はじめに―教室の「困った」から生まれる研究
英語の授業で、生徒が教科書を開いても何も頭に入ってこないという場面を、教職に就いたことのある人なら一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。単語を辞書で引き、文法的にはなんとか読めるのに、肝心の「意味」がつかめない。そういうもどかしさが教室のあちこちに漂っている。そんな「現場の困った」を出発点にして、教師自身が研究者となり、試行錯誤を繰り返しながら解決策を探っていくのが、アクション・リサーチ(action research)という研究手法です。
本稿が取り上げるのは、Edgar Ivan Castro Zapata、David Guadalupe Toledo Sarracino、Nahum Samperio Sánchez、María del Socorro Montaño Rodríguezの四名による論文”Reading Comprehension in English as Foreign Language from an Action Research Approach”(2025年、Journal of Posthumanism 第5巻第5号)です。Castro Zapataはコロンビアのサン・ブエナベントゥーラ大学、残る三名はメキシコのバハ・カリフォルニア自治大学に所属しており、スペイン語圏の中南米を主な研究基盤とする国際的なチームによる成果です。この論文は、2010年から2024年にかけて発表された文献のうち、アクション・リサーチを方法論として採用し、かつ外国語としての英語読解力向上を目的とした研究のみを体系的にレビューするという、いわゆる文献調査(bibliographic review)型の研究です。Scopus、ERIC、Lareferencia、Researchgateをはじめとする複数のデータベースから最終的に34本の研究を絞り込み、出版年、実施国、教育段階、研究アプローチ、使用された改善ストラテジーという観点から分類・分析しています。
アクション・リサーチとは何か―「研究する教師」という発想
この論文を理解するうえで、まずアクション・リサーチそのものについて簡単に整理しておく必要があります。この手法は20世紀に社会心理学者の Kurt Lewin が「社会的現実の改善」を目的として構築したものとされており、教育分野ではJohn Elliotが普及に大きく貢献しました。要するに、現場の教師が自分自身の実践に課題を見つけ、仮説を立て、介入し、結果を評価し、また改善するという「省察のサイクル」を繰り返す研究スタイルです。論文はその特質を「研究者と現象との深いつながり」「経験に基づく検証」「実践と認識論的現実の橋渡し」として整理しています。
日本でもアクション・リサーチは近年、教師教育や授業研究の文脈でよく耳にされるようになりましたが、英語教育の読解指導に特化した国際的な文献をこれだけ体系的に集めてレビューした研究は、日本語圏ではまだ多くありません。その意味で、この論文は日本の英語教育関係者にとって外から自分たちの実践を照らし直すための鏡のような存在になりえます。
研究の設計と手法―丁寧だが課題もある文献調査
著者たちが採用したのは「ドキュメンタリー分析(documentary analysis)」という方法です。出版年、実施国、教育段階、研究アプローチ、使用ストラテジーといった複数の分析軸を設定し、34本の研究を分類・整理しています。405本の文献を入口として収集し、選定基準を適用した結果として34本に絞り込んだという透明性は評価できます。
ただし、この手法には内在する限界もあります。34本という最終サンプル数は、グローバルな傾向を論じるには必ずしも十分な規模とは言えません。また、選定基準の具体的な適用プロセス―たとえば、複数の査読者によるスクリーニングがあったかどうか―については論文内での記述が不十分です。系統的文献レビュー(systematic review)としての厳密さ、たとえばPRISMAガイドラインのような標準的な報告様式との比較で見ると、方法論的な精緻さにはまだ改善の余地があります。これは研究の価値を損なうものではありませんが、読者としては所見の解釈に注意が必要な点です。
なお、最も多くの文献を提供したのはScopusで、次いで各大学の機関リポジトリとなっています。一方、SciELOからの取得は最も少なく、スペイン語圏における英語教育研究の国際的な発信力の差異という興味深い側面も垣間見えます。
