「英語だけ」という呪縛に、教育現場はどう向き合うべきか。Chang Sin-Yiによるこの論文は、台湾の大学における英語媒体授業(EMI: English Medium Instruction)の実態を丁寧に掘り起こしながら、「英語のみ」という方針が現場の教師たちにとってどれほど窮屈なものであるかを鮮やかに示してみせます。英語教育に携わる日本の読者にとって、この研究はおそらく「他人事」とは思えないはずです。

筆者と研究の背景

Chang Sin-Yiはケンブリッジ大学教育学部に所属する研究者で、言語政策と高等教育における言語実践を専門としています。本論文は2019年にEnglish Teaching & Learning誌に掲載されたもので、応用言語学における「トランス言語実践(translingual practices)」という概念を、高等教育のEMI政策という文脈に接続した意欲的な研究です。筆者自身が台湾出身であることも、この研究に独特のリアリティをもたらしています。現場の空気感、教師たちの葛藤、そして制度と実践のあいだのズレを描写する筆致には、単なる外部観察者では捉えきれない深みがあります。

研究の舞台となったのは、台湾のある大学です。この大学は2012年にEMI政策を導入し、EMIとして登録された授業では英語のみを使用することを義務づけました。授業での説明も、シラバスも、試験問題も、休み時間の質疑応答さえも、すべて英語でなければならないという徹底ぶりです。しかも大学側は管理職員を教室に派遣して実施状況を監視し、学生評価が低ければその教師はEMI授業を一年間担当できなくなるという罰則まで設けていました。こうした政策の下で、18人の大学教員がどのように授業を実践しているのかを、Chang は6ヶ月間にわたる教室観察と半構造化インタビューによって調査しました。

「トランス」という視点―言語の壁を越えること

この論文を理解するうえでまず押さえておきたいのが、「トランスランゲージング(translanguaging)」あるいは「トランスリンガル実践(translingual practices)」という概念です。これは簡単に言えば、複数の言語・記号・モダリティを自在に組み合わせて意味を作り出す行為のことです。たとえば、英語で説明しながら黒板に数式を書いたり、中国語の慣用句で補足したり、YouTubeの日本語動画に英語で解説を加えたりすること、これらはすべて「トランスリンガル実践」に含まれます。

従来の言語観では、言語は「英語」「中国語」「日本語」というように、それぞれ独立した固定的なシステムとして捉えられてきました。しかし現実の教室では、人々はそうした「言語の箱」に収まることなく、自分の言語レパートリー全体を動員して意味を伝えようとします。Changはこの論文で、そうした流動的な実践を「トランス」という接頭辞を軸に捉え直し、EMIの「E(English)」を再概念化しようとしています。英語一辺倒の政策に「トランス」の視点を持ち込むことで、これまで見えていなかった教育の可能性が浮かび上がってくるというわけです。

理論的な支柱として、ChangはSpolskyの言語政策論を援用しています。Spolskyの枠組みは「言語管理(language management)」「言語イデオロギー(language ideology)」「言語実践(language practice)」という三層で成り立っており、政策を単なるトップダウンの命令としてではなく、現場での解釈や交渉を含む動的なプロセスとして捉えることを可能にします。この枠組みを使うことで、Chang は「政策がどう定められているか」と「教師が実際にどう動いているか」のあいだの複雑な絡み合いを、底から掘り起こすことができました。

教室で起きていたこと―7つの実践例

論文の核心部分では、七つのトランスリンガル実践の事例が提示されます。これらは非常に具体的で、読んでいると実際の教室の空気が伝わってくるようです。

微積分の授業では、教師が一見「完全に英語」に見える説明をしながら、実は黒板上の数式や図表という「別の言語」を駆使して知識を構築していました。「たとえ私の話す英語が理解できなくても、黒板の式は読める」という教師の言葉は、知識の伝達が必ずしも口頭言語に依存していないことを端的に示しています。

台湾と中国大陸の関係史を扱う「両岸関係」の授業では、「漢賊不兩立」という古典的な中国語の成語が登場しました。この四字熟語をどれだけ英語で説明しようとしても、その含意の全体は伝わりきりません。中国語という言語そのものが、知識の質感を担っていたのです。

ロシア史の授業では、教師が英語の説明と中国語の訳語・要約を巧みに織り交ぜていました。「語彙を調べても調べてもわからない」という台湾人学生の苦労を知っている教師が、学習者の実情に即した判断をしていたわけです。

