論文が問いかけるもの
「学ぶことをやめた大人は、老いていく一方だ」とは、ヘンリー・フォードの言葉として伝えられる格言だが、この一文は現代の成人教育が直面する課題をある意味で鋭く言い当てています。学び続けることの重要性は誰もが認めるものの、実際に大人が自律的に学び続けるための仕組みをどう構築するかは、教育実践において長らく難問とされてきました。本稿で取り上げるのは、フランス・パリに拠点を置くEast Bridge UniversityのDr. Sanjib Chakrabortyによって執筆され、International Journal for Multidisciplinary Research (IJFMR)の2024年5月・6月号(Volume 6, Issue 3)に掲載された論文”Empowering and Engaging Adult Learners: Strategies to Facilitate Self-Directed Learning in Adult Education”です。この論文は、成人学習者が自己主導型の学習(self-directed learning、以下SDL)に主体的に取り組めるよう支援するための戦略を、実証的データを交えながら多角的に検討したものです。日本の英語教育に携わる者にとっても、示唆に富む内容が随所に散りばめられており、改めて丁寧に読み解く価値があります。
SDLとは何か―基本概念の整理
まず、論文が中心に据えるSDLという概念について確認しておきましょう。SDLとは、学習者自身が学習目標を設定し、必要なリソースを選択し、自らの進捗を評価するという、学習プロセス全体を自律的にコントロールする姿勢を指します。これは、成人教育の理論的基盤として広く参照されるMalcolm KnowlesのAndragogy(成人学習論)とも深く結びついています。Knowlesは1970年代に、大人の学習は子どもとは本質的に異なるものだと論じました。大人は自分の学びに対して主体性を持ち、豊富な人生経験を活かして新しい知識を吸収し、即時的な有用性を重視するという特徴があります。こうした理論的背景のもと、Chakrabortyの論文はSDLを現代の成人教育における核心的な実践として位置づけ、それを促進するための具体的な方策を探ろうとしています。
英語教育の文脈に置き換えてみると、これは非常に身近な問いに変換されます。社会人向けの英語講座や、大学の社会人学生向けプログラムにおいて、学習者がどれだけ「自分ごと」として英語学習に向き合えるかは、学習の持続性を左右する決定的な要因です。「教師に言われたから勉強する」ではなく、「自分がなぜ英語を学ぶのかを理解し、自分でペースをコントロールできる」状態に学習者を導くことができるか。そこにこそ、SDL促進の意義があります。
研究の方法と参加者の構成
本研究が採用したのは、量的・質的・実世界データを組み合わせた混合研究法(mixed-methods approach)です。35問からなる構造化アンケートと、一部参加者に対する半構造化インタビューを組み合わせることで、数字からは見えてこない学習者の内面的な動機や障壁についても探ろうとする設計が施されています。
参加者は全部で52名。そのうち65.4%が女性で、年齢層は41〜50歳が最も多く(38.5%)、次いで31〜40歳(30.8%)という構成です。学歴については、70.6%が修士号取得者であり、相対的に高学歴な集団です。職業は78.8%がフルタイム就業者というデータも注目に値します。つまり、本研究の参加者は「仕事を持ちながら学ぼうとする、ある程度教育水準の高い中年の女性」というプロフィールが典型的です。この点は後述する一般化可能性の問題に直結しますが、まずは結果を見ていきましょう。
主要な発見―数字が語る学習者の姿
アンケート結果の中でも特に印象的だったのは、自己主導的学習に関する参加者の認識の高さです。66.7%が「SDLとは、大人が自らの学習プロセスをコントロールすること」と正確に理解しており、72.5%が「SDLはキャリアや個人目標の達成に大いに役立つ」と回答しています。またSDLへの内発的動機について尋ねると、58.8%が「非常に高い動機」を持つと答え、64.7%が「内発的動機がSDLを大きく促進する」と述べました。
