はじめに―「英語だけで教えなければ」という呪縛

英語の授業中に日本語を使うことに、罪悪感を覚えたことはないでしょうか。「英語の授業は英語で」という原則は、日本の英語教育においても長らく理想とされてきました。文部科学省の指導要領においても、「授業は英語で行うことを基本とする」という方針が掲げられており、現場の教員がそれを忠実に守ろうとする姿は珍しくありません。しかし実際の教室では、説明がうまく伝わらないとき、学習者が完全に置き去りになっているとき、教師はほぼ本能的に母語へ移行します。その瞬間に感じる罪悪感にも似た感覚は、いったいどこから来るのでしょう。

Xiaozhou (Emily) Zhou と Steve Mann による論文 “Translanguaging in a Chinese University CLIL Classroom: Teacher Strategies and Student Attitudes”(Studies in Second Language Learning and Teaching, 2021年)は、そのような問いに対して、実践者としての視座から丁寧に答えようとした研究です。本稿ではこの論文を詳しく読み解きながら、日本の英語教育現場に引きつけて考察を加えていきます。

著者たちとその立場

第一著者の Xiaozhou (Emily) Zhou は、上海外国語大学に所属する研究者で、この研究の「教師兼研究者(teacher/researcher)」として教室に立ちながら自らの実践を観察した人物です。教育学の高度な訓練を英語圏で積んだ三十代の教員という設定は、読者に彼女の教室を想像させるのに十分なリアリティを持っています。第二著者の Steve Mann は英国ウォーリック大学教授で、教師の内省的実践(reflective practice)の研究で知られています。Walsh & Mann (2015) や Mann & Walsh (2017) の共著でも示されているとおり、彼の関心は常に「教師が自分の実践をどう振り返り、改善していくか」という問いに向いています。この組み合わせが、実践と理論の橋渡しを意識した本論文の性格を決定づけています。

「トランスランゲージング」とは何か―コードスイッチングとの違い

まず用語の整理から始めましょう。「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念は、1980年代にウェールズのバイリンガル教育の文脈で生まれ、Cennoz や García らの研究によって現代的な形に洗練されてきました。簡単に言えば、複数言語の資源を柔軟かつ創造的に使いながら意味を構築する行為のことです。Garcia & Li (2014) の定義によれば、それは話者が構築・使用する「独自で複雑な相互関連的な言説実践」であり、どれか一つの言語に割り当てることのできないものです。

よく混同される「コードスイッチング」との違いを押さえておく必要があります。コードスイッチングは、言語Aから言語Bへの「切り替え」として捉え、それぞれのコードを別個の体系として扱います。研究者はどちらの言語をいつ、なぜ使ったかを分析します。一方トランスランゲージングは、そもそも言語の境界線を前提としません。話者の頭の中に「英語」と「日本語」という分離した引き出しがあるのではなく、ひとつの統合されたレパートリーがあり、それを必要に応じて柔軟に引き出すのだという考え方です。これは、バイリンガルやマルチリンガルの言語使用を「欠如した何か」としてではなく、それ自体が豊かな実践として捉える視点の転換を意味しています。

研究の設計―アクションリサーチという選択

本研究の方法論として選ばれたのは、アクションリサーチ(AR)です。これは、実践者が自らの実践を観察・分析・改善するサイクルを繰り返す研究手法で、外部の研究者が第三者として教室を観察するスタイルとは大きく異なります。Zhou 自身が教師として教壇に立ちながら、録音・質問紙・省察ノートを用いてデータを収集しました。

研究は中国の大学の CLIL(内容言語統合型学習)教室を舞台にしています。CLIL とは、英語などの外国語を「教科の内容を学ぶ手段」として使う教授法で、日本でも近年注目度が高まっています。対象は25名の英語専攻一年生(CEFR B2レベル相当)で、人文学関連の読解コースを通じて英語と教科知識の両方を習得することが求められていました。アクションリサーチは2サイクルで構成されており、第1サイクルで現状の実践を分析し学生の意識を調査、第2サイクルでその結果を踏まえた改善を行い、再び学生の反応を確認するという流れです。

この設計の強みは、理論と実践の往還にあります。「学生はどう感じているか」という問いを実践の中心に置き、その声を次の授業設計に活かすというサイクルは、一見当たり前のようで、実際の研究においては意外に見落とされがちです。本研究がそれを正面から取り上げたことは評価に値します。

三つの戦略―教師はいつ、なぜ言語を切り替えるのか

分析の結果、教師のトランスランゲージング実践は三つのカテゴリーに整理されました。「説明的戦略(explanatory strategies)」「注意喚起的戦略(attention-raising strategies)」「関係構築的戦略(rapport-building strategies)」です。

