英語の授業は英語だけで行うべきか。この問いは、日本の英語教育の現場でも長年くり返されてきた問いです。学習指導要領の改訂のたびに「英語で授業を行う」ことが強調され、母語である日本語を使うことに後ろめたさを感じている英語教師は少なくないでしょう。しかし、世界に目を向けてみると、この「英語オンリー」という方針が本当に有効なのか、真剣に再考を迫る研究が積み上げられています。今回紹介するJason Andersonの論文 “The translanguaging practices of expert Indian teachers of English and their learners”(2022年)は、そうした問いに正面から向き合った注目すべき研究です。

研究の背景と筆者について

Jason Andersonはイギリスのウォーリック大学の応用言語学者で、特に多言語環境における英語教育と教師の専門性を研究テーマとしています。本論文は、インドの中等教育(日本でいえば中学・高校に相当する段階)における熟練英語教師8名の授業実践と学習者の言語使用を詳細に記録・分析した比較事例研究です。経済社会研究会議(ESRC)の助成を受けた大規模プロジェクトの一環として実施されており、データの厚みと分析の緻密さにおいて際立った水準を誇ります。

インドは400以上の言語が話されている国であり、英語は「第二言語」とされながらも、多くの学習者にとっては教室の外でほとんど触れることのない外国語に近い存在です。そのような環境で、熟練教師たちはどのように言語を使って授業を行っているのか。この問いに答えるべく、Andersonはマハラシュトラ州、テランガーナ州、西ベンガル州という3つの州にわたる8校を訪れ、各教師につき21〜38回の授業を録画し、インタビューを重ねました。膨大なデータをもとに導き出された知見は、単なるインドの事例にとどまらず、日本を含む多言語・外国語教育の文脈全体に問いかける普遍的な含意を持っています。

「トランスランゲージング」とは何か

本論文を読む上でまず押さえておきたいのが、「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念です。これは簡単に言えば、複数の言語の資源を流動的・統合的に使い合う実践のことを指します。かつては「コードスイッチング」や「コードミキシング」と呼ばれていたものを、より包括的かつ動的に捉え直した概念です。García や Li Wei らが理論化したこの概念の核心にあるのは、多言語話者はそれぞれの言語を別々の「箱」に入れているのではなく、すべての言語資源を一つのレパートリーとして統合的に使っているという見方です。

この観点からすれば、英語の授業中に日本語で説明することは「逸脱」でも「妥協」でもなく、学習者のリソースを最大限に活用する自然な実践だということになります。もちろん、論文筆者自身が認めているように、「強い版」と「弱い版」のトランスランゲージング理論があり、本研究はどちらかといえば「弱い版」、つまり社会的に命名された言語の存在を認めつつも、その境界を柔軟に扱う立場を取っています。これは、試験や制度的規範の中で実践しなければならない現実の教師たちにとって、より実用的な枠組みと言えるでしょう。

熟練教師の選定方法にみる厳密さ

本研究で特筆すべき点の一つは、参加教師の選定方法の厳密さです。「熟練教師」という言葉は便利すぎるがゆえに曖昧になりがちですが、Andersonは複数の基準を組み合わせる方法(multiple criteria approach)を採用しています。教師としての経験年数や基本資格はあくまでも前提条件とし、州レベルの教師教育者としての役割、学習者の学力成績、授業賞の受賞歴、専門職団体への参加、高度な学位取得、継続的な専門能力開発への積極的な参加といった複数の指標を組み合わせて候補者を絞り込みました。最終的に選ばれた8名は、いずれも少なくとも5つ以上の指標を満たしており、この丁寧な選定プロセスが研究全体の信頼性を支えています。

日本で「優れた先生」を研究対象にしようとすると、選定基準があいまいになりがちです。この論文が示す選定プロセスは、日本における教師の専門性研究にとっても参考になるモデルだと言えます。

教師の言語使用はどのように分布していたか

最も興味深い発見の一つは、参加教師たちの言語使用のバランスが大きく異なっていたことです。8名のうち英語(LEL―「使用が少ない言語」)が全体の89%を占める教師もいれば、逆に現地語(MEL―「使用が多い言語」)が85%を占める教師もいました。平均すると英語が62%、現地語が38%でした。しかし注目すべきは、全員が両方の言語を使い、かつ全員が高い学習成果を上げていたという事実です。