コロンビア一強という偏りが示す地政学的リアリティ
34本の研究のうち、実に20本がコロンビアで行われたものです。全体の約59パーセントをコロンビアが占めるというこの数字は、単純に驚きを覚えます。インドネシアとエクアドルが各3本、スペインが2本、そして中国・ヨルダン・マレーシア・メキシコ・ポルトガル・スロバキアが各1本という分布です。
この偏りをどう読むかは重要です。著者たちはコロンビアの教育文脈がアクション・リサーチを奨励するものだからだと述べていますが、それと同時に、英語を外国語として教える環境において切実な課題意識を抱えた研究者が多く存在するということでもあります。コロンビアは近年、国家レベルで英語教育の強化に力を入れており、読解力向上への関心は政策とも連動しています。
日本の英語教育研究者の立場から見ると、このデータは少し複雑な感情を呼び起こすかもしれません。日本でも中学・高校・大学を通じて英語読解指導の課題は長年言われてきたはずなのに、アクション・リサーチを用いて国際的なデータベースに登録されている研究は極めて少ない。日本国内での実践的な取り組みは確かに存在しますが、英語での発信力という点では大きな差があります。これは研究文化や言語的障壁の問題でもあり、日本の英語教育コミュニティが今後取り組むべき課題の一つです。
修士論文が半数を占めるという事実の意味
研究の教育段階別分布も興味深い結果を示しています。34本のうち50パーセントが修士論文であり、Mora and Montero(2011)、Fayad(2015)、Maldonado and Russi(2016)、Yusti(2017)など、著名な研究者の名前が並んでいます。博士論文はBattigelli(2015)とCabaleiro(2017)の2本のみで、学部の卒業論文に相当するものはFernández(2016)の1本だけです。
この構成から何が読み取れるでしょうか。アクション・リサーチという手法が、学部レベルよりも大学院レベルで好まれているという傾向です。もちろん、リソースや時間の問題もあるでしょうが、実践者としての経験を積んだ現職教師が大学院に進学し、自らの実践を研究対象として昇華させるというルートが機能していることを示唆しています。日本でも教職大学院の普及に伴い、現職教師が自分の教室でアクション・リサーチを行う機会は増えつつありますが、その成果を国際的に発信するまでの道のりはまだ遠いと言わざるをえません。
また、複数の研究が教育段階を明記していないという点も注目されます。「not specified」として分類されたケースが26.5パーセントに上ることは、研究報告の標準化という観点から見ると課題と言えます。比較可能なデータを積み重ねていくためには、研究の文脈を丁寧に記述することが求められます。
実践対象となった学年層―中学生が多いのはなぜか
読解力向上の取り組みが最も多く行われた対象は、コロンビアの教育制度でいう中学校段階(6年生から9年生に相当)の生徒たちでした。Osenjo(2009)、Fayad(2015)、Gamboa(2017)などがこの層を対象としています。次いで小学校段階と高校段階(10・11年生相当)が同程度の割合で続いています。
この傾向は、言語習得理論の観点からも自然に理解できます。初歩的な英語学習を終え、より複雑なテキストを読み始める段階において、読解ストラテジーの指導が最も効果的に働きやすいとされているからです。また、この時期の読解力がその後の学習に大きく影響を与えるという認識が、教育現場で広く共有されていることも背景にあります。
日本の文脈でいえば、中学校英語の読解指導は依然として大きな課題です。特に、単語や文法の知識はあるのに意味がつかめないという「デコーディングはできるが理解できない」という問題は多くの教師が感じているものです。アクション・リサーチはそういった問題に対して、教師自身が現場から仮説を立て、試し、改善するというサイクルを回す手段として極めて有効です。
研究アプローチ―質的研究の優位とその理由
分析対象となった34本のうち、最も多かったのは質的アプローチ(38.2パーセント)で、次いで混合的アプローチ(29.4パーセント)、量的アプローチ(5.9パーセント)と続き、「明記なし」が26.5パーセントを占めました。