説明的戦略とは、語彙や文法、あるいは文化的な概念を説明する際に中国語を援用するものです。論文中のExample 1では、”despair”と”desperation”の違いを問われた教師が、中国語の四字熟語(「灰心丧气」「孤注一掷」)を使って説明しています。英語だけで説明しようとすれば回りくどくなるところを、母語特有の凝縮された表現で一発で伝える。これは日本語教育でも「なるほど」と思わせる場面です。「ambivalent」の意味を英語だけで説明するより、「相反する気持ちが同時に存在すること」と一言添えたほうが、学習者の理解が格段に深まる、あの感覚に近いものです。

注意喚起的戦略は、学生の集中が途切れそうになる瞬間や、特に重要な学習ポイントを強調したいときに母語を差し挟むものです。Willis (2013) の言う教室の「外側の言語(outer language)」に相当するもので、授業管理に関わる指示などに用いられます。論文のExample 4では、試験の答案作成上の注意を伝えるために「千万不要(絶対にしないでください)」という強調表現が中国語で挿入されています。全編英語で話し続けているときに突然母語が出てくると、それだけで学習者の注意がぱっと引きつけられる、あの効果のことです。

関係構築的戦略は、学習者が母語に切り替えた瞬間を教師が受け止め、自然な対話の流れを維持しながら徐々に英語へ引き戻すものです。Example 6では、グループディスカッション中に学生が中国語で話し始めたところに教師が加わり、まずは中国語を使いながら議論に参入し、徐々に英語へとシフトさせています。学習者を否定せず、しかし目標言語への橋渡しをさりげなくする。これは技術であり、センスでもあります。

学生の声―「英語だけ」は望まれていなかった

この研究の最も印象的な発見のひとつは、学生の態度に関するデータです。第1サイクルの質問紙調査では、参加者25名全員が、教師による適度なトランスランゲージングを「英語一辺倒の授業よりも学習に効果的だ」と回答しました。「全員」です。例外なし。これは単純に見えて、かなり強いシグナルです。さらに、96%の学生が「少量のトランスランゲージングは英語のみの使用と比べて内容理解と言語習得に有効だ」と答えています。

興味深いのは、学生の希望が一律ではなかった点です。テキストの字義的な説明や文学・文化的内容の議論、教師と学生のインタラクション場面では母語の使用を減らしてほしいという声がある一方、宿題の指示や課題説明・練習問題の答え合わせの場面ではむしろ中国語をもっと使ってほしいという要望が多く出ています。学生は「英語漬けにしてほしい」のでも「なんでも中国語で説明してほしい」のでもなく、「場面によって賢く使い分けてほしい」と思っていた。これは洗練された要求です。

第2サイクルでは、教師がこれらの声を踏まえて実践を修正しました。修正後の満足度は80%から92%へと上昇しました。注目すべきは、教師の英語使用率自体は第1タームの85.6%から第2タームの87.1%へとわずかしか変わっていないことです。つまり、量の問題ではなく、「どこで」「どのように」使うかという質と文脈の問題が、学生の体験に大きな影響を与えていたのです。

関連研究との対比―何が新しいのか

先行研究との関係において、本論文の位置づけを確認しておきましょう。Wang (2019b) は中国の外国語教室における教師・学習者の態度と実践を調査した研究ですが、多くの学生がモノリンガル(単一言語)アプローチを好んだという結果を報告しています。本研究の結果はそれと真逆です。この相違の一つの説明として、著者たちは参加者の学習目的の違いを挙げています。本研究の学生は英語専攻で、言語能力の向上と同時に教科内容の習得を強く求めていた。その複合的な学習目標が、母語を含むすべての言語資源の活用を合理的なものとして受け入れる素地を作っていたという解釈は、説得力があります。

Galante (2020) はカナダの多言語英語プログラムにおけるトランスランゲージングの課題に関する研究ですが、こちらは学生の「困難の認識」に焦点を当てており、態度のポジティブな変化を実践改善と結びつけるアクションリサーチの枠組みとは趣が異なります。本研究が既存の研究から一歩踏み込んでいるのは、学生の声を単に記録するだけでなく、それを教師の実践修正に直接つなげ、その修正が学生にどう受け取られたかを再び確認するという「循環」を設計した点です。アクションリサーチの「介入」と「反省」というサイクルを、トランスランゲージング研究に有機的に組み込んだ点は、方法論上の貢献として評価できます。

批評的考察―研究の限界と残された問い

もちろん、本研究が批判的な視点から無縁というわけではありません。著者たち自身も認めているように、アクションリサーチの本質的な限界として「一般化可能性の低さ」があります。25名の英語専攻学生、一人の教師兼研究者、一つの大学、という文脈固有の研究は、その知見が他の文脈にそのまま当てはまると主張することができません。

また、本研究では「学生の学習パフォーマンス」のデータが欠けています。態度や認識の変化を測定することはできましたが、実際にトランスランゲージングが学習成果(テストの得点、言語産出の質など)に与えた影響については何も言えません。態度の改善が必ずしも学習の改善を意味しないとすれば、「教師のトランスランゲージングは効果的だった」という主張の根拠は、やや薄いと言わざるを得ません。この点は、今後の研究が補うべき課題として残ります。

