英語を教授言語とする授業(EMI: English Medium Instruction)において、教師はどのように言語を使い、どのように自分の「立場」を変えながら生徒の学びを支えているのでしょうか。この問いに正面から向き合った論文が、香港大学およびユニバーシティ・カレッジ・ロンドンに籍を置くKevin W. H. Taiによって2024年に発表されました。タイトルは “Transpositioning in English medium instruction classroom discourse: insights from a translanguaging perspective” であり、Language and Education誌(第39巻第4号)に掲載されています。Taiは広東語を母語とする香港出身の研究者で、トランスランゲージング(translanguaging)を軸とした教室談話研究を積み重ねてきた第一線の研究者です。本論文は、そのTaiが「トランスポジショニング(transpositioning)」という比較的新しい概念を多言語教室の文脈に持ち込み、EMI教師がどのように役割を流動的に切り替えながら授業を展開しているかを、豊富な実例とともに示した力作です。

「トランスランゲージング」と「トランスポジショニング」―二つの概念を理解する

まず、本論文を理解するうえで欠かせない二つの概念について整理しておきましょう。「トランスランゲージング」とは、もともとWilliams(1994)がウェールズのバイリンガル教室を対象に導入した概念で、当初は「理解や表現のために意図的に言語を切り替える行為」を指していました。しかしその後、Li(2018)らによって概念が大きく拡張され、現在では複数の言語・記号・身体的資源・感覚的資源を横断的に動員して意味を構築する、きわめてダイナミックな実践として捉えられています。要するに、「英語か日本語か」という二項対立的な発想を超えて、使える資源をすべて駆使して意味を作り上げていくプロセス全体を指すわけです。

一方、「トランスポジショニング」はLi and Lee(2023)によって提唱された新しい概念で、位置づけ理論(positioning theory)と「液状近代(liquid modernity)」の思想を組み合わせたものです。位置づけ理論によれば、アイデンティティとは固定したものではなく、対話の中で絶えず共同構築されていくものです。「液状近代」の視点では、現代社会において人は複数の役割を同時かつ自発的に演じるとされます。この二つの考え方を統合したトランスポジショニングとは、「コミュニケーションの中で個人のアイデンティティの立場が繰り返し・継続的に移動していくプロセス」(Li & Lee, 2023, p.5)と定義されます。つまり、「先生」というレッテルに縛られることなく、状況に応じて学習者にもなり、登山家にもなり、仲間にもなれる、そうした流動的な自己提示こそがトランスポジショニングの本質なのです。

香港のEMI教育という舞台

本研究の舞台は香港(HK)の名門EMI中学校です。香港の学校教育における教授言語政策は、過去50年にわたって政治・経済・社会的要因に揺さぶられ続けてきました。1998年から2010年の間は中国語中心の教授言語(CMI)が義務化され、2010年以降は「微調整政策」へと転換されましたが、「EMIクラスに生徒を置けば自動的に学力が上がる」という発想が的外れであることは研究者の間でも広く認識されています。英語で数学や理科を学ぶ際に、生徒が抽象的な概念を英語だけで把握するのは至難の業です。それはちょうど、複雑な調理法を外国語だけで解説されながら料理を覚えようとするようなもので、言語と内容の二重負担は非常に大きい。本研究が扱うのは、こうした文脈の中で奮闘するある数学教師の授業です。

調査対象の教師は広東語を母語とし、英語を第二言語として使う中学数学の男性教師で、8年以上のEMI教授経験を持ちます。ドラマ指導の経験もあるというこの教師のプロフィールは、後述する授業実践の豊かさとも無関係ではないように見えます。対象クラスは中学3年生18名からなる補習クラスで、全員が広東語を母語とし、数学の内部試験で平均点を下回った生徒たちです。彼らにとって英語で数学を学ぶことは、二重の困難を伴う挑戦です。