これらの数字は一見して非常にポジティブですが、それが何を意味するのかは慎重に解釈する必要があります。参加者が既にSDLへの親和性が高い層から構成されていることを考えると、一般の成人学習者集団に同様の傾向があるとは必ずしも言えません。それでも、SDLに対する肯定的な認識と高い動機が確認されたという事実は、実践的な観点から一定の意義を持ちます。
さらに興味深いのは、協働学習に関するデータです。58%が「チームワークとリソース共有は成人教育において非常に重要」と回答し、64%が「協働学習の場で自らの知識やリソースを共有することに積極的」と述べました。SDLというと個人的な営みとして捉えられがちですが、実は仲間との対話や協力が学習を深める重要な要素になるという視点は、日本の英語教育における協働学習(collaborative learning)の推進とも軌を一にするものです。
理論的枠組みの精度と批判的考察
本論文は、AndragogyのほかにEdward DeciとRichard Ryanの自己決定理論(Self-Determination Theory、SDT)、構成主義(Constructivism)、社会認知理論(Social Cognitive Theory)など、複数の理論を参照しています。この多角的な理論的アプローチは論文の強みのひとつですが、同時に各理論がどのように実証的なデータと接続されているのかが、やや曖昧に感じられる部分もあります。
たとえばSDTに基づけば、学習への内発的動機は「自律性(autonomy)」「有能感(competence)」「関係性(relatedness)」という三つの基本的欲求が満たされたときに高まるとされます。本研究では参加者の高い内発的動機が確認されていますが、これらの三要素がそれぞれどの程度充足されているかを詳細に分析する設計にはなっていません。SDTをより厳密に適用するならば、たとえば「自律性を支持する教育環境の設計がSDLの動機にどう影響するか」という問いに直接答えるデータ収集が求められます。この点は、理論と実証の橋渡しという観点から、今後の研究に委ねられる課題といえます。
また、du Toit-Britsが指摘するように、AndragogyはKnowles自身も認める通り、西洋的な個人主義の価値観に根ざしており、文化的多様性を十分に考慮していないという批判があります。日本の英語教育の文脈では、集団主義的な学習文化や、他者との関係性を重視する学習スタイルが根強く残っています。その意味で、SDLの「自律性」を強調する論調を日本の教育現場にそのまま移植することには慎重であるべきで、本論文もその点への配慮が十分とはいえません。
障壁の分析―見えやすい壁と見えにくい壁
論文は、SDLを阻む障壁として、時間的制約、自己効力感の低さ、リソースへのアクセス困難、制度的制約の四点を挙げています。これらは先行研究とも整合しており、現場感覚とも一致します。特に「時間的制約」は、仕事と家庭と学習を並立させなければならない日本の社会人学習者にとって、最もリアルな壁です。週に数時間しか確保できない学習時間の中で、SDLを実践しようとすること自体が困難なのです。
ここで思い出すのは、筆者が以前関わった社会人英語学習者向けのプログラムの経験です。参加者の多くは「英語を学びたい気持ちはある」と言いながらも、継続的な学習ができない理由として「忙しさ」を挙げていました。しかし実態を詳しく聞いてみると、問題の本質は忙しさではなく、「何から手をつければいいかわからない」という方向感覚の欠如にあることが少なくありませんでした。つまり、SDLに必要なメタ認知スキル―目標設定、自己評価、方略的な学習計画の立案―が身についていないことが、真の障壁であることが多いのです。本論文でもメタ認知スキルの重要性には言及されていますが、その育成方法に関する具体的な提言はやや薄いように感じます。
日本の英語教育への示唆
本論文が日本の英語教育関係者にとって特に有益な点は、学習者の動機づけと自律性の相互作用に光を当てているところです。参加者の約64%が「内発的動機がSDLを大いに促進する」と回答しており、動機づけの質がいかにSDLの実践を左右するかが示されています。日本の英語教育においては長らく、テストのための学習が主流であり、外発的動機(試験に合格するため、単位を取得するため)が学習を牽引する傾向が強くありました。しかし、そのような学習者がいざ社会に出ると、自律的な英語学習の仕方がわからないという困難に直面します。
