英語を授業の媒体として使う「英語媒体教育(EMI: English-Medium Instruction)」は、いまや日本でも対岸の話ではありません。スーパーグローバル大学をはじめとした大学の国際化政策、中学・高校での「英語で行う授業」の推進、そして帰国子女や外国にルーツを持つ子どもたちの増加。こうした流れの中で、「英語しか使ってはいけない授業で、英語が得意でない生徒はどうすればいいのか」という問いに、多くの現場の先生が悩んでいることでしょう。今回紹介するのは、そうした悩みに対して一つの具体的な答えを示してくれる論文です。

Kevin W. H. Taiは、UCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)の応用言語学センターに所属する研究者で、香港のEMI教育における教室談話を専門に研究しています。本論文 “Translanguaging as Inclusive Pedagogical Practices in English-Medium Instruction Science and Mathematics Classrooms for Linguistically and Culturally Diverse Students” は、2022年に Research in Science Education(第52巻)に掲載されました。Taiは複数の言語を操るパキスタン系の教師を対象に、香港の中学校における理科と数学の授業を詳細に分析しています。彼自身もパキスタン系香港人であり、マイノリティとして教育を受けた経験を持つこの研究者の視点には、単なるデータ分析を超えた当事者的なまなざしが感じられます。

「英語だけ」という原則が生み出す矛盾

論文の出発点となる問題意識は、非常にシンプルです。EMI授業では「英語だけを使う」というルールがしばしば課されますが、そのルールが逆に学習の妨げになっているのではないか、ということです。特に香港の場合、多数派である広東語話者の中国系生徒だけでなく、ウルドゥー語やネパール語、パンジャービー語などを母語とする南アジア系の生徒も同じ教室に座っています。彼らは互いに異なる言語文化的背景を持ち、教師との共通の第一言語すら存在しないこともある。そんな状況で「英語だけ」という原則を貫いても、授業の内容が伝わらないどころか、生徒が孤立してしまうリスクがあります。

これは日本でも起きていることです。外国にルーツを持つ児童生徒は年々増加しており、教室の中に複数の言語的背景を持つ子どもが混在するケースが珍しくなくなっています。英語の授業に限らず、国語や算数の授業でも「言葉のわからない子」をいかに包摂するかは、日本の教育現場でも切実な課題です。

トランスランゲージングとは何か

この論文のキーワードは「トランスランゲージング(translanguaging)」です。もともとはウェールズのバイリンガル教育の文脈でCain Williamsが提唱した概念ですが、近年はGarcia & Liらによってより広い理論的枠組みに発展しています。簡単に言えば、「人が持つすべての言語的・記号的・身体的リソースを柔軟に活用しながら意味を作り出す実践」のことです。単に二言語を切り替える「コードスイッチング」とは異なり、言語だけでなくジェスチャー、視覚的教材、書き込み、さらには空間的なレイアウトまでをも含む、包括的なコミュニケーション観に基づいています。

日本の英語教育の文脈で言えば、「英語で説明したあとに日本語で補足する」という行為も、広い意味ではトランスランゲージングの一形態と言えます。しかしこの論文が示すのは、それよりもはるかに多層的かつ戦略的な実践です。

研究の設計とデータ収集

Taiはこの研究で、マルチモーダル会話分析(MCA: Multimodal Conversation Analysis)という手法を採用しています。これは、授業中の発話だけでなく、身振り、視線、機器の操作、スクリーン上の映像といった非言語的な要素もすべて記録・分析するという、非常に緻密な手法です。データは主に2種類の授業から取られています。一つは2018年に録画された中学2年(Year 8)の理科の混合クラス(南アジア系生徒と中国系生徒が混在)、もう一つは2020年6月に観察した中学4年(Year 10)の数学クラス(南アジア系生徒のみ)です。どちらの授業も、同一の教師が担当しています。

この教師はパキスタン系で、ウルドゥー語とパンジャービー語を第一言語とし、広東語・英語・普通話・アラビア語も話すというマルチリンガルな人物です。本人が「英語が最も得意」と自認しながらも、広東語もほぼ母語話者レベルで話せます。南アジア系の生徒に対しても、中国系の生徒に対しても、共に理解できる共通語として英語と広東語を使い分けているわけです。そして重要なのは、この教師がトランスランゲージングについて意識的に関心を持ち、自ら実践しようとしていた点です。研究者であるTaiとの半構造化インタビューも分析に組み込まれており、教師自身がどのような意図で言語を選択しているかも明らかにされています。

授業の実際―理科クラスの場合

論文で紹介されている理科の授業は、電気回路の基礎を扱うものでした。教師はiPadを使って実際の回路の写真と回路図を並べて表示し、英語と標準中国語(繁体字)の双方でラベルを付けた教材をスクリーンに映し出します。南アジア系の生徒は英語のラベルを、中国系の生徒は中国語のラベルを参照しながら、同じ内容を学べるようになっています。そして教師は質問を英語で投げかけたあと、広東語に訳して繰り返します。すると今度は、中国語で答えた生徒の回答を英語に訳して全体に共有する、という双方向の「翻訳サイクル」が自然に生まれます。

ここで興味深いのは、南アジア系の生徒たちも広東語をある程度理解できるという事実です。香港で育った彼らは、学校外の生活を通じて広東語に慣れ親しんでいます。つまり「広東語の質問は中国系生徒だけのもの」ではなく、教室全体が広東語を通じてつながれる可能性があるのです。教師はこの「共有可能な言語資源」を巧みに活用しています。

