小さな家族のアーカイブから始まった研究
テネシー大学ノックスビル校の教育学部に所属するLeala Holcombは、自身もろう者であり、ASL(アメリカ手話)と英語のバイリンガルです。彼女のキャリアは、ろう教育における言語・リテラシー研究に深く根ざしており、とりわけ言語剥奪(language deprivation)の問題や、手話を第一言語とする子どもたちの書き言葉の発達に強い関心を持ってきました。この論文 “Writing Development and Translanguaging in Signing Bilingual Deaf Children of Deaf Parents”(Languages, 2023)は、その蓄積の上に立ちながら、これまでのろう教育研究が見落としてきた視点を、鮮やかに照らし出す一作です。
研究のきっかけはシンプルなものでした。あるろう者の親から「うちの子どもたちの書いたものを分析してみてもらえませんか」と頼まれたのです。Holcombはその申し出を快諾し、Piper、Ivy、Coraという三人のろう兄弟姉妹(仮名)が3歳から10歳にかけて書いてきた28点の手書き・タイピング文書を丁寧に読み解いていきました。三人とも両親がろう者であり、家庭ではASLと書き言葉の英語が日常的に使われ、就学後もASL/英語バイリンガル教育を受けた、いわば「最も恵まれた言語環境」に育ったろう児です。
研究デザインは質的事例研究(qualitative case study)で、通時的な視点(diachronic perspectives)を取り入れています。統計的な一般化を目指すものではなく、この三人のたどった軌跡を丁寧に記述することで、ろう児のライティング発達とトランスランゲージングの実態を浮かび上がらせることを目的としています。地味に見えるアプローチですが、実際の子どもの文字に向き合う姿勢には、誠実な研究者の目が宿っています。
トランスランゲージングとは何か―「混ぜるな危険」への異議
まず、この論文の理論的核心にある「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念を整理しておく必要があります。日本ではまだなじみの薄い用語ですが、英語教育に携わる人には非常に重要な考え方です。
私たちはしばしば、「英語の時間は英語だけ」「日本語を使うのはズル」という感覚を当然のものとして受け入れてきました。英語の授業で日本語を使うことは「ルール違反」で、英語で思考できていない証拠だ、という直感です。しかしトランスランゲージング理論は、そうした直感を根本から問い直します。
García(2009)やOtheguy et al.(2015)らが理論化してきたこの概念によれば、複数言語を使う人間の脳は、「英語回路」と「日本語回路」を別々に持っているのではありません。すべての言語は一つの統合された言語レパートリーとして脳内に存在しており、書いたり話したりするときには、その全体が同時に活性化されています。脳科学的な研究(Kroll et al., 2010など)もこれを支持しており、二言語使用者が「二つの言語を切り替えている」というよりも、「一つの統合システムから、場面や目的に応じて選択している」という理解の方が実態に近いとされています。
言い換えれば、英語の授業中に日本語で考えながら英語を書くことは、「英語力の欠如」ではなく、持てる言語資源を最大限に活用している「自然な知的営み」なのです。トランスランゲージング理論はこれを「誤り」と見るのではなく、多言語使用者の豊かな能力の表れとして積極的に評価します。
Holcombの論文は、このトランスランゲージング理論を、ろうの子どもたちの書き言葉発達に適用した、数少ない実証的研究の一つです。しかも、言語剥奪の影響を受けていない、つまり幼少期から手話に十分アクセスできた子どもたちに焦点を当てた研究としては、文字通り初めての試みです。
「欠損モデル」が生んできた誤解
ろう教育の歴史的文脈を理解することは、この論文の意義を正確に把握するために不可欠です。
長年にわたり、ろう児の書き言葉の発達は「遅れている」「欠陥がある」という観点から研究されてきました。比較の基準は常に、「聴者のモノリンガル英語話者」でした。たとえば、Mayer(2007)はあるろう児が “kissb” という綴りで「スカンク」を表現しようとしたことを、「効果的でないアプローチ」として批判的に記述しました。しかしHolcombはこれに対し、その子どもがASLの手形(handshape)の知識を使って文字に対応させようとしていた、高度にクリエイティブな認知プロセスを読み取るべきだと主張します。