研究方法の特色―MCAとIPAの組み合わせ

本研究の方法論的な独自性として注目したいのが、マルチモーダル会話分析(MCA: Multimodal Conversation Analysis)と解釈的現象学的分析(IPA: Interpretative Phenomenological Analysis)を組み合わせた点です。MCAとは、言語的発話だけでなく、視線、ジェスチャー、身体の動きなどの非言語的行動も含めた社会的相互作用の精細な分析手法です。IPAは、「研究者が参加者の意味生成を解釈しようとする」という二重解釈プロセスを特徴とし、教師自身の経験や省察を深く掘り下げるのに適しています。

データとしては、2019年4月に40分授業を11回ビデオ録画したものと、事前・事後のインタビュー、そしてビデオ刺激想起インタビュー(video-stimulated-recall interview)が用いられました。ビデオ刺激想起インタビューとは、授業場面を録画した映像を教師に見せながら、「なぜこの場面でこう行動したのか」を話してもらうという手法です。教師の「気づき」を事後的に言語化してもらうことで、観察だけでは見えない教師の内的論理を浮かび上がらせることができます。この方法と精密な談話分析を組み合わせることで、「実際の授業で何が起きていたか」と「教師自身はそれをどう理解していたか」という二層の分析が実現しています。研究者自身がかつてこの学校の卒業生であるという背景も、データ収集と解釈に影響したことを論文は率直に認めており、そのような透明性も評価できます。

事例1―教師が「生徒」になるとき

第一の事例は、電卓を使って傾きと距離の数値を求める方法について、生徒(S4)が教師に「教える」という場面です。教師はもともと「公式を入力する順番が面倒だ」という自分の意見を述べていましたが、S4が「電卓のプログラム機能を使えば簡単にできますよ」と反論します。驚いた教師は「そうなの?そんなに簡単?」と尋ね、S4が電卓を取り出して実演し始めると、教師は教壇を離れてS4のそばへと歩み寄ります。この「物理的な移動」が、社会的な立場の移動―すなわち「教える者」から「教わる者」への変容―を象徴しているとTaiは指摘します。教師が「哦(oh)」「嘩(wow)」という驚きの応答トークンを発し、S4の説明を受け止める姿は、まさに生徒の役割を演じていると言えます。

しかし、この事例はそれだけでは終わりません。教師はその後、電卓だけに頼ることの限界(未知数を含む数式には使えない)を説明する段階で、今度は「学生だった自分」の視点から想像上の状況を演じてみせます。「もし公式を忘れたら……哎呀、死んだ!ずっと電卓に頼ってた!完全に公式を忘れた!」という独白によって、教師は「かつて電卓に頼りきりだった生徒」の立場を短時間だけ演じ、その結果どんな困難に陥るかを生徒たちに体感させます。これはトランスポジショニングの二重構造、すなわちリアルな共同学習における役割転換と、仮想的シナリオにおける役割転換が同一の授業展開の中に共存している好例です。ビデオ刺激想起インタビューでは、教師が「自分自身も電卓に頼って公式を忘れた経験がある」と語っており、このトランスポジショニングが単なる演技ではなく、自身の学習経験に根差したものであることがわかります。

事例2―教師が「登山家」になるとき

第二の事例は、黒板に三角形(山)を描き、その山を登り降りする人物を手描きすることで、傾きの正負という抽象的な数学的概念をストーリーとして伝えようとする場面です。教師は自分自身をその手描きの人物に投影し、「山に登るときは楽しくてpositive(プラス)、山を下りるときはnegative(マイナス)な気持ち」と語ります。悲しい表情の絵文字を黒板に描き、「さよならしなければならないとき、人は依依不捨(名残惜しい)でしょう」と広東語で語りかける場面では、生徒たちが笑い声を上げます。それは、「え、これ数学の授業だよね?」という笑いですが、同時に感情と数学概念が結びついた瞬間でもあります。

