「英語しか使ってはいけない」という教室で、生徒たちは何をしているのか。そんな素朴な問いに、丁寧に向き合った研究があります。Zhou, Li, Gaoの三名による “Towards a Sustainable Classroom Ecology: Translanguaging in English as a Medium of Instruction (EMI) in a Finance Course at an International School in Shanghai”(2021年、Sustainability誌掲載)は、上海のインターナショナルスクールで行われた金融コースを舞台に、学生たちの「トランスランゲージング」の実態と、それに対する態度を調査した研究です。
筆頭著者のXiaozhou (Emily) Zhouは上海外国語大学英語学部に所属し、共著者のChenke Liも同大学に在籍しています。そして三人目の著者であるXuesong (Andy) Gaoはオーストラリアのニューサウスウェールズ大学教育学部に所属する研究者で、多言語教育や英語教育政策の分野で広く知られた存在です。この布陣が示すように、本研究は中国国内の実践的な教育現場と、国際的な研究視座の両方を兼ね備えた、バランスのとれた論文です。
「トランスランゲージング」とは何か―コードスイッチングとの違い
まずは「トランスランゲージング(translanguaging)」という概念を整理しておきましょう。日本の英語教育の文脈では「コードスイッチング」という言葉の方が馴染み深いかもしれません。授業中に英語と日本語を行き来する、あの現象です。しかしトランスランゲージングは、それとは少し異なる立場をとります。
コードスイッチングは、英語と日本語(あるいは英語と普通話)を「別々のコード」として扱い、その切り替えを記述するものです。一方、トランスランゲージングは、話者の言語能力を「英語」と「日本語」に截然と分けられたものとは見なしません。人間の頭の中には、ひとつの統合された言語レパートリーがあり、コミュニケーションの必要に応じてそのレパートリー全体を柔軟に活用する――これがトランスランゲージングの根本的な考え方です。García(2009)の言葉を借りれば、「バイリンガルが自らのバイリンガル世界を理解するために行う、複数の言語実践」ということになります。
この発想の転換は、教育にとって大きな意味を持ちます。生徒が授業中に母語を使うことを「ルール違反」や「能力不足の証拠」と見るのではなく、「自分のもてる言語リソースを最大限に活用している」と捉え直す視点を与えてくれるからです。
研究の舞台―上海のインターナショナルスクールという特殊性
本研究が行われたのは、上海の私立インターナショナルスクールです。制度上、このような学校は中国本土の身分証明書を持たない生徒を対象とし、キャンパス全体で英語を公式言語として使用することを定めています。教科書も、授業も、教室の掲示物も、すべて英語です。
しかし現実はどうか。教師も生徒も、普通話(プートンファー)を流暢に話せるバイリンガルです。そうなれば、教室の中で普通話が使われることは、むしろ自然な成り行きでしょう。このギャップ――「公式には英語のみ」という建前と、「実際には両言語が混在する」という実態――に着目した点が、本研究の出発点です。
調査対象となったのは、「ME CAMP」と呼ばれる短期集中型の課外コースです。経済・金融・起業家精神という三つのテーマを扱い、教室内での講義(4時間)とショッピングモールや銀行を舞台にしたキャンプ活動(3日間)で構成されていました。参加した40名の生徒は12歳から15歳で、英語能力はCEFRのB1からC1とばらつきがあり、出身国もアメリカ、イギリス、オーストラリア、イタリア、フランスなど10カ国以上に及びます。教師は3名で、全員が普通話を母語とし、英語も堪能なバイリンガルです。
どのようなトランスランゲージングが見られたか―三つのパターン
本研究では75時間分の授業がビデオ録画され、6名の生徒に対してグループインタビューが実施されました。データ分析の結果、生徒のトランスランゲージングは主に三つのパターンに分類されました。
ひとつ目は「コミュニケーションの円滑化を動機とするもの」です。生徒たちは話しながら考えをまとめるとき、英語のフィラーワード「like」や、普通話の「就是(つまり)」「然後(それから)」「的(の)」を頻繁に挿入していました。ある生徒は10分間のプレゼンテーション中に「就是」を32回、「然後」を24回使っていたと報告されています。これらは話すテンポを保ちながら次の言葉を探すための、いわば「思考の踊り場」として機能していました。話すことに慣れていない生徒ほど、こうした言語横断的なフィラーに頼ることは想像に難くありません。
