研究の背景と問題意識
英語教育に携わる人ならば、「学習者の自律性を育てよう」という言葉を一度は耳にしたことがあるはずです。授業の中で学習者が自ら考え、自ら判断し、自ら学びを進めていく姿は、教師なら誰でも理想として描く光景でしょう。しかし現実の教室では、教師が一方的に知識を伝達し、学習者はひたすらそれを受け取るだけという構図が今もなお多くの現場で続いています。
この研究を執筆したのは、サウジアラビアのKing Khalid Universityに所属するFakieh Alrabaiです。彼はサウジアラビアのEFL(外国語としての英語)教育における学習者自律性の問題を長年にわたって研究してきた研究者であり、本論文はその集大成ともいえる実験的介入研究です。2021年にFrontiers in Psychologyに掲載されたこの論文は、自律性を支援する教授法(autonomy-supportive teaching)が学習者の自律性を実際に高めるかどうかを、実験群と統制群を設けた縦断的デザインで検証したものです。
舞台となるサウジアラビアは、教師中心型の教育文化が根強く、学習者は受動的で、教師の指示に依存しがちだとされています。日本の英語教育の文脈を知る者にとっては、どこか他人事とは思えない状況ではないでしょうか。教師が「答え」を与え、学習者がそれを覚えるという構造は、日本の英語授業においても珍しくありません。その意味でAlrabaiの研究は、地理的には遠くても、教育的には非常に近い問題に切り込んでいます。
自律性とは何か、そして理論的基盤
まず「学習者自律性」という概念について整理しておく必要があります。これは単純に「一人で勉強する能力」ではありません。Littleが1991年に定義したように、それは「切り離し、批判的反省、意思決定、独立した行動の能力」を指しており、Bensonは2001年にそれを「自分の学習の責任を取る能力」と捉えています。学習者が自分自身の学びをモニタリングし、目標を設定し、評価できる力――それが自律性の核心です。
本研究の理論的基盤となっているのは、Deci and Ryanが1985年に提唱した自己決定理論(Self-Determination Theory, SDT)です。この理論によれば、人間には三つの基本的な心理的欲求があります。「自律性」(自分の行動を自分で選び決める感覚)、「有能感」(自分が有能であると感じる感覚)、「関係性」(他者と温かくつながる感覚)の三つです。これらが満たされるほど、人は内発的に動機づけられ、自律的に行動できるようになる。逆にこれらが阻害されると、学習への意欲も自律性も損なわれるというのがSDTの核心的な主張です。
Alrabaiはこの理論を軸に、教師が授業の中でどのような行動を取れば学習者のこれらの欲求が満たされ、自律性が高まるのかを実験的に検証しようとしました。理論と実践をつなぐ橋を架けようとした試みです。これはまさに「理論は知っているが、どう実践すればよいかわからない」という多くの教師の悩みに正面から向き合う研究といえます。
二段階の研究デザインと手法の堅実さ
研究は二段階で構成されています。第一段階では86名のEFL教師にアンケートを実施し、学習者の自律性を促進するために最も重要だと考えられる方略を特定しました。教師たちの評価を経て、最終的に7つのマクロ方略と71のミクロ方略が選定されました。具体的には「選択の自由の促進」「目標とニーズの充足」「教師による自律性支援」「メタ認知的スキルの支援」「関係性の促進」「有能感の促進」「内発的動機づけの促進」の七つです。
第二段階では4名の教師と62名の学習者を対象に、12週間にわたる実験的介入が行われました。介入の前後で観察とアンケートを用いてデータを収集し、実験群と統制群を比較する縦断的デザインが採用されています。教師は事前に、研究者が設計した研修プログラムを受け、自律性支援型の授業実践を体系的に学んでいます。この研修は単なる講義ではなく、ビデオ教材を使った演習や、自律性支援的な言語スクリプトの実践練習も含まれており、かなり丁寧に設計されたものです。
統計手法も適切です。分散分析(ANOVA)と共分散分析(ANCOVA)によって介入前後の変化を比較し、さらに階層的重回帰分析によって教師の自律性支援型教授と学習者自律性の間の因果関係を探っています。事前に実験群と統制群の等質性を確認している点も、研究の信頼性を高めています。
主要な発見とその意味
介入の結果は明快です。実験群の学習者は、統制群と比較して、すべての自律性関連変数において統計的に有意な向上を示しました。観察された自律的行動も、自己報告による自律性も、ともに大きく改善されています。特に注目すべきは「選択の自由」に関する変数の変化が最も大きかったという点です。効果量(ηp²=0.72)は非常に大きく、これは偶然の産物ではなく介入の効果と見てよいでしょう。
統制群では同期間にほとんど変化が見られなかったことも重要な知見です。これは介入がなければ自律性は自然には高まらない、つまり教師の意図的な働きかけが不可欠であることを示しています。「環境を整えれば学習者は自然と自律的になる」という楽観的な期待が、少なくともこの文脈では成り立たないことを実証しています。
また階層的重回帰分析によると、教師の自律性支援型教授法と学習者自律性の間の関係は、学習者が知覚する「選択の自由」「有能感」「教師の支援」「内発的動機づけ」という四つの変数によって完全に媒介されることが明らかになりました。中でも「知覚された選択の自由」が最も強い予測変数(β=0.386)であり、学習者が「自分には選択肢がある」と感じることが自律性の核心にあることが確認されました。
日本の英語教育への示唆
この研究は日本の英語教育にとっても示唆に富んでいます。日本の英語教育は長らく文法訳読法が主流であり、教師が教え、学習者が受け取るという一方通行の構造が定着しています。文部科学省は近年「主体的・対話的で深い学び」を掲げ、学習者中心の授業を推奨していますが、現場での実現は容易ではありません。教師はどのような授業をすればよいのか、具体的にわからないという声を多く聞きます。