英語使用率が高かったKuheliは中産階級の生徒が多い都市部の学校に勤め、生徒たちの英語環境もある程度整っていました。一方、現地語(ヒンディー語)使用率が高かったDipikaは、試験対策を重視した運営方針を持つ学校に勤め、制度的な制約の中でバイリンガル的な教材を活用しながら授業を行っていました。それにもかかわらず、両者ともに試験の合格率は96〜100%という高い水準を維持していました。つまり、英語使用率の高低そのものが学習成果を左右するわけではない、ということが明確に示されているのです。

これは日本の英語教育にとっても重要な示唆です。「英語で授業をすれば成果が上がる」という単純な等式は成立しないのです。

教師が現地語を使う場面とその目的

論文では、教師たちがどのような場面で現地語を優勢に使っていたかについても詳細に分析されています。最も多かったのは語彙の説明・翻訳です。Extract 3として示されている例では、Nurjahanという教師が「spring(泉)」という英単語をマラーティー語の「jhara」と結びつけながら説明しているところで、偶然「jhaara(フライ返し)」という似た音の別の語が飛び出し、教室全体が笑いに包まれる場面があります。この何気ないユーモアの交換が、実は学習者との信頼関係を築き、語彙記憶を強化する機能を果たしていることは想像に難くありません。

その他、現地語が優勢に使われていた場面としては、複雑な概念(文学的表現や文法)の説明、試験テキストの内容理解を助けるクロスリンガルな媒介、そして個別学習支援中の習熟度別のやりとり、などが挙げられています。Extract 6では、習熟度の低い生徒Gautamには現地語で、高い生徒Aishには英語でそれぞれ個別に声をかけるNurjahanの姿が記録されています。こうした「使い分け」は意識的な方略であり、すべての生徒を置き去りにしないための工夫です。

学習者の言語使用が教師を映す鏡であること

本研究のなかで特に印象的な発見は、学習者の言語使用が教師のそれを「鏡のように反映している」という点です。英語優勢の教師のクラスでは生徒も英語を多く使い、現地語優勢の教師のクラスでは生徒も現地語を多く使いました。これは偶然ではなく、教師が意識的・無意識的に作り出している「言語的規範」が教室全体に浸透していることを示しています。

Extract 9では、テランガーナ州のVinayのクラスの習熟度の低い7年生ふたりが、テルグ語を骨格としながら「place」「back」「food」「there was bread」などの英語表現を意味的に統合した形で使っています。英語の語彙が現地語の会話の中に自然な形で埋め込まれていく様子は、外国語習得の観点から見ても示唆に富む場面です。一方、Extract 10では習熟度の高い西ベンガル州のKuheliのクラスの生徒ふたりが、バングラ語と英語を交えながら物語文の共同作文を進めています。完成した作文はほぼ完全な英語で書かれており、話し合い(トランスランゲージング)が書き言葉の産出(一言語的英語)を支えていることが見事に示されています。

書き言葉は英語のみ、話し言葉は多言語的というパターン

本研究が示す重要な知見の一つに、書き言葉と話し言葉の使い分けパターンがあります。試験に向けた正式な書き言葉の場面ではほぼ英語のみが使われる一方、日常的な話し言葉の場面では複数の言語が流動的に混在していました。これはインド社会全体の言語使用パターンを反映したものであり、教師たちの実践は社会的に真正(authentic)なものだとAndersonは論じています。

この「話し言葉はトランスランゲージング、書き言葉は単一言語」という二重構造は、試験という現実的な制約を尊重しつつ、日常的なコミュニケーション能力も育てるというバランスとして機能しています。日本の英語教育においても、4技能のうち書く・読む技能と話す・聞く技能とでは、母語との関わり方が異なって当然であり、この視点は実践設計に直接応用できます。

日本の英語教育現場への示唆

日本の高校や中学校の英語教室に引きつけて考えてみましょう。多くの教師が「できるだけ英語で授業を進めなければ」というプレッシャーを感じています。しかし、習熟度の低い生徒が授業についていけなくなったとき、英語オンリーの方針は包摂どころか排除に働くことがあります。Gajananが習熟度の低い生徒Sandhyaに「マラーティー語でもいいから話してみなさい」と言ったとき(Extract 7)、その生徒は自信を持って物語を再話することができました。この場面は、日本語で補助することが学習者の参加を促し、自信を育てることができるという、きわめて明快な証拠です。

また、教師の言語使用が学習者に「どの言語をどう使うか」のモデルを提供しているという点も重要です。日本の教室で教師が日英混在のコミュニケーションを豊かに使いこなしてみせることは、「英語は外国語だから特別なもの」という心理的障壁を下げる効果も期待できます。