ふたつ目は「文脈リソースに促されるもの」です。教科書のスライド、黒板の掲示物、教師の発言など、教室の環境に存在する言語的刺激が、生徒の言語選択に影響を与えていました。たとえばSofiaという生徒は、スライドに書かれていた英単語「aristocrats」「Columbus」「trust」「company」をそのまま使いながら、文章の骨格は普通話で組み立てていました。また、Tiffanyという生徒は教師が繰り返した英語のフレーズ「Higher Risk, Higher Return」を取り込みながら、普通話でその内容を説明するというパターンを見せていました。教室の環境が言語選択のトリガーになるという発見は、日本の英語教育においても示唆的です。掲示物や教材が英語であれば、それが自然と生徒の発話に取り込まれていく可能性があるからです。
三つ目は「言語リソースの戦略的操作を反映するもの」です。これは、生徒が二言語を使いこなせないがゆえにミックスしているのではなく、むしろ両言語の知識を意図的に動員しているケースです。たとえばJamesが「Pony Ma是Tencent的発明人(発明者)」と言ったとき、Ianが「No, he is創始人(ファウンダー)!」と訂正するシーンが描かれています。どちらの語も彼らの知識体系の中に存在しており、英語と普通話の間でより正確な表現を選ぼうとした結果として、このトランスランゲージングが生じています。これは言語的な「流用」でも「妥協」でもなく、むしろ精緻な概念理解の表れと解釈できます。
生徒たちは「混ぜて話すこと」をどう思っているか
6名の生徒に対するインタビューでは、5名がトランスランゲージングに概ね肯定的な態度を示し、1名は一言語主義(モノリンガル)アプローチを支持しました。
肯定派の代表格であるJoeyは、「両方の言語で言葉が出てこないとき、混ぜて話せることで、よりスムーズに話せる。普通の学校では英語しか使えないから、時々うまく伝えられないことがある」と語っています。これは多くの日本人英語学習者の経験とも重なるのではないでしょうか。「英語でしか話してはいけない」というプレッシャーの中で、思考が止まってしまった経験は、教える側にも学ぶ側にもあるはずです。
一方で、GordonとQueenieは批判的な視点を提供しています。Gordonは授業では役に立つと感じながらも、「宿題のときに、こんな書き方でいいのかと迷ってしまう。なんか不十分な感じがする」と述べています。Queenieはより直截的で、「この話し方って変じゃないですか?正式な場でこういう話し方はしないし、言語の境界を曖昧にして、結局どっちも中途半端になってしまう」と懸念を示しました。
これは重要な指摘です。トランスランゲージングがいくら「理論的に正当」であっても、社会的文脈の中でそれが「カジュアルで不正確な言語使用」と見なされるリスクは拭えません。中国の、特にインターナショナルスクールの文脈では、英語が「格上の言語」として認識される傾向があり、普通話との混用は「レベルが低い」と受け取られることもあると本論文は分析しています。日本でも似たような「英語崇拝」的な意識は根強く存在します。この「態度」の問題は、教育実践を変えようとするときに避けて通れない壁です。
日本の英語教育への示唆―「日本語を使ってはいけない」という呪縛
日本の英語教育現場、特に中学・高校のクラスでは、「英語の授業は英語で行う」という指針が文部科学省から出されており、これが現場の教師に「日本語を使うことへの罪悪感」を植え付けているケースが少なくありません。「英語のみ」を徹底しようとするあまり、生徒が思考を停止させてしまう、あるいは発言を躊躇してしまうという状況は珍しくないはずです。
本研究の知見は、この一言語主義的な指針を再考するきっかけを与えてくれます。生徒が母語(日本語)を使って考えを深め、そこで得た理解を英語で表現するという「往復運動」は、決して「英語学習の失敗」ではありません。むしろそれは、バイリンガルが自然に行う意味構築のプロセスであり、コンテンツ理解と言語習得を同時に促す可能性があります。
ただし、本研究が指摘するように、教師はトランスランゲージングを「何でもあり」として放任するのではなく、意図的な教育設計の中に組み込む必要があります。たとえば、英語と日本語を行き来しながら説明した後に、「それを英語だけでもう一度言ってみよう」と促すことで、目標言語形式への到達を保証することができます。この「架け橋」としてのトランスランゲージングの使い方は、日本の現場でも十分に応用可能でしょう。