質的アプローチが優位を占めるのは、アクション・リサーチの本質的な特性と一致しています。教室という複雑で文脈依存的な空間を研究対象とする場合、数値化できないものにこそ重要な知見が宿ることが多いからです。しかし、混合的アプローチの増加は注目すべき傾向です。Mora and Montero(2011)やMaldonado and Russi(2016)、Hellystia(2018)らの研究がその例として挙げられており、量的なデータによる裏付けを質的な深みと組み合わせることで、より説得力のある知見を生み出そうとする動きが読み取れます。
日本の教師教育研究においても、「実践と理論の統合」という課題は常に議論されてきました。量的研究だけでは測れない「授業の手ごたえ」や「生徒の変化」を丁寧に記述しながら、同時に数値的な変化も示すという混合的アプローチは、実践者と研究者の双方が納得できる知見を生み出すための有力な方法論です。この点でも、本論文が示す傾向は日本の英語教育研究にとって示唆に富んでいます。
ストラテジーの多様性とICTという収束点
34本の研究が採用した改善ストラテジーの多様さは、圧巻の一言です。構成主義的ストラテジー、メタ認知的ストラテジー、スキミングとスキャニング、学習ログ、多感覚型読書プログラム、CLILメソドロジー、Moodle、ExeLearning、Pear Deckを使ったゲーミフィケーション、シェイクスピアのコメディの活用―表2に示されたリストを眺めると、教師たちの創意工夫の幅広さに思わず笑みがこぼれます。
しかし、この多様性の中に一つの明確な収束点があります。それはICT(情報通信技術)の活用です。34本のうち14本がICTをストラテジーの中核に据えており、これは全体の約41パーセントに相当します。Osenjo(2009)の字幕(closed caption)活用から、Ardila et al.(2021)のBritish Council Learn English Teensというデジタルプラットフォーム活用まで、時代を反映した多様なICTの活用が確認されます。
この傾向は偶然ではありません。ICTは学習者の動機づけを高め、個別化された学習体験を可能にし、世界中のデジタルリソースへのアクセスを開くという点で、英語読解指導における強力なツールです。日本でもGIGAスクール構想以降、一人一台端末環境が整備されつつあり、ICTを活用した英語読解指導の実践は急速に広がっています。本論文が示すICT活用の傾向は、その方向性を後押しする国際的なエビデンスとして機能しうるものです。
日本の英語教育現場への示唆―「研究する教師」を増やすために
ここで少し立ち止まって、日本の英語教育の現状との接点を考えてみましょう。日本では「授業研究(lesson study)」という伝統的な実践知共有の文化があり、これはアクション・リサーチと近い部分も多いです。しかし、授業研究が主として同僚間の観察と協議を通じた改善を指すのに対し、アクション・リサーチは研究者としての自己意識と、論文という形での成果発信を伴います。この違いは小さいようで大きく、国際的なコミュニティへの参加という点で決定的な差をもたらします。
本論文が示すように、スペイン語圏の研究者たちは、現場の問題を英語で発信し、Scopusのような国際データベースに登録される形で蓄積しています。一方、日本の英語教育研究の成果の多くは日本語で書かれ、国内の学会誌や紀要に収録されているため、国際的な文献レビューにほとんど引っかかりません。日本でも読解指導に関するアクション・リサーチは確実に行われているはずですが、それが国際的な知見の積み重ねに貢献できていないという現状は、もったいないとしか言いようがありません。
また、本論文が示す「修士論文が主体」という傾向は、日本の教職大学院の活用にも示唆を与えます。現職教師が大学院で学びながら、自分のクラスでアクション・リサーチを実施し、その成果を英語で発信するという取り組みを組織的に支援することは、個人の成長と日本の英語教育研究の国際的プレゼンス向上の両面で意義があります。
さらに、ICT活用という収束点は、日本の文脈でも特別な意味を持ちます。一人一台端末環境を活かした読解指導のデザインと評価をアクション・リサーチの枠組みで行い、英語で発信する。そういった取り組みが積み重なれば、日本の英語教育は国際的なデータベースにおける「不在」から少しずつ脱していくことができます。