さらに、教師はジェスチャーも積極的に使います。電池の正極を示す「長い線」と負極を示す「短い線」の違いを説明する場面では、言葉と同時に指と親指の間隔を変えて「長さ」を体で示します。言語が届かないところを身体が補う、そういう多層的なコミュニケーションが実現しています。Taiはこれを「トランスダクション(transduction)」、すなわち一つの記号様式から別の様式への変換として理論化しています。

数学クラスの場合―英語のみで成立するトランスランゲージング

数学のクラスは南アジア系生徒のみで構成されており、教師は広東語を使いません。しかし論文の鋭い指摘は、「言語的な多様性がなくてもトランスランゲージングは起きている」という点にあります。教師は指数方程式を解く際、iPadで数式を書き、黄色のハイライターで共通因数を強調し、緑色のハイライターで変換後の変数を示します。そして「取り出す(taking out)」という動詞を発するとき、同時に右腕を自分の方に引き寄せるジェスチャーをします。数学の抽象的な操作が、身体の動きと重なって「体感できるもの」になる瞬間です。

インタビューで教師は「英語のクラスでは英語しか使わない。でもそれは別に中国語が不要だからではなく、このクラスには中国語話者がいないからだ」と明言しています。これは重要な示唆です。言語選択は固定したルールではなく、目の前の学習者のニーズに応じた戦略的判断であるということです。

「文化の境界線」を越える実践としてのトランスランゲージング

この論文でTaiが特に力を入れているのは、トランスランゲージングを「文化の境界越え(cultural border crossing)」として捉える視点です。Aikenheadの理論を援用しながら、学習者が日常の文化から理科・数学という学問の文化へと越境する際の困難を指摘し、教師がその橋渡しをする役割を担うと論じています。たとえば南アジア系の生徒にとって、「回路図を記号で描く」という行為は、日常生活にはほとんど存在しない慣習です。教師が実際の回路と記号化された図を並べ、双方向に行き来しながら説明することは、まさにその「橋渡し」の実践といえます。

これは日本の教育現場にも響く視点ではないでしょうか。たとえば外国にルーツを持つ子どもが、日本の理科の授業で「蒸散」や「光合成」といった概念を学ぶとき、言葉の壁だけでなく「科学という文化への参加」というより深い壁が存在します。母語で補足しながら概念を導入すること、視覚的な教材を多用すること、そして身体感覚と結びつけた説明をすること―これらすべてがトランスランゲージングの実践として位置づけられるのです。

この研究が残す問いと限界

もちろん、この論文に課題がないわけではありません。まず、分析対象が一人の教師に限定されており、その教師が特例的に優秀で意識の高い人物であることは否定できません。一般化の難しさは著者自身も認識していますが、香港という極めて特殊な言語環境を前提とした知見が、他の文脈にどこまで適用できるかは慎重な検討が必要です。

また、生徒側の学習成果についての分析はやや薄いという印象があります。教師が巧みな実践をしているのは明らかですが、それによって生徒の概念理解がどれほど深まったのかは、会話分析の手法だけでは測りきれません。定量的な学習評価データと組み合わせることで、より説得力のある議論になったかもしれません。

さらに、学校の言語政策として「混合クラスでは中国語も許容する」という制度的な許可があった点も見逃せません。日本の学校のように「英語の授業は英語で行う」という方針が強く打ち出されている文脈では、教師個人がいくら柔軟に実践したくても、制度的な壁に阻まれることがあります。つまりこの研究が示す実践は、個々の教師の技量の問題であると同時に、学校・教育委員会レベルの政策的決断とも深く絡み合っているのです。

日本の英語教育への示唆

この論文から日本の英語教育関係者が受け取れるメッセージは、大きく二つあると思います。一つは「英語のみ使用」という原則の再考です。英語の授業で日本語を使うことへの罪悪感を持つ先生は少なくありませんが、それが学習者の理解を著しく妨げているなら、その原則は再考に値します。日本語を「使ってしまった失敗」ではなく、「意図的に活用するリソース」として位置づける発想の転換が求められます。

もう一つは、非言語的リソースの意識的な活用です。ジェスチャー、図示、色分け、iPad操作といった多様な手段を組み合わせることが、言語の壁を乗り越えるために非常に有効であることをこの研究は示しています。これは英語力に関係なく、すべての教師が明日から実践できることでもあります。

日本では現在、小学校から英語教育が必修化され、中学・高校では「英語で英語を教える」ことが求められています。しかし英語力の低い生徒が多いクラスで英語のみで授業をすることの弊害も、現場では感じられているはずです。この論文が示す「トランスランゲージングとしての包摂的教育」という視点は、そうしたジレンマに対する一つの理論的・実践的な応答として非常に有益です。

Taiのこの研究は、理科・数学という教科特有のディスコースが絡み合う複雑な状況を、会話分析という緻密な手法で丁寧に解きほぐしたものです。その徹底した実証性と、理論的な深みのバランスは、EMI研究の中でも際立っています。英語教育に携わるすべての人に、一度は手に取ってほしい論文です。


Tai, K. W. H. (2022). Translanguaging as inclusive pedagogical practices in English-medium instruction science and mathematics classrooms for linguistically and culturally diverse students. Research in Science Education, 52(4), 975–1012. https://doi.org/10.1007/s11165-021-10018-6

最新の研究の解説記事を見逃したくない方へ
膨大な論文の中から、読むべき重要研究を厳選し、わかりやすくまとめた記事を毎週土曜日に届けします。 忙しい先生のための情報収集ツールとしてお使いください。
icon

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

📖新刊情報|英語教育学海外論文解説: 海外の研究をサクッと解説』の最新号(第10号)が刊行されました!▶特集テーマ:「ネイティブ規範」を越えて、授業・評価・テクノロジーを問い直す

X
Amazon プライム対象