「地球の水循環」という概念を、教室の黒板やテキストの図解だけで理解しようとした経験はあるだろうか。蒸発、凝結、降水、地下水の浸透――これらは日常生活の中でも感じ取れる現象のはずなのに、いざ英語の専門用語で扱うとなると、途端に抽象的で難解なものになってしまう。地理を専攻する中国人大学生が英語で地理の専門知識を学ぶ場面を想定すれば、その難しさはさらに増す。本論文はまさにそうした文脈から生まれた研究である。
本研究の著者は、浙江師範大学(中国・金華市)に所属するYifan Li、Shufan Ying、Qu Chen、そしてJueqi Guanである。Guanは知能教育技術・応用に関する浙江省重点実験室に籍を置く研究者であり、本研究はその実験室が関与するプロジェクトの一環として実施された。論文は2022年に査読付きオープンアクセス誌『Sustainability』に掲載されており、教育の持続可能性という観点からも注目に値する。
研究の問いは明快だ。VR(仮想現実)を活用した体験学習アプローチは、地理を学ぶ学生の英語語彙習得と学習エンゲージメントを向上させるか、そしてそれは従来のビデオ視聴型アプローチよりも優れているのか。この問いに答えるために、36名の地理専攻学生を対象とした実験が行われた。
体験学習理論とVRの融合という発想
本研究が理論的基盤として採用したのは、David Kolbの体験学習サイクルである。Kolbは学習を「具体的経験」「内省的観察」「抽象的概念化」「能動的実験」という四段階の循環として捉えた。このサイクルに沿って、VRによる没入体験から始まり、タスクリストへの記入、グループ討論、そして英語によるリサーチ・アブストラクト執筆という流れが設計された。
さらに、Laufer and Hulstijnによる「関与負荷仮説(involvement load hypothesis)」も取り入れられている。これは、学習者が語彙学習タスクにおいて「必要性」「検索」「評価」の三要素をどれだけ強く意識するかによって、語彙の定着度が変わるという考え方だ。本研究では、VR体験と理解確認問題が中程度の関与負荷を持つ「インプット」タスクとして、そしてリサーチ・アブストラクトの執筆が高い関与負荷を持つ「アウトプット」タスクとして位置づけられた。この設計の巧みさは、語彙習得を「覚える」ではなく「使う」文脈に置いたことにある。
実験群(VR使用)の18名はHTC Vive Pro2という没入型VRデバイスを用いて「水循環」のVRコンテンツ「Edmersiv」を体験した。制御群(ビデオ使用)の18名は同じ内容を英語字幕付き動画で視聴した。両群とも同じ教師によって同様の学習活動が進められたが、インプットのメディアだけが異なった。実験後、目標語彙テストと学習エンゲージメント質問紙による事後測定が行われた。
語彙習得の結果が示すもの
分析には共分散分析(ANCOVA)が使用された。事前テストを共変量として統制した上で、実験群の調整済み平均スコアは30.71、制御群は27.57であり、この差は統計的に有意であった(F = 4.363, p < 0.05, η² = 0.12)。語彙習得において、VRアプローチがビデオアプローチを上回るという結果が得られたのである。
また、ライティングテストの分析では興味深い結果が見られた。実験群は一人当たり平均4.17個の目標語を使用したのに対し、制御群は2.94個にとどまった。誤用率も実験群が4%、制御群が8.5%と、実験群のほうが正確さも高かった。さらに、「水循環理論の説明(TF)」の次元において実験群が有意に優れた成績を示した(t = 2.143, p < 0.05)。一方、研究トピックの設定や文章構成・組織に関しては両群間に有意差はなかった。つまり、VRの恩恵は専門的な概念の理解と語彙の正確な運用に特に強く現れる、ということだ。
これはなぜか。著者らはRichard Mayer の「二重符号化理論(dual coding theory)」を援用して説明する。VRは視覚・聴覚・触覚という複数のチャネルを通じた情報入力を可能にし、認知負荷を軽減しながら記憶の定着を促す。さらに、VRの一人称視点での没入体験は、ワーキングメモリを「バイパス」して長期記憶に直接アクセスする効果があるという指摘も、教育心理学的に興味深い視点である。
学習エンゲージメントへの影響
学習エンゲージメントは、Wang et al.の尺度を改訂した質問紙によって「認知的エンゲージメント」「行動的エンゲージメント」「情緒的エンゲージメント」「社会的エンゲージメント」の四次元から測定された。