ここで重要なのが、この批判的評価が「モノリンガルバイアス(monolingual bias)」に基づいているという指摘です。ろう児の書き言葉を、聴者モノリンガルの規範と比較すれば、それは当然「劣っている」という結論になります。しかし、ろう児はそもそも手話を第一言語として発達してきており、英語は第二言語として書き言葉を通じて習得するという、まったく異なる言語的経路をたどっているのです。
これはちょうど、日本の英語教育現場でも見られる問題と重なります。日本語話者の英語学習者が書く英語を、英語母語話者の文章と比較して「間違いだらけ」と評価する視点です。「I have studied English for three years, but I am not good at speaking」という文に、日本語の思考様式や語順感覚が影響していても、それはむしろ二言語システムを駆使した知的な努力の証拠です。モノリンガルバイアスからの脱却は、ろう教育だけでなく、日本の英語教育においても急務と言えるでしょう。
三人の子どもたちが見せてくれたもの
論文の結果部分は、とても丁寧で生き生きとした記述に満ちています。ここにこそ、この研究の醍醐味があります。
3歳から10歳にかけての書き言葉の発達は、五つのステージ―先文字的段階(pre-alphabetic)、萌芽的段階(emergent)、過渡的段階(transitional)、慣習的段階(conventional)、流暢段階(fluent)―に沿って整理されています。三人ともおおむねこの順序をたどっており、しかもその過程でさまざまなトランスランゲージングの特徴が確認されました。
特に印象的なのは、Ivy(5歳)が書いた「AA 25 why 3A 8」という文です。これを見た瞬間、多くの人は「意味不明な記号の羅列」と感じるかもしれません。しかし親の証言によれば、これはASL表現「I love prefer pizza. Why? Pizza delicious.」を手形(handshape)で表現したものです。「AA」はASLで「愛する」のサインに使われる両手のA形、「25」は「好む(prefer)」と同じ手形、「3A」は「ピザ」の手形、「8」は「美味しい(delicious)」の手形です。さらに「why」の後に答えが続く構造は、ASLの修辞的疑問文の典型的なパターンです。
これは「でたらめ」ではありません。この5歳児は、手話の音韻体系(手形と意味の対応)、ASLの統語構造、そして英語の綴り字の一部という三層の知識を同時に駆使して、自分の考えを文字に刻もうとしていたのです。研究者としてこれを読んだとき、思わず唸ってしまいます。
PiperがCora、Ivy、Piperそれぞれの書いた「サンタへの手紙」の例も印象的です。6歳のCoraは「Welcome to my home santa you will gave me gift」と書き、8歳のIvyは「Dear Santa I know you have hard time. I hope get gift from u.」と書き、13歳のPiperは「Merry Christmas Santa! I hope you will have a wonderful Christmas. Enjoy our cookies and hot chocolate drink!」と書きました。まるで年輪のように積み重なっていく言語的成長が、実物の手書き文書として目に見える形で示されています。このような縦断的データは、言語発達研究において本当に貴重です。
トランスランゲージングは「消えていく」―それ自体も発見
この論文が提示する最も示唆深い発見の一つは、「トランスランゲージングの特徴は年齢とともに薄れていく」という観察です。子どもたちが英語のボキャブラリーや文法特徴をより多く習得するにつれ、書き言葉の中にASLの特徴が現れる頻度が減り、全体として「標準英語に近づいていく」傾向がありました。
