スマートフォンを授業外の語彙学習に活用することで、EFLの学習者はどれほど語彙力を伸ばせるのでしょうか。Zakian、Xodabande、Valizadeh、Yousefvandの4名による本論文は、イランの大学生を対象に、デジタルフラッシュカードアプリ「NGSL Builder」を用いた課外語彙学習の効果を6か月にわたって検証したものです。2022年にAsian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education誌に掲載されたこの研究は、モバイル端末を活用した語彙学習(MALL:Mobile Assisted Language Learning)の分野に新たな知見を加えると同時に、日本の英語教育にとっても非常に示唆に富む内容を含んでいます。
研究の背景―なぜ「語彙」と「スマートフォン」なのか
外国語習得において、語彙知識は極めて重要な役割を果たします。英語を外国語として学ぶ(EFL)学習者にとって、語彙不足はリスニング、リーディング、スピーキング、ライティングのすべてに影響を及ぼす根本的な問題です。Nation(2001, 2013)やWebb & Nation(2017)といった語彙研究の第一人者たちは、日常会話やテレビ番組を理解するためには少なくとも3000語族程度の語彙が必要だと指摘しています。ところが現実には、多くのEFL環境で学習者は2000語族にも満たない語彙しか身につけられないまま学校教育を終えてしまうことが多いのです。
そこに登場するのが、現代人の生活に欠かせないパートナーとなったスマートフォンです。著者らは、語彙学習の機会が授業時間内に限られているという現状を踏まえ、いつでもどこでも学習できるモバイル端末の特性を活かした課外学習の可能性に着目しました。本研究が使用したのは「NGSL Builder」という無料アプリで、New General Service List(NGSL)――2013年にBrowneらが開発した、英語の最頻出2800語を収録したリスト――に対応したデジタルフラッシュカード機能を持つものです。NGSLはCambridge English Corpusの92.34%をカバーしており、学習優先度の高い語彙が体系的に整理されています。
筆頭著者のZakianはイランの大学に勤務し、共著者のXodabandeはKharazmi大学(テヘラン)、Valizadehはトルコのカッパドキア大学、Yousefvandはロレスタン大学に所属しています。中東・中央アジア圏のEFL研究者たちが結集した本研究は、日本と同様に英語との自然な接触機会が限られた環境での語彙学習という問題意識を共有しており、日本の読者にとっても親近感を持って読める内容です。
研究デザイン―何を、どのように比べたのか
研究の参加者は、イランの大学1・2年生108名からスタートし、最終的に86名のデータが分析対象となりました。内訳は実験群58名、統制群25名です。なお当初108名のうち、事前テストの得点が平均から10点以上乖離していた16名と、延期後のテストを受けなかった6名が除外されています。両群ともに大学での正規の英語授業を受けながら、実験群はNGSL BuilderアプリをスマートフォンにインストールしてNGSLの語彙を自習し、統制群は同じ語彙リストを印刷した紙のワードリストで学習しました。
学習時間は1日10分、週5日が目安として設定されましたが、あくまで任意の課外学習という位置づけです。テストは事前(pre-test)、4か月後の事後(post-test)、さらに2か月後の遅延事後(delayed post-test)の計3回実施されました。語彙知識の測定にはNGSLT(New General Service List Test)が用いられ、100問の選択式問題で構成されています。この標準化テストの使用は、先行研究が指摘していた測定ツールの多様性という問題への適切な対応策と言えます。
実験群の進捗は、アプリの内蔵機能を使って月次で確認されました。統制群は短いアンケートで自己報告を行いました。こうした継続的なモニタリングの仕組みは、長期介入研究においてドロップアウトや関与の低下を把握するうえで有効であり、研究設計の丁寧さが伝わってきます。
結果―数字が語る驚きの効果
結果は明確でした。事前テストでは両群に有意差はなく、実験群の平均が47.64点、統制群が47.04点と拮抗していました(100点満点中)。つまり出発点はほぼ同じ。ところが4か月後の事後テストでは、実験群の平均が70.33点と約23点も上昇したのに対し、統制群はほぼ横ばいの47.68点にとどまりました。この差は統計的に非常に有意であり(p=0.000)、効果量は0.922という非常に大きな値を示しました。