結果として、実験群は認知的(F = 0.496, p < 0.05, η² = 0.12)、行動的(F = 5.794, p < 0.05, η² = 0.15)、社会的エンゲージメント(F = 5.714, p < 0.05, η² = 0.15)において有意に高いスコアを示した。ただし、情緒的エンゲージメントについては有意差がなかった(F = 0.452, p > 0.05)。
社会的エンゲージメントに有意差が現れたのは、興味深い点である。VRを体験した学生同士が、共通の「仮想空間での体験」を素材として議論し、知識を共有し合った結果、ピア間の協働が活性化されたのだと考えられる。本当の意味での「共通体験」は、対話のきっかけをつくる。VRが提供した没入体験が、グループ内の共通言語となり、英語での議論を促したわけだ。
一方、情緒的エンゲージメントに有意差が出なかった理由として、著者らは「短期間のVR体験では、感情的・情意的要因に深く影響を与えることは難しい」と述べている。語彙学習という複雑な情意的活動は、学習者個人の経験、心理的特性、生活背景とも深く結びついており、60分程度の介入でそこに踏み込むのには限界があるというのは、現場感覚とも一致する見解だろう。
日本の英語教育への示唆
この研究を読んで、日本の英語教育関係者が真っ先に頭に浮かべるのは「ESP(English for Specific Purposes)」の文脈ではないだろうか。日本では大学における専門英語教育が長年の課題であり、理工系・医療系・地理・観光など各分野の専門語彙を英語で習得することは、グローバル人材育成の観点から急務とされている。しかし現実には、専門英語の授業は教科書と講義に頼ることが多く、学習者の動機を十分に高められていないケースも少なくない。
本研究が提示するVRを組み込んだ体験学習型デザインは、まさにそうした現場に一石を投じるものだ。特に重要なのは、VR単体の効果を主張しているのではなく、体験学習の枠組みとインプット・アウトプットタスクの設計という「教授設計(instructional design)」全体のパッケージとして機能している点である。VRはあくまで「文脈を提供するツール」であり、それを活かすカリキュラムデザインなくしては効果は半減するというメッセージは、テクノロジー導入に際して日本の教育現場が肝に銘じるべき教訓でもある。
また、本研究で用いられた「偶発的語彙習得(incidental vocabulary acquisition)」という概念も重要だ。これは、語彙そのものを意図的に覚えようとする「意図的語彙学習」とは異なり、文脈の中でのインプットや課題遂行を通じて自然に語彙が習得されるプロセスを指す。日本の英語教育は長らく単語帳や反復暗記に依存してきたが、本研究はより自然で文脈依存型の語彙習得が、特にESPの場面では有効である可能性を実証的に示している。文脈を「作り出す」ためにVRが使われているという発想は、日本の教室でも参考になるはずだ。
さらに、日本国内でもGoogleカードボードやOculus(Meta Quest)シリーズなどを活用した授業実践の試みが報告されるようになってきた。本研究で用いられたHTC Vive Pro2のような高性能デバイスは一式あたりのコストが高いが、スマートフォン連動型の廉価版VRデバイスや、ブラウザベースの360度動画(WebVR)を利用する形であれば、より低コストでの導入も可能だ。本研究の知見をそのまま適用することはできないが、設計原理としての「体験 → 内省 → 概念化 → アウトプット」というサイクルは、デバイスに依存しない普遍性を持っていると言えよう。
関連研究との対比
VRを用いた語彙学習研究として先行するものには、Alfadilによる「House of Languages」ゲームを使った研究(2020年)や、Lai and Chenによるビジュアルノベルゲームを用いたVRとPCゲームの比較研究(2021年)がある。本研究はこれらと同様に「VRはPCやビデオよりも語彙習得を促進する」という結論を支持しているが、より特徴的なのは、そのメカニズムをKolbの体験学習理論とLaufer and Hulstijnの関与負荷仮説という二つの理論的枠組みから説明しようとしている点だ。先行研究の多くが「VRの没入感・動機付け効果」に焦点を当てているのに対し、本研究は「どのような学習設計がVRの効果を引き出すか」という設計論的アプローチを採っており、この点に独自性がある。