関連研究との比較で見えてくること

この分野の先行研究と比較すると、本論文の位置づけが一層鮮明になります。Creese と Blackledge(2010)はイギリスのバイリンガル学校でのトランスランゲージングを記録し、その教育的有効性を示しましたが、その文脈は移民コミュニティの子どもたちを対象とした補習的な場でした。一方、本研究は国家カリキュラムに従った正規の中等教育という、よりフォーマルな文脈での実践を記録しており、その外部妥当性は高いと言えます。

また、教師の専門性研究(teacher expertise research)の文脈では、Tsui(2003)の香港における研究が有名ですが、彼女の研究対象となった熟練教師は英語オンリー政策の影響を受けていました。本論文はこれとは対照的に、政策の縛りが相対的に緩い環境での自然発生的な多言語実践を記録しており、熟練教師研究に多言語的視点を初めて本格的に持ち込んだという点で、学術的な意義が大きいです。

さらに、Durairajan(2017)がインドにおける19の先行研究をレビューして示した「母語使用は学習者の自信、メタ言語意識、語彙記憶に有効である」という知見を、本研究は熟練教師の実践記録という形でより厚みのある証拠として補強しています。

研究の限界と今後の課題

Andersonは自らの限界についても誠実に記しています。事例数が8名に留まること、データ収集・分析を単一の研究者が行ったこと、観察効果(observer effect)の可能性、そして学習者の言語使用のMEL/LELバランスを定量的に分析できなかったことが挙げられています。これらは真摯な自省であり、研究の信頼性をかえって高めています。

特に「学習者の言語使用のバランスを定量化できなかった」という点は今後の研究課題として重要です。教師の言語使用については詳細なデータがある一方、学習者のデータは主にペアワーク・グループワーク中の録音に限られており、全体像の把握には至っていません。これは方法論上の制約とはいえ、学習者側のトランスランゲージングの実態をより詳細に明らかにする研究が望まれます。

「グローバル・サウス」から学ぶという視点

本論文のもう一つの貢献は、いわゆる「グローバル・サウス」、つまり途上国・低所得国の文脈における教育実践を積極的に評価しようとしている点です。Heugh(2021)が指摘するように、北半球(欧米)の多言語主義に関する議論が必ずしもグローバル・サウスの文脈に適用可能なわけではなく、むしろ南半球の教師や研究者の知見が北半球に貢献できる部分があるという視点は、植民地的な知の階層構造に対するオルタナティブとして重要です。

日本はグローバル・サウスではありませんが、英語が「実質的な外国語」として機能しているという点ではインドの多くの地域と共通しています。欧米のイマージョン教育やバイリンガル教育の成果を直輸入しようとするよりも、類似した文脈を持つアジアやアフリカの事例から学ぶことの方が、現実的な適用可能性が高い場合があることをこの研究は示唆しています。

「guilty translanguaging(後ろめたいトランスランゲージング)」という概念が映すもの

Andersonが別の論文(Anderson and Lightfoot 2021)の中で提示した「guilty translanguaging」という表現は、日本の英語教師の多くが共感するのではないでしょうか。「英語だけで授業をしなければならないとわかっているけれど、つい日本語で説明してしまう」という後ろめたさ。この感覚は、インドの教師たちも同様に経験しているものです。本研究はその「後ろめたさ」に根拠がないことを示しています。熟練した教師たちは確信を持ってトランスランゲージングを行っており、それが学習者の包摂と参加を支えていたのです。

政策や制度が「英語オンリー」を求めていても、教室の現実は常に多言語的です。その現実を研究が肯定的に捉え直すことは、教師の実践を支える大きな力になり得ます。

総合的な評価

本論文は方法論的な厳密さ、豊富なデータの提示、理論的な枠組みの明確さ、そして政策的・実践的な含意の明快さという点において、非常に水準の高い研究です。授業録音の書き起こし、数値データ、写真(黒板の記録や生徒のノート)を組み合わせた多面的な分析は、定性研究と定量研究の両方の強みを活かしており、読者に「現場の空気」を伝えることにも成功しています。

日本の英語教育関係者、とりわけ「英語だけの授業」と「日本語の活用」との間で揺れている現場の教師、政策立案者、教員養成に携わる人々にとって、本論文は多くの問いを投げかけます。英語を教えることと英語で教えることは、同じではありません。そして、学習者の言語を排除することは、学習者そのものを排除することにつながりかねないのです。インドの8人の熟練教師たちの実践は、その当たり前の事実を、丁寧なデータとともに改めて私たちに伝えています。


Anderson, J. (2024). The translanguaging practices of expert Indian teachers of English and their learners. Journal of Multilingual and Multicultural Development, 45(6), 2233–2251. https://doi.org/10.1080/01434632.2022.2045300

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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