Holcombはこれを、「ASLの特徴が英語を学ぶための一時的なプレースホルダー(scaffold)として機能していた」と解釈しています。つまり、手話の知識は英語ライティングへの「踏み台」として使われ、英語の表現方法を習得するにつれてその役割を終え、表面から退いていくのです。これは学習言語としての「転移(transfer)」の概念と重なりつつ、より動的なプロセスとして描かれています。
しかし同時にHolcombは、表面的なトランスランゲージングの特徴が見えなくなっても、認知的レベルでは依然としてすべての言語が活性化されているというトランスランゲージング理論の主張(Martin et al., 2009; Velasco and García, 2014)を丁寧に引用し、「見えなくなった=なくなった」という単純な解釈を退けています。三人が英語でより流暢に書けるようになっても、その背後ではASLで考え、ASLの視点から英語表現を選んでいる可能性が高いということです。
これはまさに、日本人英語学習者についても言えることではないでしょうか。ある程度の英語力がついてきた学習者の英文に「日本語的」な香りがするとき、それは「まだ日本語から抜けられていない」という欠点ではなく、二言語の統合システムが機能している証拠かもしれません。
この研究の強みと限界―誠実な自己批判
研究者として信頼できるのは、自分の研究の限界を正直に述べているところです。
まず、サンプルの少なさ。28点の文書は確かに貴重なアーカイブですが、子どもたちの書き言葉の全体像を代表するには限りがあります。0歳から3歳のデータがなく、特定の発達段階でサンプルが欠落している場合もありました。次に、ASLの産出サンプルがないこと。書き言葉だけを分析しているため、手話と書き言葉の関係をより完全に描くことができていません。Holcombはこれをmajor limitationとして明記しており、今後の研究でASLの発話サンプルを含めることの必要性を訴えています。
さらに、この三人が「最も恵まれた環境」にいたこと―両親がろう者で教育水準が高く、バイリンガル早期介入を受け、バイリンガル学校に通った―を考えると、結果をより広いろう児人口に一般化することはできません。ろう児の約95%は聴者の家庭に生まれており、手話への早期アクセスが確保されていない子どもの方が圧倒的に多いのです。
また、筆者自身がろう者であり、家族と研究対象が近い関係にあることは、潜在的なバイアスのリスクをはらんでいます。もちろんこれは「内側から見る強み」でもありますが、peer reviewを経た論文であってもなお、解釈の客観性については慎重に読む必要があります。
関連研究との対比―何が新しいのか
この研究の学術的貢献を正確に位置づけるために、関連研究との対比を考えてみましょう。
Wolbers et al.(2014)はすでに、ろう者の書き言葉の中にASLの特徴が現れることを詳細に記述していましたが、「トランスランゲージング」という概念的枠組みは使っていませんでした。Holcombの論文はその枠組みを初めて明示的にろう児の書き言葉分析に適用したという意味で、理論的な前進です。
また、Holcomb et al.(n.d.)の別論文では、382人のろう児を対象に言語剥奪の影響を調べており、そこでもトランスランゲージングの枠組みが使われています。今回の論文はその対極に位置するもの―言語剥奪がなかった場合にどのような発達が起きるか―を描いており、比較の軸として機能しています。
聴者の多言語児を対象とした研究、特にスペイン語・英語バイリンガルの子どもの書き言葉を分析したSoltero-González et al.(2012)やGort(2006)の研究との比較も興味深いです。手形という視覚・触覚的な「音韻」体系を持つASLは、音声言語とは質的に異なるトランスランゲージングのパターンを生み出します。「55」で「bear(クマ)」を表すような手形―文字対応は、音声言語バイリンガルには見られない固有の現象です。ろう者特有のバイリンガリズムを、既存の多言語理論でどこまで説明できるのかは、今後さらに掘り下げる価値のある問いです。
日本の英語教育現場への示唆
ここで視点を変え、この論文が日本の英語教育にもたらす示唆について考えてみましょう。
第一に、「誤り」の再評価という視点です。日本人学習者が「I want to go abroad to the various country」などと書くとき、その不自然さの背後には、日本語の「様々な」というコンセプトや語順感覚があります。これをただの「間違い」として添削するのではなく、「どの言語知識を使おうとしているのか」を読み取る視点を持つことで、より的確な指導が可能になります。