関連研究との対比―何が新しく、何が足りないか
アクション・リサーチと言語教育の関係を扱った先行研究としては、Burns(2010)のDoing Action Research in English Language Teachingが広く参照されています。この書物はアクション・リサーチを英語教育の文脈に位置づけた重要な基盤的文献ですが、本論文はその議論を読解指導という特定のスキルに絞り込み、かつ2010年代から2020年代前半という比較的最近の研究動向を整理した点で補完的な価値を持ちます。
また、系統的文献レビューの方法論的な精緻さという点では、例えば外国語教育における読解指導を扱ったGrabe(2009)のReading in a Second Languageのような理論的基盤との接続が弱いという批判は成立するかもしれません。本論文は傾向の記述に重点を置いており、なぜ特定のストラテジーが有効なのかという理論的な考察はやや薄い印象があります。
一方、文献の地理的多様性を強調した点は評価できます。アクション・リサーチに関する研究の多くが英語圏の文脈に偏りがちな中、スペイン語圏や東南アジア、東ヨーロッパの研究を横断的に取り上げた視点は、英語を外国語として学ぶ環境の多様性を反映するものとして有意義です。
独自の学術的考察―「成功例の集積」を超えるために
本論文を読んで感じるのは、アクション・リサーチという方法論の可能性を示す一方で、「成功したストラテジー」の紹介に留まっているという限界です。34本の研究が「うまくいった実践」を報告していることは確かですが、どのようなストラテジーがどのような条件下では効果を発揮しなかったのか、失敗から学ぶ視点がほとんど見当たりません。
アクション・リサーチの「省察のサイクル」という本質は、試して失敗して修正するというプロセスにあります。公刊される論文がどうしても成功例に偏ってしまうというのは、研究コミュニティ全体が抱える「出版バイアス(publication bias)」の問題でもあります。この点については、本論文も批判的に言及しているわけではなく、今後のメタ分析的な研究においては意識的に取り上げるべき課題です。
また、研究対象となった生徒の英語熟達度レベルについての記述が乏しいという点も気になります。Maldonado and Russi(2016)がA1レベルの高校生を対象としたことは明記されていますが、他の多くの研究では対象の英語力が不明のままです。どのレベルの学習者にどのストラテジーが有効かという議論を深めるためには、CEFR等の共通枠組みに基づいた記述が望まれます。
おわりに―現場と研究をつなぐ「省察のサイクル」
本論文は、アクション・リサーチが外国語としての英語読解指導において国際的に広く活用されており、多様な教育文脈で有効性を示しているという事実を、丁寧に記述したものです。完璧な研究ではありません。サンプル数の限界、方法論的な記述の粗さ、理論的考察の薄さといった課題は正直に認める必要があります。しかし、2010年から2024年というタイムスパンで、スペイン語圏を中心としながらも複数の大陸にまたがる研究動向を一覧化した功績は小さくありません。
英語の授業で「また読解がうまくいかなかった」と感じた翌日、同じやり方を繰り返すのではなく、何が問題だったかを書き留め、次の授業で試し、また振り返る。その繰り返しが、やがて一本の論文になるかもしれない。本論文が示す「研究する教師」の姿は、日本の英語教育現場にとっても、けっして遠い話ではないはずです。ICTを使うかどうか、質的か量的かという問題より前に、自分の教室で何が起きているのかを真剣に観察し、記録し、考え続けるという姿勢こそが、アクション・リサーチの核心です。そしてその姿勢は、すぐれた教師が昔からごく自然に実践してきたことでもあります。
Castro Zapata, E. I., Toledo Sarracino, D. G., Samperio Sánchez, N., & Montaño Rodríguez, M. del S. (2025). Reading comprehension in English as foreign language from an action research approach. Journal of Posthumanism, 5(5), 1495–1516. https://doi.org/10.63332/joph.v5i5.1529
