英語教育に携わっていると、学習者が書いてきた英文に赤ペンを入れながら、「これは間違いだ」と判断する場面に何度も出くわすはずです。たとえば、日本語の語順をそのまま英語に持ち込んだような表現、母語の発音がにじみ出たスペリング、文法的には説明しにくいけれど何となく意味は通じる構文。これらを「誤り」として処理するのが、長らく教育現場での慣習でした。でも、そこで少し立ち止まって考えてみると、その「誤り」は本当に誤りなのでしょうか。それとも、新しい表現の誕生の瞬間を目撃しているのでしょうか。Li Wei(リー・ウェイ)の論文”Multilingual English Users’ Linguistic Innovation”(2020)は、まさにこの問いに正面から向き合った意欲的な研究です。
著者とその研究背景
Li Weiは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)応用言語学センターの教授であり、バイリンガリズム・多言語主義研究の世界的権威として知られています。彼の研究は、言語を静的なコードとしてではなく、社会的・政治的実践として捉えることを一貫して主張してきました。特に「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念の理論化において中心的な役割を果たしており、2018年のApplied Linguistics誌掲載論文でその理論的枠組みを精緻化しています。本論文はその延長線上に位置し、シノフォン(中国語を主要コミュニケーション言語として使う地域・個人)の世界におけるソーシャルメディア上の言語実践を具体的な事例として取り上げながら、多言語ユーザーによる英語の「革新」の性質を問い直しています。
論文の舞台は主にシンガポールと香港です。シンガポールのアーティストAndrea Lauがフェイスブックに投稿したポスター「How to have a civil discourse」と、香港の若手研究者たちが立ち上げたフェイスブックページ「Kongish Daily」が主要な分析対象として登場します。この二つの事例は、英語・中国語・マレー語・タミル語・広東語といった複数の言語が複雑に絡み合い、さらに絵文字や視覚的デザイン要素まで組み込まれた表現の豊かさを示しています。読んでいるうちに、「これはいったい何語なのか」という疑問が自然と湧いてくる、そういう事例ばかりです。
三つの「偏見」という問題提起
Li Weiはまず、既存の言語変化・革新研究に潜む三つの偏見を丁寧に解きほぐしていきます。第一は「英語・ヨーロッパ語偏重バイアス」です。社会言語学・歴史言語学の主流研究は、英語やフランス語・スペイン語といったヨーロッパの主要言語に集中しており、アラビア語・ロシア語・中国語などはほとんど同等の注目を受けてきませんでした。さらに言えば、英語の変化・革新に関する研究は主にいわゆる「内輪(Inner Circle)」、つまりイギリス・アメリカ・オーストラリアなどを中心に展開されてきました。「外輪(Outer Circle)」や「拡張輪(Expanding Circle)」の英語使用者による表現は、革新としてではなく「逸脱」として扱われがちだった。この指摘は痛烈です。
第二は「モノリンガル・バイアス」です。言語接触こそが言語変化の主要な源泉であるにもかかわらず、研究はしばしば「一言語ずつ」の視点で行われてきました。言語を借用・混用することは「革新」とは見なされにくく、むしろ「ホスト言語」に対する「ゲスト言語」の介入として非対称に扱われてきた。英語は歴史的に見ても他の言語から大量に借用してきた言語であるにもかかわらず、「ネイティブ・スピーカー」でない者による混用は「誤用」とされてしまう。これは論理的な矛盾ではないでしょうか。
第三は「リンガル・バイアス」です。言語学者は従来、音声と文字という「慣習化されたコード」に研究の焦点を当てすぎてきました。しかし現実の人間コミュニケーションはマルチモーダルです。絵文字、画像、色彩、書体のサイズ、スペースの使い方―これらすべてが意味を作り出しています。「一番速く成長している人間の言語は絵文字だ」というVance Evansの言葉をLi Weiは引用しつつ、ソーシャルメディア時代における言語使用の多様性に目を向けることの重要性を強調しています。この三つの偏見の整理は、議論の土台として非常に明快で説得力があります。
シノフォン世界からの具体的な事例
Andrea Lauのポスターは、シンガポールの四つの公用語―英語・中国語・マレー語・タミル語―を一枚の画面に並べたものですが、驚くべきことにこれらは互いの「翻訳」ではありません。英語の見出し「HOW TO HAVE A CIVIL DISCOURSE」の直下に、中国語では「大げさに泣きわめくな」という卑俗な命令形が来る。マレー語の「Jangan tension」は「気楽にやれ」という意味で、タミル語の「relac lah machi」は「くつろげ、友よ」という口語表現の音訳です。さらに本文中には「womiting」(「vomiting」の意図的な誤記で、シンガポール人の発音パターンを反映)、「confirm plus guarantee」(英語の語彙だがシングリッシュの構文)、「abuden」(「or, but then」の縮約・変形)といった表現が散りばめられています。これを単純に「悪い英語」と断じることはできません。これは意図的な、高度に政治的な言語アートです。