教師は「登山家」の立場として話しているとき、目を閉じて開け、笑顔になり、”energetic” “very happy” “very positive” と強調して言います。そして「afterward I go back, I feel very↓ negative↓」と語るとき、声のトーンを落とし、眉をひそめます。下降イントネーションが数学的な「マイナス」の意味と感情的な「落ち込み」の意味を同時に担うという、言語と身体が一体となった多様な資源の動員です。この場面を通じて、教師は「数学教師」という制度的役割から飛び出し、「登山家」という想像上の役割を通じて、生徒の感覚的・感情的な次元に働きかけています。ビデオ刺激想起インタビューでは、この登山シナリオは教師が自分自身の学生時代に傾きの正負を覚えられずに苦労した経験から生まれたものであることが明かされます。個人的な苦労が、教え方のアイデアになっているのです。

トランスポジショニングは「授業の翻訳力」である

本論文が提唱する最も重要な主張は、トランスポジショニングが教師の「教室トランスランゲージング能力(classroom translanguaging competence)」の本質的な一部をなすという点です。従来、教室トランスランゲージング能力とは「多言語・マルチモーダルな資源を戦略的に活用して授業目標を達成する能力」として定式化されてきました(Tai & Dai, 2023)。しかし本研究は、それだけでは不十分だと論じます。教師には、状況の展開に応じて自らの社会的役割や複数のアイデンティティの立場を流動的に切り替える能力が求められる。それがトランスポジショニングです。

この視点は、いわゆる「良い授業」の要件を問い直します。教師が「教える者」として常に正解を持ち、権威として振る舞うことが優れた教育ではないとすれば、むしろ「知らないふりができる」「生徒から教われる」「物語の登場人物を演じられる」という多面的な能力こそが、学習環境を豊かにするのではないでしょうか。Brantmeier(2013)の「脆弱性の教育学」が示すように、教師が「知らない」というリスクを引き受けることは、生徒の知識を尊重し、より公正な学習環境を生み出す契機となります。本研究の教師は、まさにその体現者です。

日本の英語教育への示唆

この研究は、香港のEMI教育という特定の文脈で行われたものですが、日本の英語教育関係者にとっても多くの示唆を含んでいます。日本でも、小学校での英語必修化、中学・高校での英語による英語授業(英語教育改革)、さらには大学でのEMI導入が進んでいます。しかし、「英語で授業をする」「英語で説明する」こと自体に先生が精一杯になってしまい、教科内容の深い理解を促すための工夫が後回しになっているケースは少なくないでしょう。

本論文が示すのは、日本語(あるいは学習者の母語)を「補助輪」として使いながらも、それが英語習得の妨げになるのではなく、むしろ概念理解を深め、英語での表現力を促進するという可能性です。Sah and Li(2022)やPhyak et al.(2022)のネパールにおける研究と比較しても、多言語的実践が必ずしも支配的な言語の序列を再生産するものではなく、授業者の批判的意識と具体的な実践によって、生徒の言語的多様性を積極的なリソースとして活用できることが示されています。日本の英語教員養成課程においても、「英語だけで教えることが正しい」という一元的な規範からの脱却が求められているのかもしれません。

また、本研究が提示する「共同学習(co-learning)」の概念は、日本の教育文化にも接点があります。教師が「すべてを知っているわけではない」と示すことは、一見すると権威を損なうように見えます。しかし実際には、教師が生徒から学ぶ姿勢を見せることで、生徒は「自分たちの知識も価値がある」と感じ、主体的な学びへの意欲が高まります。これはいわゆるアクティブ・ラーニングの実質的な促進とも重なります。