関連研究との対比―何が新しいのか
トランスランゲージングをEMI(英語を媒介とした授業)の文脈で扱った研究は近年増えていますが、その多くは理科系の授業を対象としており(Probyn, 2015; Pun & Tai, 2021; Tai & Li, 2021など)、金融・経済系のコースを扱った研究は極めて稀です。本研究はその空白を埋める貢献をしています。
また、多くの先行研究が「教師のトランスランゲージング」に焦点を当てているのに対し(Makalela, 2015; Zhou & Mann, 2021など)、本研究は「生徒のトランスランゲージング」の動機と態度に焦点を絞っています。教師がなぜ、いつ言語を切り替えるかという問いだけでなく、生徒が何を感じながらどのように言語を動員しているかを問うことで、教室の動態をより立体的に捉えることができます。
さらに、Wang(2019)の研究では参加者の半数以上が一言語主義的アプローチを好んでいたのに対し、本研究では5名中4名がトランスランゲージングを支持しており、文脈の違いが態度に大きく影響することを示しています。インターナショナルスクールという、比較的多文化・多言語に開放的な環境が、こうした結果の差異をもたらしていると考えられます。
研究の限界と今後の課題
本論文は自らの限界についても率直に述べています。参加者数が40名(インタビューは6名)と比較的少なく、また分析が映像データの言語行動に偏っているため、マルチモーダルな分析(身振り、表情、視線など)が十分に行われていない点が課題として挙げられています。さらに、グループインタビューに参加したのは自発的な志願者に限られており、サンプルに偏りが生じている可能性も否定できません。
また、インタビュー対象者がわずか6名(3ペア)であることは、態度研究としてはやや薄いと感じます。特に「モノリンガルアプローチを支持する」とされた1名の声が、論文全体の中でどのように位置づけられるべきかについて、もう少し掘り下げた考察があれば、議論の厚みが増したでしょう。
加えて、本研究はあくまでも「金融コース」という特定の文脈での事例研究です。Queeniaが述べたように、「フォーマルな場ではトランスランゲージングは受け入れられにくい」という指摘は、この知見の汎用性を問う問いかけでもあります。数学や国語といった他の教科、あるいは試験という文脈でも同様の実践が有効かどうかについては、今後の研究が待たれます。
「持続可能な教室生態系」という視座
論文タイトルには「sustainable classroom ecology(持続可能な教室生態系)」という言葉が使われています。これは単なる流行語の借用ではなく、教室を生態系として捉え、そこに存在するすべての言語リソースが相互に作用しながら、学習という営みを支えているという考え方です。英語だけが「正統」な言語として君臨し、他の言語が排除される教室は、生態系として言えば多様性を失った貧しい環境です。一方、複数の言語が互いを補いながら機能する教室は、豊かで持続可能な生態系と呼べるでしょう。
Li(2018)が提唱する「トランスランゲージング・スペース」という概念も本論文では参照されています。これは、異なる言語実践や社会的コードが交差する場として教室を捉え直すもので、そこでは学習者のアイデンティティや経験もまた、学びの資源として位置づけられます。英語を「使える」ことだけを目標とするのではなく、英語を通じて何を考え、何を表現できるかを重視する教育観は、日本の英語教育が今まさに問い直すべき問いと深く共鳴しています。
本研究は、EMI文脈での授業実践に携わるすべての教師にとって、「教室の中に持ち込まれる言語は英語だけでよいのか」という問いを突きつけるものです。答えを出すのは簡単ではありません。しかし、この問いから目を逸らさないことが、より豊かな学びの場を作るための第一歩になるのではないでしょうか。
Zhou, X., Li, C., & Gao, X. (2021). Towards a sustainable classroom ecology: Translanguaging in English as a medium of instruction (EMI) in a finance course at an international school in Shanghai. Sustainability, 13(19), 10719. https://doi.org/10.3390/su131910719