第二に、チェーニング(chaining)という指導技法の応用可能性です。本論文では、ろう教育において有効な方法として「チェーニング」が紹介されています。これは、概念を視覚的情報、文字、手指文字、サインなど複数のモードで連鎖的に提示する手法です。日本の英語教室では、文字・音声・映像・文脈を結びつけることで語彙の習得を促す授業がすでに行われていますが、それをトランスランゲージングの理論で意識的に整理することで、指導の精度が上がる可能性があります。
第三に、学習者の母語への態度です。日本の英語教育では長年、「英語の授業では英語だけ」という方針が理想とされてきました。しかし本論文が示すように、言語は脳内で統合されており、母語の知識は外国語習得の「邪魔」ではなく「資源」です。日本語を活用して英語を考える時間を意図的に設けることは、メタ言語意識(metalinguistic awareness)を高め、長期的な習得を助けることが期待されます。Kuntze et al.(2014)がろう教育の文脈で指摘したように、二言語を比較・対照する活動は、どちらの言語の発達にも寄与しうるのです。
この論文が持つ「物語の力」
最後に、研究としての文体・構成についても触れておきたいと思います。
Holcombの論文は、質的研究として非常に読みやすく、事例の記述が生き生きとしています。子どもたちの実際の文字が図表として掲載されており、読者はPiperの6歳の筆跡やIvyの手形文字を、自分の目で確認できます。「研究データ」というより、「家族の成長記録」を一緒に眺めているような感覚に近いかもしれません。
これは研究者がろう者本人であり、同じ言語的経験を持つからこそ可能な記述の厚みです。子どもの「AA 25 why 3A 8」という記号がどれほど豊かな意味を持つか、ASLを知らない研究者には読み取れないでしょう。Insider researchの強みが遺憾なく発揮されています。
一方で、この「物語的な親しみやすさ」は、研究の批判的検討をやや難しくする側面もあります。三人の兄弟姉妹の微笑ましい成長が前景に出ることで、理論的枠組みの吟味や反証的な解釈がやや後退している印象もなくはありません。たとえば、トランスランゲージングの特徴が年齢とともに減少したことについて、「学校での標準英語重視の指導」という社会政治的な要因が挙げられていますが、それを実証する分析は含まれていません。仮説の提示にとどまっており、今後の研究課題です。
まとめにかえて―「混ぜる」ことを恐れない教育を
私たちが「言語を混ぜてはいけない」と思い込んできたのは、実はかなり人工的な社会規範の産物です。子どもは放っておけば、知っている言語をすべて動員して意味を伝えようとします。それが自然な姿であり、そこには恥ずべきことも直すべきことも、本来ないのです。
Holcombのこの論文は、ろうの子どもたちという、ある意味で極端な事例を通じて、その真実をくっきりと浮かび上がらせています。手形で数字を書き、ASLの語順で文章を綴り、それでも懸命に自分の思いを文字にしようとする子どもたちの姿は、言語というものが本質的に「道具」であり、「道具は使い方が大切」であることを教えてくれます。
日本の英語教育においても、学習者が持つ日本語という豊かな言語的資源を「障害」と見るのをやめ、「踏み台」と見る視点の転換が求められています。もちろん、最終的に英語の産出が目標であれば、英語固有の特徴を明示的に教える指導も欠かせません。しかしその過程で、学習者が自らの言語レパートリー全体を使って考えることを許容し、むしろ奨励することが、深い習得につながるはずです。
「間違い」に見えていたものが、実は豊かさの表れだった。この気づきは、教室という場所の見え方を変えてくれます。Holcombの研究が問いかけているのは、最終的にはそういうことなのだと思います。
Holcomb, L. (2023). Writing development and translanguaging in signing bilingual deaf children of deaf parents. Languages, 8(1), 37. https://doi.org/10.3390/languages8010037