本論文の知見を踏まえると、教師の役割を「知識の伝達者」から「学習プロセスのファシリテーター」へと再定義する必要性が浮かび上がります。具体的には、学習者自身が英語学習の目標を設定し、その達成度を定期的に自己評価するような活動を授業設計の中に組み込むことが考えられます。たとえば、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)に基づく言語ポートフォリオの活用は、SDLの実践を支える有効なツールとして機能し得ます。
また、協働学習の重要性についての知見も英語教育に直接応用できます。58%が「チームワークとリソース共有が非常に重要」と回答していることは、英語学習においても仲間との対話や情報共有が学習効果を高めるという実践的エビデンスを補強するものです。語彙学習ひとつをとっても、個人で辞書を引いて暗記するよりも、グループでその語を使った会話を試みたり、お互いに例文を作って共有したりする活動の方が、定着率が高いことは多くの教師が経験的に知るところです。
テクノロジーの役割と現実の乖離
本論文は、オンライン学習プラットフォームやデジタルツールがSDLを促進する可能性についても言及しています。調査結果によれば、「ソーシャルラーニングプラットフォームやフォーラム」が最も認知度の高いSDLツールとして挙げられ(44%)、次いでLMS(学習管理システム)への親しみが示されています。しかし、認知度と実際の活用度には大きなギャップがある可能性があります。ツールを知っているからといって、それを効果的にSDLに活用できるわけではないからです。
日本の英語教育の文脈でも同様の問題が観察されます。Duolingoやスタディサプリのような学習アプリを「持っているが使っていない」学習者は決して少なくありません。ツールを導入すること自体はSDLの始まりに過ぎず、それを継続的な学習習慣に結びつけるための支援体制こそが重要です。本論文が「デジタルリテラシー教育の充実」を政策的課題として位置づけていることは評価できますが、具体的な介入プログラムの設計については今後の研究の余地があります。
研究の限界と今後の展開
本論文自身が認めるように、サンプルサイズ(52名)の小ささと参加者の偏り(高学歴・フルタイム就業者が多数)は、結果の一般化可能性を制限する大きな要因です。また、量的データと質的データの統合の仕方についても、インタビューから得られたテーマ分析と調査結果の具体的な対応関係が、論文本文からは必ずしも明確に読み取れません。混合研究法の強みを最大限に発揮するためには、この統合プロセスのより丁寧な記述が求められます。
さらに、本研究が横断的なデータに基づいているため、SDLに関する態度や動機が時間とともにどう変化するかを追うことができません。長期的な縦断研究によって、特定のSDL促進戦略が学習者の実際のアウトカム(試験成績、資格取得、職業的成果など)にどう影響するかを検証することが、今後の重要な課題として浮かび上がります。
おわりに―問い続けることの意義
Chakrabortyの論文は、成人学習者のSDLを促進するという実践的な問いに正面から向き合い、理論と実証の両面からその可能性と課題を丁寧に描き出したものです。完全無欠の研究とはいえないかもしれませんが、英語教育を含む成人教育の実践者が自らの教え方を問い直すための素材として十分な価値を持っています。
学ぶことをやめない大人を育てるために、教師自身もまた学び続ける姿勢を持つこと―その意味において、本論文が問いかけていることは、研究者だけでなく教育現場のすべての人に向けられた問いでもあります。私たちは学習者に「自ら学べ」と伝える前に、まず「学ぶための環境と道具と仲間」を整える責任があるのだということを、本論文は静かに、しかし確かに示しています。
Chakraborty, S. (2024). Empowering and engaging adult learners: Strategies to facilitate self-directed learning in adult education. International Journal for Multidisciplinary Research (IJFMR), 6(3), 1–26. https://www.ijfmr.com