さらに注目すべきは遅延事後テストの結果です。実験群の平均は66.67点と若干の低下が見られましたが、それでも事前テストに比べて約19点高い水準を維持していました。統制群は48.60点と、こちらも事前から目立った変化はありませんでした。反復測定分散分析(ANOVA)の結果、実験群では時間の経過に伴う有意な効果が確認されました(Wilks’ Lambda=0.028, p<0.000, 偏η²=0.972)が、統制群では有意な変化は見られませんでした(p=0.131)。
この結果は、スマートフォンアプリを使ったデジタルフラッシュカード学習が、単なる短期的な記憶促進にとどまらず、ある程度の長期保持をもたらすことを示しています。もちろん、事後から遅延事後にかけて3.66点の有意な低下があった点は見逃せませんが、著者らはその原因として、学習終了後の復習機会の消失、モチベーションの漸減、そしてEFLという環境における英語接触量の少なさを挙げています。
考察―なぜアプリは効いたのか
著者らはアプリ群の優位性を説明するいくつかの要因を提示しています。第一に、既製のデジタルフラッシュカードは使いやすく、紙のワードリストに比べて学習者の負担が低いという点。自分でカードを作る手間が省けるぶん、学習そのものに集中できます。ちょうど料理の例えで言えば、食材を0から準備するよりも、カット野菜が用意されている方が料理に取り掛かりやすいようなものです。第二に、Stockwell(2013)が指摘するように、新しいテクノロジーを使うこと自体にモチベーションを高める効果があるという点です。スマートフォンで学ぶという新鮮さが、少なくとも学習初期の段階では学習者の意欲を引き出したと考えられます。
また、NGSL BuilderにはSpaced Repetition(間隔反復)機能が組み込まれており、覚えにくい語は短い間隔で、記憶が定着した語は長い間隔で復習するよう自動調整されます。これは認知心理学の知見に基づいた語彙定着の王道であり、アプリがこの仕組みを自動化しているという点が統制群のワードリスト学習との大きな違いです。Nakata(2011)はフラッシュカードソフトウェアのレビューの中で、多くのプログラムが語彙学習を最大化する設計になっていると結論づけており、この点でもアプリの優位性は理論的に裏付けられています。
先行研究との対話―本研究はどこに位置づけられるか
MALL研究の蓄積という観点から見ると、本論文はいくつかの重要な先行研究と対話しています。中国のEFL学習者を対象にWu(2014, 2015a, 2015b)が行った一連の研究は、スマートフォンアプリを使って852語から3402語という大量の語彙を学習した結果、いずれも実験群が統制群を上回ったことを報告しています。本研究もこの流れに連なるものですが、NGSLという標準化された語彙リストと標準化されたテスト(NGSLT)を用いた点、そして6か月という比較的長期の追跡データを提供している点が差別化要因です。
Fathi et al.(2018)はMemriseアプリを用いた研究でアプリ群の優位性を確認しており、Seibert Hanson & Brown(2020)のAnkiを用いた研究も学習日数と成績向上の正の相関を示しています。一方で、Seibert Hanson & Brownの研究では参加者がアプリの使用に対して低い楽しさを報告したことが興味深い点で、効果があっても「楽しくない」と感じられることがあるという事実は、動機づけの複雑さを示しています。本研究においても遅延テストで得点が下がった要因の一つとして「長期介入での初期の熱意の漸減」が挙げられており、同様の課題が垣間見えます。
Sage et al.(2020)は紙・ノートパソコン・スマートフォンで語彙フラッシュカードを比較した研究で、学習成果・認知負荷・満足度に有意差はなかったと報告しています。しかし本研究の実験群は統制群(紙のワードリスト)に対して明確な優位を示しており、この一見矛盾する結果は、比較条件の違い――フラッシュカード同士の比較か、アプリ対ワードリストか――によるものと解釈できます。
日本の英語教育への示唆―この研究から何を学ぶか
日本のEFL環境は、本研究が行われたイランと多くの共通点を持っています。英語を日常的に使う機会が極めて限られており、授業時間も週数回にすぎない。こうした状況では、スマートフォンを活用した課外学習の効果は特に大きな意義を持ちます。本研究が示した事後テストでの23点近い向上(100点満点中)は、たった10分×5日という控えめな学習量で達成されたものです。日本の中学・高校・大学生が同様の取り組みをした場合、少なくとも同程度の効果が期待できる理由があります。