ただし、Tai, Chen, and Toddによる研究(2022年)では、VRアプリが中学生のEFL語彙学習に与える影響を検証しており、本研究と同様にコンテキスト情報とマルチモーダルな刺激が語彙習得を促進することを示している。本研究との違いは対象が大学生であり、かつESP(専門英語)という高度な文脈が前提になっている点だ。一般的な英語語彙習得と専門用語習得では、必要とされる認知的処理の深さが異なるという観点から、本研究の対象設定はより挑戦的であり、それゆえに意義も高い。
研究の限界と今後の課題
著者ら自身も述べているように、本研究にはいくつかの限界がある。まず、サンプルサイズの問題だ。実験群・制御群それぞれ18名、合計36名という規模は、統計的検出力の観点からは必ずしも十分とは言えない。効果量η²が0.12〜0.15という中程度の値を示していることを踏まえると、より大規模なサンプルによる追試が望まれる。
次に、VR体験とタスクリストの切り替え問題がある。現実の授業環境では、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を着脱しながら紙のタスクリストに記入するという動作は、没入体験を中断させ、エンゲージメントに悪影響を与える可能性がある。著者らもこの点を認め、VR内でタスクを完結できる統合型学習環境の開発が今後の課題であると述べている。
また、学習エンゲージメントの測定に質問紙のみを使用した点も限界として指摘されている。質問紙は自己報告式であるため、主観的バイアスが入りやすい。著者らはfNIRS(機能的近赤外分光法)などの神経科学的測定手法を将来的に活用することを提案しており、客観的データによる裏付けが研究の質をさらに高めるだろう。これはVR教育研究全般にとっても重要な方向性だ。
さらに言えば、本研究は単一の地理的テーマ(水循環)に限定されており、他の専門分野や他のトピックへの般化可能性については未検討のままである。また、長期的な語彙保持(リテンション)についての測定も行われていない。語彙は短期的な習得よりも長期的な定着こそが実用上の意義を持つため、数週間後・数ヶ月後の追跡テストを含む縦断的研究が今後必要だ。
教育実践者へのメッセージ
研究全体を通じて感じるのは、著者らの「現場に根ざした問題意識」の強さだ。英語で地理を学ぶという、ただでさえ認知的負荷の高い学習場面に、VRという新たなテクノロジーをどう組み込むかという課題に、理論と実践の両面から真摯に向き合っている。その姿勢は、研究室の外でまさに格闘している多くの教育実践者にとって共感を呼ぶものがあるはずだ。
日本の教育現場でも、高校や大学におけるGIGAスクール構想以降のICT環境整備が進み、VRデバイスを導入する学校や大学が少しずつ増えてきた。しかし多くの場合、VRは「体験イベント」として使われるにとどまり、日常的な教科学習に組み込まれるまでには至っていない。本研究が示す「体験 → 内省 → 概念化 → アウトプット」というKolb型の学習サイクルと、それを支えるタスク設計のフレームワークは、VRを「授業の主役」ではなく「文脈創出の道具」として機能させるための具体的な設計指針を与えてくれる。
英語教育という観点で言えば、本研究が示す「偶発的語彙習得」の考え方は、「どうやって単語を覚えさせるか」という問いを、「どうやって単語が自然に身につく文脈を作るか」という問いへと転換させる。この発想の転換こそが、テクノロジーを真に教育に活かすための第一歩だろう。VRはその文脈を豊かに、リアルに、多感覚的に創り出せるツールである。そしてその豊かな文脈の中に、学習者を「主体的な経験者」として置くことが、本研究の核心的なメッセージだと言えるだろう。
36名という小規模な実験であっても、そこから引き出される理論的・実践的な知見の密度は高い。本論文は、VR教育研究の領域において、「効果があるかどうか」という問いを超えて「なぜ効果があるのか」「どう設計すれば効果が出るのか」という問いへと議論を深めた点で、着実な貢献を果たしていると評価できる。
Li, Y., Ying, S., Chen, Q., & Guan, J. (2022). An experiential learning-based virtual reality approach to foster students’ vocabulary acquisition and learning engagement in English for geography. Sustainability, 14(22), 15359. https://doi.org/10.3390/su142215359