Alrabaiの研究が示すのは、「理論を知ること」だけでは不十分で、「具体的な方略を体系的に実践すること」が重要だという点です。本研究では教師研修を丁寧に設計し、授業スクリプトや映像教材を活用することで、教師が実際に自律性支援型の行動を取れるよう支援しています。これは日本の教師教育にも直接応用できる示唆です。
また、選択の自由を与えることの重要性は、日本の教室でも見落とされがちな点です。学習者に「どの活動をやりたいか」「どのテーマで課題を書きたいか」「グループかペアか」を選ばせるだけでも、学習への関与は変わると言われています。日本でも「やらされている英語」から「選んだ英語」への転換を促すための実践的なアプローチとして、本研究の知見は十分に活用できます。
さらに内発的動機づけとの関係も見逃せません。本研究では、自律性支援型の教授法が内発的動機づけを高めることが確認されました。日本の学習者の「英語嫌い」は多くの場合、外発的動機づけ(テストのため、受験のため)に過度に依存した学習環境から生じていると考えられます。SDTの観点からは、選択の自由と有能感を与えることが内発的動機づけを引き出し、それが自律的な学びへとつながるプロセスが示されており、日本の文脈でも十分に機能しうる道筋です。
関連研究との対比と本研究の独自性
関連研究との比較において、本研究の最大の強みは「実験的介入」という方法論にあります。先行研究の多くは横断的・相関的デザインを採用しており、因果関係を実証することが難しい設計でした。Hu and Zhang(2017)はSDTに基づく理論的枠組みを提供しましたが、実験的介入は行っていません。Chinpakdee(2020)やPham(2021)のような最近の試みもありましたが、統制群を持たないか、特定の方略に絞らない観察的研究にとどまっていました。
Alrabaiの研究はこれらの限界を克服しています。縦断的な二時点測定、実験群と統制群の比較、教師研修の体系的設計、そして具体的な方略の選定と実施という一連の流れが整合的に設計されており、研究の内的妥当性は高いといえます。
一方、Cheon et al.(2012)による体育教育における自律性支援介入研究は、本研究と比較可能なデザインを持っており、類似の成果を示しています。Alrabaiはこれを参照しながらも、EFL文脈への適用を試みた点に独自の意義があります。ただし体育教育とEFL文脈では、教科特性や文化的背景が大きく異なるため、その比較には慎重さも必要です。
研究の限界と今後の課題
研究の限界についても正直に言及しておく必要があります。まず参加者数が比較的少ない点が気になります。学習者62名、教師4名というサンプルサイズでは、結果の一般化可能性に限界があります。特に教師が実験群2名、統制群2名という構成は、教師個人の影響(teacher effect)を統計的に分離することが難しく、結果の解釈に慎重さが求められます。
また、倫理審査が不要だったと記述されている点は、研究倫理の観点から一定の懸念を持ちます。参加者の匿名性やデータの取り扱いについての詳述がやや薄く、特に学習者が「自分の意志で」グループを選んだとされているにもかかわらず、その選択プロセスがどこまで自由意志に基づくものだったかは不明確です。
さらに本研究では、自律性の向上がEFL学力の向上につながるかどうかは検討されていません。Alrabai自身もこの点を将来の研究課題として挙げており、自律性が高まれば成績も上がるという仮説の検証は今後に委ねられています。「自律的になった学習者は、実際の英語力も伸びるのか」という問いは、教育現場の教師にとって最も切実な関心事でしょう。この点での実証研究が待たれます。
介入期間が12週間という点も議論の余地があります。自律性という複雑な心理的構成概念が、12週間の介入でどこまで変容するのか、また介入終了後もその効果が持続するかどうかについては、本研究は答えを出していません。Cheon and Reeve(2013)が1年後のフォローアップを実施したように、長期的な追跡研究が今後必要です。
研究者の誠実さと論文の総合評価
それでもなお、この研究は英語教育研究において重要な貢献をしていることは疑いありません。理論的な議論に終始してきた「学習者自律性」の研究に、実験的介入という堅固な方法論的基盤を持ち込み、「実際に機能するか」を問い直した点は特筆すべきです。Alrabaiが率直に認めているように、「理論的提案は豊富にあったが、その実践的有効性は経験的に確立されていなかった」という批判的認識が本研究を貫いています。
自律性支援という概念が「美しいスローガン」にとどまらず、実際の教室で機能する実践として実証されたことの意義は小さくありません。教師研修を通じて教師の行動を変え、その変化が学習者の自律性に波及するという連鎖が実証されたことは、教師教育に携わる者にとっても重要な知見です。
日本の英語教育は今、大きな転換点にあります。学習者が主体的に英語を使える力を育てることが求められながら、具体的な方法論は手探りのまま進んでいる現場が多い。そうした状況の中で、Alrabaiの研究は「何をすればよいか」の一端を明示してくれています。選択の自由を与えること、有能感を育てること、温かい関係性の中で学ばせること、内発的動機づけを大切にすること。これらは特別な施設や予算を必要としない。教師の姿勢と方略の変化だけで実現できる可能性のあることです。
もちろん、文化的・制度的背景が異なる日本に直接移植できるわけではありません。しかし、人間が自律性・有能感・関係性という基本的欲求を持つという前提が普遍的なものであるとするならば、SDTに基づくこのアプローチは文化を越えて応用可能な部分を持っています。本研究が提示した知見を、日本の文脈でどのように文脈化・再構成して実践するか、それが日本の英語教育関係者に突きつけられた次なる課題ではないでしょうか。
Alrabai, F. (2021). The influence of autonomy-supportive teaching on EFL students’ classroom autonomy: An experimental intervention. Frontiers in Psychology, 12, Article 728657. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2021.728657