Kongish Dailyの事例はさらに興味深いものです。「Kongish ng hai exac7ly Chinglish」という文を読んで、すぐに意味がわかる人はほとんどいないでしょう。「ng hai」は広東語の否定形「~ではない」、「exac7ly」は数字の「7」が広東語で「chat(馬鹿/愚か者)」に通じることを利用した皮肉の埋め込みです。つまりこれは「Kongishはまったく(しかも少し馬鹿っぽい意味合いを込めて)Chinglishではない」という複層的な意味を持つ文なのです。「actcholly, Kongish hai more creative, more flexible, and more functional ge variety」という文における「ge」は広東語の属格マーカーであり、これは単純なコード・スイッチングではなく、英語の表層の下に広東語の文法が潜在する「palimpsest(上書き写本)」のような構造です。Li Weiはこれを「translingual inflection(超言語的屈折)」と呼び、コード・スイッチングという概念では捉えきれないと主張します。
中国大陸からの事例も圧巻です。「Geilivable」(给力 geili「すごい」+英語の形容詞語尾 -able)、「Niubility」(牛逼 niubi「信じられないほどすごい」+ -ity)、「Z-turn」(折腾 zheteng「ごたごたする」の音と文字形の操作)、そして「How are you?」が実は「怎么是你?(なぜあなたなの?)」の逐語訳である、という一連の例は、英語の語形を借りながらも中国語の語義・文法・語用論で動いている新種の表現です。これらは単語の借用でも文法的誤りでもなく、二つ以上の言語システムが同時に稼働している、まったく新しい表現形式だと言えます。
トランスランゲージングという分析枠組みの価値
Li Weiがこれらの事例を分析するために提案するのが「トランスランゲージング」の視点です。この概念はもともとバイリンガル教育研究から生まれたものですが、Li Weiはそれを「言語の実践的理論」として再定位しています。核心にあるのは、「名前のついた言語(named languages)」は政治的・イデオロギー的な構築物であり、すべての言語はもともと接触言語であるという認識です。英語・中国語・アラビア語・スペイン語――これらはすべて他の言語との借用・混用によって形成されてきました。言語に名前をつけること自体が、国民国家の形成と密接に結びついた政治的行為なのです。
また、トランスランゲージングは「言語」の境界だけでなく、言語と非言語(認知的・記号論的手段)の境界をも越えるものとして定義されます。絵文字・色彩・画像・フォントサイズなどを含めた多様な意味資源が、一つの「サイン」として統合的に機能していることを、このアプローチは捉えようとします。さらに重要なのは、「-ing」という形態素が示す「今ここで進行中の」という性質の強調です。ソーシャルメディア上の言語実践は、高頻度・規則的なパターンを求める従来の変化研究の方法では捉えられない、瞬間的・自発的な創造行為なのです。
そしてLi Weiは、これらの革新的表現が単なる遊びではなく、「批判性(criticality)」を伴う政治的行為であることを強調します。論文の最後に登場する「yijincimal」という造語は、香港警察が大規模デモの参加者数を実際より大幅に少なく報告することを皮肉るために生み出された言葉で、広東語の「警察」の愛称「yijin」と英語の数値体系を表す接尾辞「-cimal」(decimal、hexadecimalのように)を組み合わせたものです。54,000対218,000、63,000対400,000という具体的な数字の乖離を背景に、この造語はソーシャルメディアで爆発的に拡散しました。これはまさに言語が社会的抵抗の道具となった瞬間であり、「言語革新」が単なる言語的現象ではなく社会政治的実践であることを雄弁に示しています。
日本の英語教育現場への示唆
さて、この論文が日本の英語教育に何をもたらすか、という点について考えてみましょう。日本では長らく「正しい英語」を教えることが英語教育の目標とされてきました。特に文部科学省の学習指導要領が想定する「標準的な英語」は、いわゆるInner Circleの英語規範に近いものです。学習者が書いたり話したりした英語には、教師が「誤り」として処理する表現が数多く含まれています。しかしLi Weiの枠組みで考えると、その一部は「日本語を母語とする英語ユーザーが持つ独自の表現資源」として再評価できる可能性があります。
たとえば「I want you to do your best」ではなく「Please do your best」と表現する傾向、「How do you like Japan?」を「Japan is how?」と直訳してしまう表現、「already」を「もう」の語感で多用するパターン―これらは「誤り」として赤ペンを入れる前に、「なぜこういう表現が生まれるのか」「この表現は何を伝えようとしているのか」という問いを立てることができます。それは誤りの許容ではなく、言語使用の背後にある多言語的リソースへの感受性を高めることです。