さらに、研究者自身が教師であるという設定は、バイアスの問題を生じさせます。教師兼研究者が自分の実践を評価する構造において、学生は「本当のことを言いにくい」という社会的圧力を受けていた可能性も否定できません。質問紙への回答が匿名であったとしても、教師への「配慮」が回答に影響していたとすれば、92%の満足度という数字は少し割り引いて読む必要があるかもしれません。こうした問題は、アクションリサーチ全般に内在するものでもあります。

日本の英語教育現場への示唆

さて、この研究は日本の英語教育にとって何を意味するでしょうか。いくつかの視点から考えてみます。

まず、「英語で授業を行う」という方針の再解釈という問題があります。文部科学省の指導要領が「授業は英語で行うことを基本とする」と示している以上、現場の教員がそれを規範として意識するのは当然です。しかし本研究が示すのは、母語の「戦略的・意図的な」使用がむしろ学習効果を高めうるという証拠です。重要なのは、「日本語を使わない」ことではなく、「日本語をいつ・どのように・なぜ使うかを教師自身が意識的に判断できているか」ということかもしれません。英語使用率が87%であっても、残りの13%の日本語がどこに、どのように配置されているかが、教室の質を左右する。この視点は、日本の現場に即して考え直す価値があります。

次に、CLILとトランスランゲージングの接点という問題があります。日本でもCLILへの関心は高まっており、英語で理科や社会を教える実践が増えています。しかしその多くは、「いかに英語のみで内容を伝えるか」という課題と格闘しています。本研究が示すのは、CLILの文脈こそトランスランゲージングが有効に機能しうる土壌だということです。教科の内容と言語を同時に学ぶという複合的な目標があるとき、学習者の全言語レパートリーを資源として活用することは、単なる「妥協」ではなく、理にかなった教育的選択です。

さらに、学習者の声を実践に還元するという発想についてです。本研究が「アクションリサーチ」として優れているのは、教師が学習者の声を聞き、それを授業改善に活かし、その結果を再び確認するというサイクルを丁寧に実装した点にあります。日本の教育現場でも、授業評価アンケートは広く実施されていますが、その結果が次の授業設計にどれほど活かされているかといえば、正直なところ疑わしい場合も多い。Zhou と Mann が見せたのは、学生の声を「参考程度に聞く」のではなく、「実践変容の起点として取り込む」姿勢です。これは方法論の問題でもあり、教師としての倫理の問題でもあります。

「教室という生態系」という考え方

本論文が随所で用いているvan Lier (2000) の「生態学的(ecological)」という概念にも触れておきましょう。教室を「生態系」として見るということは、教師と学習者の関係を一方向的な「伝達」ではなく、相互作用によって変化していく有機的なシステムとして捉えることを意味します。教師の言語選択が学習者の態度に影響し、その態度が教師の実践を変え、変わった実践がさらに学習者の経験を変えていく。この循環の中で「mutually beneficial classroom ecology(相互に利益をもたらす教室の生態系)」が形成されていくというビジョンは、教育実践を語る言葉として説得力があります。

英語教育において「生態系」という比喩を使うと、単一の「最適解」を追い求めることへの懐疑が含意されます。どの生態系も固有の条件のもとに成立しているように、どの教室もその文脈に根ざした独自の実践が育まれるべきです。「英語だけで教えることが正しい」という規範は、ある文脈では機能するかもしれませんが、別の文脈では学習者を疎外する。教師がその判断を自律的にできるようになることが、専門職としての成長の核心ではないかと思います。

おわりに―「使い方」を意識することの大切さ

Zhou と Mann の研究は、コンパクトながら実践的な示唆に富んだ論文です。特に「教師の実践を変えたのは、外部の研究者の評価でも理論的な規範でもなく、学生自身の声だった」という点が印象に残ります。研究者が第三者として教室に入り込み、データを持ち帰って分析するのではなく、教師自身が観察者となり、学習者と対話しながら実践を問い直していくアクションリサーチの可能性を、本論文はよく体現しています。

日本の英語教育において「トランスランゲージング」という言葉はまだ馴染みが薄いかもしれません。しかし「場面に応じて日本語と英語を意識的に使い分ける」という実践は、すでに多くの優れた教師が直感的に行っていることではないでしょうか。本論文が提供するのは、その直感を理論的に支え、実践を省察するための言葉と枠組みです。「英語だけで教えなければ」という呪縛から解放される必要はありません。ただ、「なぜ今ここで日本語を使ったのか」を自分自身に問える教師でいること。それが、本研究の読後に残る、静かで確かなメッセージだと思います。


Zhou, X. (E.), & Mann, S. (2021). Translanguaging in a Chinese university CLIL classroom: Teacher strategies and student attitudes. Studies in Second Language Learning and Teaching, 11(2), 265–289. https://doi.org/10.14746/ssllt.2021.11.2.5

 

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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