機械工学の授業では、日本語の動画を使う場面がありました。その動画の内容を英語でアドリブ解説するという、複数の言語とメディアが絡み合う実践が生まれていました。

輸送工学の授業では、教師が私語をしている学生を制止するために咄嗟に中国語を使いました。長い沈黙のあとに突然中国語で注意を発することで、より強いインパクトを生み出していたのです。

航空工学の授業では、疲れてきた学生たちの注意を引き直すために台湾語が使われました。教師は「冗談みたいなもの」と説明しましたが、それは教室に温かみを取り戻す社会的な機能を果たしていました。

宗教社会学の授業では、「土地公」という台湾の民間信仰の神様を紹介する場面で中国語が使われました。そのすぐ後に教師が「本当は中国語を使ってはいけないのですが」と付け加えた場面は、この研究の中で最も象徴的なシーンのひとつです。知識を伝えるためには中国語が必要だとわかっていながら、政策への違反を自己申告してしまう、その矛盾した状況がEMI政策の問題点を端的に露わにしています。

イデオロギーの壁―「国際化」という名の圧力

こうしたトランスリンガルな実践が現場で自然に生まれているにもかかわらず、教師たちの多くはそれを「例外」「違反」「仕方ないこと」として扱っていました。「大学の方針なので英語しか使えない」「中国語を使ってはいけないと最初に学生に伝えてある」というコメントが複数の教師から聞かれ、英語一辺倒のイデオロギーがいかに深く内面化されているかが伝わってきます。

Changはここで、「国際化(internationalization)」という言説が果たしている役割を鋭く分析しています。台湾の多くの大学は少子化による学生数の減少に直面しており、留学生を呼び込むことが財政的な生存戦略になっています。EMIはその「国際化の指標」として機能しており、どれだけEMI授業を開講しているかが大学の評価基準のひとつになっています。教師の一人は「国際化といえば、留学生の数、提携大学の数、EMI授業の数、全部が指標になる」と述べています。こうした状況では、EMIが教育的な観点から設計されるのではなく、数字合わせのツールになりかねません。

英語は「グローバル市場で交換可能な資本」として認識されているがゆえに、他の言語との間に明確なヒエラルキーが形成されます。その結果、教室に多様な言語リソースが持ち込まれているにもかかわらず、教育プロセスが必ずしも多言語的にならないというパラドックスが生じます。Pennycookの言を引用しながらChangが指摘するように、問題は英語そのものではなく、英語をめぐる言説が作り出す歪んだ言語観にあるのです。

日本の英語教育現場への示唆

この研究が台湾の話だからといって、日本の英語教育関係者には無関係だと思ったら大間違いです。むしろ、日本の現状とあまりにも多くの共鳴点があります。

日本でも近年、大学の国際化推進を背景に英語媒体授業が急増しています。文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援」などの政策は、英語による授業比率を国際化の指標として重視してきました。台湾と同様、「英語で授業を増やすこと」が目的化する傾向は日本でも観察されます。ある大学教員が「学生のためというより、大学の評価のために英語授業をやらされている感がある」と漏らす場面は、日本でも珍しくありません。

また、中高の英語教育においても、「英語の授業は英語で」という方針が文部科学省の学習指導要領によって示され、日本語の使用が否定的に評価される風潮が生まれています。しかし現場の教師たちは、この論文の台湾の教師たちと同様に、学習者の理解を助けるために自然と日本語を使っています。それは「サボり」でも「違反」でもなく、教育的に合理的な判断です。この論文は、そうした現場の実践を理論的に肯定する根拠を提供してくれます。

さらに、この研究は「英語教育」と「教科教育」の関係について再考を促します。EMIにおいて英語は手段であり目的ではないはずですが、「英語のみ」という方針が強化されると、英語が目的化してしまいます。日本における内容言語統合型学習(CLIL)の実践においても、言語と内容のどちらを重視するかという緊張関係は常に存在しており、この論文の議論はその解決のヒントをくれます。

研究方法の評価と限界

方法論の面では、6ヶ月間にわたる教室観察と半構造化インタビューの組み合わせは、実践と意識の両面を捉える上で適切な設計といえます。18人という参加者数は質的研究としては妥当であり、理工系から人文社会系まで幅広い学科をカバーしていることも、データの豊かさに貢献しています。ネクサス分析という分析手法も、マクロな政策とミクロな実践の接点を捉えるうえで有効に機能しています。