さらに、グローバルに展開するビジネスや観光の現場で実際に使われている英語の多様性――いわゆるEnglish as a Lingua Franca (ELF) の研究とも接点が大きいですが――を授業に持ち込むことは、「正しい英語」への呪縛から学習者を解放するきっかけになり得ます。SinglishもKongishも、その地域のコミュニティにとっては完全に機能的なコミュニケーション手段です。これを「汚い英語」として退けるのではなく、「ここではこういう表現が生まれているのはなぜか」と考えさせる授業デザインは、批判的言語意識の育成につながります。
また、デジタル・ソーシャルメディアを活用した英語教育の可能性という点でも、本論文は示唆的です。日本の学習者がSNSで英語を使う際には、日本語の要素・絵文字・ローマ字表記の日本語などが自然に混入します。これをエラーとして訂正するだけでなく、「これはどういう意図を持った表現か」「この混用はどういう意味効果を生み出しているか」という分析的視点を持つことが、現代の英語教育に求められているのかもしれません。
関連研究との対比と独自の学術的考察
本論文は、World Englishesの研究伝統とも対話しています。Braj KachruのThree Circles Modelは、英語の多様性を整理する上で画期的なフレームワークでしたが、Li Weiはそれが依然として「英語の変種(variety)」という枠組みにとどまっていることを批判します。変種アプローチは、ある表現が標準英語からどれだけ「逸脱」しているかを記述することに注力しがちで、結果として標準英語を頂点とした階層構造を強化してしまうという点は鋭い批判です。
ELF研究(Jennifer JenkinsやBarbara Seidlhoferらによる)との比較でも興味深い差異があります。ELF研究は、非ネイティブ同士のコミュニケーションの有効性・機能性を実証することに力を入れてきましたが、どちらかといえば相互理解可能性(mutual intelligibility)という観点に重きを置いており、言語混用の政治的・芸術的側面にはあまり踏み込んでいません。Li Weiのアプローチは、言語使用の「クリティカルな」側面――権力への抵抗、アイデンティティの主張、イデオロギーへの応答――をより正面から取り上げる点で独自の貢献をしています。
また、Ofelia Garcíaらが展開してきたトランスランゲージング教育論との連続性も認められますが、Li Weiの本論文はより社会言語学的・批判的語用論的な視点から、「革新」とは何かという問いを鋭く問い直している点に特色があります。単に「多言語使用は教室でも歓迎すべきだ」というスローガンを超えて、多言語混用が社会的文脈においていかに機能し、いかに政治的意味を帯びるかを具体例で示したことは高く評価できます。
一方で、若干の疑問点や課題も残ります。論文が取り上げる事例は、主に意識的・意図的な言語実践者(アーティスト、若手研究者、ソーシャルメディア上の活動家)によるものが中心で、いわゆる「日常的な」多言語ユーザーの実践がどの程度同様の性質を持つのかは、さらなる検討が必要でしょう。また、「革新」と「誤用」の境界線をどこに引くかという問いは、論文内で完全に解消されているわけではありません。Li Wei自身も「これは革新か誤りか」という問いに対して「yes and no」と答えており、その曖昧さを意図的に保っているように見えます。これは誠実な態度ではありますが、実践的な教育応用を考えるとき、教師はどう判断すべきかという指針が欲しいと感じる読者もいるでしょう。
論文全体の評価
この論文の最大の強みは、抽象的な理論的議論と具体的な事例分析の往還が巧みな点です。Andrea Lauのポスターや「yijincimal」の事例は、言語学の論文でありながら読み物としても面白く、非専門家にも訴えかける力を持っています。シノフォン世界という比較的新しいフィールドに焦点を当てることで、これまでの研究の空白を埋める貢献をしているとともに、そこから引き出す理論的含意が普遍的な広がりを持っている点も評価できます。
英語教育者として読むと、この論文は一種の「認識の揺さぶり」を与えてくれます。私たちは無意識のうちに、どの英語が「正しい」英語かを決定する権限を、Inner Circleの標準に委ねてきたのではないでしょうか。しかし現実の世界では、英語は今もリアルタイムで変化し続けており、その変化の担い手は必ずしも「ネイティブ・スピーカー」ではありません。シンガポールの路地裏で、香港のソーシャルメディア上で、そして日本の教室の外でも、英語は今この瞬間に新しい形をまといつつあります。
そのことを見えるようにしてくれる理論的な眼鏡として、トランスランゲージングの視点は非常に有効です。Li Weiのこの論文は、言語教育・言語学・社会言語学にまたがる読者すべてに、自分たちが「言語」について持っている前提を問い直すきっかけを与えてくれる、読み応えのある一篇です。
Wei, L. (2020). Multilingual English users’ linguistic innovation. World Englishes, 39(2), 236–248. https://doi.org/10.1111/weng.12457
