、たとえば “smart” が日本語では「スマート(細い)」だが英語では「賢い」を意味することへの気づきを促すこと、これはまさに「転移への気づき(crosslinguistic awareness)」を育てる教授活動です。Fusterの論文はこの種の実践に理論的根拠を与えてくれます。

さらに、日本では英語以外の外国語学習者(フランス語、中国語、韓国語など)の増加とともに、三言語以上を学ぶ学習者も珍しくなくなってきました。Fusterが示すように、多くの言語を知ることはメタ言語的意識を高め、転移の制御能力を向上させる可能性があります。「英語ができる人は他の外国語も覚えやすい」という現場の感覚は、この研究の知見と重なり合います。英語教育を孤立した教科として捉えるのではなく、学習者のすべての言語知識と連携させる発想が、今後の日本の外国語教育には必要かもしれません。

Cenoz & Gorterとの関連研究との対比

本論文はCenoz & Gorterの理論的枠組みを実証的に発展させようとするものですが、彼らの2020年著作Pedagogical Translanguagingや2022年のCambridge Elements版と比べると、Fusterの独自の貢献は「意図性の実証的分析」という一点に絞り込まれています。これは貢献の焦点が明確で良い反面、ペダゴジカル・トランスランゲージングが提唱するもう一つの柱、言語に対するクリティカルな意識の育成(言語の社会的地位や権力差への気づき)については本論文ではほとんど論じられていません。また、Cumminsの「Interdependence Hypothesis(相互依存仮説)」やHerdina & Jessnerの「Dynamic Model of Multilingualism(ダイナミック多言語モデル)」とも参照関係にありますが、これらとの理論的緊張関係をより深く掘り下げれば、論文の射程はさらに広がったでしょう。

MacSwanの批判的論考との関連では、Garcíaらの「一元的言語レパートリー」論が社会言語学的観察から認知内部の表象について結論を引き出す論理的飛躍を犯しているという指摘をFusterも採用しており、これは適切な批判です。社会的に構築されたカテゴリーが脳内の神経表象と一致しなければならない理由はありません。Garcíaらの議論はある種の「構成主義の過剰拡張」とも呼べる性格を持っており、その点をFusterはやや遠慮がちながら指摘しています。

独自の学術的考察―「意図性」という概念の豊かさ

最後に、私自身の考察を加えておきたいと思います。Fusterが転移における「意図性(intentionality)」に着目したことは、言語学習研究において従来あまり正面から扱われてこなかった「学習者のエージェンシー(主体性)」という問題を開いています。学習者は単に言語入力を受動的に処理するのではなく、自分の知識資源を意識的に動員して産出を行う。この当たり前とも言える事実が、転移研究の文脈では長らく等閑視されてきました。

「意図的転移」と「非意図的転移」は実践的にも意味の異なる現象です。非意図的転移は自動化されたプロセスの産物であり、しばしば「フォルス・フレンズ(false friends、日本で言う「似て非なる語」)」のような誤用につながります。意図的転移は、知識のギャップを埋めるための創造的な問題解決行動です。この二種類の転移を一括りに「干渉」として排除しようとするのは、錬金術師が金と鉄を見分けようとせずにすべて「金属」と呼ぶようなものです。二つは別物であり、教育的対応も異なるべきです。

しかし同時に、「意図的」か「非意図的」かという二分法もやはり単純化を含みます。意識と無意識の間には連続体があり、「なんとなく英語っぽく変形した」という半意識的な操作がそこには存在します。この点はFusterも認識しており、今後の研究課題として残されています。認知言語学や第二言語習得研究における「意識(awareness)」の概念との対話がさらに進めば、より精緻な理論化が可能になるでしょう。

おわりに―「母語を使わせない」という呪縛を解く

Fusterの論文は、学術的には実証的・理論的に誠実な仕事であり、多言語教育の研究に具体的な貢献をしています。しかしそれ以上に、この論文は英語教育に関わるすべての実践者に対して、ある種の問いを突きつけています。私たちは生徒の母語を「排除すべき干渉源」として扱い続けるのか、それとも「活用すべき知識資源」として教育に組み込むのか、という問いです。

その問いへの答えは、少なくとも研究者たちの間では少しずつ固まりつつあります。転移は起きる。それは避けられない。ならば、意識的に、よりよい方向に転移を使うための教育こそが求められているのです。日本の英語教育が「英語だけの教室」という呪縛から解かれ、学習者がすでに持っている言語知識を誇りを持って活用できるような場へと変わっていくために、Fusterのような地道な実証研究は確かな土台になります。教室の片隅で「あ、これって日本語の”計算”と英語の”calculate”って似てるな」とつぶやく生徒の気づきを、笑って流すのではなく「よく気づいたね」と拾い上げる教師が増えていくこと、それがペダゴジカル・トランスランゲージングの実践の第一歩なのだと、この論文を読んで思いました。


Fuster, C. (2024). Lexical transfer as a resource in pedagogical translanguaging. International Journal of Multilingualism, 21(1), 325–345. https://doi.org/10.1080/14790718.2022.2048836

 

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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