一方で、いくつかの限界も指摘できます。参加者が全員中国語母語話者であり、英語が第二・第三言語であるという特定の条件が前提になっています。英語母語話者の教師や、英語話者の留学生の視点は十分に反映されていません。また、学生の学習成果への影響については直接的なデータが収集されておらず、トランスリンガル実践が実際に学習を促進するかどうかの実証的な検討は今後の課題として残ります。さらに、観察された7つの実践例はすべて教師主導のものであり、学生同士のインタラクションにおけるトランスリンガル実践の役割については分析が薄いとも言えます。

関連研究との対話

この論文はGarcia & WeiのTranslanguaging: Language, Bilingualism and Education(2014)やCanagarajahの研究群との対話の中に位置づけられます。先行研究の多くが初等・中等教育のバイリンガル教育文脈でトランスランゲージングを論じてきたのに対して、Changは高等教育のEMI文脈という新たなアリーナにこの概念を持ち込んだ点で独自の貢献をなしています。また、トランスランゲージングを「教育的技法」としてではなく、言語政策の文脈で捉えたことで、実践と制度の緊張関係を可視化したことも評価できます。

Dafouz & Smit(2016)が論じた「多言語大学環境における英語媒体教育の動的概念枠組み」との親和性も高く、本研究はその枠組みの実証的な補強とも読めます。さらに、Pennycookの批判的応用言語学の流れを汲みながらも、単なる批判にとどまらず「ではどうすべきか」という方向性を示そうとしている点は、読者にとって実践的な価値があります。

提言の実現可能性

Changは結論として、EMI政策を「英語のみ」から「多言語・トランスリンガルな認識」へとシフトすることを提案します。授業言語をあらかじめ決めるのではなく、各学問分野の知識の性質や学習者の実態に応じた、文脈に根ざした判断を重視すべきだという主張は、理念としては説得力があります。しかし現実的に考えると、大学の評価指標や資金配分の仕組みが「英語授業の比率」を重視している限り、現場の教師が政策に逆らう形でトランスリンガルな実践を積極的に行うことは難しいでしょう。その意味で、変化は教室レベルの実践だけではなく、政策立案のレベルでも同時に進める必要があります。Changもこの点を認識しており、今後の研究課題として政策立案者を含む「他の政策アクター」を巻き込んだ民族誌的研究の必要性を示唆しています。

この論文が問いかけること

最後に、この論文が本質的に問いかけていることを確認しておきたいと思います。それは「英語で授業をすること」と「英語で知識を構築すること」は、本当に同じことなのかという問いです。宗教社会学の教師が「土地公」を中国語で紹介した瞬間、その一語が英語の説明では届かなかったリアリティを学生に手渡した。そういう瞬間は、どんな教室にも存在します。日本語で「わびさび」を説明するとき、英語でどれだけ言葉を重ねても何かが抜け落ちる感覚、あれに似ています。

言語は透明な窓ではありません。それ自体が知識の質感であり、文化の容器です。「英語のみ」という方針は、その容器を一つに限定することで、こぼれ落ちるものを無視します。Changのこの研究は、こぼれ落ちてきたものを丁寧に拾い上げ、それが実は教育の中核にあったのだということを示してくれます。日本の英語教育関係者がこの論文から受け取るべきメッセージは、単純明快です。「英語を使うこと」を規則として課すよりも、「どのような言語・記号・手段が、この学びの文脈で最もふさわしいか」を問い続けることのほうが、本質的な教育につながるということです。その問いを、政策立案者も、教師も、そして研究者も、ともに抱き続けることが求められています。


Chang, S.-Y. (2019). Beyond the English box: Constructing and communicating knowledge through translingual practices in the higher education classroom. English Teaching & Learning, 43(1), 23–40. https://doi.org/10.1007/s42321-018-0014-4

最新の研究の解説記事を見逃したくない方へ
膨大な論文の中から、読むべき重要研究を厳選し、わかりやすくまとめた記事を毎週土曜日に届けします。 忙しい先生のための情報収集ツールとしてお使いください。
icon

By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

📖新刊情報|英語教育学海外論文解説: 海外の研究をサクッと解説』の最新号(第9号)が刊行されました!▶特集テーマ:EFLにおける批判的思考力の育成―最前線の研究レビュー

X
Amazon プライム対象