学習指導要領の改訂に伴い、日本でも「主体的・対話的で深い学び」や「自律的学習者の育成」が強調されるようになっています。本研究は、自律的な課外語彙学習の枠組みとして、NGSL BuilderのようなアプリとNGSLのような体系的語彙リストを組み合わせる方法が有効であることを示しています。しかし同時に、学習者の自律性に完全に任せるだけでは不十分であることも示唆しています。本研究でも、任意参加ゆえに統制群の学習が十分に行われなかった可能性があり、また実験群でも遅延テストで得点が低下しました。教師によるモニタリングや定期的なフィードバック、そして学習後も英語に触れる機会の提供が重要な補完的要素となるでしょう。
また、本研究がNGSLという「最頻出語彙リスト」に焦点を当てている点も重要です。日本の英語教育では語彙指導が軽視されがちで、特に語彙リストを体系的に活用した学習はあまり普及していません。NGSLは無料で公開されており、NGSL Builderアプリも無料です。コストゼロで始められる語彙強化の方法として、日本の学校教育・大学教育の現場での導入を積極的に検討する価値があります。
研究の限界と今後の課題
著者たち自身が率直に認めているように、本研究にはいくつかの限界があります。まず、無作為割り当てではなく既存のクラスをそのまま群として使用したため、厳密なランダム化比較試験ではありません。実験群と統制群の人数の差(58対25)も気になります。これほどの不均衡は、群間の比較に微妙な影響を与える可能性があります。また、研究の性質上、インターネット、メディア、ソーシャルメディアを通じた英語への自然な露出がどの程度語彙習得に貢献したかを完全に排除することはできません。
さらに、研究が量的デザインに限定されており、学習者がアプリをどのように使ったか、どう感じたか、どんな方略を取ったかといった質的データが欠けています。ある学生は毎日欠かさず使い、別の学生は直前にまとめてやったかもしれない。そうした個人差のプロセスに迫るには、インタビューや学習日誌などの質的手法が不可欠です。今後の研究では、混合研究法によるより立体的な知見の積み重ねが期待されます。
加えて、参加者がすべてB1・B2レベル(中級)のイラン人大学生であることから、初級者や上級者、あるいは異なる文化・言語的背景を持つ学習者への一般化については慎重であるべきです。日本語を母語とする学習者は英語との言語的距離がイラン語(ペルシャ語)と異なるため、直接の比較は必ずしも妥当ではありません。
総評―研究の誠実さと実践的価値
本論文は、研究上の誠実さと実践的な有用性を兼ね備えた作品です。6か月という時間軸、標準化テストの使用、遅延テストの実施、そして複数の統計手法の組み合わせは、MALL研究の中でも方法論的に丁寧な部類に入ります。先行研究が指摘していた「短期介入」「統制群なし」「非標準化測定」という弱点に正面から向き合い、それぞれに対応しようとした姿勢は評価に値します。
効果量0.922という非常に大きな値については、いくらか慎重な解釈が必要です。現実の教育現場では、こうした規模の効果が常に再現されるとは限りません。また、任意参加であるにもかかわらず統制群がほとんど語彙を習得しなかったという結果は、統制群の学習が想定通りに行われなかった可能性を示唆しており、比較の基準線が低すぎた可能性も否定できません。
それでも、本研究が伝える核心的なメッセージは揺るぎません。デジタルフラッシュカードアプリを活用した自律的な課外語彙学習は、適切な設計と支援のもとで、EFLの学習者に実質的かつ持続的な語彙の成長をもたらすことができる――という事実です。英語の「語彙の壁」に悩む日本の英語学習者と教育者にとって、この研究が指し示す方向は明確で、かつ十分に手の届くところにあります。授業の外側に広がる時間をいかに学びに変えるか。その問いへの一つの有力な答えが、ここにあります。
Zakian, M., Xodabande, I., Valizadeh, M., & Yousefvand, M. (2022). Out-of-the-classroom learning of English vocabulary by EFL learners: Investigating the effectiveness of mobile assisted learning with digital flashcards. Asian-Pacific Journal of Second and Foreign Language Education, 7(1), Article 16. https://doi.org/10.1186/s40862-022-00143-8