研究の限界と今後の課題

もちろん、本研究にも限界はあります。論文自体が誠実に認めているように、定量的なデータが欠けており、教師のトランスランゲージング・トランスポジショニング実践が生徒の数学的理解や英語習得にどの程度寄与したかは不明です。「授業が楽しそうだった」「笑いが起きた」という観察は、確かに学習の促進を示唆するものですが、それが試験の点数や概念定着にどう結びつくかは別問題です。今後の研究では、生徒のパフォーマンスデータとの統合的分析が求められるでしょう。また、調査対象が一人の教師・一つのクラスに限られており、その知見の一般化には慎重を要します。ドラマ指導経験を持つこの教師のパフォーマンス的な資質は特異であり、すべてのEMI教師に同様の実践が可能とは言い切れません。

さらに、研究者自身がこの学校の元生徒であるという立場は、データ収集や解釈に微妙な影響を及ぼしている可能性があります。Taiはこの点を率直に認めていますが、研究者の経験的背景がどのように分析の枠組みや着眼点を形成したかについては、さらに踏み込んだ省察があってもよかったかもしれません。

学術的貢献と評価

こうした限界を踏まえても、本研究の学術的貢献は多岐にわたります。理論的には、トランスポジショニングを「教室トランスランゲージング能力」の中核概念として位置づけ直すことで、教師のペダゴジカル・コンピテンスの概念を拡張しています。「言語や記号を使いこなす力」だけでなく、「自分の役割を戦略的に変容させる力」が教師に求められるという主張は、現代の教育実践論に対して新鮮な問いを投げかけるものです。

実証的には、Li and Lee(2023)が提唱した「トランスランゲージングがトランスポジショニングを促進する」という理論命題に対し、実際の教室談話データを用いて初めて具体的な裏付けを提供した点は特筆に値します。あの論文が「理論のスケッチ」であったとすれば、本研究はそのスケッチに色を塗り、肉付けをした作業と言えるでしょう。方法論的にも、MCAとIPAを組み合わせるという手法は、Tai(2023)が単著で提唱してきたアプローチの実践的展開であり、今後の多言語教室研究のモデルの一つとなりうるものです。精密な会話分析が「教師が何をしているか」を明らかにし、解釈的現象学的分析が「教師がそれをなぜしているか」を補完するという二層構造は、教室研究における方法論的洗練の一例として評価できます。

翻って日本の研究コミュニティに目を向けると、教室における教師のアイデンティティ移動や役割転換を精緻に分析した研究は、まだ少ないように思われます。本研究が示すように、教室の中で教師が「自分は先生である」という役割に縛られず、生徒と並んで学ぶ者にも、物語の語り手にも、想像上の人物にもなれるという発想は、日本の教師教育にとっても非常に示唆的です。「先生らしくある」ことへのプレッシャーは日本の教育文化においても根強く、若い教師たちが自由に役割を変えることをためらう場面は多いでしょう。本研究の知見は、そうした固定観念に対する一つの応答となります。

最後に、本論文が私たちに投げかけているのは、「英語で教えること」の意味の問い直しです。言語は道具ですが、教室においては単なる情報伝達の道具ではなく、アイデンティティを演じ、関係を築き、意味を共創するための資源です。その資源を最大限に活かすためには、教師が自分自身の「立場」に縛られず、柔軟に、そして創造的に動き続けることが必要です。それがトランスポジショニングの核心であり、本論文が丁寧に描き出した教室の真実です。


Tai, K. W. H. (2025). Transpositioning in English medium instruction classroom discourse: Insights from a translanguaging perspective. Language and Education, 39(4), 965–999. https://doi.org/10.1080/09500782.2024.2382748

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By 吉成 雄一郎

株式会社リンガポルタ代表取締役社長。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ(英語教授法)、信州大学大学院工学研究科(情報工学)修了。専門は英語教授法、英語教育システム開発。 さまざまな英語学習書、英検、TOEIC 対策書、マルチメディア教材等を手がけてきた。英語eラーニングや英語関係の教材・コンテンツの研究開発も行う。全国の大学、短期大学、高専等で使われているeラーニングシステム「リンガポルタ」も開発した。最近ではAIによる新しい教育システムの開発にも着手している。

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